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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
お祭りの季節は忙しいんですよ編
1011/1133

フォワグラのパテ

 サビーナも他のシェフと同じくコックコート姿になっていた。登場するだけで談笑が一斉に止む。

 コホンと小さく咳払いをしたサビーナが、気楽な口調で告げた。

「みんな揃っているわね。それじゃあ始めるわよ」

 シェフ達が一斉に応えた。すぐに調理台の近くに集まっていく。

「分かりました、サビーナさん」


 その様子を見たゴパルが目を点にした。

「ひゃー……一気にレストラン内の雰囲気が張り詰めた感じになりましたよ。やっぱり、サビーナさんってカリスマ性がありますよね」

 クスクス笑って聞いているカルパナだ。彼女には見慣れた光景のようである。

「サビちゃんに面と向かってソレを言わないでくださいね。照れて怒りだします」


 レカが複数のカメラを操作して講習会の撮影を始めた。片手でスマホ盾を持ったままなので、全ての操作は片手とインカムを使った言葉による命令だ。

 レカさんも、相当に優秀だよねえ……と感心するゴパル。当然ながら彼にそのような芸当はできない。

 サビーナが調理台の上に生のフォワグラを置いた。

「それじゃあ、掃除と下処理をするわね」


 フォワグラのパテだが、以下のような手順でつくる。

 新鮮な生フォワグラを掃除する。最優先事項としては、脂肪肝であるフォワグラの後ろの継ぎ目についている緑色をした袋を、破かないように慎重に切除する。胆のうだ。

 その後、軽く掃除してから、生フォワグラを牛乳に丸一日漬け込む。この臭みを抜く作業をデゴルジュという。

 牛乳から取り出した生フォワグラをペーパータオル等を使って拭き、表面の薄皮をむく。最後に切り開いて、裏側についている血管と筋を除去する。この取り除く作業をデネルヴェという。

 続いて、生フォワグラに白ポート酒とコニャック酒等を振りかける。量としては1.7キロの生フォワグラに対して、それぞれ百CCが目安だ。これを冷蔵庫に入れて一日寝かせる。この作業をマセレという。これで下準備の終了だ。


 寝かせた生フォワグラに調味料を加える。今回はナツメグ粉と塩、コショウと砂糖少々を使い、魚に塩を振る要領で振りかけて三十分ほど置く。

 ナツメグ粉と塩は、生フォワグラ一キロ当たり十五グラム使用していた。コショウは一グラム程度である。


 三十分間がもったいないので、差し替えるサビーナだ。ちなみにマセレの際にも差し替えている。


 生フォワグラを磁器製の耐熱皿にぎゅっと詰める。耐熱皿から生フォワグラが少し盛り上がる程度の詰め具合だ。

 これを冷蔵庫に入れたサビーナが、既に冷えたものと差し替えた。

「冷蔵庫で二、三時間くらい冷やす事。そうすると、こんな風に固まるのよ」


 鍋に水を入れて火にかけ沸騰させた。その湯の中に耐熱皿に入れた生フォワグラを入れて湯煎ゆせんする。湯の量は耐熱皿の八分目くらいまでの深さにしている。この鍋を百五十度に熱したオーブンに入れて、さらに湯煎を続ける。

「十五分から二十分間が目安かな。さて、その間にフォワグラのステーキでも焼くわね」

 観衆から歓声が上がった。ゴパルとレカの声もその中に加わっている。


 フォワグラのステーキといっても簡単なものだ。湯煎にかける前の段階の生フォワグラに、さらに塩コショウと汎用小麦粉を振り、フライパンで焼くだけである。

 ただしフォワグラは脂の塊なので、じっくり焼いてしまうと脂が溶け出てしまう。そのため、煙が出るくらいにまで熱したフライパンを使い、汎用小麦粉をまぶした生フォワグラの表面をさっと焼く程度が良い。


 サビーナが実演しながら、軽く肩をすくめて笑った。

「でも生フォワグラだからね。安全のために中までしっかりと火を通す事。でも、やり過ぎるとパサパサになるから、何回か練習して時間を測っておくと良いわね。ん、こんなものかな」

 火を通し過ぎると、脂が抜け落ちてしまいパサパサになる。外側がカリカリで、中は脂が溶け出す手前のトロトロ状態という火の通り加減が望ましい。フォワグラの断面がピンク色になる程度である。


 サビーナが焼きあがったフォワグラを盛りつけ皿に移して、別に用意したソースを小皿に注いだ。

「ソースをかけずにそのまま食べた方がフォワグラの風味が楽しめるけど、ナツメグとコショウだけなのよね。私達ネパール人には香辛料的に物足りないから、好みでソースをかけて良いわよ」

 一般的には、次のような甘口のソースをかける事が多い。

 小鍋に砂糖を入れて、火にかけてカラメルをつくる。これに酢を加えて少し煮詰めるとガストリックができる。ポート酒を加えて煮詰め、鴨のダシであるフォン・ド・カナールかフォン・ド・ヴォーを足してさらに煮詰めてソースにする。なお、今回は鴨のダシだけを使っている。


 ゴパルがツマヨウジで一つ取り、口に入れた。嬉しそうな表情になっている。

「私はソース無しで十分ですね。美味しいです」

 レカとカルパナはソースを試していた。いくつか種類があるのだが、リンゴソースを選んでいる。これは先程の甘口ソースを作る際に、リンゴ酢とシードルを使ったものだ。フォン・ド・ヴォーは使っていない。

 レカがニンマリ笑いを浮かべながら、試食している客の表情をカメラで撮影していく。

「リンゴにカルダモンかー。あと何かのハーブも使ってるのかなー。甘酸っぱくて香りが良いー」

 カルパナがニコニコしながら言い当てた。

「レモングラスとバジルかな。こっちのカレーソースも良い感じだよ、サビちゃん」

 カレーソースの方はクミンとターメリックを使っているので、完全にネパール料理風だ。米酢を使っているのだが酸味はかなり弱い。試食している客の大半は、カレーソースが気に入った様子である。

 サビーナが手早く次々にフォワグラステーキを焼き上げながら苦笑した。

「まあ、ネパール人だしね。仕方がないか」


 そうこうするうちに十五分が経過した。サビーナがオーブンから湯煎しているフォワグラを出して確認する。

「ん。こんな感じかな。フォワグラの表面に薄っすらと血がにじんでいるけど、この程度で湯煎完了。これ以上やると、火が通り過ぎて食感が悪くなるわよ」

 シェフ達が調理台に寄ってきて火の通り具合を確認していく。メモをつけたり写真を撮るシェフも居た。


 ゴパルも試食のフォワグラステーキを口にしながら眺めている。ちなみに飲んでいるのはバクタプール酒造の白ワインだ。

 もちろん、フォワグラの風味にワインが圧倒されている。これも一種の公開処刑だろう。本来この料理には、シャンパンや甘口ワインのソーテルヌ等と合わせるのが無難である。

「半生という印象なんですね。火加減が難しいのは理解できました」


 サビーナが軽いジト目になった。

「まあね。火の通りが不十分だと、食中毒の危険があるのよ。中心温度が七十度になるようにして、殺菌が完了するまで加熱するんだけど……失敗する人も居るのよ。さて、仕上げね」

 耐熱皿の上に重石を乗せた。

「常温で一晩このまま。こうする事で、表面ににじみ出た血がフォワグラの中に戻っていくのよね。こんな感じ」

 そう言って差し替えた。重石を外すと確かに血の色が見えなくなっている。これにフォワグラの脂を厚く塗っていく。

「ほい、パテの完成。冷蔵庫で冷やせば一週間保存できるわよ」


 使い方だが、薄く切ったバゲットをトースターで焼いて、それに塗ったり、前菜として食べる事が多い。もちろん、他の料理をつくる際の材料として使ったりもする。ただし、脂肪肝なので非常にカロリーが高い。食べ過ぎには注意した方が良いだろう。


 次にサビーナが長期保存用の加工について実演した。煮沸殺菌した耐熱ガラス瓶に下処理を済ませた生フォワグラを入れて、フォワグラの脂を注いでフタをする。耐熱ガラス瓶の中に空気が残らないようにするのがコツだ。

 これを水を少量注いだ圧力鍋に入れて、高温殺菌する。キノコのPDA培地を殺菌処理するのと同じ要領だ。


 サビーナが圧力鍋を小突いて、軽く肩をすくめた。

「高温だからどうしてもフォワグラが溶けて劣化するのよね。低温殺菌してもいいけど、劣化は避けられないわよ」

 殺菌後は瓶詰めなので冷蔵庫で保管する。半年間くらいの保存が可能だ。しかし低温での保存になるために、脂が固まってしまう。そうなると風味が劣化するので、その点を覚悟しておくべきだろう。

「長期保存するなら缶詰にするしかないかな。冷蔵しないで、十度から十五度の温度の保冷庫に入れておけば良いわよ。時々上下をひっくり返してあげて、六年から七年ほどかけて熟成させるの。特産品にできると思うわよ」


 サマリ協会長が腕組みをして考え込んでいる。

「……缶詰製造の機械は、それほど高価ではありません。観光客が少ないシーズンでもフォワグラが出荷されるでしょうし、検討してみますね」

 ラビン協会長も同じような仕草をしていた。

「そうですね。缶詰やレトルト食品づくりは、オフシーズン中の仕事として雇用できそうですね。ポカラでも考えてみましょう」

 実際には既に小規模でいくつか行っている。しかし単価の高いフォワグラの缶詰であれば、より多く雇用できると考えたのだろう。

 サビーナがニコニコしながら肯定的に首を振った。

「期待してるわね。それじゃあ、最後にズッキーニの花で揚げ物を作るかな」


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