ジョムソン産フォワグラ
ジョムソンに到着すると、マハビル社長が車の運転席から手を振った。
「それじゃあ、食事を楽しんでください。私はこれで。ガチョウ農場にリンゴの搾りカスを卸しているので、ちょいと行ってきます」
土煙と砂塵を上げて走り去っていくジプシーを見送ったゴパルが、改めてジョムソンの町と周囲の岩山を見回した。草木が生えていない相変わらずの岩砂漠だ。
「こんな乾いた場所でガチョウ農場ですか……鶏でしたら分かりますが」
カルパナがゴパルと一緒に商店街を歩きながら、素直にうなずいた。
「川は流れていますから、水には苦労しないそうですよ。そのガチョウ農場ですが、バルシヤ養鶏の系列です。病気に弱いですので私達が見に行く事はできませんが、KLと光合成細菌を使っているそうですよ」
商店街には土産物店や茶店が並んでいるので、それらを眺めながら目的地のレストランへ向かう。観光シーズン最盛期なので外国からの観光客が多い。インド人は自家用車やバイクでやって来ている人が多いようだ。
レストランへ入ると、ジョムソンのサマリ協会長とポカラのラビン協会長が揃って出迎えてくれた。サマリ協会長がゴパルとカルパナに合掌して挨拶をする。
「ようこそジョムソンへ。講習会の準備はもう整っていますよ」
当然のようにチヤを差し出すサマリ協会長である。
恐縮しながら受け取ったゴパルがすする。すぐに幸せそうな表情になってほっと一息ついた。
「ジョムソンの紅茶って、やはり独特の風味がありますよね。良い香りです」
カルパナも穏やかな笑顔を浮かべて同意した。
「そうですね。このチヤを飲むのもジョムソンへ来る楽しみの一つです。ゴパル先生、確か低温蔵でも紅茶を熟成させているのですよね」
ゴパルが素直にうなずいた。
「はい。実験をする前の情報収集という段階ですけれどね。ラメシュ君に担当してもらっていますよ。熟成の仕組みが分かると、ジョムソン熟成の紅茶を大量生産できるようになるかも知れません」
サマリ協会長が期待を込めた視線をゴパルに向けてニコニコしている。
「特産品が増えるのは大歓迎です」
仕事が増えそうな悪寒がして、慌てて話題を変えるゴパルであった。レストランの中を見回すと、コックコート姿のシェフが数名いて談笑しているのが見える。
「サビーナさんって凄いんですね。シェフ相手の講習会ですか。確か、今回はジョムソン産のフォワグラ料理でしたよね」
サマリ協会長が穏やかにうなずいた。
「サビーナさんは謙遜していますが、ジョムソンのホテル協会としては、とても助かっていますよ。なかなかここまで来てくれるシェフって居ませんから」
確かに、ジョムソンに行くにはヒマラヤ山脈を越えなくてはならない。飛行機も午後になると強風のために離発着できなくなる事が多いので、首都から日帰りで行き来も難しい。陸路ではポカラから十時間以上かかる。
今回使うジョムソン産のフォワグラだが、サマリ協会長が言うにはKLを使い始めてから質が良くなってきたらしい。
とはいえ、まだ数ヶ月も経過していないので様子見の段階だ。KLや光合成細菌の培養が冬期でも問題なく行えるかどうか、それをまず確認しないといけない。
フォワグラ用のガチョウ飼育は、ポカラのバルシヤ養鶏と基本的に同じだ。ただ、ジョムソンはポカラよりも寒くて乾燥しているので、保温と加湿の工夫を加えている。
ガチョウの出荷時期は、その姿で判断する。お腹が重くなって垂れ下がり、床についてしまってヨタヨタとでしか歩けなくなった段階が目安だ。餌の時間がきても、餌袋が完全に空にならなくなったら出荷する。ガチョウは首を切られて血抜きされ、腹を裂いて肝を取り出す。
サマリ協会長がニコニコしながらゴパルに告げた。
「KLを使ったガチョウの肝は嫌な臭いがしないと、精肉屋の作業員に好評です。色も白っぽい黄色で、弾力があって表面がツルツルしていますね。欧州産の輸入フォワグラにはまだまだ及びませんが、良い感じですよ」
そう言われても、ゴパルはガチョウの専門家ではないので反応に困っているようだ。カルパナも似たような仕草をしている。
サマリ協会長は鴨のフォワグラであるキャナールについても、KLで品質が良くなってきていると話してくれた。鴨の場合はガチョウよりも小さなサイズになる。食感も柔らかくてねっとりしている。
ちなみにフォワグラもキャナールも最適な大きさがある。大きすぎると、焼いた際に脂が溶け落ちてしまいやすくなるためだ。食感や風味も今一つになる。
「ポカラから陸送すると十時間以上かかってしまいます。冷凍にするとフォワグラの風味が損なわれてしまいますし」
まあ、冷凍すると風味が劣化してしまうのはフォワグラに限らないが。
「ですので、思い切ってジョムソンで飼育してもらいました。バルシヤ社長は大変だったと思いますが、これで何とか報われそうですよ」
明るく笑うサマリ協会長である。意外と挑戦心が旺盛な人なんだなあ……と感心するゴパルだ。そして、レストラン内にクシュ教授の姿が見当たらない事にようやく気がついた。
「あれ? クシュ教授が見当たりませんよ。何かあったのかな」
ラビン協会長が肯定的に首を振った。先程までジョムソンのシェフ達と談笑していたのだが、いつの間にか戻ってきている。
「現地との打ち合わせが長引いているので、参加できそうにないと先程連絡をしてきました。他の二人の教授も同じようですね。サビーナさんに頼んで、彼ら用に取り置きしてもらいましょう」
嫌な予感をひしひしと感じるゴパルであった。
(うう……ジョムソンで大きな事業が始まりそうな予感がするなあ。私は参加しませんよ、クシュ教授)
レカはレカでスマホ盾を装備しながら、レストラン内を駆け回っていた。撮影用のカメラの設置と調整に大忙しのようだ。とても話しかける事ができそうな雰囲気ではない。
「レカさんも大変そうだけど、手伝わない方がかえって良いのかな」
ゴパルにカルパナが素直に同意した。
「そうですね。サビちゃんが厨房から出てきました。そろそろ開始かな」




