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15.ターニングポイント




 スーパーから帰って私が着替えている間に、ザクロは夕食の準備を始めた。あらかじめ下ごしらえはしてあったようで、キッチンからは何かを炒めているジュージューという音が聞こえる。

 私が化粧を落とし着替え終わったのを見計らったかのように、ザクロが夕食の載ったトレーを持ってやってきた。

「野菜が少しずつ色々余っていたので、頼子が教えてくれた野菜炒めとスープを作ってみました」

 教えたというと大仰だが、たまにしか自炊をしない私の横着レシピだ。たまにしかしないので、冷蔵庫の中に野菜の残りが蓄積されていく。けれど捨ててしまうのはもったいないので、冷蔵庫の在庫一掃するために作るのだ。

 野菜の残りを適当に刻んで、細切れ肉と一緒に焼き肉のタレをぶっかけて炒めるだけ。人参や大根などの根菜類は乱切りにしてコンソメスープの素と一緒に煮込むだけ。お好みで黒コショウを少々。

 スープの方は白菜やキャベツが入ることもある。たまに皮をむいたブロッコリーの茎の部分も。ようするにあるものをなんでも放り込んで炒めるか煮込むかというしろものだ。

 ザクロの作った野菜炒めの具は、人参、ピーマン、キャベツ、しいたけ、もやしと豚肉。スープは、人参、ごぼう、マッシュルームとベーコンに黒コショウ。刻みパセリが散らしてあって、ちょっと品がある。

 一緒に並んだ茶碗には、椎茸とごぼうの炊き込みご飯に刻んだ大葉としらすが載っていて、トレーの隅にはキュウリのぬか漬けが添えられていた。

「いただきまーす」

 手を合わせて野菜炒めを口に放り込む。同じ横着料理なのにザクロが作るとどうしてこんなにおいしいんだろう。

「おーいしー」

「ありがとうございます」

 ニマニマしながら食事を続ける私を、ザクロは嬉しそうにニコニコして見つめる。

 少ししてザクロが遠慮がちに声をかけてきた。

「あの、頼子。今度のお休みの日には何か予定がありますか?」

「ん? 次の土曜日? 別にないけど」

「でしたら、もう一度故郷の山に行きませんか?」

「いいよ」

「わがままを聞いていただいてありがとうございます」

 そういえば、ザクロが自分のために何か要求するのって初めてかも。清司が言っていた言うことを聞かなくなる前触れかもしれないと思わなくもないけど、ザクロの心が少しだけ見えたような気がして、私は嬉しくなった。




 翌朝、会社の前でザクロと別れて、私はひとりでビルの中に入って行った。いつもより少し早く着いたせいか、エレベータの前には私の他に誰もいない。

 エレベータに乗り込んだ直後、本郷さんが駆け込んできた。挨拶を交わして扉を閉じる。

 狭い空間にふたりきりだ。エレベータが動き始めて少ししたとき、本郷さんが話しかけてきた。

「海棠、明日の夜、時間取れるか?」

「はい……」

 なんだろう。少し胸がざわつく。

「ふたりきりで話したいことがある。食事につきあってくれ」

 しまった。久しぶりだったから油断して先に返事してしまった。私は仕方なく承諾する。

「わかりました」

 ふたりきりでってことは、美佳ちゃんや坂井くんを誘うわけにはいかない。いったいなんの話が……。

 って、なんとなくわかっている。本郷さんに好意を寄せられているらしいことは。

 だからふたりきりでの食事は断り続けていたのだ。

 元々私は社内恋愛には乗り気でない。だって結婚に至るならまだいいけど、途中で別れて同じ社内でたびたび顔を合わせるなんて気まずいじゃない。

 しかも本郷さんが本当に私に好意を抱いているのかはわからない。私の勘違いだったら恥ずかしすぎるので、はぐらかしてきたのだ。

 明日の話がどうか勘違いでありますように。

 本郷さんはよく気遣ってくれるし、優しくて頼りがいのある上司だと思う。でも私が好きなのはザクロなんだもの。




 いつもより早めに仕事を終えて、私は本郷さんと外で落ち合った。会社の人に見つかって噂になったりするのを、私が嫌がっていることを考慮してくれたのだろう。

 近場では知り合いに出会う可能性が高い。本郷さんはわざわざタクシーで郊外の高台にあるレストランに連れて行ってくれた。

 そこはフレンチ風創作料理の店で、以前の彼とクリスマスディナーを頂いた店のように格式張った感じはない。

 柔らかな暖色の照明に照らされた店内には、静かなジャズが流れていて落ち着いた大人の雰囲気を醸し出していた。

 本郷さんが名前を告げて通された窓際の席からは、町の夜景が一望できる。

 食前酒に白のスパークリングワインが入ったグラスが運ばれてきて、私たちはグラスの縁を軽く鳴らして乾杯した。

 次々と運ばれてくるコース料理に舌鼓を打ちながら、本郷さんの好きなサッカーの話や職場での笑い話など私たちは他愛のない会話を続ける。

 話があると言った割に本郷さんは切り出してこなかった。私も追及したりはしない。

 もしも私の勘違いじゃなくて、本郷さんの告白なんか先に聞いてしまったらお互い気まずいことは間違いない。

 勘違いだったとしても、誰にも内緒な仕事の話だったりしたら、やっぱりごはんがまずくなりそうだ。食事は楽しくおいしく頂かないとね。

 楽しくおいしくデザートのケーキを食べ終わって、コーヒーで一息ついているとき、とうとう本郷さんが切り出した。

「海棠、単刀直入に言う。結婚を前提として、オレとつき合ってくれないか?」

 いきなり単刀直入すぎる。思わずコーヒーにむせそうになっていると、本郷さんが付け加えた。

「返事は今じゃなくていい。じっくり考えて結論を出してくれ」

「わかりました」

 やはり勘違いではなかったか。でもなんで私なんだろう。本郷さんはたまにOA機器の内覧会をセッティングしたりしてるから、きれいなキャンペーンガールとかにも顔見知りがいたりするのに。

 それが気になったので尋ねた。本郷さんは少し照れくさそうに笑いながら言う。

「昔から一生懸命なとこかな。仕事に対して真面目で責任感が強くて、真剣に取り組んでいることがよくわかる。それにおまえの何か食ってる姿が好きなんだ。すごく幸せそうで」

「え……」

 ザクロと同じこと言ってる。そういえば、前の彼も私が不機嫌になると食べ物で機嫌を取ってた気がする。

 私って、どんだけ食べることを生き甲斐にしてるんだろう。

 私が苦笑に顔を歪めていると、本郷さんは取り繕うように付け加えた。

「せっかく食事に誘ってもダイエットだとか言って食事を残す女の子いるじゃないか。スタイルとか気になるのはわかるんだが、オレはどうもあれが苦手でな。おまえみたいに嬉しそうに完食してくれる方が、誘った甲斐がある」

 だって残したらもったいないし、作ってくれた人にも悪いし、食材になった生き物の命を頂いてるわけだし。今日も残さずきれいに頂きました。おいしかった。

 私がコーヒーを飲み終わるのを待って、本郷さんは席を立つ。そして店の人が呼んでくれたタクシーに一緒に乗って家に帰った。

 自宅マンションの前で本郷さんと別れ、私は家に戻る。玄関を開けると、いつものようにザクロが恭しく出迎えてくれた。その姿になんだかホッとする。

 着替えとお風呂をすませて私は鏡の前に座った。ザクロが後ろにやってきて、私の濡れた髪をタオルで包む。

 こんな風に当たり前になってしまったザクロに依存する生活も、結婚したらがらりとかわってしまうんだろうな。そんなことをふと思う。

 本郷さんには申し訳ないけど、やはり頼りになる上司か話しやすい先輩以上には思えない。

 そもそも私の理想を体現したザクロ以上に私の心を捉える男性なんているんだろうか。おまけにザクロには胃袋までも掴まれている。

 本郷さんの話は断るつもりだけど、そうすると会社を辞めることになるかなぁ。部署が違うならまだしも、本郷さんは直属の上司だし。気まずさが半端ない。

 せっかく坂井くんが使えるようになってきたし、今の仕事にも少なからず思い入れがあるのになぁ。

 断るだけでも気が重いのに、それを思うと益々沈んでしまう。思わずため息をもらしたら、髪の水気を拭き取りながらザクロが尋ねてきた。

「何か心配事でもあるんですか?」

「うーん。会社辞めなきゃならないのかなぁと思って」

「何かあったんですか?」

「う……ん」

 どうしよう。ザクロに話してみようか。

 約束したから本郷さんを傷つけたりはしないと思うけど、どんな反応をするのかはちょっと気になる。

 私は意を決して口を開いた。

「本郷さんから結婚を前提につきあってほしいって言われたの」

「そうですか」

 あれ? 無反応?

 鏡越しに見るザクロの表情はいたって穏やかだ。

「結婚したら辞めなきゃならないんですか?」

「いや、そうじゃないけど。夫婦で同じ部署にはいられなくなるから……って、それはともかく! ザクロは私が結婚してもいいの?」

 ザクロは柔らかな笑みを浮かべて即答する。

「頼子が幸せになるなら、私は祝福しますよ」

 一瞬目の前が暗くなった。楔を打ち込まれたかのように胸がズキンと痛くなる。

 私の痛みは通じているはずなのに、ザクロは平然と続ける。

「本郷さんなら頼子を大切にしてくれるでしょう。彼は私の力を目の当たりにしても、ひるむことなく反撃してきました。いざというときに必ず頼子を守ってくれるはずです」

「え……」

 何かやらかしたんだろうとは推測していたけど、いったい本郷さんに何をしたんだろう。それも気になるけど、ザクロの祝福がこんなに痛いとは思わなかった。

 ザクロへの想いは一方通行だとわかってたはずなのに。

 タオルを鏡の前に置いて、ザクロはドライヤーを手にした。私の髪をかきあげながらスイッチを入れる。

「彼が頼子を幸せにしてくれるなら、私は――」

 ザクロのつぶやきはドライヤーの音にかき消され、最後の方は聞き取れなかった。





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