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ワンルームの執事  作者: 山岡希代美
本編

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16/21

16.東風(こち)吹かば



 金曜日の業後、私は再び本郷さんと待ち合わせをした。今度は会社から少し離れたカフェで。

 本郷さんにとってはいい話ではないのに、食事をご馳走になるのは気が引ける。夜に友達と約束があることにして丁重にお断りした。

 結婚を断ることは初めから決めていた。そして会社を辞める覚悟もできた。まだ三十前だし、五年間の営業事務実務経験がある。景気も上向いてきてるし、再就職はなんとかなるだろう。

 私は待ち合わせのカフェでコーヒーを注文し、席に着いて本郷さんを待った。




 ようやく海棠に伝えることができた翌日、彼女は早速返事がしたいと言ってきた。

 じっくり考えてくれと言ったのにあまりに早すぎる。ということは、すでに心は決まっていたのだろう。

 なんとなくそんな予感はしていた。これまで彼女に警戒されていたことや、今回食事ではなくカフェを指定されたこともそれを裏付けている。

 彼女の答えは予想がついても、直接聞いてけじめをつけたい。

 オレは彼女より少し遅れて会社を出ると、彼女の指定したカフェへ向かった。

 目的地について店内を見回す。海棠はすでに席についてコーヒーを飲んでいる。オレもコーヒーを買って彼女の席に向かった。

「悪い。待たせたか?」

「いいえ、さっき来たところです」

 ありきたりの言葉を交わし、互いにコーヒーを一口すする。カップをテーブルに置いた直後、オレは唐突に切り出した。

「返事を聞かせてくれ」

 海棠はひざに両手をついて深々と頭を下げる。そしてそのまま絞り出すように告げた。

「ごめんなさい、本郷さん。私、本郷さんの想いに応えることはできません。好きな人がいるんです」

「そうか。顔を上げてくれ」

 予想はしていたからか、案外冷静に受け止めている自分に驚く。顔は上げたものの海棠は目を逸らしていた。

「あの執事か?」

「え?」

 ようやくこちらを向いた目が、大きく見開かれている。

「おまえの好きな人」

「あ……」

 海棠が照れくさそうに再び目を逸らした。

 気付かれてないと思っていたのか? こっちはおまえばかり見てたんだ。

 オレはおおげさにため息をつきながら椅子の背にもたれた。

「あーあ、また手遅れだったのか」

「また?」

 きょとんと首を傾げる海棠を見つめながら、オレは少し笑みを浮かべて暴露した。

「三年前に、遠距離になると思ってためらってるうちにおまえに彼氏ができたって聞いたんだ」

「え……」

 困ったように苦笑する海棠にくぎを刺す。

 おまえの考えそうなことはお見通しだ。

「会社辞めるとか言うなよ。この上優秀な部下まで失いたくない。これからも仕事の上ではオレを支えて欲しい」

「あ……ありがとうございます」

 海棠はまた深々と頭を下げた。




 会社は辞めなくてよくなった。辞めるなと言うのを押し切ってまで辞めると本郷さんが気に病むだろうと思う。

 しばらくは気まずいだろうけど、時が解決してくれるだろう。

 それにしても私がザクロを好きなこと、本郷さんにバレてたのは驚いた。そんなにわかりやすいんだろうか、私。

 でもザクロには通じていないような気がする。私の心の状態は丸見えのはずなのに。

 もしかしてザクロは恋愛感情がどういうものかわかってないのかな。なにしろ人の心を理解していなかったわけだし。

 私がザクロの言動にきゅんとしてたりドキドキしてたりしても、単に喜んでるとかうろたえているとしか思ってないのかも。

 なんか、前途多難っていうか、お先真っ暗っていうか……。

 思わずため息をもらすと、目の前でザクロが不思議そうに首を傾げた。

「何か悩み事でもあるんですか?」

 目の前に悩みの種があるんだけどね。とは言えず、私は曖昧な笑みを浮かべる。

「ううん。今週は色々忙しかったなぁって思い返してたの」

「そうですか」

 今日はザクロの要望で故郷の山に向かっていた。いつも電車の中では姿を消しているザクロが、車内が空いているのでボックス席で向かい合わせに座っている。

 人が増えてきたらいつでも姿を消せるように、私にしか見えていない。燕尾服で鈍行列車に乗っている執事もシュールだ。

 結局ほとんど人は増えなかったので、私は時々小声でザクロと言葉を交わしながら目的地にたどり着いた。

 今日は一日ザクロと過ごすつもりなので、実家には連絡を入れていない。実家へ向かう獣道の途中からすぐ山道に入った。

 林の木々はまだ冬の佇まいで、正月に来た時と同じ葉を落としたままだ。けれど枯れ葉に覆われていた地面には、所々下草の緑が見えて少しだけ春の近いことを感じさせた。

 少し奥に入ったところでザクロは私の前に回り、背中を向けてしゃがんだ。

「どうぞ、お乗りください」

 やっぱり飛んでいくのね。ちょっと苦手なんだけどな。

 私はザクロの持っていたリュックを背中に背負って、彼に負ぶさる。

「よろしく」

「かしこまりました」

 返事をして立ち上がったザクロは、地面を蹴ってふわりと浮かんだ。やっぱり怖いので、私はザクロの背中に顔を伏せて目を閉じる。

 耳元に風を切る音がする。時々伝わる振動は、この間の時みたいに木の枝を足場にしているのだろう。

 やがて振動がなくなり、風の音が強さを増した。林を抜けたみたいだ。今目を開けたら絶対怖い。

 しばらく風の中を進んだあと、ザクロがストンと降り立ったのがわかった。恐る恐る目を開く。そこは正月に初日の出を見た、山の頂上にある三丈岩の上だった。

 ザクロは腰を落として私を背中から下ろす。そして私の手を取り、岩の端まで導いた。

「頼子、こちらへ。下をご覧ください」

 えー? 足がすくんでお尻のあたりがむずむずするんですけど。

 顔をひきつらせながらも嫌々ザクロの指さす方角に視線を向ける。

 山の麓には清司の家の神社があり、その少し上に当たる山の中腹が真っ白に色づいていた。

「え、なにあれ。花? なんの花?」

「白梅です。この山にある禁域の周りには梅の木がたくさん植えられていて、毎年この時期に真っ白な花を咲かせます。この景色を頼子に見せたかったんです」

 桜の季節には神社で小さなお祭りがあるから、桜があるのは知っていた。けれど神社とその裏にある林の陰になって、麓から梅の木は見えない。

 禁域の周りということは、神社関係者しか知らないのだろう。上からしか見ることのできない絶景に私は興奮する。

「すごーい。きれーい。ザクロ、ありがとう」

「どういたしまして」

 満足そうに微笑んだあと、ザクロは私の手を引いて岩の真ん中まで移動した。

「少し、ここでお待ちください」

 そう言い残して岩の上から飛び降りる。また何か持ってきてくれるのかな。去年の年末にもらった柿はトロトロでおいしかった。さすがにもう柿はないだろうけど。

 少しして戻ってきたザクロの手には白い花を付けた梅の小枝が握られていた。

「一枝拝借してきました」

 目の前に差し出された十センチほどの小枝には花が三輪とつぼみがふたつついている。かすかに甘酸っぱい香りが漂った。思わず息を吸い込んで目を細める。

「いい香り」

「頼子、少し下を向いてください」

 言われた通りに少し俯くと、ザクロが両手を私の頭の上に上げた。腕の間に閉じこめられたようで、少しドキドキする。

 ザクロの手が髪に触れ、一際ドキリとした直後、朝ザクロがアップに結ってくれた髪の根元に梅の小枝が刺し込まれた。

 手を離したザクロは、一歩退いて私を見つめる。そして眩しそうに微笑んだ。

「とてもよくお似合いですよ」

「あ、ありがとう」

 なんだか照れくさくて、私は俯いたまま上目遣いにザクロを窺う。似合うと言われても、自分で見ることができないのがもどかしい。化粧ポーチに入っている手鏡じゃ小さすぎてよく見えないだろうし。

 そしてふと閃いた。

「ねぇ、ザクロ。実体化して」

「はい」

 理由も聞かずにザクロは素直に実体化したようだ。私には元々見えているので、違いはわからない。

 私は上着のポケットから電話を取り出してカメラを起動する。インカメラに切り替えてザクロの隣に並んだ。

「もう少しかがんで、もっとくっついて」

「はい」

 ザクロは言われた通りに私の横に顔を並べる。妖怪ってカメラに写るのかどうか謎だったが、ちゃんと見えている。

 私は髪に刺した梅の花が見えるように顔の角度をかえてシャッターを切った。

 できあがった写真を確認してにんまりと笑う。なかなかよく撮れてるじゃないの。特にザクロが。

「見て」

 ザクロの前に写真を差し出すと、ザクロは不思議そうにそれを見つめた。

「私がいます。これはなんですか? 随分小さいけどテレビですか?」

 あー。二百年前から眠ってたザクロは知らないか。

「写真っていうの。今見えているものや景色を写し取ったものよ。家にある雑誌とかにも載ってたでしょ?」

「あれが写真ですか。今の人は本物そっくりの絵を描くのが上手なのだと思ってました」

 絵だと思ってたのか……。まぁ、そういう絵を描く人もいるとは思うけど。

 がっくりと脱力した途端にお腹が鳴った。電話の時計を確認すると十二時を少し回っている。さすが私の腹時計。

「お腹すいちゃった。お弁当にしよう」

「はい」

 私は岩の上に座ってリュックの中からお弁当と水筒を取り出した。ザクロも隣に座り、お弁当の包みをほどく。

 一緒に食べようと思っていたので、昨日の帰りにスーパーで買ってきた紙のお弁当箱に、二人分のお弁当を作ってもらった。

 折り詰めはふたつ。ひとつはおにぎりで、もうひとつはおかずが入っている。

 ぎっしり並んだ俵むすびの具は様々で、何が入っているかはお楽しみということらしい。私はあえて真ん中のおにぎりをチョイスする。一口食べて中身を確認した。

「私の梅だった。ザクロは?」

「鮭です」

 なんか楽しい。

 おかずはザクロが得意な和食と私がリクエストした定番おかずが並んでいた。

 人参、ごぼう、椎茸、筍の筑前煮にほうれん草のゴマ和え、タコさんウインナーに卵焼きと鶏の唐揚げ。そして我が家の行楽弁当には欠かせない缶詰のさくらんぼが入っている。

 さくらんぼはあえて仕切りなしでおかずのあちこちに散らしてもらった。その結果を自分の目で確かめるため、さくらんぼの載っていた卵焼きを箸でつまむ。

 卵焼きにはさくらんぼの赤い色が丸く染み着いていた。

「これこれ。遠足のお弁当っていつもこうなってたの。懐かしー」

「その方がおいしいんですか?」

 ザクロが筑前煮をつまみながら、不思議そうに尋ねる。

「いやぁ、逆においしくなくなるんだけど、なんか遠足のお弁当はこうじゃないとって感じで」

 ザクロは益々不思議そうにきょとんとした。

 その後のおにぎりくじは、ランダムに選んだ私が三回連続で梅を引き当てたのに対して、端から順番に攻めていったザクロは次々に違う具を堪能する結果となった。でもザクロは梅だけ食べられなかったけどね。

 お弁当を食べ終わって、熱いお茶をすすりながらザクロが申し訳なさそうに言う。

「私の方がおにぎりを堪能してしまってすみません」

「そんなのいいよ。私、梅のおにぎり好きだし」

 実は私がそう言ったから、梅のおにぎりの数が他より多かったらしい。ということは、ザクロの気遣いはみごとに成功していたというわけだ。

 お弁当の後片付けをすませたザクロが、荷物の中からブランケットを取り出して私の肩にかける。

「寒いでしょう?」

「そうでもないかも。熱いお茶飲んでるし」

 正月に来たときは顔が凍りそうなほど寒かったけど、梅が咲くほど春が近いせいか、風も穏やかでそれほど寒くはない。

 それでもザクロは心配そうに私の頬に手を当てた。

「顔が冷たくなってます。お茶を飲み終わったらすぐに山を降りましょう」

 そんなに心配しなくても、しっかり着込んできたし、ブランケットも掛けてもらったし、大丈夫なのに。

 貴重なザクロとの屋外デートが終わってしまうのが寂しくて、私は駄々をこねた。

「まだ大丈夫だから、もう少しここにいたい」

 ザクロは困ったように少しの間私を見つめていたが、おもむろに横から私を抱きしめた。

「では頼子が風邪を引かないように、私が温めます」

 暖かいどころか、ドキドキしちゃってちょっと暑いくらいなんですけど。

 ザクロの顔がすぐそばにあるのがなんだか落ち着かなくて、私は自然と俯いた。

 ドキドキするけどザクロの温もりは安心して幸せな気持ちにさせてくれる。私は黙ってそのまま温かい幸せに浸った。

 少ししてザクロが耳元で囁いた。

「頼子、一度だけあなたに触れることをお許しください」

 へ? すでに何度も触れてると思うけど?

 意味がわからず顔を上げてザクロの方を向いたとき、彼の唇が私の唇に重なった。

 ほんの一瞬、本当に軽く触れるだけの口づけ。

 ザクロはすぐに私から離れて立ち上がった。

 想像もしていなかった事態に、私の頭の中は真っ白で体は硬直して動かない。

 ザクロに手を引かれ、ようやく我を取り戻した私は立ち上がった。

「行きましょう。日が傾いてきたらもっと寒くなります」

「……うん」

 あまりにも普段通りなザクロに、少し違和感を覚えながらも、私は来たときと同じようにリュックを背負ってザクロの背中に負ぶさる。

 ザクロが岩から飛び立ったと同時に私は目を閉じた。

 少ししてザクロが降り立ったのがわかった。目を開いて背中から下ろされた私はあたりを見回す。

 あれ? 林の中じゃない。

 目の前には天を突くほどの大きな木に挟まれて、石造りの鳥居が立っていた。





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