Episode.60 居場所のない少年少女へ【居場所のない少女】
「これは……」
少女はさっと手で膝を覆い隠すようにして座り込んだ。
「おそらくフェンスをよじ登った時に作ったんだろうが、不思議だな。リミットには人間以上の自然治癒能力があるはずなんだが、その状態を見ると普通の人間のようだ」
「普通の人と同じくらいの治癒能力しか持たないリミットだっていますよ……!」
「じゃあ、それ以前の傷は?」
その言葉に、少女は慌てた様子で長袖を指先まで引き延ばした。
「隠しているつもりだろうが、この真夏に不自然すぎる長袖。右足を庇うようにして歩く仕草やペンをとる時、一瞬痛みに歪めた顔。僕は第四部隊じゃないから正確に判断は出来ないが、右大腿の打撲、右前腕に小さな骨折、多量のリストカットの後。――そう推測できる。さらに付け加えるなら君の発言は全くもって一貫性がない。最初は助けてほしいと言っていたのに、飛び降りる直前になってリミットだと言いだした。慌てて理由を付け足したようにも聞こえるが」
ついに彼女は大粒の涙をこぼし、観念したように口を開いた。
「ごめんなさい……。リミットっていうのは、嘘なんです……」
彼女は震えながら告白した。
「私、どうしても会いたかった……。見つけて貰いたかったんです……。飛び降りようとしたのは今回が初めてじゃないです。でも、結局死ぬ勇気もなくて飛び降りられなかった。その時にニュースでクラフトを見て、この人たちなら助けに来てくれるかもしれないって思ったんです。最初は正直に言ったら伝わると思ってました。でも気が付けば約束の時間がどんどん迫って来て、怖くなって……。嘘をついてでも、見つけて欲しかった。……本当に、ごめんなさい……」
ジョニィは涙ながらに語る彼女を、静かに見下ろしていた。
「……なぜ、死のうと?」
ジョニィの問いかけに少女は、声を上ずらせながら必死になって答えた。
「私――居場所がないんです……! 家にも、学校にも……。学校では友達もいないし、皆に無視されて過ごしてます。少し手が触れただけでも、汚いものを触るようにして払いのけられたり……。一度、先生に言ったんです。虐められてるって。そしたら『お前の態度が悪いせいだ。お前が改めろ。』って言われました。家に帰ると家族に殴られる。殴る蹴るはしょっちゅうだったけど、ついにこの前包丁で脅された。必死に裸足で外に逃げても、誰も気にしてくれない。変な子だから近寄るなってそっぽ向かれたりして……。おかしいですよ、こんなの! こんなに大きな痣を作っても、沢山沢山血を流しても、皆私の事なんかどうだっていいんだ……!」
ほとんど叫ぶようにして言葉を発していた彼女の背中を、万寿がそっと支える。すると彼女は我に返って、次は出来るだけ落ち着いたトーンで話しだした。
「それからは……逃げるように、ある場所へ行きました。そこには私と同じように寂しい子たちが集まるから……。仲間だって言ってくれるんです。みんな……」
「……」
「『クラフト』はそのうちの一人に教えてもらいました。『世の中には誰にも認められて貰えないのに、人を助ける組織がある。だからきっと大丈夫。いつか私たちのことも助けてくれる。』って……。ニュースでクラフトを見た時、嬉しかった。本当にいた。嘘じゃなかった。噂通りだった。バケモノだ、消えろ、死んじまえって罵られても、そんな人たちのため必死になって血を流して戦っていた。かっこよかった。私もなりたい。その前に、こんな私を助けてほしい。だから――」
万寿はその気持ちが痛いほどに伝わった。かつて自分も同じことを考えていたのだから。クラフトならこの状況から救ってくれる。魔物と化した人間たちから救ってくれる。自分はリミットだったから救われたのかもしれない。けれど、もしそうじゃなかったとしたら。――今頃、ここにはいなかったかもしれない。
「こんな騒動になると思ってなかったんです。本当に来てくれるわけないとどこかで思っていたし、あのまま死んでいたとしても、それで良かった」
「――それで良かった?」
ジョニィは彼女の言葉を聞くと、今まで静かに抑え込んでいた怒りを露にした。
「じゃあ僕が君を助けたのは間違っていたってことか?」
「――そういうことじゃ……!」
慌てた様子で顔をあげる少女に、ジョニィはそのまま言い放つ。
「悪いが君の事情は知らない。生きているんだ、そりゃ辛いさ。死にたくなることもある。だがその勝手な衝動に僕たちを巻き込まないでくれないか」
「ジョニィさん……! それはあんまりですよ……!」
万寿が言い返すと、少女は膝の間に額を埋め込むようにしてさらに身を縮こませた。
「ごめんなさい。……死ぬなら勝手に死んでろって感じですよね」
ジョニィはいつまでも彼女の前に立ちはだかっていた万寿を突き飛ばすと、彼女の前に膝をついて座った。
「違う!本当に君が望むなら死ねばいい。だが、少しでも生きたいと思うんだったら――勝手に死を選ぶな!」
「え……」
おもむろに上げた少女の顔を覗き込むように、ジョニィは彼女の瞳を見つめた。
「生きてたら死にたくなることなんて腐るほどあるさ。僕だってそうだ。何度死にたいと思ったか分からない。でも生きてる。なぜか。……僕に生きろと言った人がいたからだ。こんな僕でも、自由に空を飛べる世界があるって教えてくれた。生きる理由なんてそんなもんでいい」
「――っ」
「逃げたかったら逃げろ。立ち向かいたかったら戦え。誰より一生懸命生きてる君だから、生きていて欲しいんだよ。これは今の君にとって残酷な言葉かもしれない。周りの人間たちがこれを機に君を助けてくれるとは限らないし、この先にある未来が君にとって望む結果であるかは分からない。それでも君は生きなければならない。――僕が助けたんだからね」
止まりかけていた彼女の涙が、再び溢れ出してきた。
「君の罪は自分の命を軽んじていたことだ。それ故に僕たちにも迷惑をかけ、世の中の人々を混乱させた。だけど安心してほしい。僕達クラフトがすることは、単なる人助けではない。僕たちがすべきなのは相手を『赦す』こと。もう大丈夫、僕が君を『赦した』から。だから、もうそんな悲しい理由で泣かないで」
ジョニィはそっと彼女を引き寄せ、強く抱きしめる。
「残念ながら君はリミットではない。だがそれは幸福であるともいえるだろう。リミットとはこの世のはみ出し者だ。人間であることすら認めて貰えない。一時的な人気が出たとて、それは檻に入れられた猛獣と一緒だ。危害を加えれば即殺処分さ。――それでも生きてる。いつか必ず、手を取り合い笑える日が来ると信じているから」
ジョニィの言葉に少女は呟くように言葉を出した。
「どうしたら――。どうしたら、あなたのように強くなれますか?」
ジョニィは小さく首を振ると、そっと彼女を抱きしめていた手を解いた。
「君は充分強い。ここまでずっと戦ってきたじゃないか。いいよ、少し休憩しよう。必ず話を聞いてあげる。そしたら君は、きっと笑う。誰よりも素敵に輝ける。君が生きているというだけで、僕は嬉しい」
ジョニィは右手に持っていたままになっていた、数字の書かれた紙を彼女に差し出しす。
「どこからでもいい。追い詰められたら、これをクラフトのサイトで入力して。必ず君に会いに行く」
「これ……」
「今日の日付だ。誕生日なんだろ?」
「な、なんでそのことを――!」
ジョニィはちらりとタンバを見上げる。彼は既に彼女の情報を把握していたという訳だ。ジョニィはその場に立ち上がると乱れていた服を整えた。
「記憶はそのままにしておくよ。周りの人間にとやかく言われるだろうが、無視しておけばいい。それから――」
ジョニィが何かに視線を投げた。少女も同じ方向を振り返ると、入り口には真が一枚のネックホルダーを片手に立っていた。
「逃げたくなったらいらっしゃい。いつだってここは、あなたの逃げ場所よ」
真は少女の首に社員証をかけた。
「クラフト入隊、おめでとう」
「あ……ああ……うあああぁぁ……!」
彼女は喉が張り裂けるような声をあげた。
この世には彼女のような人が一体どれほどいるのだろうか。助けての合図を出しても誰も見向きもしない。非行に走れば理由なく制圧される。彼女たちのような若者は、人を傷つけるよりいとも簡単に自分を傷つけてしまうのだ。だからどうか、どうか。自ら死を選んでしまう前に。
この場所だけは、彼女たちの拠り所になりますように――。
◆
その後実家に戻り、風呂に入って制服を着替えた怜也。今更学校に行ったところでもう下校の時間なのだが、荷物すべてを置いてきてしまったのでそれの回収のためだけに学校へと向かった。また以前のように大騒ぎになっていなければ良いが。気の進まない本日二度目の登校。
教室に近づくにつれて何か騒々しい声が響いて来た。一体何事だろうかと駆け足で向かうと、なんと教室内では高堂とその取り巻き達が盛大な殴り合いの喧嘩をしていたのだ。
「やめなさい!」
先生達は廊下から必死に声をかけ、唯一体格の良い体育教師だけが割り込んで喧嘩を止めようとしているようだった。
「一体どういう……」
怜也にはひとつだけ思い当たる節があった。まさか――。僕の、ため……?
高堂は血だらけになりながら相手を薙ぎ払うと、大声で吐き捨てた。
「テメーらも自分の弱さを隠すために、俺と一緒に虐めてたんだろ! そうでもしねえと自分が保てなくなるからな! その核がいなくなれば今度の標的はこの俺か! いいぜ、やってやるよ! テメーらが満足するまで俺は戦ってやるよ! でもな! その先にテメーらが求めてる答えはねえよ! 痛てえなら聞いてやる。怖えなら逃がしてやる。俺がテメーらの代わりに頭下げて謝ってやるよ! だからもう、他人を理由にして逃げんな! 俺ももう、逃げも隠れもしねえから!」
高堂の言葉に、怜也は自然と涙をこぼしていた。高堂と殴り合っていた取り巻き達はもう立ち上がってくることはなく、そのまま全員先生たちに連行されて行った。
高堂もまた体育教師に首根っこを掴まれ教室を出ていく。教室の入り口で立ち止まっていた怜也を見つけた高堂は、痛々しい顔で微笑んだ。
「ありがとな」
ありがとう。その言葉は僕が言うべき言葉なのに。かつて孤独に震えていた彼の背中は、誰よりも大きく見えた。
リミットは『選ばれし存在』だ。それは能力の有無ではない。普通でないこと。人から認められない事。それを理由に必死にもがいている人間は、皆同様にして『リミット』だ。『リミット』になるトリガーは『痛み』だ。その痛みは、自分は普通でないということを気づかせる。
普通でなくてはならない。だってみんなそうしてるのだから。自分がおかしいのだ。だから自分が間違っているのだ。普通でいなくては。皆と同じ、普通の人間――。
普通って何だろう。普通じゃないことの何がいけないのだろう。それを理解してくれない人は沢山いる。でも、普通じゃないことを認めてくれる人も、この世には確かにいるから。
生きていて欲しい。きっと僕が、君の友達になるから。




