第38話 Q.現実的な問い
――8月3日 12時35分頃 東音楽堂 付近
三つ巴決戦の告知後、新岡イマと夜噛ツバサは今オーディションのメンターへ待ち伏せの形であるが、なんとか彼女と対話の機会を得る事に成功した。
「……悪いんやけど、それは答えられへん」
夏風が穏やかに吹く。
新岡イマと樽前チエとが対面に、2人の髪が靡く。
「どう言う事ですか?」
東音楽堂の渡り廊下と場を変える事になった。これは樽前チエの計らいであった物の、イマも端からそのつもりではあった。
「君は自分自身の一次審査突破した理由を知りたいんやろ?せやから突破理由とかは皆、平等に伏せてる」
イマは怪訝そうに、樽前をじっと見る。
ツバサはと言うと待機命令がイマから課されていたので、ひっそりと物陰で2人の会話を聞いていた。
「アタシ達、候補生には知る権利があるはずです」
樽前が片眉を上げて、苦笑い。
イマのブレない視線に感心しながらも横に顔を振る
「せやけど、無理な物は無理や‥‥すまんな」
イマは初めて、彼女から視線を逸らす。
何も言わずに渋い顔をしたまま間が続いた。
「アタシ‥‥一次審査、何も出来ずに終わったんです――歌唱も自己紹介も何もかも‥‥なのに“残った”」
彼女がどこか遠く見つめて、それからまた自身の手のひらを凝視する。それが続くけれど樽前は彼女が口を開くまで、時間をかけて待っていた。
「不可解で、不甲斐ないです‥‥こんな事、あってはいけない事なのに起こってしまった――樽前さん、アタシはこんな自分を許せないんです」
“許せない”と告げた彼女の瞳は、どこか潤んでいた。
決して、強い言葉ではないけれど樽前は胸を締め付けられて止まない。
「そうか、そうやったんやな……」
樽前が顎に手を添えて小さく呟いた。
「別の子が此処に残っていた可能性……その子が未来のスターだったかもしれない――そう考えるとアタシは、此処に居て良い存在なのでしょうか?」
イマが淡々と告げるけれど、珍しく言い淀んでいる。
「まあ、タラレバや‥‥今、君が此処に居る事が唯一の答えや。それすらも疑うんなら、その疑いすらも疑ってみても悪くはないで?」
樽前が、深刻そうに伏目がちな彼女の肩をポンと軽く叩く。反射的にイマは前を向くと優しく微笑みかける樽前が存在していた。
「きっと君が何も出来ずに終えた一次審査は、審査員にとっては良い意味で印象に残ったんやろ?」
太陽が1番高い所で、輝き出した。
雲は周辺には無い。
「そう言う物なんでしょうか‥‥」
「まあ、そう言う事なんやろ」
飄々と返す樽前の額に一雫、汗が流れる。
イマは暑さを感じつつも、それよりも深くて寒い思考の領域へと踏み込んでいた。
「‥‥」
まだ何か言いたげな彼女の、様子を見る樽前は流れる汗をポッケから取り出したハンカチで拭う。
「やはり、よく思考してみましたが‥‥」
長考明けに、口が開くイマ。
顎に手を添えて考える仕草の彼女は、背面に聳える東音楽堂をどこか遠く想うように確認した。
「アタシは此処には相応しく無い――」
「え、えちょ、待ち待ち?そんな結論早めんでも」
樽前が慌てふためくけれど、イマの態度は至って一貫している。
「“だからこそ”‥‥それを証明する為に、明日の評価を受けて棄権の有無を決定したいと思います」
――8月4日 金曜日 千葉県 某総合病院
病床と、その傍らに一つのチェア。
ベッドにて状態を起こし小窓を覗く1人の女性。
病弱な目つきと、少し頬がこけていた。
小窓の先には、立木の枝に小鳥が3匹。小さくチュチュッと鳴いては仲間と顔を見合う。
「ねえ、リンドウ?」
「なに‥‥姉さん」
ふと、その女性が傍らのチェアに腰掛ける同年代ほどのもう1人の女性に話しかけた。2人揃って40代後半ほどで、シワの入って皮膚が硬い両の手を摩っては小さな沈黙を乗り切る。
「今頃何してるのかしらね、“イマ”は‥‥」
立木の枝を見るのか、それよりも遠い青空を見る彼女は何処か憂うような口調だった。
「そんなに気になるなら‥‥見る?」
チェアに腰掛ける“リンドウ”と呼ばれる女性は、太腿を探ってスマートフォンを取り出して見せびらかす。
「ううん、いいの‥‥今日の夜にテレビで、あの子が見れる。それだけで私はいいの」
頬に手を添えて、何気なく放つ。
病室は閑散としているが時折、看護師らや同じく患者らの入り乱れる声が遠くで聞こえてくる。
「そう‥‥」
それがなんだが、小鳥のさえずりの様にも聞こえて心地よいとさえ感じてしまう。
「でも、あの子が“アイドルになりたい”だなんて言い出した時は驚いたわよ?」
リンドウは席から立ち上がって、スマートフォンをさり気無くサイドポケットにしまうなり軽く腰を抑える
「いいじゃない、あの子が“夢”を口に出したのよ?ほら、あの子って現実主義な上に‥‥心配症だから」
口に笑みを含んだような表情で放つ患者の女性。
髪は黒く長く、柔らかな目つきが温かい。
「そうなった原因は姉さんだけどね‥‥」
「あら、そうかしら?」
首を傾げるが、すぐに自身の状況下を再確認したのか眉を下げてしまう。
「でも確かに私がこんな身体の調子じゃ、あの子だって、気儘に羽ばたけないわよね」
2人は窓の外の3匹の小鳥を、何となしに見ていた。
その小鳥は茶色を基調としていて平凡で一般的で。それでいて普遍的な日常風景でしかない。
「まあ、別に‥‥責めてる訳じゃないんだけどさ」
「うん‥‥」
リンドウが鼻で息をほんの少し溜めて吐く。
理由などないが、会話の途切れについ反応してしまう。プラスして罪悪感の様な薄い汚れが心に残る。
「でもまあ、彼女は彼女で‥‥楽しそうにしてるよ‥‥案外、大人って子供の深い感情に気づけない‥‥」
「ううん、それは少し違うかも」
小枝に止まった3匹の小鳥は、1匹。また1匹と飛び立って行く。最後の1匹だけ、先の2人の行方を確認してから自分も翼を広げていく。
「“気づかない”じゃなくて、それすらも早く成長してるのかも‥‥私達はそんな子を一拍置いて見守ってるだけなのよ、きっと」




