3-22. アバター
金曜日、私は部屋で支度をして藍寧さんの到着を待っていた。支度と言うのは、これから用意する新しい身体に着せる動き易い服や化粧道具をまとめて持っていけるように準備しておくようにと藍寧さんから指示を受けたので、バッグに詰めておいたのだ。
約束の時間になると、部屋の床に模様が現れ、その上に藍寧さんが立っていた。
「愛子さん、こんにちは」
「ええ、藍寧さん、こんにちは」
この前の柚葉ちゃんといい、何でもなく転移してくるけど、こちらはまだ慣れていないので、反応が少し遅れてしまう。
藍寧さんは、シャツにパンツという格好だ。私服モードを初めて見たような。藍寧さんのパンツ姿は格好良い。
「これから転移するのですけど、普通には戻れないところなので、戻るための準備をします」
藍寧さんは、パンツのポケットから、透明な石を取り出した。
「これは転移石です。これに利用者登録して貰います。この石に力を注いで貰えますか?」
私は石の上に手をかざして、力を込めて流し込んでみた。
「これで良いですか?」
「そのまま、石が強く輝くまで力を注いでください」
力を流し続けたら、転移石が明るく光り始め、光る模様も現れた。
「はい、それで大丈夫です。最後に出てきた模様が帰るときに使う転移陣になりますので、覚えてくださいね。一度登録できてしまえば、少し力を通すだけで転移陣は出てきます」
一旦石から手を離したあと、再び手をかざして、少しだけ力を流してみたら、言われた通りに転移陣が浮かび上がった。
「覚えられたと思います」
「では、一度試しに転移してみてください。石を下に置いてから、別の位置に移動して、自分の足下に同じ転移陣を力で描くと、転移先、つまり元の石を置いた場所が見えて来ます。そこで転移しようと思えば、転移できる筈です」
私は藍寧さんから石を受け取ると、部屋の隅に置いた。そしてベッドの脇に移動する。
転移陣は初めて使うけど、光弾陣と要領は同じなので、苦労なく描けた。描くと目の前の光景に転移先となる部屋の隅の光景が重なって見えたので目を瞑ると、転移先の光景だけになった。そこで転移を念じると、石を置いた部屋の隅に立っていた。
「出来たみたいですね。帰るときは、その方法でお願いします。この転移石を使った転移は、利用者登録した人しかできませんので、他の人に使われることはありません」
「帰ってきたあと、この石はどうしたら?」
「そのまま持っていていただいて良いですよ」
「分かりました、そうします」
「では行きましょうか?荷物を持ってください。そして、私の手を握って、目を閉じてください」
私がバッグを持ち、藍寧さんの手を握って目を瞑ると、一瞬、不思議な感覚が私を襲った。
「もう、目を開けて良いですよ」
藍寧さんからお許しが出たので、目を開けて周りを見回した。
辺りには、カプセルのような人が入れるサイズの入れ物やら、道具のようなものが色々置いてあった。
「ここは?」
「私的な空間に作った工房です」
「私的な空間?」
「ええ、自分だけの空間ですね」
「そう言うのが作れるんだ」
「はい」
「欲しいです」
「いまはダメです」
欲望のままにお願いしたら、速攻拒否されてしまった。
「大きな力が安定して使えるようにならないと、作れないのですよ」
「うー、残念」
藍寧さんは若干呆れたような顔をした。
「愛子さんは、何をしに来たのでしたっけ?」
「ああ、えーと、身体を用意しに?」
「覚えてましたか」
何となく私の扱いが、柚葉ちゃんと同じく雑になってないかな?
「大丈夫です。やりましょう」
「良いでしょう。では、荷物を置いて、そこにある手前側のカプセルの中に横になってください」
藍寧さんが二つ並んでいるカプセルを手で指し示した。私は手前のカプセルに横たわった。
「では目を瞑ってください。あなたの意識の世界で、身体の設計をします」
私は目を閉じる。しばらくすると、視界が銀色に染まった。
「ここがあなたの意識世界ですので、驚かないでくださいね。私はあなたの意識に接続して、これから身体の形を決めるお手伝いをします」
「はい」
「では、最初に、ベースとなる姿ですけど。どうしますか?」
「バーチャルアイドルのロゼの姿で」
目の前に、ロゼの姿が表示された。基本裸だが、なぜか下着は付けた格好になっていた。
「これがロゼの姿ですね。最後に作る身体は裸になりますけど、調整中は下着を付けておきます」
なかなか心配りが行き届いてますね。
「それで愛子さん、このままだと現実世界の人間としてバランスの崩れた顔になってしまうので、調整します。それから、口の形や喉などは愛子さんと同じにしないと、声が変わってしまうし、胴体以下の骨格も同じにしないと動き方が変わって違和感出てしまうので合わせます。あ、でも声は別のものに変えたいですか?」
「いえ、私の声のままにしてください」
一瞬、声は変えた方が良いかもと思わないでもなかったけど、ロゼの声は私の声だ、変えたくない。
藍寧さんの調整によって、3Dのロゼの姿が、人間らしい形に変わった。でも、この体形の大部分が自分のものだと思うと、微妙な気分になる。いや、体の方は後回しにして顔から調整していこう。
「あの、顔に化粧したままですけど、お化粧落とせますか?」
「はい」
人間風のロゼの素顔が現れた。これだけでも、結構美人だ。
「今の顔を基準に少し変えたらどうなるかを試したいんですけど」
「良いですよ」
「目が少し釣り上がり気味なので、目尻を少し下げてみてください」
目尻が少し下がり、きつそうな印象が少し薄れた。
「口を少し小さく、あ、いや戻してください」
口を小さくしたらバランスが悪くなってしまった。難しい。
「髪の毛を下ろしてもらえますか」
結ってあったところが解かれ、髪が下ろされた。髪は良さそうだ。
「鼻筋を若干上に長く」
「耳たぶにピアスの穴を開けてください」
藍寧さんは私のリクエストに応じて変化させてくれる。
「愛子さん、髪の毛と目の色ですけど、日常はダークブラウンくらいにした方が良いと思います。力を満たせば銀色になりますので」
なるほど、そうだったのか。戦うときのアーネは銀髪銀眼だったのが、いつもはダークブランだったのは、力を満たしているかどうかの違いだったんだ。
「分かりました。そうします」
目の前のロゼの髪と目がダークブラウンになった。まつ毛は今でも十分に長い。
顔はこれで良さそうなので、次は体かな。
「あの、ウェストを少しだけ絞ってお腹の弛みを無くしたいんですけど」
「こんな感じでしょうか」
「はい、それで良いです」
やり過ぎると、身体のバランスが悪くなるので、慎重にやらないとね。
「左右に回転させられますか?」
大体完成かな、と思ったので、回転させて色々な方向から見てみることにした。
うん、良い感じに仕上がったと思う。
「これで決定にします」
「分かりました」
視界から銀色が遠のく。
「目を開けてください」
藍寧さんの声がしたので、目を開けると、カプセルの中だった。
「隣のカプセルを見てください」
隣を見ると、先程作ったロゼの身体があった。
「これが力で作った身体、私たちはアバターと呼んでいます」
「アバターですか」
アバターをまじまじと見る。先程藍寧さんが言った通り、アバターは何も着ていなかった。
「あの、服を着せたいのですけど」
「そうですね。でも意識の無い体に服を着せるのは大変なので、意識の切り替え方法を教えます。その前に、着替えをアバターの横に置いて、アバターの横にしゃがんでください」
私は一旦カプセルから出て、バッグから着替えを出して、新しい身体の横にあった台の上に置いた。
「胸の上のところに、透明な石があるのが分かりますか?そこに力を注いで、転移石と同じように銀色に輝かせて利用者登録してください」
私は石に力を注いで利用者登録を完了させた。すると石は胸の中に潜っていった。
「いまの石って胸の中に仕舞われるんですか?」
「いえ、結晶化を解いているので、胸のところ中心に体に染み込んでいるような形ですね」
「ならレントゲンでも映らないってことですか?」
「映りませんね」
「だとすると、普通の身体との区別が付かないですね」
「そうなのですけど、一つだけ簡単に区別する方法があります。いま石があった辺りに指を当てて、そして、そこから少し力を流そうとしてみてください」
胸の辺りに指を当てて少し力を流したら、黄金色の紋様が胸元に浮かび上がってきた。現れたのは、右手に杖を持ち両手を広げた女性の胸部から上を描いたエンブレムのような図形と、その上に描かれた ”56” という数字だった。
「確かに簡単に区別できますけど、何故このようにしたのですか?」
「分かりません。私がアバターを作ると、必ずこの刻印が付いているのです。私にも付いているんですよ」
そう言って、藍寧さんは自分の胸元に指を当てて力を流し込んで見せた。すると、”1” という数字が見えた。
「この数字は何ですか?」
「シリアルナンバーですね。アバターの作成順に番号が一つずつ増えていくのです」
「それなら、藍寧さんのアバターが最初のアバターだったんですね」
「ええ、そうです」
「あと、この紋章みたいなのは何ですか?」
「創られた巫女であることを示す紋章のようです」
このように簡単にアバターであることを分かるようにしたのは何故だろう。何か理由があって、アバターを区別したかったのだろうか。
「ともかくこれで、あなたはこのアバターを操作できるようになりました。では、意識の切り替えをするために、もう一度カプセルの中で横になってください」
カプセルの中に戻って横になった。
「意識の切り替えは、そんなに難しく考えなくて良いです。目を閉じた方が簡単と思いますけど、操作出来そうな身体がもう一つあるように感じられる筈です。なので、そちらの身体を操作しようと思えば、そちらの身体に意識が移ります」
確かに、何となくだけどもう一つ身体があるような感覚がある。不思議な感覚だ。そちらの身体を操作しようと思った瞬間に、何も着ていない自分に気が付いた。
急いで着替えを取って体にまとう。藍寧さんは女性だけど、やっぱり恥ずかしい。
「どうですか?アバターの身体は?」
何の違和感も覚えなかった。というか、動きが良い気がする。
「普通の身体より、動きが良さそうです」
「ええ、身体のスペックを上げてありますので」
うーん、この身体に慣れちゃうと、普通の身体で動くのがしんどそうだ。




