3-21. 決心
私は、その日の夜中に家に戻ると、シャワーを浴びて、部屋着に着替えて、ベッドの上に横になって考えた。
昨日の夜から一日、考えたり話したりしてきた。それらをまとめると、私が戦う相手は、やはり魔獣だ。人と人とのいざこざも無くしたいけど、そこで使うのは力ではないと思う。何しろ、人と人との関わりごとだ。人の力で何とかするのが本筋なのだと思う。一方、魔獣は人の力では対処するのが難しい。中型ならまだしも、大型になればいまの私でも難しいのだ。一般人がどうにかできる相手ではない。それあればこそ、巫女の力を使うところだ。もともと、黎明殿の巫女は対魔獣を想定して組織されていると聞いていたし、自分でもそれがあるべき姿だと改めて感じた。
明日、あの場所に立って、自分の意志を再確認しようと思う。
そうして私はベッドの中に入って眠りに就いた。
翌日の仕事場は渋谷だ。いつもより早い時間に渋谷について、ハチ公口前のスクランブル交差点の脇に立った。5月の終わりに魔獣が出て、私が初めてアーネと話をしたあの現場だ。
私はあの日のことを思い出す。あの日、ハチ公口を出て横断歩道に向かって歩いていく途中で、突然、道の真ん中で小さな竜巻が巻き起こったのだった。その竜巻は過去二回見ていたから、竜巻のあとに魔獣が出て来た時、私はやっぱり出て来たと思いながら魔獣を見ていたのだった。あの日の魔獣は、オオカミのような魔獣だった。
魔獣の出現に気付いた人々は、悲鳴を挙げてパニックになりながら魔獣から逃げ出していた。そんな中で、一人転んでしまった女の子がいた。女の子は地面にうつ伏せに転んで泣いていて、その傍らいた母親らしき人が女の子を助け起こそうとしていた。そして魔獣がその親子に気が付いて、そちらの方に動き始めたのを見て私は思ったのだった。
「あの子たちを護らなくちゃ」
あの時、気が付いたら、私は母娘と魔獣の間に立っていた。何の力も持たず、何の武器も持っていなかったが、咄嗟に肩にかけていたポーチを振り回して、魔獣を威嚇しようとした。いま考えてみれば、ポーチなんて武器として無意味だということが分かる。でも、あの時はそうすることしかできなかった。けれど、魔獣の気は引けた。魔獣は母娘ではなく私を見て前に進んできて、私は魔獣が近づいて来るのは怖かったけど、後ろに母娘がいることを考えると、その場から動くことはできなかった。あの後、アーネが来てくれたので、私は怪我をすることもなく済んだ。そして今は、私は力を持っている。あの日の私はまったくの無防備だったが、今は違う。
あの日のように今ここに魔獣が出てきても、中型の魔獣であれば何とか斃すことができる。大型の魔獣だったら、私は敵わないかも知れない。でも、他の人たちが逃げるだけの時間を稼ぐことはできるだろう。私が望むのは、ともかく魔獣の被害を出さないことだ。自分はどうであれ、一般の人々が突然現れた魔獣に襲われて死んだり怪我したりしないようにさえできれば、私は勝利したと言えるのだ。
今目の前でスクランブル交差点を渡っている人たちが、あの日の出来事をどのように考えているのかは分からない。あの出来事があったこと自体、知らない人もいるかも知れない。魔獣のことなんて他人事と思っている人たちもいるかも知れない。そう思っていられる方が幸せなのだ。魔獣による被害が出れば、当事者が増え、他人事でなくなる人たちが増えてしまう。そうならないように自分たちが頑張らないといけないのだと、交差点を渡る人々を見ながら私は思った。
そんな風に考えているところに、探知が私に近づいている人がいることを教えてくれていた。馴染みのある感覚だ。この混雑の中、迷うことなく私の方に近づいていることにいくばくかの疑問が浮かびはすれど、彼女のことなので私は気にしていなかった。
「こんなところで何しているの、姫愛?」
後ろの方から声が聞こえて来た。そして彼女、陽夏は私の隣に並んで立った。
「ん?あの日のことを思い出していたんだ」
私は交差点の光景を眺めながら答えた。
「あの日って、ここに魔獣が現れた5月のこと?」
「そう」
「あの日のこと、姫愛はどう思っているの?」
「どうって?」
「私は少しの差で居合わせられなかったんだけど、姫愛の目の前で起きたんでしょ?」
「そうだよ」
「凄い出来過ぎじゃない?姫愛の目の前に魔獣が現れて、そこに藍寧さんが来て魔獣を斃して去っていく。そして、藍寧さんは姫愛と話をしたのでしょう?」
「そうだよね。私も出来過ぎだと思ってる。まあ、お師匠様もあの場所あの時間に魔獣と藍寧さんが出てくることは予見していたし、私にもそう言っていたから、そんなもんだと思っていたけど」
「え?何?最初から分かっていたの?」
「私に話しかけてくることまでは予想できていなかったけど、あの日渋谷に現れることは、お師匠様は調べて分かっていたみたい」
「そうなんだ。ある意味納得ずくだったんだね」
「そうだね、そこは」
「でも、何故姫愛に話しかけて来たかは分からないんでしょ?」
「そうね、でも、お師匠様は何か予想しているかも」
「何だか凄そうね、あなたのお師匠様は」
「うん、私の見えていないところを見続けている気がする」
「どうしてそんなことができるんだろうね。まだ女子高生なんでしょ?」
「そうだよ。でも、何か纏っている雰囲気が違うよね。覚悟というか何か強いものを感じるんだ。そして同時に寂しさも」
「寂しさ?」
「うん、たまにふと寂しい顔をするんだよね。どうしてか分からないんだけど」
「そう」
しばらく二人で黙って並んで交差点の光景を眺めていた。先に口を開けたのは陽夏だった。
「それで考えは決まったの?」
「うん、決まった。それをここで確認してた」
「ここで?何故?」
「あの日ね、魔獣が現れた時、逃げようとして転んじゃった女の子がいたんだ。そして女の子を助け起こそうとしていたお母さんも。それを見て、気が付いたらその子たちを庇うように魔獣の前に出ていたんだ。何の力も無かったのにね。でも、そのときの気持ちが私の出発点なんだな、って思ったの」
「そうなんだ。大事にしたいね、そのときの想い」
「そう」
再び二人の間に静寂が訪れた。今度は先に口を開いたのは私だった。
「陽夏はさ、私の親友だよね」
「そうだよ」
「これからも、ずっと一緒だよね」
「そうだね、一緒にいたいね」
「あのさ、お願いがあるんだけど」
「何?」
「私が間違った方に行きそうになったら、止めてね」
「姫愛は強くなるんでしょ?私に止められるかなぁ」
「たぶん、陽夏なら止められるんじゃないかと思うから。陽夏に止めて欲しいと思うから」
「うん、分かった。全力で姫愛を止めるよ」
「ありがとう、陽夏」
私は横を向いて、陽夏の横顔を見た。そしたら、陽夏も私の方を向いてニッコリと微笑んだ。私も負けじと陽夏に笑顔を向けた。
そして前に向き直って、もう一度交差点の方を見た。
「私決めたんだ。今度ここに魔獣が現れたら、そのときには魔獣と戦って、必ず斃すって」
「うん、決めたんだね」
陽夏の声が優しいのが嬉しい。
いつか、陽夏と一緒に戦うことができれば、もっと嬉しくなりそうだけど、何となくそれを口にすることはできなかった。
「姫愛の決心が付いたところで、仕事に行こう。そろそろ行かないと遅れちゃうよ」
「あ、もうそんな時間だったんだ、ごめん」
私は陽夏と連れ立って、スタジオに向かって交差点を渡り始めた。




