3-20. やりたいこと
井の頭公園のダンジョンを出た後、協会にある更衣室を借りて仕事に行く服装に着替えた後、時間に余裕があったので、井の頭公園の辺りをぶらぶらしていた。
片側一車線の道路の脇を歩いているとき、前方の公園からボールが出てきて車道の方に転がっていった。探知で見ると、ボールを追いかけて子供が走ってきているようだった。前方から車が来ているし、子供が走ったまま車道に出たら危ないので止めようかと思って様子を見ていたら、子供は公園から出てきて止まる気配を見せなかったので、慌てて近づいて子供を引き留めた。
「こら。危ないから道路に出るときは、一旦止まって左右を見ないと駄目だよ。そういう風に教わっていないの?」
飛び出そうとした子供に言ったけど、引き留められた目の前をトラックが走り過ぎるのを見て、ようやく恐怖を感じたのか固まっていた。
しばらく待つと、ようやく我に返ったようだったので、改めて子供に言い聞かせた。
「ボールが道路に出ていっても、走って道路に出ちゃ駄目だよ。分かった」
「うん」
今度はちゃんと聞こえたようだ。
「じゃあ、ボール取ってきてあげるから、ここで待っていなさい」
子供がこくりと頷いたので、私は車がいないことを確認して、道路を渡りボールを拾い上げた。そして再び道路を渡って子供のところに戻った。
「はい、ボール。今度道路出た時には、お姉さんがやったみたいにここで立ち止まって左右を見て、車がいないことを確認してから渡るんだよ」
ボールを渡してあげると、子供は笑顔になった。
「うん、気を付ける。お姉さん、ボール取ってくれてありがとう」
子供は手を振りながら公園の中に戻っていった。
さて、と考える。今回も探知してたから子供が出てくるタイミングも分かったけど、でも今回はどう考えても子供の不注意だ。もちろん、事故が防げるならそれに越したことが無いのは分かるが、だからと言って常時状況を見張って事故を防ぐ義務があるかというと答えはノーだろう。
こうして一つ一つ具体的な例を見て検証していくのも良いんだけど、なかなか自分がしたいと思うことに辿り着けていない。もうあと二日しかないんだけど、と思いながら時計を見て駅に向かうことにした。
午後は新宿で仕事の日だ。いつものようにスタジオに行き、いつものように撮影をし、いつものように陽夏と夕食を食べに出る。今夜はイタリアンのお店に入った。
「あのさあ」
注文を終えて、お手拭きを袋から出して手を拭きながら、陽夏が私に向かって早速何か言いたげな様子だ。
「姫愛ってば、本当に仕事で力を隠す気あるのか聞きたいんだけど」
「何かしたっけ?」
「もう、誰がどこにいるのかは、全部姫愛が把握しているから、皆が姫愛に聞きに行っているって分かってる?」
「え、そんなことになっていたんだ」
「もう少し惚けることを覚えなよ。全部馬鹿正直にどこにいるか言っちゃうんだもん」
「いやあ、何か無駄足させるのも悪いかなぁって」
「もともと分からなければ走り回るしかないんだから、それで良いと思うんだけど」
「まあ、そか、そだね。注意するよ」
「それ、この前も言ってたからね。本当に注意できるのかな」
「大丈夫だから、見てて」
陽夏は半分諦め顔だった。いや、そこまで出来ない子じゃないから、私、と思うんだけど。
「それにさぁ、今日、スタジオのオーナーを投げ飛ばしたし」
「だってあの親父、何かにつけて触ってくるからさ。今日、後ろから肩に手を伸ばして来たから咄嗟に投げ飛ばしちゃいましたって感じでやってみたんだけど」
「それ、そっと横に避ければ良いだけの話じゃないの?それだけじゃ足りないなら避けた後に立ち止まって足を引っ掛けて転ばせれば良いよね?何で投げるの?後ろから伸びてきた手を持って投げ飛ばすって、どういう世界の人なのよ?少なくとも、普通の声優のやることじゃないよね?」
「いや、まあ、言われてみればそうかもねぇ」
笑いながら頭を掻いてみる。
「最早、あなた怪しさ満載だからね、本当に。フォローしきれないんだから」
陽夏は怒ったような顔をしているけど、心配してくれているんだよね。
話に区切りが付いたところで、頼んでいたカルパッチョやピザとパスタが出て来た。それらを摘まみながら話を続ける。
「それで、姫愛、あなた今日も心ここに在らずなところがあったけど、どうかしたの?」
「うーん、私が力を使って何がしたかったんだっけ、と言うのを考えることになっていまして、目下考え中なのです」
「え?何で考えることになっているの?」
「えーとですね。大きな力が出ないので藍寧さんに相談したら、力の出せる身体を用意しようってことになって、でも、その身体には想いを詰めないといけないという話で、お師匠様に相談したら、その想いは何ってことになったから?」
「何故疑問形?」
「色々言われたから、ちょっと混乱してるんだよね」
「想いの話は分からなくもないけど、そこから姿かたちに落とし込むのは大変じゃない?」
「姿かたち?」
「その身体の見た目のこと。いま、姫愛はやりたいことを考えて、そこから身体の見た目を決めようとしているんでしょ?だけど、やりたいことが決まったら、身体の見た目も決まるのかな?」
「そうだねぇ、どうなんだろ?陽夏はどう思うの?」
「まず確認なんだけどさ、姫愛にとって思い入れのある見た目って、いまの姫愛の姿と、バーチャルアイドルのロゼの姿以外に何かある?」
「え?そうだね、そう言われると、それ以外には思いつかないような」
「新しい見た目を作ることを考えても良いんだけどさぁ、そのときって、その姿に対する思い入れってどれだけ深いものにできるのかな、って思うんだよね。話を聞く限り、思い入れって重要に思えるでしょ?」
「確かにそんな気がする」
「だとすると、結局、見た目については、姫愛の姿かロゼの姿かの二択しかないんじゃないかって思ったんだよ」
「おー、陽夏凄いねぇ」
「いや、これ、あなたの話なんだけど」
確かにそうだ。でも、陽夏の方が整然とした話ができている。だから、取り敢えず私はピザを食べて、陽夏の話の続きを待った。
「まあ、いいや」
陽夏もペンネを自分の皿に取り分けて、食べている。
「うん、美味しいね、これ」
「そうだよね。こっちのピザも美味しいよ」
いかん、話が止まってしまったよ。
「それでさ、陽夏、話の続きを待っているんだけど」
「私に喋らせておいて、あなたが食べているんだもん。私だって食べたいし。で、話を戻すとさ、見た目の選択肢は二つしかないと思う。何をやりたいのかは姫愛次第だけど、それを姫愛の姿でやりたいのかロゼの姿でやりたいのか、ってことでしょ?」
「どちらの姿でやるのかに違いがあるってこと?」
「力を出す上ではどっちでも良いんじゃない?問題は、どこで力を使うかなんじゃないかな」
「どこで?」
「ほら、いまの姫愛の姿だと、思いっきり身バレするから、あまり表に立っての行動はできないでしょ?人目から隠れてやることになると思うわけ。ロゼの姿なら、直接的にはあなたには結びつかないから、どこでも自由に力を使えることになりそうでしょ?」
「でも知っている人にはもろバレだよ?」
「だけど姫愛の姿じゃなければ、言い訳なんて付けられるじゃない。説明が苦しいかも知れないけど、姫愛とロゼが別人だってことで押し通せば良いわけでしょ?」
「まあ、それもそか」
「あとは結局あなたが何をしたいかね。それが決まらないと、見た目のことも決められないよ」
「はい、よく検討します」
悩む部分は残っているけど、ここまで陽夏に考えてもらったので、あとは自分で考えないとと思った。




