3-3. 白銀の巫女との会話
それからしばらくは、私は淡々と仕事をこなしていた。仕事と言うのは、声優の仕事だけではない。残念ながら、声優の仕事の実入りだけでは生活するには不自由な状態だったので、オフの日にはコンビニでバイトをしたりしていた。
そんな日々を過ごしているうちに、5月も半ばを過ぎた。そして金曜日、いつものように琴音さんの喫茶店メゾンディヴェールで夕食のパスタを食べているとき、先日この店で会った女子高生が店に入ってきた。今夜は一人のようだった。
「いらっしゃいませ。あら?今日は柚葉ちゃん一人ですか?」
「ええ、まあ、ちょっと」
出迎えた琴音さんに歯切れの悪い返事をして、彼女はカウンターに座っている私の方に来た。
「あの、こんばんは。愛子さん、でしたっけ?お隣に座っても良いですか?」
「ええ、どうぞ。柚葉ちゃん?」
「はい、南森柚葉です。よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ」
ん?柚葉ちゃんは私と話がしたいのか?
柚葉ちゃんは鞄から薄い円筒形の白色の容器を取り出してカウンターの上に置いていた。容器上面の真ん中に小さな透明な石が嵌めてある。何だろうかと思ったが、柚葉ちゃんがそれについて説明することは無かった。
「あの、不躾ですみませんが、いくつか質問させてもらっても良いですか?」
「私に答えられることなら」
「愛子さんは、だいたい金曜日のこの時間にはここに来ているのですよね?」
「そうね、金曜日はこの辺りで仕事だから」
「この前新宿で魔獣を目撃したときは、水曜日でしたけど、水曜日は新宿でお仕事ですか?」
「ええ、水曜日は新宿に行っているわね」
「じゃあ、木曜日もどこに行くか決まっていたりしますか?」
「まあ、木曜日は普通は渋谷ね」
「それは来週の木曜日もですか?」
「そう、来週の木曜日は渋谷の筈」
私は自分のスマホを出して、来週の予定を確認した。
「うん、やっぱり来週の木曜日はいつも通り渋谷ね。でも、それがどうしたの?」
柚葉ちゃんは、一瞬、話そうかどうしようか迷った顔をした。
「えー、その、信じられないかも知れないんですけど、来週の木曜日に魔獣が出現するのではないかという予測が出ているのですよね」
「は?魔獣がまた街中に?」
「はい」
「今度はどこ?いや、もしかして、まさか?」
「そうなんです。どうも渋谷らしいです」
「そんな偶然てある?」
「だから信じられないかもと言ったんです。それに別に信じてもらう必要もないですし」
「でも、もし本当にそうなったら、私、もう一度彼女に会えるってこと?」
「その可能性は高いと思いますよ」
そうかぁ、また会えるかも知れないんだ。私の胸は高鳴った。
「今度会ったらどうしようかな」
「それより、魔獣が出たら逃げてください」
何だか突っ込みを受けたような気がしたが、彼女にまた会えるのかと思うと、何も気にならなかった。
そして、翌週の木曜日、私はいつもの時間に渋谷に向かった。彼女に会えるかも知れないと思うと、一刻も早く渋谷に行きたい気持ちにもなったが、あの後の柚葉ちゃんとの話で、なるべくいつものように行動した方が遭遇率が上がるだろうということになったからだ。さらには、誰にも言わない方が良いだろうとのことで、柚葉ちゃんに会って以降、誰にも、陽夏にさえも、この予想の話はしなかった。
渋谷の駅の降り立ち、ハチ公口を出て横断歩道に向かって歩いていく途中で、突然、道の真ん中で小さな竜巻が巻き起こった。その現象を見るのが三度目になった私は、それがそこに魔獣が出てくる前兆であることを確信していた。そして、竜巻が消えたそこには、案の定、オオカミのような魔獣が一体立っていた。
そして魔獣が出現したのに気がついた人々は、悲鳴を挙げ、パニックになりながら魔獣から逃げ出し始めた。そんな中で、一人転んでしまった女の子がいた。女の子は地面にうつ伏せに転んで泣いていて、その傍らいた母親らしき人が女の子を助け起こそうとしていた。そして運悪く、魔獣がその親子に気が付いて、そちらの方に動き始めた。それまで、魔獣を目の前にして動くことが無かった私の体が、初めて動いた。
「あの子たちを護らなくちゃ」
気が付いたら、私は母娘と魔獣の間に立っていた。何も武器を持っていなかったが、何もないよりはマシと考え、肩にかけていたポーチを振り回して、魔獣を威嚇しようとしてみた。それの効果があったのかどうかは分からない。けれど、魔獣は母娘ではなく私を見て前に進んできている。魔獣が近づいて来るのは怖かったけど、後ろに母娘がいることを考えると、その場から動くことはできなかった。
そのとき、魔獣の鼻先を銀色に光ったナイフが掠め、魔獣が一瞬怯んだ。それを見て、私は彼女が来たであろうことを悟った。そして、私の視界の隅に、彼女が降り立ったのが見えた。彼女はそこから魔獣に向けて走り始める。それと同時に、彼女が右手に握っていた剣が銀色に輝き始めた。そして彼女は魔獣の首筋に向け剣を突き出し、そのまま刺し通した。彼女はちらりと私の方を見てから、魔獣から剣を抜き、ナイフを回収すると、道路に面したビルの屋上に飛び乗った。そして、横にある何かを見ていたようだったが、ビル伝いに原宿方面に向かって行った。
私は彼女と目が合った瞬間、付いて来いと言われたような気になった。そして歩道伝いに無心に彼女の姿を追いかけた。
気が付いたら、私は見知らぬ路地裏にいた。そして目の前には彼女が私の方を向いて立っている。彼女は最初に見た時と同じ銀髪銀眼で、白と銀の和装に身を包んでいた。髪は後ろでまとめていて、髪に簪を何本か挿している。私はその簪を見て、どこかで同じものを見たような気がしていたが、どこでだったかは思い出せなかった。
彼女は私を見て微笑んだ。
「貴女はどうしてここに来たの?」
「貴女と話がしたかったから」
「私とどんな話がしたかったの?」
「どうすれば貴女みたいに強くなれるのか」
「貴女はどうして強くなりたいの?」
「私は、私の護りたいものを護りたい。護れるだけの力が欲しい。昔、力が足りなくて護り切れなかったから」
「そう」
彼女は目を細めて私を見た。
「あなた、今日、母娘を魔獣から護ろうとしたわね。どうして?」
「女の子が転んで魔獣が近づこうとしたとき、護らなくちゃって思った。そしたらあそこに立っていた」
「あなたは誰を護りたいの?」
「できるだけ多くの人たち。だけど、一番は身近な人たち。家族とか、親友とか、仕事仲間とか」
彼女は、しばし考えるそぶりを見せた。
「そうね、貴女を強くして私達の仲間にしてあげても良いわ。だけど、その前に貴女にその資格があることを示してもらおうかしら」
「資格を示すにはどうしたら良い?」
「貴女は、ダンジョン探索ライセンスのことは知っているかしら?」
「いいえ、ダンジョンには行ったことが無いので」
「そう、じゃあ、誰か知っている人に教えてもらいなさい」
「ダンジョン探索ライセンスのことを知ったら、どうしたら良い?」
「そのライセンスのB級を獲得しなさい。B級が取れたなら、資格ありと認めてあげても良いわ」
「分かったB級を取ります。B級を取ったあと、どうやって連絡を取れば良いの?」
「貴女がB級を取れば、私にも分かるから、私の方から貴女のところに行くわ」
「分かった」
取る。絶対にB級ライセンスを取る。
「あの、一つ聞いても?」
「何?」
「あなたの名前を教えてもらっても?」
「ええ、私はアーネ。よろしくね、仲園愛子さん」
「え?アーネ?何で私の名前を?」
「さあね?」
アーネは微笑むと、一瞬で私の目の前から消えた。どんな手品を使ったのか分からないが、魔獣を斃したときの動きと言い、常識からかけ離れた存在には違いが無い。そう考えれば、私の名前を知っていても不思議ではないのかも知れない。何にしても今度のことで、彼女との繋がりができた。次に会えるのは、私がB級ライセンスを取ったときだ。仕事の合間に頑張って何とかB級ライセンスを獲得しようと私は強く決意した。




