2-23. 伊豆の家
それからしばらくは何事もない日常が過ぎていきました。もちろん、ミステリー研究部の訓練はやっていましたし、琴音さんの喫茶店にもたまに行きましたし、お勉強もキチンとしていました。
先日の遠足のときの魔獣の出現ですが、あの沢の下流にあった、有麗さんが調査後に消したダンジョンが原因だと断定されました。そして、今後の遠足の際には、事前の現地調査を十分に行うことと、万が一に備え、遠足当日はダンジョン探索ライセンスのB級以上の人を護衛に付けることとなりました。理事会の会議の中では、護衛は柚葉さんにやらせれば良いのでは、という意見も出たらしいですが、本来学園が護るべき生徒にやらせて良いはずがないでしょうとお父様が異議を唱えると、取り下げられたとのことでした。そうは言っても、いざというときは柚葉さんは黙っていないようにも思いますけれど。
そして、伊豆の家に行く日が来ました。出発は三鷹の私の家からです。行くのは、柚葉さん、礼美さん、百合さん、佳林と私のミステリー研究部の5名です。潤子さんも行きたがっていたのですが、残念ながら模擬試験の日程が重なってしまい、断念を余儀なくされていました。
一緒に行く人は、前日から私の家に泊まっていたので、すぐに出発できます。今日の天気予報は曇りのち晴れ、雨の心配はなさそうです。
伊豆への行き方については、学校の皆や家族とも相談して、結局、拓人さんのバンに乗せ行ってもらうことにしました。電車で行っても、結局どこかで車で迎えに来てもらわねばならず、だったら三鷹から車でも同じと拓人さんに言われたのが決め手でした。
バンの助手席には佳林が座り、真ん中の列は柚葉さんと私、最後列に礼美さんと百合さんが座っています。
車は、三鷹の家を出ると、中央高速の調布インターに向かい、そこから高速に乗って、八王子を経由して圏央道を南に下るルートに入りました。中央道は家々の中を進む感じでしたが、圏央道は周りに森が見えることもあります。
「こっちの山奥だと、たまにハグレの魔獣がいるみたいだね」
柚葉さんは、車窓越しに見えている森を眺めているようでしたが、探知も使っているのでしょう。少し険しい声でした。私の探知では、まだそこまで遠くは見通せません。
「人の目が届かないところですから、仕方がないように思いますけど」
「うん、まあ、そうなんだよね。ただ、偶然に魔獣に遭遇してしまった人には、仕方がないでは済まないのだけど」
「それはそうですけれど。だから、山や森には、一人で入っては駄目で、最低でも二人、できれば三人以上で、武器も持っていくように、というルールになっているのですよね」
「そうなんだけど、ルールを守らずに一人で森に行く人がいたりする、あるいはダンジョン探索ライセンスを持っていなくて武器を持てない人がいる」
「まあ、そういう人たちが魔獣に出会ってしまったら、自業自得ではないですか?」
「理屈の上ではそう、でも、いまこうして見ているときに魔獣に襲われている人を見つけてしまったらどうする?」
「助けてしまいそうですね。特に柚葉さんは」
「でも、そうしちゃうと、ルールを守らなくても、護って貰えるという勘違いが増殖してしまう。それは誰にとっても良くないことだよね」
「そうですね。では、見殺しにしますか?」
「見殺しにはできないと思うなぁ。せめて、その人たちから見つからないように、陰で魔獣を斃しちゃうかな?」
「その方が、勘違いは広がらなさそうではありますね。自分の間違いにも気が付けないでしょうけれど」
「そういう人は、いずれ相応の報いを受けると信じたいけど。嫌なのは、ルールを守らない人にルールを守っていた人が巻き込まれて、ルールを守っていた人に害が及ぶことなんだよね」
「それはそうですけど、私たちはそこまで関知できないですよね。私たちは神様ではないのですし。私たちにできるのは、色々な方法で啓発して、皆がルールを守ってくれるように導いて行くところまでではないでしょうか」
「確かにそうだね。ごめん、清華。楽しい旅行のはずなのに、最初から重苦しい話になっちゃって」
「いえいえ、柚葉さんがどういうこと考えているのか分かりましたから、私にとっては収穫がありましたよ」
柚葉さんが私の方に心配そうな顔を向けたので、私は柚葉さんに安心するようにと笑顔を返しました。
車は圏央道から東名高速に入り、途中足柄サービスエリアで昼食休憩を取りました。その先の御殿場インターで高速を降りると、後は一般道で伊豆半島を南に下りていきます。伊豆の家は、天城峠を越えて、国道から西側の山の中に入っていったところにあります。
車は正門の前を通り過ぎ、舞台の裏手を回り込んで、道場前にある駐車場に乗り入れました。道場に母屋が隣接しています。
「ちょっと見てきて良い?」
柚葉さんは車から降りると、正門に繋がっている広場の方に走っていきました。柚葉さんがそれほど遠くに行くとも思えないので、私は歩いて追いかけます。
「うわー。正門があって、広場があって、東御殿があって、舞台があって、道場があって。大体は私のところと同じ造りだね。広場や御殿の大きさも同じくらいと思うし」
柚葉さんは、広場の真ん中で、建物の並びを確認していたようです。
「南御殿と東御殿が同じような造りなのでしたら、きっと北御殿や西御殿も同じなのでしょうね」
「あ、そういえば、琴音さんはここにも来たんだよね?北御殿と東御殿が同じ造りなのか、聞けば良かった」
「それは今度琴音さんに会ったときに聞いてみましょう」
「そうだね、そうしよう」
柚葉さんは、建物の配置の確認に満足したのか、今度は東御殿の方に向かおうとしました。
「柚葉さん、調べたい気持ちも分かりますが、まずは母屋で家族と挨拶して貰えませんか?」
「ああ、そうだよね、ゴメン」
順番を間違えていたことに気が付いたのか、柚葉さんは私が母屋に向かおうとする後ろに素直に付いて来ました。
駐車場には人の姿は無く、皆母屋に入ったようなので、私たちも母屋に入り、リビングに向かいます。リビングには、車で一緒に来た人たちと、私の家族が揃っていました。
「清華、ようやく来たね」
拓人さんに見咎められてしまいました。
「ごめんなさい。私が寄り道しちゃったばかりに」
「まあ、大丈夫ですよ。それでは家族を紹介しますね。拓人さんは、皆さんお分かりですよね、その隣が涼華さん、そして私のお母様の彩華です。他にも家族はいますけど、皆東京に出ていて、ここに住んでいるのはこの三人だけなのです」
「清華のお母様と叔母様がそっくりなのですけれど」
礼美さんが二人を見比べている。
「はい、二人は双子ですので。泣きぼくろが右目の下にあるのがお母様で、左目の下にあるのが叔母様です」
いまは、お母様はセミロングの髪の毛を左肩の上でまとめていて、叔母様はポニーテールなので区別がつきやすいですが、同じ髪型だと本当にそっくりです。
「それで、お母様、涼華さん。こちらが学校のお友達です。奥から順番に1年生の折川百合さんで、隣の佳林は知っていますよね。それから2年生の梁瀬礼美さんに、南森柚葉さんです」
「皆さん、初めまして、よろしく。そして、あなたが柚葉さんね、力の波動を感じるわ。それもとても強い。話には聞いていたけど、その通りだったわね」
お母様は、眩しいものを見るように、目を細めて柚葉さんを見ていました。
「彩華さん、涼華さん、初めまして、南森柚葉です。よろしくお願いいたします」
柚葉さんは物怖じすることなく、二人に向かって頭を下げました。
「それにしても、ここの土地は良く管理されていますね」
「ありがとう、でも、どういう意味かしら?」
お母様が首を傾げている。
「このエリアに、魔獣が一切いませんから」




