表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

みさきちゃんは甘えたい ~捨てられた幼女が育て親と手を繋ぐまで~


 思い浮かべて欲しい。

 あなたを育てた人の顔を想像して欲しい。


 母親か、父親か、はたまた学校の先生か。もしも誰かの顔が浮かんだならば、その人はきっと、あなたが人生で最も感謝している相手に違いない。


 私は、とても大きな男の人を思い浮かべる。

 いつも一生懸命で、優しくて、最強で、世界一かっこいい、私の父親。血の繋がりのない父親。


 私は幼い頃、その人に甘えることを夢見ていた。手を繋いで、おでかけして、おねだりして、いっぱい遊んで、おうちに帰ったら一緒に寝る。


 ありふれた日常が私の夢だった。

 他に何も持たない私の、唯一の夢だった。


 これは私が幼い頃の記憶。

 目を閉じるだけで鮮明に思い浮かぶ、宝物。



 ****



「この子、あげる」


 これは、お母さんから最後に聞いた言葉。

 当時五歳だった私は、この一言で捨てられた。


 ――凍えるほど寒い冬の日。

 私は、お母さんの車に乗っていた。


 多分、この車に乗ったのは初めてだった。

 これ以前のことは、ほとんど覚えていない。私には、お母さんと遊んだ記憶が無い。お父さんの顔は、知らない。


 朧げな記憶から分かることは何もない。

 だけど、きっと最初は普通だった。そうでなければ、私は五歳まで生きていない。まともに食事を与えられた記憶すら無いけれど、死なない程度には愛情を受けていたのだと思う。


 その僅かな愛情がゼロになった。

 理由はおそらく、私が悪い子だったからだ。


「……どこ、いく?」


 お母さんは何も言わない。

 代わりに、明るい声で私に言った。


「みさき、もっかい挨拶の練習しよっか」

「……ん」

「よろしくお願いします。言ってみ」

「……よろしく、します?」


 お母さんは笑った。顔は見えないけれど、私はなんだか嬉しくなった。笑い声を聞いたのは久し振りだった。今日は良い日になる予感がした。


「もっかい。今度は自分の名前も言ってみ」

「……んっ」


 私は何度も挨拶の練習をした。

 理由は、車が止まった後に分かった。


 目の前にはボロボロのアパート。お母さんの背中を追いかけた私の前に、その人は現れた。


 すごーく大きい人だった。

 きっと当時の私が縦に二人並んでも届かない。それくらい大きい人だった。


「この子、あげる」


 お母さんは私を置いて車に乗った。

 車は、あっという間に消えた。私は何も言えなかった。話をする時間は与えられなかった。


 その人は車に向かって叫んでいた。

 やがて、すごく怖い顔で私を睨んだ。


「みさき、よろしく、します」


 私は教えられた通り挨拶をした。

 何が起きたのか分からなかったけれど、お母さんが教えてくれた通り、しっかり挨拶をした。


 その人は、とても嫌そうな声で私に言った。


「ま、そのうち迎えに来んだろ。外はさみィから部屋でぬくぬくしてやがれ」


 部屋に目を向ける。

 瞬間、ものすごく嫌な臭いが鼻を刺激した。


「みさき……」


 みさきは、この部屋に入りたくない。

 でも、怖くて言えなかった。口を閉じると、その人は低い声で言った。


「みさき、さっさと入れ」


 不機嫌そうな声が怖くて、部屋に入る。

 やっぱり嫌な臭い。私は部屋の奥に窓を見付けて、そこまで走った。


 隙間風のおかげで、少しだけ空気が良い。もちろん真冬の空気は冷たくて、少し身体が痛かったけれど、嫌な臭いは薄れた。


 私は窓際で寒いのを我慢していた。

 外が暗くなって、明るくなって……


 お母さんは、いつ戻ってくるのかな。

 もしかしたら、もう戻って来ないのかな。


 不安で泣きそうになったとき、その人は舌打ち混じりに言った。

 

「おいガキ、食いたいもんとかあるか?」


 私は言葉の意味が分からなかった。

 その人は怖い目で私を見て、言い直した。


「みさき、食いたいもんとかあるか?」


 食べ物。

 食べ物は、ごはんのことだ。


「……ごはん」


 返事とも質問とも取れる言葉を口にすると、その人は私をお店に連れていった。


 私は初めて箸を使った。グーで握り締めた箸で、これまた初めて見る牛丼をブスっとした。

 

 その人は呆れた様子で店員さんを呼んだ。私は小さなスプーンを受け取って、おっかなびっくり牛丼を食べた。


 美味しかった。

 すぐ満腹になった。


 当時の私は、ご飯を食べることが難しかった。一日のうち水しか口に入れないことも珍しくなかったから、胃が受け付けなかったのだろう。


 ボロボロの部屋に戻った後、その人は外に出た。残された私は、窓際で膝を抱えていた。


 嫌な臭いには慣れない。

 どんどん胸が苦しくなるような気がする。


 つらいのは、きらい。

 だから、なにも考えないようにした。


 どれくらい時間が経っただろう。

 部屋のドアが開いた。お母さんが帰ってきた。


「……おか」


 違う。お母さんじゃない。

 私は寂しくなって俯いた。


 そして、なんとなく察した。

 お母さんは、もう帰って来ないのだろう。


 また泣きそうになったとき、ドンという音がした。びっくりして目を向けると、ペットボトルが転がっていた。


 ちょうど喉が乾いていた私は、おっかなびっくりペットボトルを手に取って、ゆるんだフタを開け、ぬるい水を飲んだ。おいしかった。


「……ありがと」

「テメェ普段なに食ってんだよ」


 お礼を言うと、その人は怒った。

 やっぱり怖くて、私は正直に答えた。


「……つくえ」

「あ?」

「……たまに、つくえ、うえ、たべる」


 我ながら下手な日本語だった。

 でも暫くして、その人は翻訳に成功した。


「たまに机の上に残っているものを食べている」


 私は頷いた。その人は難しい顔をして、そのまま寝てしまった。そこで私は、その人の口から血が出ていることに気が付いた。


 何かしなくちゃ。

 そう思って外に出る。


 怖い人だけど、ご飯、くれた。

 怖い人だけど、痛いのは、いやだ。


 だから、何かしなくちゃ。


 それは偶然だった。

 私が部屋を出ると同時、隣の部屋に住んでいた女の人も部屋から出てきた。がんばって事情を伝えて、伝わらなくて、その人を見せたら、絆創膏をくれた。私は満足して眠った。


 次に目を覚ました時、目がぼやぼやだった。

 身体中が熱くて、重くて、とても苦しかった。


 何か聞かれている。

 がんばって返事をする。


 苦しい、つらい。

 もう、おはなし、できない。


 私は何も分からないまま、倒れた。

 その人は、私を病院に連れていった。


 道中、その人は叫んでいた。


「聞け! みさき!」


 私の意識は朦朧としていた。正直、前後の記憶は曖昧だ。だけど、この言葉だけは鮮明に思い出すことが出来る。


「俺がお前を育てる! 世界一幸せにしてやるから、覚悟しやがれ!」


 言葉の意味は、いまいちピンと来なかった。

 どうして、こんなことを言うのだろう。私は疑問に思って頭を悩ませたけれど、五歳の子供に答えなんて出せなかった。


 ただ、どうしてだろう。あの言葉を聞いたあと、氷みたいに冷たかった身体が、少しだけ温かくなった。それは信じられないくらい心地良くて、私は安堵から眠ってしまった。


 目が覚めた。

 私はボロボロの部屋で寝ていた。


 その人は、どこにもいない。

 私は夢を見ていたのだろうか?


 不思議に思っていると、その人が帰ってきた。

 その人は、白い何かに火を付けた。


 そこから煙が出る。この部屋に漂う嫌な臭いをずっと濃くしたもので、私は咽せた。


「くさい」


 私は言った。

 その人は身体をくの字にした。


「やるじゃねぇか、テメェ将来有望だぜ」


 そして、私よりも苦しそうな顔で言った。


「上等だ、禁煙してやろうじゃねぇか!」


 意味はよく分からなかったけれど、元気な人だと思った。それから色々あって銭湯に行った。久々のお風呂だった。でっかいお風呂だった。


「……おふろ」

「体を洗うのが先だ。覚えとけ」

「……ん」


 正直に申し上げれば私はハイだった。

 すごーく大きいお風呂に興奮していた。


 その人は私を洗ってくれた。

 私は、下手とか、あついとか、くすぐったいとか、いろいろ文句を言った。


 不思議だった。

 あんなに怖かったのに、普通にお話出来た。


「……なまえ」


 私は名前を聞いた。


龍誠(りょうせい)だ。かっこいいだろ?」

「……ようせい?」

「龍誠だ。りょ、う、せ、い」

「……りょーくん?」

「好きに呼べ」

「……りょーくん」


 確かめるようにして、言葉にした。

 そして私の中に強烈な欲求が生まれた。



 りょーくんに、甘えたい。



 きっと普通の人なら願えば満たされる欲求なのだろう。だけど私は、大人に甘えることは出来なかった。甘えたいって思う度に、お母さんのことを思い出して、身体が動かなくなる。


 また嫌われるかもしれない。

 そう思ったら、甘えられなかった。


 だからこれは夢物語だった。

 私が初めて胸に抱いた願い事だった。


 私から甘えるのは、むり。ならば、りょーくんが甘えればいいのではないだろうか。私は天才的な発想に打ち震えた。


 そして、奇跡が起きた。

 お風呂からボロボロの部屋に戻った後、変な瓶に入った液体を飲んだりょーくんは、ちょっぴり顔を赤くして、私をギュッとした。


 りょーくん、息臭い。

 身体かたい。痛い。でも、温かい。


 私は目を閉じた。

 生まれてから最も心地良い眠りだった。


 翌朝。

 私は照れ隠しにりょーくんにパンチした。りょーくんは、瓶に入った液体を二度と飲まないと言った。私は暴力はダメだと学んだ。


 それからの日々は、本当に楽しかった。


 りょーくんは本を買ってくれた。

 読めなかった。私はしょんぼりした。


 りょーくんは漢字ドリルを買ってくれた。

 私は勉強を始めた。文字を覚えると、りょーくんは褒めてくれた。問題を解くと、りょーくんは褒めてくれた。


 言葉を選ばなければ、麻薬だった。頭がビリビリして、ふわふわして、もっと褒められたいという欲求が私を突き動かした。


 いっぱい字を書いて、見せる。

 褒めてくれる。ベタ褒めてくれる。これはもう、頭をなでなでするべき。


 私はスタンバイおっけいだった。

 しかし、りょーくんは鈍い。私のアピールは伝わらなかった。


 もちろん言わない。

 でもいつか、甘えさせて欲しい。


 りょーくんはボディタッチ控え目だった。

 そのかわり、いろいろなことをしてくれた。


 保育園に行った。

 友達が出来た。


 ゆいちゃん。

 私の、一番の友達。


 騒がしくて、運動が苦手で、ピアノが上手で……すごく、かっこいい友達。


 まゆちゃんと仲良くなった。

 隣の部屋に住んでる女の人。不思議な笑い方をする漫画家さん。


 修行をした。

 あめんぼさんがとてとてたったたらりるれろ。

 

 運動もした。

 私は走るのが得意になった。


 牛丼を食べた。

 ミニサイズは強敵で、なかなか完食できなかった。正直、いつも苦しかった。でも、りょーくんが応援してくれるから、がんばった。完食できるようになった。私はスッカリ、寂しいを忘れていた。


 牛丼を完食したあと、りょーくんが、りょーくんのお母さんと話をした。


 私は驚いた。

 りょーくんは、私と同じだった。


 りょーくんは怒っていた。りょーくんのお母さんは、すごく謝っていた。自分の子供が気にならない親なんていないって、そう言った。


 りょーくんとお母さんは、たぶん、仲直りした。りょーくんのお母さんが居なくなったあと、私は、りょーくんに聞いた。


「……おかあさん、きにしてる?」


 その言葉を口にするのは、苦しかった。牛丼を食べている時よりも、ずっとずっと苦しかった。お母さんのことなんて、ほとんど記憶に無いのに、りょーくんと一緒の楽しい時間ばかり覚えているのに、それでも涙が止まらなかった。


「……みさき、こと、きにしてる?」


 捨てられても、遊んでもらった記憶なんてなくても、小さな子供にとって、母親の存在は大きかった。あまりにも大きかった。


 私が悲しいでいっぱいになったとき、りょーくんは、私をギュッとした。そして、約束をした。


「……みさき、聞いてくれ。俺、頑張るよ。今よりもっと、誰よりも……だから、今日が最後だ。みさきも、俺も、もう二度と泣かない。いいな? 約束だ」


 何を頑張るのだろう。

 当時の私には分からなかった。


 だけど、りょーくんの優しいをいっぱい感じて、悲しいよりも、ずっと大きな声で泣いた。


 思えば、この約束は、叶えられるはずのない約束だった。今の私ならば分かる。というか、普通の人なら分かる。


 りょーくんはダメな人で、本当にダメダメで、ありんこだった。それでも私は、この約束を一度も疑っていない。昔も、今も、これからも。


 だって、りょーくんは最強なのだ。


 りょーくんは頑張った。

 頑張って、約束を守った。


 だけど私は約束を何度も破ることになる。何度も涙を流すことになる。それでも、きっと、一生のうちに流した涙の半分は、この時に流れた涙だった。

 





 *** 第二章 ***






 ゆいちゃんと喧嘩した。

 ゆいちゃんは嘘つき絶対に許さない。彼女との交友関係は終わった。


 ゆいちゃんは言った。

 好きって言えば、りょーくんは喜ぶ。


 私は頑張った。とてもとてもとても恥ずかしいのを我慢して好きだと伝えた。りょーくんは無反応だった。


 許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない…………


 夜になると、まゆちゃんとお風呂。

 私は最悪の気分だった。ほんと最悪だった。


「みさきちゃん、私でよければ、何でも言ってね……へへ、へへ」


 私はまゆちゃんに相談した。


「……りょーくん、みさき、すきじゃない」


 まゆちゃんはショックを受けていた。


「生きててごめんなさい……」

「…………だいじょうぶ?」


 逆に私がまゆちゃんの心配をする。

 まゆちゃんは不思議な人だった。


 私はまゆちゃんに詳しい事情を伝えた。


「任せて!」


 急に元気になったまゆちゃんは、全然頼りにならないけれど、とにかく任せてと言った。私は任せることにした。


 解決した。

 りょーくんはみさきが大好きだった。


 私はゆいちゃんと仲直りした。

 ゆいちゃんは嘘つきじゃなかった。素晴らしい友人だ。今後とも末長く一緒に居たいとそう思った。


 そして私は、まゆちゃんに懐いた。我ながらチョロい。でも、幼い子供なんて、こんなものだ。


 仲直りの後、遠足があった。

 私は美味しい遠足を楽しんだ。


 平和な日々だった。

 しかし、これは偽りの平和。私はあまりにも壮大な計画を胸に秘めていた。


 りょーくんと、手を繋ぐ。


 保育園の送り迎え。私は、いつもてけてけ歩いてりょーくんを追いかける。


 私の目の前では、いつもりょーくんの手が揺れている。油断するとゴッツンするポジションである。


 周囲を見ると、私と同じくらいの子供たちは、みんな親と手を繋いでいる。ならば、私とりょーくんも手を繋ぐべき。


 りょーくんは直情的だ。

 例えば、私が何かすごいことをする。


 すると――


 みさきは最強だな!

 じゃあ、手を繋ごうか!


 ――こうなるに違いない。完璧。


 私は張り切って勉強した。

 漢字ドリルも算数ドリルもクリアした。


 ダメだった。りょーくんは手強い。

 次の一手を考えているとき、運動会があった。


 私は、恥ずかしいくらい応援してくれるりょーくんに圧倒的な勝利をプレゼントすると誓った。誓いは果たされなかった。みんな揃って一番になった。ゆとりだった。


 そのあとも、りょーくんは手を繋いでくれなかったけれど、楽しいことはいっぱいあった。


 りょーくんと夏祭りに行った。

 私は迷子にならないように、りょーくんの肩に乗った。楽しかった。


 ゆいちゃんとりょーくんとプールに行った。

 ゆいちゃんは、あんまりお母さんと遊べないみたいだった。りょーくんは優しいから、それが気になるみたいだった。


 私は、難しいことは分からないので、虎視眈々とりょーくんの手を狙っていた。


 たまーに目が合って、りょーくんが確認するように私を見て、おっけいかもんゆあはんどと頷いたけれど、ダメだった。


 りょーくんは手強い。

 保育園の前と後、土曜日と日曜日。私は、りょーくんと二人。夜はまゆちゃんとお風呂だけど、他の時間は、りょーくんと二人。


 当時の私に出来るのは、勉強だけ。だから私は、いっぱい勉強した。いっぱいりょーくんに褒めてもらった。


 だけど、手は繋げない。

 りょーくんのことが大好きで、りょーくんも、みさきを見るとにっこり笑ってくれる。それでも怖い。私は、大人に甘えることが出来なかった。


 どうして、こんなにも怖いのだろう。

 その理由をハッキリ思い出したのは、私の六歳の誕生日、二月十四日が近付いた頃だった。


 私は誕生日が嫌いだ。

 私は、誕生日が大嫌いだ。


 三歳の誕生日。

 私は、お母さんに思い切り甘えていた。甘えん坊だった。そのせいで、チョコレートを作っていたお母さんの邪魔をしてしまった。お母さんは私を嫌いになった。私は、甘えなくなった。


 四歳の誕生日。

 お母さんは一日中家にいなかった。その日から私は独りで家に居ることが多くなった。


 五歳の誕生日。

 私は、りょーくんのところに捨てられた。結果としては良いことだった。でもそれは不幸のどん底で起きた奇跡だった。誕生日は、私からお母さんを取り去ったのだ。


 そして六歳の誕生日を目前にした頃。

 私は、りょーくんと離れ離れだった。


 理由は小学校に通うため。詳しいことは分からないけれど、とにかく半年ほど離れ離れになることが決まった。


 その間、私はゆいちゃん家の子供になった。

 私は、しばらくりょーくんと一緒に住めないことだけ理解した。


 小学校なんて行けなくていい。そう思ったけど言わなかった。ワガママを言ったら嫌われてしまうかもしれない。私は我慢した。


 ゆいちゃんの家は、温かかった。

 賑やかなゆいちゃんが居て、美味しいご飯がある。窓の隙間から冷たい風が入ってきたり、床や壁から変な臭いが漂ったりしない。


 だけど、りょーくんが居ない。


 怖かった。

 すごく怖かった。


 私はずっと反省会をしていた。あれが悪かったかもしれない。あれも悪かったかもしれない。私がりょーくんと一緒にいられないのは、きっと私が悪い子だからに違いない。


 りょーくんに会いたい。

 りょーくんに会って、ごめんなさいがしたい。


 だから嫌わないで。

 良い子にするから、嫌いにならないで。


 そう思い続けた。果たして私は、りょーくんに一度も会えないまま六歳になった。

 

 夜、お風呂に入った。

 このあとは眠るだけ。


 今日なんて、誕生日なんて、早く終われ。

 強く願っていた私の耳に、大きな音が響いた。



「みさきちゃん! 誕生日おめでとう!」



 ゆいちゃんが居た。


 ゆいちゃんのママが居た。


 まゆちゃんが居た。


 りょーくんが大きな袋を持って立っていた。


「みさき、誕生日プレゼントだ」


 何か、大きな四角いものだった。

 あとで確認した時、中には私が欲しがっていた電子ピアノがあった。


 私は誕生日が嫌いだ。

 私は、誕生日が、大嫌いだった。


「あー! みさきのことなかせたー!」


 ゆいちゃんが叫ぶ。

 ゆいちゃんのママがりょーくんを罵倒する。


 私は泣かない約束をした。だから、りょーくんに顔を見せないように体当たりした。


 りょーくんの感触があった。

 夢じゃなかった。夢じゃなかった。


 もう我慢なんて出来なかった。

 みさきは、りょーくんに甘えたい。


「……すきっ」


 りょーくんに伝えた。

 俺の方が大好きだと言ってくれた。


「みさき、こと、いやじゃない?」

「当たり前だろ」


 りょーくんは笑った。

 それでも私は、不安で不安でたまらなくて、言葉にしてほしくて、問いかけた。


「みさき、こと、好き?」

「そう言ってるだろ」


 りょーくんは私をギュっとして、背中を撫でてくれた。私が落ち着くまでずっと、大きな手で、優しく撫で続けてくれた。


 六歳の誕生日。

 私の願い事は、叶えられた。





 *** 第三章・第四章 ***





 みさきとりょーくんはラブラブだった。

 みさきが「なでて」って目でリクエストすると、りょーくんは直ぐに応える。みさきが「さむい」って目でリクエストすると、りょーくんがギュって温めてくれる。


 あるとき、りょーくんが寝ていた。

 私は頬をくっつけて、すりすりしてみた。


 りょーくんは気が付かない。だから、ほっぺをツンツン、むにむに、手まで繋いじゃう!


 私は満たされた。起きてるりょーくんは、未だに手を繋いでくれない。私も、なんだか恥ずかしい。でも寝ている時は平気だった。


 幸せだった。

 私は満たされた。


 この日々が、いつまでも続きますように。

 ただそれだけを願っていると――りょーくんは、思っていたことだろう。


 心外。大きな間違い。

 私は、ただ与えられるだけの存在ではない。


 サプライズ。

 サプライズなのである。


 私は半年もの間、ゆいちゃんの家で遊んでいたわけではない。私は、ゆいちゃんからピアノを学んだ。そして最強のサプライズを考えた。


 りょーくんの誕生日に、歌をプレゼントする!


 こうして私の挑戦は始まった。

 期限はクリスマス。りょーくんの誕生日。


 私はいっぱい練習した。

 ゆいちゃん師匠の感覚的な説明を必死に理解した。


 学校の友達にも応援してもらった。

 まゆちゃんも、いろいろ手伝ってくれた。


 そしてクリスマス。

 私は、冷たい指を必死に動かして演奏する。


「きいて」


 何度も練習した伴奏に乗せて歌った。

 りょーくんのために作った歌を届けた。


 そして伝えた。

 私は、りょーくんがだいすき。


 歌詞は、私が一生懸命に考えた。

 最初は伝えたいことが多過ぎて、読書感想文みたいだったけれど、みんなのアドバイスを真摯に聞き入れ、断腸の思いで削った。


 歌詞に頼るな!

 歌声に魂を乗せろ!


 誰の言葉だっただろうか。

 思い出せないけれど、私は魂で歌うと決めた。


 すると、作文は歌になった。

 本当に伝えたい気持ちが、歌になった。



 りょーくん いつも ありがとう

 りょーくん きょうは おめでとう



 拙い歌詞だけれど、精一杯の想いを込めた。



 りょーくん いつも ありがとう

 りょーくん いちばん だいすき



 りょーくんの顔を見ながら、私は歌った。

 正直、手元を見ないせいで何度かピアノで失敗しちゃったけれど、りょーくんを見ながら歌いたかった。



 りょーくんがちかくで みさきのことみてる

 みさきはそれだけで とってもうれしくなるよ



 私は、ずっと独りだった。

 数字にすれば、たった二年。だけどそれは、五歳の子供にとっては、人生の全部だった。私を育ててくれたのが、りょーくんで良かった。本当に良かった。その想いを、大きな声で歌った。



 りょーくんはやさしくて いつもかっこいい

 みさきはありがとう いつもおもってる



 歌いながら、身体が温かくなるのを感じた。

 ぽかぽかしていた。嬉しくなった。この気持ちが少しでもりょーくんに伝わりますように。願いを込めて、想いを届けた。


 歌い終えたあと、りょーくんを見た。

 りょーくんは、子供みたいに泣いていた。


「……ごめん、みさき」


 りょーくんは私に謝った。

 それから赤くなった鼻をすすって言った。


「りょーくん、泣き虫になっちゃったよ」


 みさきは背伸びをして、りょーくんの服を引っ張った。


「どうした?」

「……んっ」


 思い切り引っ張る。

 りょーくんは私の意図を察して、膝を折った。


 ようやく頭に手が届く。

 私は、りょーくんをなでなでした。


 りょーくんは笑顔だった。

 笑顔だけど、目からポロポロ涙が零れていた。


「……なあ、みさき」


 りょーくんは私に問いかける。


「俺は、ちょっとはマシになったか?」

「……んー?」


 言葉の意味が分からなくて首を傾ける。


「前より、かっこよくなったか?」

「……んっ!」


 私は大きく頷いた。

 りょーくんはニィっと得意気な顔をした。


「よし、なら約束だ」

「……やくそく?」


 りょーくんはみさきの手を掴んで、そのまま一気に持ち上げる。みさきはビックリして、ちょっぴり暴れた。りょーくんは立ち上がって、足元にみさきを下す。そして、言った。


「もっと、かっこよくなるぞ。俺も、みさきも」


 私は力いっぱい頷いた。そして、りょーくんの大きな小指を私の小さな手で握った。


 これが二人の約束。

 私とりょーくんだけの指切り。 


 一呼吸置いて、ふと私は気が付いた。

 お風呂の時間だ。いつもの手提げバックを持って、りょーくんに伝える。


 二人で家を出た。ドアの直ぐ傍に居たまゆちゃんを拾って、三人で手を繋いで、歩いた。


 雪の中、身体の小さな私は、二人の手を握って、ぴょんぴょん跳ねた。正直、普段の百倍疲れた。お風呂に到着するころには筋肉痛だった。でも楽しかった。とっても楽しかった。


 これからもずっと、りょーくんと手を繋いで、一緒に居たい。大人になったら、ちょっと難しくなるかもしれないけど、それでも、ずっと、ずっとずっと、甘えたい。


 私は――みさきは、りょーくんが大好きだ。


一言でも感想頂けると幸せです

↓ブクマ・星ポチお願いします

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 短編がアップされてるー!!見逃してたー!! 過去の振り返りなのに、何回も何回も読み返した話のはずなのに、また泣かされてしまった。(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`) 嬉しいサプラ…
[一言] 続編はまだですか?
[良い点] みさきちゃんかわいい! りょーくんかっこいい! 激エモ! [一言] 最近みさきちゃんシリーズ読み返したのもあって、みさきちゃん視点読めるの嬉しいです。 褒めたらまたなんか出るのか!? 褒め…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ