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ちょっと昔、あるところにおデブちゃんがおりました。
通学電車で見かける女の子に恋をして、頑張ってダイエット。
痩せて痩せて頑張って、体重半分まっぷたつ。
それより瘦せてようやく告白。
「ごめんなさいね、私には、もう男らしい相撲部の彼氏がいるの」
ああかなしや哀しいや。
こうして失恋初の恋。
こうして、自分の美貌にまるっきり自信も価値も認められない美少年という世にも変わった存在が生まれたのでありました。
斎京楓著「MAY WERE?」三十五回掲載分より抜粋。
学園祭の朝は、そりゃもう泣きたくなるような晴天であった。
初日土曜日はともかく、やはり本番は二日目の日曜日、というのは学園祭の常識であり、午前八時ともなれば、準備の興奮は静かに、しかし驚くほどの強烈さで学園内に充満する。
何かが始まる予感。
何かを着実にはじめているという実感。
麻薬よりもそれは脳の中に作用し、普段見慣れた校舎に普段は絶対あり得ない姿、表情が装飾物やポスターなどによって現れてくる。
「いつもの学校」が「異世界」として生徒達をワクワクさせる。
が、それどころではない生徒がひとり、いる。
「いや、あの、ええっと」
城崎薫はジリジリと壁際に向かって撤退しながら引きつった笑みを浮かべた。
身長百六十センチ、体重四十キロの細い身体の上には、「ミニチュアダックスの子犬」という印象の顔が載っかっている。
半年前は体重は二倍以上で、パンパンに張り詰めた顔はアンパンそのものだったのだとは、今は誰も信じまい。
その頃は「天然ボケ」系という扱いだったのだが、体重が六十キロを切った辺りから「いじられ系」というキャラ属性まで加わり「クラス全員の可愛い弟」という扱いに変化して、とうとう今日のこの日となった。
まあ「可愛い弟」キャラというのは当人にとっては少々不満が残るわけであるが、何事もそう上手く行くというわけではない。
周囲に視線を走らせて誰か助けてくれないか、と思ったが、残念ながらこの着替え用に確保された理科準備室から、ほんの十分ほど前までガヤガヤしていた彼のクラスの男子生徒達は影も形も消え失せている。
代わりにクラスの女子……だけではなく、よそのクラスの女生徒までがこの教室にひしめいている。
全員目をキラキラ……を通り越してギラギラと輝かせている。
遠い昔、少年はこういう目つきの女性を見たことが二回ある。
幼稚園の時にたまたま通りがかった高級デパートの福袋の会場と、中学の頃、都内にある某ファーストフード店で、自分のハマったアニメのキャラクターの萌えカップリング(しかもなぜか男性同士)のことで言い合いからつかみ合いの喧嘩に発展したどこかの女子大生たち。
(しまった……ハメられた)
後に悔いるから後悔という。
おかしいとは思っていたのだ。
今さら副担任の教師に細かい書類がちゃんと出ているかどうかの再確認をしてきてくれ、といわれて理科準備室に行かされる、なんてことは。
考えてみれば一週間前に交通事故で足を折って入院した副担任が今日学校に出ているわけはない。
そわそわした学園祭特有の準備の空気が少年の心から警戒心を奪っていたのだが、一瞬の油断がアレでナニな事態につながるのは、戦場も学校もおなじことである。
「あ、いや、あの自分ひとりで出来るから、その大丈夫だってば!」
「なーに言ってるの」
びしいっ。
勢いよく人さし指を突きつけたのはクラス委員で女子のリーダー格でもある斎京楓だ。
腰までのロングヘアながら、今時珍しいビン底眼鏡がきらりと光る。
クラス委員と名が付く女子なら、普通ならば品行方正杓子定規、規律尊重、というのが当たり前だが、彼女の場合は「面白ければそれでよし」が座右の銘で、クラスも「こいつに任せれば面白いことが」ということでリーダーを任せられているタイプだ。
故に、この学園祭におけるクラスの出し物も彼女が言い出し、女子全体の賛成と、洒落のわかる男子、および「騒げればいいや」というその他大勢のおかげで決定が決まった。
「薫君、甘いことを言っては駄目よ!
あなたは内藤くん、達木君と並ぶ、というか、今回の出し物のトップは実質キミなんだから!」
「それ僕が希望したワケじゃないし」
必死に言い訳しながら少年は何とかここから脱出できないかと思案した。
残念ながら、もはや出口はふさがれている、女子で。
ここを突破するのは、テルモビュライを経てギリシャに攻め込もうとしたペルシャ軍よりも難しそうだ。
「そーら!
はじめるわよー!」
品行方正、どこかおっとりしていて学年でも一、二を争う美少女として名高いが斎京楓となぜか妙に仲の良い、滝沢真衣が楽しげに声をあげた。
「おー!」
女生徒達が殺到する。
「わー!」
あとはもう、超大型の自動洗濯機の中に放り込まれたハンカチのようなものである。
「そーれ脱いじゃえ脱いじゃエー」
「ぬいじゃえー」
「ぬいじゃえー!」
瞬く間に少年の身体に手が伸びて、靴が脱がされシャツが剥がされ、白くて薄い胸元に何本もの手が伸びて「わーすべすべー」「むだ毛ないんだー」とかいう感想が途切れ途切れに聞きこえたのもつかの間。
柔らかく白い手のひらと涼やかな少女達の声を主成分にした台風が吹き荒れた。
「わ、だ、だめだって、そこ触らないで!
駄目だってば!
女の子でしょ!
お嫁に行けなくなるじゃないか!」
それでも何とか薫は抗おうとしたが多勢に無勢、しかもクラスメイトに暴力を振るうわけにはいかない。
「わ、つ、冷たいっ!
え?
だ、だめだってば!
じ、自分で身体は拭くから!
そこはだめーっ!
何度言えばいいの!」
白い手が踊る。
白い肌の少年はその上で踊らされる。
「え?
あ、いや、そこ困る!!
あのね、ちょ、ちょっと!?
嫁入り前の娘さんは触れるの禁止ーっ!」
流石に最後の尊厳というか男としての最後の砦である下着一枚は守ったものの、少年はあっという間に服を脱がされ、そして同じぐらい手早く着せ替えられた。
数分後。
「よーし、おっけー!」
斎京楓の声に、女子の波(というよりも渦潮とでも言うべき状況)は一斉に解除され、そこにはいつの間にか椅子に座らされた美少女がひとり。
フリル付きのカチューシャ、肩まである高級ウィッグは本人の髪の毛と一体化してまるっきり自然に見える。
肩口の膨らんだ長袖の上着に白いカフスがまぶしい。
そしてミニスカートから伸びる長くて細い脚は白いタイツで覆われ、ピカピカに光るローファーで終わっている。
と、どこからともなく、普段は保健室にしかない姿見が少女の前に置かれる。
呆然と美少女は自分の顔に触れる。
軽いナチュラルメイクのみだが、それがまた清楚な美貌には必要十分最大限の魅力を引き出すエッセンスとなっている。
秋葉原なら間違いなく五メートルも歩かないうちにカメラを持った連中が追いかけてくるだろう。
周囲の女子からも声にならない溜息が出た。
美少女はしばらく無言で鏡の中の自分を見ていたが、
「……ぜーんぜん似合ってないよ、やっぱ」
と城崎薫の声で呟いた……元からちょっと高めのハスキーボイスなので、口を開いても美少女にしか聞こえないのは恐ろしい。
「やっぱ止めようよ、女装メイド喫茶なんて高校生がやるこっちゃないよ!」
「えー!」
「どこがー!」
「絶対自信持っていいのにー!」
一斉に女子達からブーイングとも嘆息ともつかない声がわき上がる。
「あーもう、判ってないッ!」
とその中から飛び出してきた斎京楓が「びしいっ!」とミニスカメイドな美少女に姿を変えた城崎薫を指さした。
「そこはさー!
呆然としながら自分の頬に手を当てて『これが……僕?』っていうのが王道じゃん、主命じゃん、理論じゃん、お客さんの期待に応える夢芝居じゃんかー!」
「お客さんってどこだよ!」
という少年の抗議もどこ吹く風。
「んーとにもー、薫ちゃんはエンターテイナーの基本がなってないよっ!」
楓の嘆きは周囲の少女達の嘆きの代弁でもあった。
事実、周りの女性達の全てが楓の言葉に頷いている。
こういう、周囲の人間がうまく表現できない共通した感情をうまいタイミングで言葉に変換できる能力を斎京楓は持っていた。
「でも、衣装以外はいつもと変わらない僕だし、もうちょっとこう、ベタベタに化粧してくれると笑いが取れていいと……」
「なぁに言ってンの!」
ぐいっ、と楓は少年の鼻先ギリギリに己の顔を突き出して言い切った。
「キミが、今回我がクラスが初日を犠牲にしてまで完璧な内装の設置&衣装の手配をした『女装メイド喫茶ソディアーナ』のエースでメインで主役なんだからねっ」
「いや、そう言われても……第一、僕が風邪で休んでるときに勝手に決められた話だし、僕よりも三神君とか、真田君とか、美形は山ほどいるだろ?
どうせなら僕は城やんとか、五郎ちゃんの路線で……」
ちっ、ちっ、ちっ、と楓は人さし指を振って、
「三神君はバスケ部だからタッパがありすぎるし、真田君はかっこよすぎて女装似合わないの。
そういうアンバランスがお好みの人たちはちゃんとフォローできるし、城やんと五郎ちゃんがお笑い系はがっちり盛り上げてくれるからOK。
あまりダブるキャラがいても商業的にはよろしくないの」
少年の意見を、あっさり楓は理論的かつ商業主義的な理由で却下した。
「それに彼らはあくまでもサブカテゴリ、つまりメインではない人たち向け。
でもね、我がクラスで王道の『可愛い女装少年』が出来るのはいえ、我が校で、そんなキャラがOKなのは薫君、キミだけなのよっ!」
ぐねり、と上半身を普通の人間ならあり得ない方向にねじりつつ、両手を交差させて右手で少年を指さす。
「んな奇妙なポーズで力説されても……」
「でも、すっごく似合うよ、薫君!」
ぐいっと真衣が拳を握りしめ、瞳をキラキラさせながら言う。
「これならウチのクラス、学年どころか校内の売り上げでもアンケートでもトップになるよ、きっと!」
学内でのアンケートの一位を取る、というのは賞状以外になにもないのだが、今年は楓が妙なハイテンションでクラスを引っ張っているせいか、一年生にもかかわらず、薫のクラスはこの「トップ取り」に燃えている。
「これならD組の『副官喫茶』に勝てるよ!」
「へ?
ナニそれ?」
「え-とね、軍服つけた男子と女子がー……」
何か色々世の中にはあるらしい。
「ともあれ、これでウチのクラスは鬼に金棒ジャンクーゴにアストロボー、 サイコスリラーに鉈&核弾頭ってなものよ!」
ぐっと楓が拳を握りしめる。
「装備される核弾頭の気持ちは」
「涙は流さない!
今日のキミはクラスのためのロボットだから、マシーンだから!」
にやりと笑って眼鏡を光らせながら、楓を筆頭にした女子は最後の戦いを目前にしたスパルタ兵のように親指を立てた。
「モウ、スキニシテクダサイ」
薫は、諦めることにした。
「んー、テンション低いわねえ」
溜息をつく少年に、楓は「困ったもんだ」と顎に手を当てて考えていたが、
「やっぱアレね、最後の最後で百パーセント女性になってないのが問題なのよ!」
と勝手な結論をつけた。
「やっぱこれをつけて、身も心もハイテンションなメイド喫茶の女性店員になるのよ!」
そういって取り出したのは、紫色の「タンガ」と呼ばれる女性用下着だった。
ちなみに、デザイン的にはTバックどころかYバックである。
「それは絶対にヤダ!」
さすがに薫も大声をあげた。
「えー!
これ高級品なんだよー。
おろしたてのサラサラなんだよー!」
と不満げな声をあげたのは真衣である。
「え?
あ、あれ滝沢さんの?」
「うん、そうだよ?」
きょとんとした顔で真衣。
それは、「学園祭に使う衣装として」という意味だと、もう少し少年が冷静であれば気づいたかもしれない。
「一生懸命可愛くて綺麗なの探したんだよ?
だって、薫君の身体、すっごく綺麗なの知ってるし」
「え?
な、なんでまたそういうことを……」
「だってだって、ほら、体育着の上からでも身体のラインって判るし、急激なダイエットでもちゃーんと身体締まってて、おなかの皮とか余ってないし……第一、楓ちゃんの小説でもそういう描写だったもの!」
「な……」
確かに、運動と食事療法を同時進行でやってたから、薫の身体には急激なダイエットに付き物の「皮膚のたるみ」は皆無だ。
が、何でそれを男子生徒ならともかく……。
「ふふふ、私の小説は常に正確な取材を基に妄想の翼を広げているからネッ!」
にやりと楓が親指を立てる。
「広げるなーっ!」
叫ぶ薫だが、真衣はキラキラと乙女の目で楓の手を取る。
「楓ちゃんの小説、すっごくいいもの!
今長期連載中の、薫君主役の奴は完結したらきっとベストセラーになるよ!」
「ど、どこで連載?
連載ってどこで!?
まままままま、まさかまさか、インターネット……」
「もちろん」
ぐいっと真衣は自分のスマホを突き出した。
「そんな勿体ない話があるわけないでしょ!
リストに登録した人にだけ観ることができる有料ネット小説としてよ!
ちなみに週一配信で会員数現在二千五百人」
真衣はさらりと恐ろしいことを口にした。
「ゆ、有料コンテンツなの?」
自分を主役にした妄想小説がそれだけの人間に配られている(しかも金まで取って!)という事実に少年は愕然とした。
知らぬが仏、というが、まさかそこまでいっていたとは。
「僕の著作権というか、肖像権、いや、人権とかって一体……」
だが、少年の反応に構わず、キラキラと輝く目で学年一の美少女は大仰な身振り手振りで続ける。
「当たり前じゃない!
楓ちゃんの小説にはそれだけの価値と輝きがあるわ!
だからパパに頼んでそういうことにしてもらったの!」
そういえば真衣の父はそういうネットコンテンツ企業の社長だか専務だかという話を聞いたことがある。
「ありがとう、真衣。
あなたは小学校の頃からの私の一番の親友で、読者だわ!」
「うん!」
熱っぽくふたりは互いの手をあわせて見つめ合った。
どうやら楓と真衣は幼い頃から「作家の先生」と「熱心なその読者」という関係であるらしい。
「でね、そのサイズ測定によると、私の下着がぴったり合うはずだから、っていうから、そのデータを元にね、これ買ったの!
だから私とある意味おそろいなのよ!」
無邪気に真衣は言う。
それは単に「サイズが」という意味である。
が、ただでさえ先ほどまでの大騒ぎの後で、薫はいささか冷静さを欠いていたため、「あらぬ方」へと想像の翼が広がった。
でも誰が彼を責められるであろうか。
ともかく。
「……!」
少年の顔が真っ赤になり、次いで大慌てで教室から飛び出した。
これ以上、真衣の顔を見ていると色々と「大変」なことになりそうだった




