57 にらみ合い
ボアの逃げ込んだインボス領の領都、その外周を囲む城壁へ、ケーチは望遠鏡のピントを合わせ、レンズを上へ向けた。
城壁最上部の胸壁を、まばらに埋める兵士の姿を捉えた。
表情を伺うも眉間の険しさ程度、それが戦意から来るものなのか、戸惑いなのか、細かい選別ができる距離ではなかった。
その城壁と睨み合う形でファッド国の軍は、城壁前から幾分離れた平地に陣地を構築していた。
その先陣に設置された見張り用の天幕前に、ムッサーとケーチの2人は、望遠鏡と街の地図とを交互に見ていた。
「思ったより兵が残ってますね。決起集会に連れてきた領兵が少なかったのは、これを見越してたんですかね」
ムッサーとケーチ用の水と食料の配給を持ってきて、ジールはテーブルの地図の脇に置いた。
「籠城戦に持ち込まれると、にらみ合いは長引きますね」
「あの時一気に仕留めておくべきだった。判断を見誤ったか……」
ムッサーは皮水筒からゴクリと水を飲むが、胸につかえた苦みは消えずに渋い顔を漏らした。
「もし、向こうの手札がブラフだったとしても、人質を取られた状況では、あの判断しかありませんでしたよ」
「気休めまですみません。うん、これ美味いですよ隊長」
薄くスライスして焼いた肉とチーズに、香辛料の効いた甘辛いソースをかけた具材を丸パンに挟んだサンドイッチは、兵の間でも人気があった。
ケーチが一口かじると、ムッサーも口にくわえ、苦い顔を少し綻ばせた。
「うむ、飯の味は士気の維持に関わる。美味いに越したことはないな」
「向こうの兵も、飯で篭絡できたらいいんですけどね。内戦てのは他国相手より気を使います」
「うむ、兵の戦力なら10倍以上の差。制圧するだけなら難しくはないが相手も自国の兵だ。交戦は最小限にして、互いの兵の損失を抑えたいものだ」
「魔導兵器、どれくらいの威力なのか。この状況をひっくり返すような、最後の切り札として使われるのか、ジールさんはどう見ていますか」
「まず、向こうにどれくらい戦う気があるんでしょうね。港街ですし、船で帝国へ亡命する可能性もあります。領の兵を捨て駒に時間を稼ぎ、全滅しても1人で逃げるようなタイプですから」
「帝国からすりゃぁ、ファッド国の兵士が大勢死んで大喜びだ。ボアの亡命のいい手土産になっちまう」
「エスタとボアを捉えれば決着がつく話です。兵たちが戦う必要はない、戦闘にはさせませんよ」
「ジールさん、潜り込む気ですか?」
「投降してきた兵に内情を聞くつもりです。王都ですら抜け道がありましたから、このくらいの港町なら、どこか潜り込む隙の1つくらいあってもおかしくはないかと」
「逃亡中も、ここまでの道中も、気の休まる時間は無かったでしょう。ここで休めるとは思えませんが、聞き取りくらい私がやりますよ」
「ジール様、お言葉に甘えましょう。昨日も寝てないの知っているんですよ」
「……じゃぁ申し訳ありませんが、お願いします。フェリ、俺らも何か食べようか」
「野営場の東側に、商人ギルドから屋台が来ているみたいですよ」
「いいね! ムッサー隊長、美味いもんがあったら買って来ましょうか?」
「気を使いすぎるな。これで十分だ!」
ムッサーは望遠鏡を片手にしゃりとサンドイッチを噛みちぎり、さっさと休めと言わんばかりに、しっしと手を振った
兵の野営場は、人が1人が寝れる程度の簡易テントが陣地の中央を占め、後方に支援部隊の鍛冶師や薬師、教会のテントがあり、兵の煮炊きもそこで行われていた。
その周囲には、日用品等を売りに来る商人の荷馬車やテントが点在している。
敵陣営から一番離れた東地区には商人のテントが多く、暇を持て余した兵たちが大勢行き交っていた。
「まるで祭りの出店だな。活気も士気に影響する。緊張状態が続くと兵の不安を招くし、反乱や逃亡にもつながるが、不安要素は今のところないな」
「城壁の向こうは、緊張状態が強そうですね。これだけの軍勢に囲まれて、不安で内紛が起きる可能性も」
「同じ国民だ。向こうの被害も出したくない。こっちへ投降するように、呼びかけを増やした方がいいかもな。この匂いもセットで送り付けられればいいんだが」
出店から漂う焼けた肉とソースの香ばしい匂いに誘われ、ジールは肉串を2本買い、1本をフェリに渡した。
「ジール様も気を休めてくださいね。気づけば仕事の顔になっていますよ」
「そうだな、人の事は言えないな。これ食ったら野営場に戻って一休みするか」
2人が肉串を食べながらしばらく歩くと、トン、カン、と鍛冶場から金属を叩く音が聞こえてきた。
鍛冶場の奥で鉄を打つ職人が1人、入口ではルジャンの剣を研ぐ職人が1人常駐していた。
「1人なんて、珍しいなルジャン」
「ジールさん、空いてるからせっかくだし、それに……」
ルジャンは辺りを見渡した後、ジールの耳元でそっと囁いた。
「セイビアがちょっと苛立ってて……。今近寄りがたいんだ……」
「なぁ役人さん、戦闘がないと修理する武具がなくて出張費だけじゃ赤字だよ。なんか仕事ないのかい? 小物の修理もやってるよ!」
鉄を打つ音に負けじと、鍛冶師が威勢の良い声を上げた。ルジャンの小声はその音に紛れて消えた。
「そうだな、馬の蹄鉄なんかどうだ? 後で聞いておくよ」
「あぁ頼むよ、そっちのべっぴんさんにアクセサリーもどうだ? 特注もできるぞ!」
「売り込むねぇ、前向きに考えておくよ」
ジールが横に目をやると、フェリは首を横に振っていた。
遠慮ではなく、本気で興味がない表情をしていたので、ジールは愛想笑いを鍛冶師に返した。
トン、カン、という音を背に、立ち去ろうと振り返ると、ルジャンがジールの肩をがっしり掴んだ。
「なぁ、セイビアが! 苛立ってて! なんか頼むよ!」
「面倒だから聞き流したのに……」
「どこ行っても人から注目されるって、ストレスなんだな。オレもたくさん声かけられて大変だ」
「ルジャンさんは、近衛騎士になられたのですよね」
「冒険者から、王の剣に出世か。いよいよ聖剣の騎士らしくなってきたな。次の絵本は赤髪で出すか」
ルジャンの騎士服の胸には、近衛騎士を表す銀の勲章がつけられていた。
「そうそれ! なんかズルしたみたいで、余計に人の目が気になって……。仲間が王様になったからって、俺まで昇進するなんて、階級なんてムッサー隊長より上になっちまったんだ」
「急に出世すると良くも悪くも注目される。気持ちわかるよ。でも、今のお前より強いやつなんて、この国には数えるほど、堂々としてればいいさ」
「俺より強い2人に言われてもな……」
「そのうえ、ポッとでの王様に命を張れる奴なんて、どれだけいると思ってるんだ」
「そんなの俺しかいない! セイビアの事は、命に代えたって守ってやるよ!」
「ほら、近衛騎士にぴったりじゃないか」
「強い力と、強い気持ち、両方を兼ね備えているのはルジャンさんだけですよ。ズルだなんて思わず、胸を張ってください」
「2人にそう言われると、そんな気がしてきたよ」
「じゃ、そう言う事で」
「えぇ待ってくれよっ。セイビアの機嫌、今まで見た事ない苛立ち方なんだ。女の日って感じでもないし、相談に乗ってくれよ。俺バカなんだから!」
ジールはそそくさとその場を立ち去ろうとしたが、ルジャンの泣きそうな顔が眼前に迫り、動きを止められた。
「女の日とか、そういう事を大声で言うのがいけないんじゃないか?」
ジールがルジャンから目をそらした先で、フェリも深く頷いていた。
「そういうケンカはしょっちゅうしてるけど、今度のはなんか雰囲気が違ってさ」
「俺も女性の機嫌の取り方なんて専門外だぞ。とりあえずお土産でも買ってけば? セイビアって何が好きなんだ? 気に入りそうなものでも買ってけよ」
「女の機嫌とるなら貴金属って相場が決まってるぜ。いいの揃ってるぞ! 今なら暇だし特注で作ってやろうか!」
「毎度売り込むねぇ。鍛冶師より商人の方が向いてるんじゃないか」
「アクセサリーか! なんかキラキラしたの買ってくか」
「セイビアってそういうヤツだっけ? マイネは好きそうだけど」
「確かに、だったら甘いものかな。村では甘味なんて芋ぐらいしかなかったから。街に出て一番最初に感動したのが、チョコだった気が」
「思い出の味か、いいんじゃないか」
「そうか、そういうのでいいのか?」
「何ならいいと思ってたんだよ」
「ほら、王様になったから、なんかそれらしい事をしなきゃって」
「そういう所じゃないか? 機嫌が悪いの」
「え、どういう?」
「親しい方にいつもと違う態度をされたら寂しいですし、傷つきますよ」
「人前じゃなければいつも通りに接していいだろ。チョコなら向こうで売ってたよな」
フェリがコクンと頷くと、ルジャンはジールの言う方向へまっしぐらに駆けだした。
「ジールさん、ちょっと剣見ててくれっ、俺買ってくる!」
「落ち着かねーな」
「急に立場が変わると、収まりが悪いものです」
「そうかもな。俺も突然領主になって、役人の引継ぎもあって、落ち着く間もなく戦争が始まって。俺と一緒に、フェリの事も随分振り回してしまってるよな」
「私は、慣れていますから」
「我慢はするなよ」
「それはジール様もです」
「俺はちょいちょい愚痴らせてもらってる、助かってるよ」
「私も、わがままを言わせてもらうなら、ジール様にはちゃんと休んで欲しいです。人に心配させる領主では困ります」
「はい、ちゃんと休みます」
「よろしいです!」
ジールが眉をハの字にして素直に頷くと、フェリは満足気な顔をしてジールの頭を撫でた。
(帰ってきた日の夜、フェリとターラに延々と説教されたんだよな。本気で怒ってたし、泣かせたし、一晩中離してくれなくて。心配してくれてうれしい気持ちもあるけど、やっぱ心が痛んだな……)
「こうやって、軽口を言いあえるのはいいものですね、心が落ち着きます」
「あいつらも、落ち着く時間があればいいんだが、しばらく難しいだろうな」
ジールの視線の先には、先ほど駆けだしたルジャンが、息を切らして帰ってくる姿があった。
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