???話 はじまりはじまり
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「夜はちょっと冷えるな……」
腕を手で擦りながら呟くのは氷室奏多だ。今は一人で月光の下を歩いている。
奏多達がダークエルフの里で修行を始めて既に一年ほどが経った。
毎日のようにボロ雑巾にされる日々にも慣れつつある現状に、少し複雑な心境になるのも仕方がないだろう。
今は息抜きに一人で里の外を散歩しているところだ。
特殊なブローチを貰っているので、ダークエルフの同伴がなくても里に入ることが出来る。
奏多は以前とは比べものにならないぐらい強くなっている。いや、奏多だけではない。
舞も、ガイウスも、そしてシャーラも格段に強くなっていた。
クリネアとシルフィの場合は元から強い、と言うよりクリネアに関しては力さえ取り戻したらほぼ敵なしだ。
とにかく、彼らは毎日鍛錬に励んでいるのだが、それこそ地獄のような特訓だ。
毎日限界までボロボロにされているのだから、たまには息抜きもしなければ本当に死んでしまう。
そういうわけで、奏多は特訓が終わった夜に森を散歩していた。
「改めて落ち着いてみると……やっぱり、異世界に来たんだなぁ」
透き通るような、と言うより実際に薄っすら半透明な葉を生やす木々を眺め、感慨深げに呟く。
もう異世界に召喚されて一年以上は経つが、それでもたまにその事を忘れてしまう。
奏多に憂いはない。元の世界に置いてきたものなど、何一つないのだから。
「……そのはずだ」
あの世界が大嫌いだった。自分には理解出来ない法に縛られるあの世界が。
なに一つ理解出来なかった。善と悪の違いが分からなかった。それを他者が決める意味が分からなかった。
いつだって、どの瞬間だって、世界のどこかで誰かが死んでいる。誰かが奪われている。
なのに、それに興味を示さないくせに、罪を犯した者には容赦なく偉そうに裁く。
誰だって、他人のことなんて興味がない。
ニュースを見て事件に憤りを覚えても、寝て起きたらもう忘れている。
害されている他人を見れば、自分じゃなくて良かったと安心する。
人種、民族、文化、家柄、能力、思想、性別、病気。
そんな、どうしようもないことで他人を差別し、自分は多数側の人間だと安心感を得る。
そのためだけに、平気で人を傷つける。
一つの価値観に固定され、それに従っていなければ異端とされる。異常とされる。
権力を持っていれば全てが許され、何も持っていなければ全てが許されない。
そんな、欺瞞に満ちた世界が大嫌いだった。
そう感じるのはもしかしたら、自分が差別される側の人間だったからかもしれない。
『普通』に生まれていれば、そうは思わなかったかもしれない。
だが事実として、奏多は『普通』ではなかった。
それが彼にとっての全てで、それが彼の世界だった。
「………」
奏多はその世界から開放された。異世界に召喚されて、あの世界との関わりは途絶えた。
あの世界において、奏多は異常だった。
優劣の感情がないことは大した問題ではなかった。だが、罪悪感がないというのは違い過ぎた。
そして、普通とは違うものを排除しようとするのが、普通な世界だった。
そんな、反吐がでるほど嫌いだった世界から開放された。
それなのに、奏多の心はどこか重い。
なにかが引っかかったような、そんな気持ち悪い違和感が、ずっと彼を悩ませていた。
「そろそろ戻ろうかな」
なにせ明日も早い。
そう付け足してダークエルフの里に戻ろうとした奏多は、ふと気配を感じた。
「………?」
森の中で感じる気配と言えば、魔物が動物がほとんどだ。
事実、奏多はこの森でその二種類以外の存在と出会っていない。
だが、この夜は違った。
彼が感じた気配は、明らかに人間のそれだった。
「……誰ですか?」
闇に向かって問う。
普段ならばこんな事はしない。したところで、返ってくるのは唸り声か鳴き声だ。
「……人間、か?」
しかし、今宵は返答があった。
「ええ、そうです。姿を現してもらっても?」
「もちろん」
闇の向こう側から姿を現したのは、一人の男だった。
不健康そうな濁った瞳に、光を吸い込んでしまいそうな真っ黒な髪。
見覚えのない人間だったが、しかしその特徴には見覚えがあった。
「もしかして……勇者、ですか?」
「ああ……お前もか」
勇者。つまり、奏多と同じあの世界から召喚された同郷の人間だ。
「お前は何期の勇者か聞いてもいいか?」
「僕は五期です。一番最後の勇者ですね。あなたは?」
「俺は三期だ。だいたい三十年前に召喚された。それで、なんでこんなところに?」
「えーっと……」
男の問いに、奏多は言い淀む。果たして、ダークエルフの里のことを口外してもいいのかどうか。
知られたところで、どうにか出来るわけではない。強力な結界に守られたあの里は、この世で一番安全な場所と言っても過言ではないだろう。
だが、
「僕は仲間と一緒に旅をしていまして。この近くに拠点を作ったんです」
「へぇ、そうか。旅はいいよな。俺も昔はよく旅をしていたよ」
奏多ははぐらかすことにした。
本当のことを言っても問題はなかったかもしれないが、だからと言って本当のことを言うメリットがなかった。
それだけの理由だ。
「合流しますか?いくらか物資を分けてもいいですけど」
「いや、心配無用だ。その必要はない」
「そうですか」
一応聞いてみたが断られて良かったと、奏多は胸を撫で下ろす。
もしも頼まれていたら、一度里まで戻らないといけないから少し面倒だった。
「それにしても、あなたはなぜこんなところに?」
「ああ……少し探し物をしていてな。彷徨っているうちにこんなところに来てしまった」
「その探し物とやらは森にあるようなものなんですか?」
「はは、いや、ないことはないだろうが、そう簡単には見つからないだろな」
なにを探しているのか全く分からない。奏多は首を傾げる。
「何を探しているか分からないって顔だな。いいぜ、教えてやる。っと、その前に俺の同伴者も紹介しておくか。おーい、久美!こっち来いよ!」
同伴者、それも女性の名前だ。どういう関係かだいたい察することが出来る。
奏多は少し羨ましく思いながらも、久美と呼ばれる女性が姿を現わすのを待った。
―――その『羨ましい』というのが、劣等感に起因するものとは気付かずに。
「渡壁久美。俺の女だ。ほら、久美。挨拶しろよ」
「ア゛ア゛ア゛ア゛」
「……え?」
フラフラと姿を現したのは、人の形をした何かだった。
可愛らしい服を着た何か。
シルエットだけを見れば、それは間違いなく人間だ。だが、今奏多が目にしているのはシルエットではない。
全身はツギハギだらけ、しかも少し腐った皮膚に半開きの口から垂れ続ける涎。
見開かれた目には眼球が入っていない。
「あ、あの……先輩?」
「ああ、俺の探し物か?探し物ってのはアレだ。生きてる人間の眼球だ。ほら、久美って今眼球がないだろ?だからここに入れる眼球が欲しかったんだよ」
男は、その濁った瞳を真っ直ぐに奏多に向けた。
それを受け、奏多の全身に悪寒が走る。
「眼球を潰さずに殺すって意外と難しいんだ。こいつ、馬鹿力だからさ。顔面ごと潰しちゃうんだよな」
男が手を奏多に向けると、それに合わせて久美が動いた。
「……死霊師」
明らかにこの世のものではない久美を操る男の姿は、まさしくそれだった。
奏多の発した言葉に、男は笑みを浮かべる。
「後輩イジメってダサいことすんのは不本意だけどさ、仕方ないよな?どれだけ暴れても叫んでも気付かれないような場所で、たった一人でいるところに会っちまったんだから」
「……僕、目悪いですよ?」
「関係ないから大丈夫だ」
別に悪くもないのだが、奏多が適当に発した言い訳は軽く流された。
そして、久美が跳んだ。
「っ!」
その見た目からは想像出来ない速度で肉薄する久美を、奏多は最小限の動きで躱す。
久美の側面へ抜け出した奏多は、その無防備な横腹に蹴りを入れた。
だが、その足は男に受け止められる。
「良い動きだけど……俺ら、二人だから」
「……やば」
メキリ、と軋む音と共に奏多の腹部を衝撃が駆ける。見れば、男の上から久美の拳が奏多を穿っていた。
「がっ!」
大木に叩きつけられた奏多は、口から血を吐き出す。しかしそれは、叩きつけられたからではなく、久美の打撃の威力が原因だった。
「力、強すぎだろ……!」
「ア゛ア゛ッ!!!」
呻くように叫んだ奏多に、久美が追撃とばかりに飛び蹴りを放った。
奏多はそれをタイミングよく受け止めるが、その威力には勝てない。
「ぐっ、ああっ!!」
またも飛ばされた奏多の先には、移動していた男が。
「悪く思うなよ!」
「ぶっ!」
男の踵落としを防御もなしに受けた奏多は、クレーターを作って地面に叩きつけられた。
一瞬、視界が歪む。
そんな奏多を、男と久美が覗きこんだ。
「暴れられると困るし、トドメ刺しとくか」
その男の言葉と共に、久美が拳を振り上げる。そして、それを思い切り奏多へと叩き込んだ。
至近距離で、地面を背にしているため衝撃を逃せない。
そんな状態で久美の全力の一撃を喰らえば、もはや原型を留めていられない。
そのはずだった。
「あれ?」
気付けば、男の視界から奏多が消えていた。
「どこいっ……た……?」
だが、異常はそれだけではなかった。
男の視界内で生じた異常は、それだけではなかった。
「ア゛……ヴ……!」
「……久美?」
久美が拳を作っていたはずの右腕が、根元から引き千切られていた。
「あ、ああああああああああ!!!」
男は絶叫した。
男にとって、久美は全てだった。
この世界に召喚されてから、ずっと行動を共にして、お互いを想いあって、結ばれた。
ずっと、ずっと一緒だった。
久美が無惨に殺されたあとも―――
「久美!久美!!久美久美久美久美久美久美くみくみくみくみくみくみクミクミクミクミクミくみくみくみくみクミクミクミクミクミ!久美ぃ!!!」
男は喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。
否。事実、彼の口からは絶叫と共に血が飛び散っている。
「あ、ああああ!ああああああああ!!殺す!殺してやる!!!」
「……さっきまでも殺そうとしてたじゃないですか」
そんな男の豹変を、冷めた目で見るのは奏多だ。
奏多は男と久美の背後で、その姿をぼんやりと眺めていた。
「黙れっ!!その眼球と右腕を寄越せ!!そして、それから死ねぇ!!!」
男はさっきまでとは比べ物にならない速度で奏多に肉薄し、どこから取り出したのかナイフを振り下ろす。
だが、奏多はそれを右の人差し指と中指だけで受け止めた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
更に、そこに右腕を失った久美が迫った。側面から奏多に左腕を突き出す。
避けようのない状況に、しかし奏多は冷静だった。
自分に向かって放たれる拳に左の手のひらを添え、優しく向きを変えた。
当然、久美の態勢は崩れる。
「『三日月』」
奏多が呟く。それと同時に、彼の膝に反り曲がった光の刃が生えた。
「……ぁ、や、やめろやめろやめろやめろぉぉぉぉ!!!」
奏多の挙動に、何をしようとしているか理解した男が叫んだ。
その目には涙が浮かんでいる。
しかし、そんなもので止まる奏多ではない。
「―――ァ」
奏多は足を振り上げる。それだけだった。
だがその結果、彼の足から生えた光の刃が久美の喉を突き破った。
「お……」
絞り出すような声に、奏多は男に視線を向ける。
「お前えええええええええええええ!!!!」
奏多は答えない。
ただ、空いた左手を男の顎に添えた。そして、その首をゴキリと捻る。
「……ふぅ、ちょっと油断しすぎてたかな」
口の端から垂れる血を手の甲で拭い、奏多は少し反省した。
「……く……く、み……」
その耳に、か弱い声が聞こえる。
視線を向けると、男が久美に向かって這いずっていくところだった。
まだ男が生きていたことに、奏多は少し驚く。
「お、れが……おまえ……を…………」
最期に男が伸ばした手は、久美には届かなかった。
◆
「まさかこんなところで殺し合いになるとは……」
ダークエルフの里へ戻る奏多は、今の出来事を反芻しながら呟いた。
反省点はたくさんある。あの程度の相手なら、もっと簡単にやれたはずだ、と。
結局、男は死んだ久美を蘇らせ、その肉体を保つために人間を探していたのだろう。
一人でいる、健康な人間を。
そこまで考えて、奏多はパッと顔を上げた。
「同じだ」
その表情は明るい。
「クラスAもBもCもDも、僕達と違って普通の生徒が集められたクラスだった。今の人は三期って言ってたから、クラスCか」
奏多の思考は高速で回転し、そして結論を出す。
「今の人はどう見ても壊れてた。僕達と同じだ。同じじゃないか。この世界では、みんなこうなんだ。普通ではいられないのが、普通なんだ」
だから、僕は異質な存在なんかじゃない――と。
「なんだ、僕はなにもおかしくなかったんだ」
奏多はここにきて理解した。
自分が感じていた違和感。それは、自分が『違う存在』だという先入観。
この世界でも自分は異常な存在なのではないかという不安。
だが、今宵それは払拭された。
この世界において、奏多は普通。普通ではないことが普通。
そう、結論づけた。
「さて、スッキリしたし明日も頑張ろう」
奏多は清々しい笑顔で歩く。
どこか陰があって、それでもどこか魅力的な笑顔だった。
こうしてこの瞬間、彼は変わった。
一つの疑念を潰したことで、迷いが消えた奏多は更に更に強くなっていく。
あり得ないほどの速度で。誰も追いつかないような場所へと。
それは、もう二度と大切なものを失わないために、躊躇することべきことが一切なくなったからだ。
強くなれば何からでも守れると、そう思い込んでしまったからだ。
―――この時から、過去の世界との決別を以って、氷室奏多の異世界生活は始まった。
彼の歩みに迷いはない。
そして、
「……あ」
つい先程まで戦っていた勇者の名前を聞いていないことを、ふと、思い出した。




