幕間 『祈る者達』
◆
「ふんふふーん」
ご機嫌な鼻歌を歌いながら、暗い廊下を歩く女が一人。薄明るいライトだけが照らす廊下を、迷いなく歩いている。
「もう皆いるかな」
その廊下の突き当たりには、赤茶色の大きな扉があった。重厚感のある、両開きの扉だ。
女はその扉に手のひらをあて、軽く押した。
「あーやっぱり私が最後か」
「おっせーぞ香織」
「まあまあ。今回は香織がメインだ。ほら、香織。真ん中へ」
「はーい」
扉の中は暗い部屋だった。その室内には、数人の男女が座っている。
香織と呼ばれた女は、その中心へと歩き出る。
「で、どうだった?」
「ダメだね」
香織は艶やかな黒髪を撫でながら即答する。
「技術はほとんど無い。素人相手ならまだしも、私達の足元にも及ばないよ」
「そこまでか」
香織の言いように、長身の男が思わずといったように苦笑した。
そこに、目つきの鋭い男が割り込む。
「おいおい、香織よぉ。散々に言ってやがるがお前、負けたんだろ?氷室奏多に」
「あはは、そうなんだよねー」
「なに笑ってんだよ。お前はこん中の二番手だろーが。そのお前がアッサリやられたんだったら、充分強えじゃねぇか」
「のんのん」
男の言葉に、香織は違う違うと首を振る。
「強い、って訳じゃないんだよ。ただ……迷いがなかった」
「あ?迷い?」
「香織さん、どういう事です?」
今度は茶髪のボブカットが似合う女が尋ねた。少し大きめのピアスが特徴的だ。
「皆はさー、誰かと戦う時って、なに考えてる?」
「そうだな。俺はただ、倒す事だけを考えてる」
「私は負けないことを考えてるです」
口々に続く回答を、香織はうんうんと頷きながら聞いていた。
そして、口を開く。
「まあ、そんな感じだよね。ここにいる皆は大体人を殺したことあるけど、どう?慣れた?」
「……それは、流石に慣れねぇな。あの感覚だけは気に入らねぇよ」
「だよね。私もそうだし、他の皆もそうだと思う。でもね、あの子は違った」
「氷室奏多か?」
「うん」
香織は奏多との戦いを思い出す。
あの時は、氷室奏多の実力を測るために戦った。ジョルジュ・ヘノムを守るためではなく。
負けるつもりはなかった。
圧倒出来ると思っていた。
実際、技術だけで言えば香織の方が格上だったのは違いない。終始優勢だったのも、その証明となるだろう。
だが、結果的には負けた。
裸を見られたから、と言い訳をするつもりは彼女にはない。その裸にされたのも、隙を作ってしまった自分の落ち度だからだ。
ただ、普通ならば一瞬で決着がついていただろう実力差を、奏多は凌いでいた。
それを成したのは、
「彼にはね、多分罪悪感とかが無いんだと思う。殺す事をなんとも思ってない。あの殺気はそんな感じだった」
自分が負けたのは奏多に一切の躊躇がなかったからだと、香織は結論付ける。あの時、奏多は確実に自分を殺そうと戦っていたからだと。
「罪悪感がないとか、あり得るのか?」
「宗馬、忘れたか?氷室奏多は『クラスE』の生徒だ」
「ああ……忘れてたぜ。でもそれだと、随分厄介だな。どうするんだよ、慶」
「……香織、お前はどうしたい?」
慶と呼ばれた長身の男は、自分に発せられた問いをそのまま香織へと流す。
しかし、その事には誰も余計な口を挟まない。問いを発した本人である宗馬でさえ、香織の答えを待った。
そして、香織の答えは早かった。
「引き入れよう。磨けば強くなるよ。多分、この中の誰よりも」
「俺達に制御出来るか?」
「分からないけど、私、あの子気に入っちゃった」
香織達第一期の勇者は、今から約四十年前に召喚された。
奏多達と同じ十七歳の時に召喚され、四十年。生きた時間だけで言えばそれなりの年齢だ。
だが、この異世界では勇者は時間通りに歳を取らない。大体、十年で一歳といったところ。
つまり、今の香織達はまだ二十一歳程度。元の世界で言えば大学生だ。
だが、香織は一度も恋をした事がない。この世界で長い時間を過ごしたが、戦ってばかりでそんな機会がなかった。
同じ勇者や、戦場で知り合った男達に言い寄られたことはある。しかし、その気になった事は一度もなかった。
ある意味、生きる事に必死だったとも言えるだろう。
そんな男っ気のなかった香織が、初めて異性に裸を見られ、見逃された。挙句には情けで上着までもらってしまったのだ。
少し意識するのも仕方ない。かもしれない。
「わ、私は反対です!香織さんに男を近付けるなんて、断固反対です!」
「いいじゃねぇかよ、別に。香織だって女だ。男の一人や二人、経験したいだろうよ」
「あの暴れん坊が、随分丸くなったもんだ。宗馬、成長したな……」
「ああ!?なに上から目線で語ってんだよ慶ぃ!!」
しかし、部屋にいる者達は全体的に香織の提案に対して反対した。
理由は単純。男でも女でも、香織のファンが多いからだ。
騒然とする中、この集まりのトップである慶が手を挙げ、周りを黙らせる。
「俺は反対しない。ただ、自分自身の目で見てみたいし、何より本人の意思も聞きたい。香織、異論はないな?」
「ないけど……氷室君、断りそうだなぁ……」
「その時はその時だ。潔く諦めろ。俺達『祈る者達』は、悲願を果たすために集ったんだ。それに賛同出来ない人間は、ここに必要ない。もちろん、実力がない者もな」
「……はーい」
渋々と答える香織に、慶はまたも苦笑する。
この場において、香織を異性としてではなく仲間として見ているのは第一期の勇者だけだ。
第二期から第四期の勇者は、少なからず香織を意識してしまっている。それに、香織は息苦しさを覚えていた。
だからこそ、第一期の勇者達はなるべく香織を自由にさせている。重圧がかかる立場にいる香織が、潰れてしまわないように。
「でも、自分の目で見るってどうするの?慶君が会いに行くの?」
「それでもいいが、今俺が動くのは良くない。魔王軍の動きも活発になってきてるからな。だからここに来てもらおう。香織、頼めるか?」
「別にいいけど、素直についてこないと思うよ?」
「その時は実力行使だ。氷室奏多とは一度会っておきたい。ああ、それと」
慶は何かを思い出したように、香織から視線を逸らした。
「卓也。皇迅はどうだ?」
視線の先には、小柄な男が立っている。目は長い前髪で隠れており、その表情は読めない。
「未だに足取りが掴めません。もしかしたら、既に死んでいる可能性も」
「そうか……探知系のスキル保持者がいないのは痛いな」
「それと、氷室奏多の方ですが」
卓也と呼ばれた男は続ける。その言葉に、慶だけではなく香織も眉を顰めた。
「……なんで卓也君が彼のことを?」
「俺は以前『祈る者達』にスカウトした第四期の勇者、里村亮介と今でも情報交換をしていまして、その中に氷室奏多の情報が」
「それって、私達の情報と交換してるってこと?」
「はい。許可は慶さんからもらっています」
卓也の答えに、慶に視線が集まる。
その視線に含まれる多分の疑惑に、慶は苦笑した。
「安心してくれ。俺と亮介はこの世界に来る前からの知り合いなんだ。だから人柄はよく分かってる。あいつは絶対に裏切らない。俺達が裏切らなければだけどな」
「……まあ、お前がそう言うんなら俺らは信じるさ。確かにあいつの実力は本物だったし」
そう言ったのは宗馬だ。
この組織のサブリーダーである彼は、不器用なりにいつもリーダーの慶をサポートしている。
「だろ?それに、多少の協力はしてくれるって言ってくれたからな。利用しない手はない」
「だが、俺らに先に説明しておくのが筋だろ?」
「それはそうだな。申し訳ない。色々とやる事が多くて伝えそびれていた」
「お前、凄え奴なのに抜けてるとこあるよな。ボケたのか?」
「宗馬に言われたら俺もいよいよだな」
「あ?」
「ん?」
無言で睨み合う二人をハラハラして見ている周囲の同志達と違い、香織は気にせずに先を促した。
「それで、卓也君。それってどんな情報?」
「氷室奏多がアルティアから追放されました。だからなのかは分かりませんが、彼は旅に出たようです」
「え」
香織の呻くような、驚いたような微妙な声は、恐らくこの場の全員を代表したものだっただろう。
これはつまり、
「氷室君の居場所も分からなくなったってこと?」
「はい」
沈黙が流れる。
非はないとはいえ、その原因となった卓也は居心地が悪そうにもぞもぞしていた。表情は見えないが。
「……が、頑張って探しまーす」
香織の虚しい声が、静かな空間によく響いた。
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次話からは第三章になります!投稿は明日です!




