第三十九話 待つ世界
2027年3月17日(水) 11:42
大阪府高槻市、高槻市危機管理センター。
壁面のモニターには、大阪上空の映像が映し出されていた。
高城は、その画面を見上げている。
「大阪との回線は?」
「問題ありません」
「府警、消防は?」
「各本部との通信を確認しています」
「分かりました」
高城が時計を見る。
あと、1時間あまり。
室内では職員たちが最終確認を続けている。
誰も、何が起きるのかは知らない。
それでも、できることはすべてやる。
それしかなかった。
◇
東京都千代田区、総理大臣官邸。
官邸対策室の大型モニターにも、同じ映像が映っていた。
「大阪との通信、正常」
「高槻、正常です」
「自衛隊各部隊、待機継続」
「消防庁、警察庁、海上保安庁との回線も確認しました」
報告が続く。
浅間は、机に広げられた資料へ目を落としていた。
「大阪、高槻との回線は常時維持して下さい。何か変化があれば、確認を待たずに報告を」
「はい」
「各省庁にも同じように伝えて下さい」
「分かりました」
職員が動き出す。
浅間は顔を上げた。
大型モニターには、大阪の空が映っている。
その中央に、巨大な紋様。
浅間はしばらく画面を見つめた。
「総理との回線は?」
「正常です」
「そうですか」
浅間は小さく頷いた。
「では、続けましょう」
再び資料へ目を落とす。
◇
東京都内、テレビ局。
報道フロアに並ぶモニターには、大阪の映像が映し出されていた。
大阪市内に設置された無人の定点カメラ。
その一つが、上空の紋様を捉えている。
『現在ご覧いただいているのは、大阪市内に設置された無人の定点カメラからの映像です』
画面いっぱいに、巨大な紋様が映る。
『カウントが0になると予測されている時刻まで、1時間を切りました』
『政府は引き続き、不要不急の外出を控え、安全な場所で待機するよう呼びかけています』
スタジオでは、アナウンサーが原稿を読み続ける。
報道フロアでは、スタッフたちが大阪から送られてくる映像を見つめていた。
誰かが時計を見る。
誰かが水を一口飲む。
誰も席を離れなかった。
◇
アメリカ合衆国、ワシントンD.C.
壁一面のモニターに、大阪上空の映像が映し出されていた。
巨大な紋様。
画面の隅には、日本時間と残り時間が表示されている。
クロフォードは、腕を組んだまま画面を見つめていた。
「あと、どれくらいだ」
「1時間を切っています」
「……そうか」
クロフォードは再び画面を見る。
数日前、自分が立っていた大阪の街が、紋様の下に広がっている。
室内には、政府関係者や軍関係者の姿があった。
だが、交わされる言葉は少ない。
今できることは、もうほとんど残されていなかった。
クロフォードは黙ったまま、大阪を見つめていた。
◇
イギリス、ロンドン。
街頭の大型ビジョンに、大阪の映像が流れている。
足を止める人々。
スマートフォンを取り出す者。
隣にいる人と何かを話す者。
その視線の先には、遠く離れた日本の空があった。
◇
バチカン市国、サン・ピエトロ広場。
広場には、多くの人々が集まっていた。
祈りを捧げる者。
ロザリオを手にする者。
隣にいる人と手を取り合う者。
その中で、一人の女性が静かに目を閉じていた。
何が起きるのか。
誰にも分からない。
だからこそ、人々は祈っていた。
遠く離れた大阪のために。
恐れの中にいる人々のために。
そして、自分たちのために。
◇
フランス。
ドイツ。
インド。
オーストラリア。
ブラジル。
世界各地のテレビが、同じ映像を流していた。
朝を迎えた国。
夜を迎えた国。
仕事中の者。
家族といる者。
一人で画面を見ている者。
住む場所も、話す言葉も違う。
それでも今、人々が見ているものは同じだった。
大阪の空。
そして、少しずつ0へ近づいていく数字。
◇
2027年3月17日(水) 12:50
大阪府庁、危機管理室。
誰もいない室内に、大型モニターの光だけが灯っていた。
画面には、大阪上空の紋様が映っている。
藤堂は一人、席に座っていた。
机の上には、何もない。
電話も鳴らない。
人の声もない。
藤堂は、黙って画面を見つめていた。
やがて、時計を見る。
12時50分。
紋様が0になると予測されている時刻まで――
あと、9分40秒。
◇
大阪上空。
青い空に、巨大な紋様が浮かんでいる。
音はない。
風に揺れることもない。
大阪湾。
海沿いの岸壁から見上げれば、巨大な紋様が空を覆っている。
海の上まで、その輪郭は大きく広がって見えた。
橋の上。
長く伸びる道路の先。
幾重にも重なる線が、街のはるか上空を埋めている。
視線を上げても、その全体は一度には収まらない。
ビルの谷間。
ガラスとコンクリートに切り取られた空に、見たことのない線と記号が覗いている。
建物の向こうに隠れた円の全体を、ここから見ることはできない。
公園。
誰もいない広場に、木々の葉が揺れる音だけが響いている。
枝の隙間から見える紋様は、微動だにしない。
場所を変えても、それは大阪の空にあった。
7日前から、一度も音を発していない。
何も答えない。
何も変わらない。
その一角では、その記号だけが、変化を続けていた。
◇
2027年3月17日(水) 12:55
東京都内、テレビ局。
大阪市内に残されたカメラが、紋様を捉えている。
『予測時刻まで、5分を切りました』
アナウンサーの声だけがスタジオに響く。
『現在のところ、紋様そのものに変化は確認されていません』
報道フロアに並ぶモニターにも、同じ映像が映っている。
スタッフたちは、ほとんど言葉を交わしていなかった。
◇
大阪市内。
車の消えた道路。
シャッターの下りた店。
人気のないオフィス。
止まったエスカレーター。
その上を、巨大な紋様が覆っている。
街は静かだった。
まるで大阪そのものが、何かを待っているように。
◇
2027年3月17日(水) 12:59:00
東京。
駅のコンコース。
足を止めた人々が、大型モニターを見上げている。
ニューヨーク。
バーに集まった人々が、壁のテレビを見つめている。
パリ。
スマートフォンの画面を、2人の女性が覗き込んでいる。
ロンドン。
大型ビジョンの前から、話し声が消えた。
シドニー。
海辺で、1組の男女が黙って手をつないでいる。
ソウル。
飲食店のテレビを、客も店員も見つめている。
大阪。
ビルの窓際に立つ男が、空を見上げている。
病院では、看護師がベッドに横たわる患者の手を握っている。
マンションの一室では、1人の女性が、震える両手を握り締め、浴槽に身を屈めている。
◇
2027年3月17日(水) 12:59:30
新聞社。
相沢はモニターを見つめていた。
ただ、見ている。
高槻市危機管理センター。
高城は立ったまま、大型モニターを見つめていた。
その手が、ゆっくりと握られる。
総理大臣官邸。
浅間が大型モニターを見る。
机の上の資料には、もう目を落とさない。
◇
2027年3月17日(水) 12:59:35
大阪府庁、危機管理室。
藤堂は一人、大型モニターを見つめていた。
静かに、息を吐く。
◇
2027年3月17日(水) 12:59:37
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