第四十話 守護者の王
終末の門が軋む。
ギギギギギギギ……
世界そのものが悲鳴を上げていた。
虚無喰らいが現れる。
その事実だけで。
空が割れ。
大地が砕け。
世界が壊れ始めている。
無数の瞳。
無数の口。
無数の腕。
無数の翼。
それらが蠢くたびに空間が削られていく。
まるで存在しているだけで世界を食い潰しているようだった。
『喰らう』
『最後の種を』
『最後の生命を』
『最後の希望を』
声が響く。
いや。
世界中から漏れ出している。
聞くだけで精神を削られるような声だった。
リリアが歯を食いしばる。
膝が震える。
本当なら立っていることすらできない。
だが。
隣にはシモンがいた。
前にはフェンたちがいる。
だから。
踏みとどまれた。
「負け……ませんから」
小さく呟く。
自分に言い聞かせるように。
その言葉を聞いたフェンが少しだけ耳を動かした。
『立派になりましたね』
「へ?」
『初めて会った頃なら気絶していました』
「それは否定できません……」
少しだけ頬を膨らませる。
そんなやり取りができる程度には余裕が戻っていた。
だが。
次の瞬間。
虚無喰らいが動いた。
巨大な触手。
数百本。
いや数千本。
世界を覆う黒い津波となって降り注ぐ。
空が消える。
視界が黒に染まる。
終末そのものだった。
『来ます!』
ノアが叫ぶ。
蒼い海が広がる。
巨大な水壁が立ち上がる。
だが。
止まらない。
虚無喰らいは海すら喰らう。
ならば。
フェンが前へ出た。
巨大な銀狼。
神話に語られる天狼王。
青い瞳が虚無を見据える。
『主』
風が集まる。
世界中の風が。
山脈を越え。
海を渡り。
全てフェンへ集まってくる。
銀色の毛並みが光り始める。
『百年間』
静かな声だった。
『ずっと待っていました』
暴風が唸る。
『主が戻る日を』
その瞬間。
フェンの背後へ巨大な幻影が現れた。
空を埋め尽くす狼。
雲海を踏み砕く神獣。
風の王。
守護者フェンの本来の姿。
『天狼王』
轟音。
風が消えた。
そして。
次の瞬間。
世界が切り裂かれた。
ドォォォォォォォォン!!
風の斬撃。
いや。
嵐そのものだった。
数千本の触手が一瞬で消し飛ぶ。
空が割れる。
雲が吹き飛ぶ。
遠方の山脈が真っ二つになる。
リリアが口を開けたまま固まった。
「え……」
言葉が出ない。
知っていた。
フェンが強いことは。
だが。
ここまでとは思っていなかった。
『まだです』
フェンは笑わない。
青い瞳は真剣だった。
虚無喰らいの本体。
あれはまだ無傷だった。
その時だった。
虚無喰らいの無数の瞳が一斉に開く。
赤。
青。
黒。
黄金。
ありとあらゆる色の瞳。
その全てがフェンを見た。
『守護者』
『邪魔だ』
空間が歪む。
次の瞬間。
フェンの周囲へ巨大な黒い槍が出現した。
数万。
数十万。
空を埋め尽くす槍の雨。
リリアの顔から血の気が引く。
だが。
フェンは動かなかった。
逃げない。
避けない。
その代わり。
牙を剥いた。
『風よ』
世界が静まる。
風が止まる。
全ての空気が。
全ての流れが。
フェンの意思へ従う。
『吠えろ』
その瞬間だった。
ウォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!
咆哮。
百年前。
最終レイドで幾度となく響いた声。
だが今は違う。
神話の狼の咆哮。
風が爆発する。
黒い槍が砕ける。
消し飛ぶ。
吹き飛ばされる。
王座の間どころではない。
黒霧城全体が揺れた。
世界柱が目を細める。
アーサーが息を呑む。
レオンが笑う。
「やっぱり化け物だな」
フェンは答えない。
ただ。
前を向いていた。
虚無喰らいを。
百年前には届かなかった敵を。
その時。
シモンの胸の世界樹が再び脈打った。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
緑の光が溢れる。
そして。
世界樹の声が響いた。
『契約者』
『まだ終わりではありません』
シモンが顔を上げる。
『虚無喰らいには核があります』
その言葉に。
終焉の王が振り向いた。
初めてだった。
終焉の王が明確に反応したのは。
『知っているのか』
『はい』
世界樹が答える。
『そして』
緑の光がさらに強くなる。
『その核へ届く者は一人だけです』
全員の視線が集まる。
フェン。
ノア。
イグニス。
レオン。
アーサー。
リリア。
そして。
終焉の王までもが。
シモンを見た。
世界樹の声が静かに響く。
『契約者』
『あなたが行くのです』
その瞬間。
虚無喰らいの本体が。
初めて怒りの咆哮を上げた。
世界そのものを震わせるほどの。
凄まじい咆哮だった。




