32.ルベレントの説得
まだ太陽が顔を出し始める前の深夜と早朝の間の時間。
リオール家に豪奢な魔導馬車が到着をした。
朝が来るのを待ち切れずに、夜中のうちに出発をして来たルベレントである。
外に来客の気配を感じとったタナウスが、苛立ちながら起きて行って出迎える。ルベレントが魔導チャイムに手を伸ばそうとした瞬間に、ドアが開かれた。
思いっきり不機嫌そうな顔をしたタナウスに、ルベレントは一瞬怯んだが、ペコリと頭を下げて何とか挨拶を告げた。
「タ、タナウス様。おはようございます。あの、娘が・・」
「殺されたいのか?ルーベン。出直せ!」
バン!と閉められたドアの前で、ルベレントは涙目になる。
これ以上タナウスを怒らせるわけにはいかない。
この家には大切な娘が人質に取られているのだ。
しかし、このままこの場を離れるのも、娘が心配で仕方がない。
ルベレントはドアの端へと移動すると、静かにその場に立って時が来るのを待ち続けた。
それから二時間が経過した。
太陽が顔を出し、リオール家の領土にも朝が訪れた。
毎朝早く起きるファスターは、今日も体を動かす為に、外へと出て行く。玄関のドアから出て、大きく伸びをしながら深呼吸をした。
清々しい朝の空気を目一杯吸い込んだファスターは、ふと視線を横に向けてビクッと肩を揺らす。
そこには、幽霊のように真っ青な顔をしたルベレントがボーッと立っていた。
「ル、ルベレント伯爵!どうなさったのですか?」
「ファスター殿。おはようございます。あの、少し早く到着をしてしまいまして・・」
「そうだったのですか。それならば、魔導チャイムを鳴らして頂ければ、直ぐに起きてまいりましたのに」
「いや・・。気にしないで下さい。それで、あの・・娘は?」
「アシュアと一緒にまだ眠っているようです。取り敢えず、中にお入り下さい」
ファスターは、遠慮気味のルベレントをなんとか家の中に招き入れた。
二階の客間へと案内していると、廊下に仁王立ちするタナウスが現れた。
朝早くから仕事を増やしたルベレントに、タナウスの怒りの瞳が突き刺さる。
「ルーベン・・。貴様・・」
「ひぃ!」
怯えを見せて後退るルベレントの前に、ファスターが体をねじ込んだ。
「タ、タナー。ルベレント伯爵のお相手は私がするから、他の事を頼んでも良いかな?」
「ファスター殿。この馬鹿を甘やかすべきではありません。八つ裂きにして、その辺に捨てて来ます」
「それはちょっと・・。ルベレント伯爵と個人的にお話があるんだ。すまないが、今回は見逃して欲しい」
ファスターにそう言われては、引き下がるしかない。タナウスは、ルベレントに睨みを効かせたまま、その場を後にした。
客間のソファーへと腰を下ろしたファスターとルベレントは、大きく溜息を零し合った。
「すみません、ルベレント伯爵。大丈夫でしたか?」
「はい・・。ファスター殿には気を使って頂き、本当に申し訳ない」
頭を下げるルベレントは、いつもの元気がない。
その理由は、彼女だろうとファスターは口を開く。
「シルフィナ様は、とても悩んでいたようです。その・・。お食事の量が、多過ぎると」
「そうでしたか。しかし、食べられるのなら、食べた方が良いと思うのです。ダイエットなどと言う物は、私は反対です。それなのに、娘は・・」
「そうですね。無理なダイエットには、私も反対です。しかし、タナー達に聞きましたが、彼女は魔力溜まりが出来るほどの過剰な摂取をしているとの事でした。それは、お体にあまりよろしく無いとか」
「私の魔法で制御してありますので、問題はありません。シルフィナには、なんとか今まで通りの生活をと思っております」
ルベレントは、再び溜息を零した。
何故急にシルフィナがそんな事を言い出したのかが分からない。
とても美味しそうにパクパク食べるシルフィナを見るのが、ルベレントの毎日の楽しみだったのだ。
それなのに、急にご飯を食べたくないと言い出した。
それは駄目だと頭ごなしに叱ったら、部屋に閉じこもったまま出て来なくなり、そしていつの間にか家出をしていた。
政略結婚で妻となった女性は、食事の量に納得をせず、シルフィナを産んで直ぐに役目を果たしたと、家を出て行ってしまった。
何故女性は、こんなにも幸せな時間を拒否したがるのか。ルベレントには、理解出来ない。
そんなルベレントを見て、ファスターはどうしたものかと眉を下げる。
なんとか説得したいとは思ったが、ルベレントは納得する気が無いようだ。しかし、これ以上口を出して良いものなのか分からない。
シルフィナが少し可哀想だとは思っているが、家族の問題に自分が首を突っ込むべきではないと口を閉ざした。
雑談や町の事などを話しながら時間を潰していた二人の元に、ネルダルがやって来た。
「お前は・・。本当に来ていたのか。時間と言うものを考えたらどうなんだ?この家は、お前に合わせて動いているわけじゃないんだからな」
「も、申し訳ございません、ネルダル様」
シュンとしてみせるルベレントに、大きく吐息を零したネルダルは、ファスターに朝ご飯の支度が出来たと伝えた。
ファスターとルベレントは、食堂へと向かっていく。
アシュアと一緒に食堂にいたシルフィナは、ルベレントの姿に気がつくと、俯いてギュッとスカートを握り締めた。
「シルフィナ!何故勝手に家を出たりしたんだ。これ以上皆さんにご迷惑をお掛けする訳にはいかない。お父様と一緒に家に帰るんだ。早く支度をしなさい」
「・・お父様。どうか、お話を聞いて下さい」
「聞く必要はない。食事の量は、特に問題ないと言っただろう。いい加減にしなさい」
「私は、魔導鬼になってしまう程に危険な状態だと聞きました。それでも問題はないのですか?」
「私の魔力で制御してある。そんな心配はしなくていい」
「魔力で制御しなければならない状態なのが嫌なのです」
「シルフィナ!!」
突如として始まった親子喧嘩に、ファスター達は顔を見合わせる。
シルフィナの気持ちを応援してあげたいが、相手はルベレント伯爵である。
どうする事も出来ずに見守り続けた。
両者一歩も引かず、シルフィナが目に涙を浮かべた頃、タナウスとネルダルに連れられてルシエルが姿を現した。
眠い目を擦りながら入って来たルシエルは、食堂に漂う変な空気に顔を上げる。
ルシエルが起きて来る前に、サッサとこの家を後にしたかったルベレントの顔が強張った。
「ルベレント伯爵。おはようございます」
「お、おはようございます。ルシエル君」
ニッコリと天使の微笑みを浮かべたルシエルは、ルベレントだけが読み取れる瞳を返す。
(こんな朝っぱらから、何してやがる)
しっかりとルシエルの言葉を読み取ったルベレントは、心の中でタラタラと冷や汗をかいた。
これ以上、ここにいるのはまずい。
ルシエルを意識しながら、急いでファスターに声を掛ける。
「娘は連れて帰ります。ご迷惑をお掛け致しました」
ペコリと頭を下げたルベレントは、顔を上げるとシルフィナを見た。
「シルフィナ。我儘はその位にしなさい。さあ、お父様と一緒に帰るんだ」
「嫌です」
シルフィナは涙を流しながら首を振って拒否をした。
このまま家に帰ってしまったら、なんだかんだと周りに説得されて、またあの食事を食べなければならなくなってしまうのは、目に見えている。
それだけは嫌だと顔を覆って泣き続けた。
ルシエルは溜息を零す。
娘が泣いていても、ルベレントは自分の意見を変える気は無いらしい。
今回の事は、あの日ザガリルが「デブは嫌いだ」と言ってしまった事から始まった事である。あの時の謝罪の気持ちと、アシュアちゃんのお友達の為だからと言う気持ちから、ルベレントに視線を移した。
「ねえ、ルベレント伯爵。耳を貸して下さい」
「えっ?」
驚きながらルシエルを見たルベレントは、戸惑いながらも、腰を屈めてルシエルの口元に耳を近付けた。
ボソボソッとルシエルが告げた言葉に、ルベレントは目を見開き、腰を屈めたまま固まった。
しばらく経って立ち直ったルベレントは、急いでシルフィナの元へと駆け寄ると、その手を取った。
「シルフィナ!お父様も、シルフィナのダイエットに協力しよう!全く食べないのは駄目だが、お父様が対策を考えるから安心していい」
急に意見が変わったルベレントに、ルシエルの家族とシルフィナが驚いた顔を向ける。
「えっ?本当によろしいのですか、お父様」
「勿論だよ。シルフィナがそうしたいのであるならば、お父様は反対なんかしない。少し大変かもしれないが、一緒に頑張ろう」
「お父様!」
まだ涙で濡れたままの瞳は、ようやく理解をしてくれた父への感謝で輝き出す。
それまで断固拒否の姿勢を崩さなかったルベレントのいきなりの変化に、ファスター達は唖然としていた。
何を言ったのかとルシエルに視線を移すが、天使のような息子は、とても可愛い笑顔を返してくるだけである。
ファスターはルシエルに歩み寄り、抱き上げると小声で尋ねた。
「ルベレント伯爵に何を言ったのかな?」
「ありのままの真実のみを伝えただけだよ。ほら、あれだよ」
クスッと笑ったルシエルは、机の方に視線を移した。
ルシエルの瞳を追っていくと、マギルスが一生懸命お皿を並べている。
あれがなんなのかと疑問を見せたファスターだったが、直ぐに違和感に気が付いた。
シルフィナが座る机の前には、やけに山盛りの料理が並ぶ。それに引き返え、ルベレントの為に急遽用意された椅子の前には、水しか置かれていなかった。
「マ、マギト。そのお皿は、ルベレント伯爵の分じゃないのかな?」
ルシエルを下に降ろしたファスターが、急いで歩み寄って行く。しかしマギルスは、首を振って答えた。
「これで合っています」
給しの仕事を真面目にやっていますと無表情の顔が伝えてくる。よく見ると、マギルスの分の朝ご飯まで、シルフィナの前に置いていた。
「いや・・。しかし・・」
戸惑いを見せるファスターの横をルシエルが通り過ぎていく。そして、シルフィナの前に置かれたお皿の一つを手に取った。
「マギト。シルフィナさんは、こんなに食べないから、これはマギトが食べるんだよ」
途端に不満そうな顔をしたマギルスを無視して、ルシエルは皿を渡した。
「それでは、こちらはわたくしが・・」
娘の前に置かれた、明らかに自分の分と思われるお皿に手を伸ばしたルベレントは、放たれた殺気に気が付き、ピタリと手を止めた。
恐る恐る顔を向けると、無言のマギルスから抗議の殺意が放たれている。
(これは本気だ・・)
ルベレントは顔を青くさせた。
先程、魔王より伝えられた悪夢のような言葉が頭の中を駆け巡る。
『マギルスは、シルフィナが魔導鬼になる応援をしたいらしい』
まさかとは思っていたが、自分の食事までシルフィナに食べさせようとしている事や、この溢れんばかりの殺気をみても、間違いなく本気であると分かる。
第二小隊でも解けない程の頑丈な魔法をかけてはあるが、マギルスにかかれば解除は容易い事となる。
(冗談じゃない。自分の可愛い娘を、死神のおもちゃにされてたまるものか)
死神の奇行を止められるとしたら、魔王しかいない。
救いの目をルシエルに向けるが、小馬鹿にした小さな笑いが返され、助けてくれる気配はない。
どうしたら良いのだと皿を見つめて悩むルベレントの横から、スイッと皿に手が伸びてきた。
「ルベレント伯爵。シルフィナさんの隣の席にどうぞ」
お皿を持ったのはファスターである。
助かった!と顔を上げたルベレントは、いそいそとファスターの後をついていく。
その様子を、ジッと見つめていたマギルスは、自身の皿に視線を戻した。
「マ、マギト。席に着いてね」
状況をなんとなく理解したアシュアが、声を掛ける。
しかし、マギルスは動こうとしない。
ん?と顔を上げたルシエルが、マギルスに声を掛ける。
「マギト。席に着くんだよ」
ルシエルに即され、マギルスは嫌々ながらにルシエルの横の席に向かって歩き出した。




