第六話 執行部到着一日前・薙斗サイド
雲さえなければ、いつもなら空に漂う暗闇の中で目一杯に輝く星々の様を眺めることができたのだが、今日は雲が厚く残念ながら月も星も見ることができない。
すっきりとしない雲空を見ていると、まるで今の自分の心境のようだと思ってしまうあたり、もしかしたら自分が思っていた以上にここ最近の出来事に俺は疲れていたのかもしれない。
今朝も早い時間から逢花にたっぷりと水葉と共に扱いてもらったので肉体的疲労はあるにはあるのだが、皆と少しずつ強くなっていくのが実感できて、それが凄く楽しかった。なので、肉体的にはそれほど苦には感じていない。
だが、精神面は別である。
執行部のことを考えると悪い結果ばかりを想像してしまい気が重くなる。
御朱印集めを趣味にしている癖に俺は罰当たりなこととは思いつつも、拝殿の向拝所に置いてある賽銭箱の上に身体を乗っけて雲に閉ざされた夜空を見続けていた。
そんな時、近くから人の気配が――
「ナギトさん、こんな時間にどうかしたんですか? ……まさか賽銭箱のお金を狙って!?」
気配の主の顔を見るまでもなく、今や聞き慣れた声なので誰かわかった。
「これが賽銭箱の中を狙っているような動きに見える? 逢花」
「ふふ。見えませんね。ただ、水葉ちゃんに言えば怒られそうなぐらいに罰当たりかと」
「……それは勘弁してくれ」
賽銭箱の横……つまり俺の横に静かに並ぶ逢花。
「珠々香はもう雅のとこへ?」
「はい。水葉ちゃんが倉敷君の元へ連れて行ってくれて。今さっき帰ってきたところですよ。それと、弥夕にしばらくバイトに私も水葉ちゃんも入れないって連絡しにも行ってくれたようです」
浅間に店を構える川澄弥夕の不機嫌そうな顔が脳裏を掠める。
「……それはなんて言うか……水葉も災難だったな」
「それがそうでもなかったみたいですよ。水葉ちゃんも何か一言ぐらい言われる覚悟してたらしいですけど、特に追求も苦言も言われることなかったから肩透かし受けた気分だったって」
今、逢花が話した内容を脳内で想像しようとしてみたが、水葉をどうやって料理してやろうかと笑みを浮かべる川澄弥夕の姿しか思い浮かばなかったので、この件を考えることを俺は直ちに止めた。
「…………いよいよ明日ですね」
「……ああ……」
雅から昨日学校で聞いた、執行部が神名島にやって来ることも、その任務内容も俺は逢花と水葉に昨日のうちに知らせてある。
三人で話し合った結果、水葉が魔女ではないことと、その水葉を襲ったレンの暴走を止めるために俺が戦ったことを執行部にわかってもらうためにも、まずは話し合うことが大事だという結論に至った。これに失敗した場合は執行部との戦闘に発展することも承知の上だ。そして珠々香のことは執行部には絶対に知られてはならない。
いっそのこと島を出るという案も出るには出たのだが、貯金もろくにない学生の身で島を出たところですぐに生活に困ることになりそうだし、何より執行部は島を出たぐらいでは絶対に諦めない。いつまでも追手を差し向けてくるだろう。執行部がそういう存在であることを、つい最近まで同組織にいた俺には容易に想像できた。
もしも、それでも島を出ないといけない時がきたとすれば、それは執行部との話し合いに失敗し、戦いにも敗北してしまった時だろうか。
起こるかどうかも分からない最悪な結果になった時のことを今から考え気が滅入るよりも、今は俺たちにとってどうやってより良い方向に持っていくかを考える方が有意義だし、何より気休めかもしれないが気が楽だ。
もちろん楽観視してるわけではない。
けれど、今は少しでも明るい未来に向かって前を向いて歩きたい――
そういうことから昨日、雅から聞いて、俺が考えた案と同じ結論で話は纏まったのだった。
「それにしても、倉敷君までマジョカルだったなんて思いもしなかったです」
「雅はこの島の諜報活動を一手に担っているぐらいだから、相手に知られないようにすることに長けているんだと思うよ」
「どうりでナギトさんの時のように、すぐにわからなかったわけですね」
「ぐ……」
まさにぐうの音も出ないとはこのことだ……。
「ふふ。冗談ですよ♪ さ、水葉ちゃんも家で待ってますし、そろそろ戻りましょうか」
賽銭箱から跳ねるように飛び退く俺――
『チリーン――――』
鈴の音が聞こえた気がして俺は向拝所を振り向くが、けれど先ほどまでと何ら変わらないし、誰もいない。
「どうかしましたか?」
どうやら逢花にはさっきの鈴の音が聞こえていなかったらしい。そうなってくると俺の聞き違いという線が濃厚か?
何でもないと逢花に俺は首を横に振って答える。
その俺の様子が余程口で言うほど気にすることではないように見えなかったのか、逢花がちょこんと俺のすぐ横に並んだ。
なんだか、いつも一緒に歩く時より距離が近い。
不意のことだったので心が一瞬身構えてしまったが、決して嫌な気分などではなかった。
むしろ美人がすぐ横に居て、気恥ずかしいというのが正しい今の気持ちだ。
そんな俺のどぎまぎしてる気分は他所に――
「また難しそうな顔をしてましたよ? でも、無理もないですけどね」
と言って、ペロッとおちゃらけた感じに舌を少しだけ出して愛らしい姿を見せる逢花。
「何かあれば私も一緒に考えますし、必要であれば一緒に戦いもします。ですから、くれぐれも一人で抱え込まないでくださいね」
やんわりと、それでいて反論の許さない強い意思の篭った瞳に言葉。
どうやら知らず知らずの間に逢花に気を使わせてしまっていたらしい。
「大丈夫だよ。その時には存分に頼らせてもらうから」
「はい」
嬉しそうに満面の笑顔で返す逢花に、俺の中でちょっとした悪戯心が湧き上がる。
「じゃあ、早速頼らせてもらおうかな」
まさか、いきなり頼られるとは思いもしなかったのだろうか、銀髪少女の目がきょとんとしている。
「小腹が空いたし、軽いものでも食べたいんだけど、どこか案内してもらえると助かる」
もちろん、今から山を降りて、どこか食べに行こうと誘っているわけではない。というか、今から行っても、こんな田舎だと店が閉まるのも早く、今の時間は既に開いていないし、わざわざ山を降りてまで行きたくない。
しばし逢花は目をぱちくりさせた後、クスっと笑いを漏らした。
「でしたら一緒に台所まで案内しますね。学校の帰りしに買った、とっておきのプリンをご馳走します♪」
「おお! それは是非」
こうして俺たちは互いに横に並んだまま、他愛ない会話を交えて、神社境内の隅にある家へと向かって石畳を一歩一歩一緒に歩いて行く。
その最中、俺はふと思う。
さっきまで不安しかなかった、まるで今の雲に覆われた夜空のように暗かった俺の心……それがいつの間にか暗闇の中で最初はぼんやりと……気が付けば輝々と灯りを照らしていたことに。
その明かりを灯してくれたのは考えるまでもなく逢花だ。
俺一人では大変なことでも、逢花がいてくれたら……いや、水葉に珠々香、皆がいてくれたら困難なことでもどうにか乗り越えられるんじゃないかと思えてくる。
理由や理屈などではない。
ただの精神論での話。
けれど、今はそう思えることがなんとも心地良かった。