エピローグ 桜の木の下で
閉じた瞼の上からでも分かる陽の光を感じ、もう少し寝ておきたい衝動をなんとか抑え、薄っすらと目を開けると、これは既視感なのではないかと思うような、昨日の朝見たのとまったく同じ光景が見えた。
昨日と同じ木製造りの天井が見えることからして、ここは拝殿なのだろう。
そして、これもまた昨日の朝と同じように俺の頭の横で板張りの床の上に正座している巫女の姿があった。
唯一、昨日の光景と違うのは雨戸が開いており、そこから見える時期外れの遅れて咲いた桜が見えることだった。
風に吹かれ散った桜の花びらが時折拝殿にまで入ってくる。
「……水葉ちゃん、起きたらちゃ~んと言うのよ?」
「もう! 何度も同じこと言わないでよ! わかってるわ」
人が寝ていると言うのに側で会話しているところまで昨日と一緒かと思い、もう少し寝たフリして聞いておきたかったのだが、昨日はそれで失敗したので素直に起きることにする。
「あ、おはようございます。瑞原さん」
「ん、おはよう」
「お、お……おはよう……」
三者三様の挨拶をするが、どことなく巫女様の様子がおかしい気がする。
顔を真っ赤にし、こちらを向こうとしない。
逢花さんが親友の横腹を早く早くと急かすように肘で小突くが、俺にはさっぱり見当もつかないのだが。
上半身を起こし二人のやり取りを待つことにした俺だったが、いつまでも会話が先に進まないので、先にこちらの疑問を解決させてもらうことにした。
「あれから俺、気を失ったみたいだけど、レンはどうなった?」
「あんなやつ縛って警察署の前にポイっよ!」
最後にふんっ! っとでも言いそうな勢いで巫女様のご機嫌は斜めのようだ。……まぁ、あんなことがあったのだから当たり前なのだが。
「警察がどうこうできるとは思えませんけど、マジョカルの目が少しでも和らいだらと思いまして」
「なるほど。手を下して下手に組織を刺激するよりは、レンを無事に帰すことでこちら側に敵対の意思は無いと思わせるわけか」
逢花さんの言葉に俺は素直に感心した。確かにそれならば、二人を危険分子として見られることは回避できるかもしれない。少なくとも当分は様子見で収まると思う。楽観的な考え方かもしれないが、今ぐらいはそう思いたい。
おそらくは逢花さんの考えだったんだろう。
なぜなら――――
「あいつらがまたやってきても返り討ちにしてやればいいだけよ!」
これである。
なんて言って良いのか苦笑するしかなく、彼女たちを見ていると、ふと、音羽水葉の首にかけられている翡翠のペンダントが目に入った。
それに気付いた逢花さんと、何気なしに逢花さんを見た俺の視線とが重なる。俺が何を言いたいのか分かったらしく、ゆっくりと一度首を縦に落とした。
「魔女が表に出てた時の記憶はまったくなかったようです」
「……逢花に全て聞いたわ。このペンダントが事の発端だったなんてね……」
ペンダントを首元から取り出し、それをどこか寂しそうな目で眺める黒髪の巫女。
「え~と……音羽さん? それにはもう魔女はいなくなったわけだし、今までみたいに大事にしてやっても良いと思うよ。大切な品なんだしさ」
少しびっくりしたように目を大きく広げた音羽水葉は、次にペンダントを両手で包み込む。
「……うん。……ありがと」
小声で言った。
そんな巫女の姿を微笑ましく親友が見守る。
逢花さんの親友だけにこの子も本当は優しい子なのかもしれないな。…………だいぶ素直ではないようだが。
「ところで薙斗! ……私のこと、最初から知ってたんじゃないの?」
突然、こっちに話しかけてきたことよりも、名前で呼ばれたことに驚く俺。
「なんでそんなこと思って……」
「さっき、あなた『音羽』って、私のこと呼んだわ。逢花だったら私のこと下の名前でしか呼ばないはずだし、私もまだあなたに名乗ったことないわ」
またなんか既視感でも起きているのかな……昨日も似たようなことがあったような。
「……逢花、教えた?」
ふるふるふるっ。
首を左右に振る度に一緒に長い銀色の髪が踊る。
「私の家って名札に姓は載せてないのよね。……名と神社名だけ」
そんなやり取りを昨日もしたなぁと思っていると、同じようなことを考えていたのか逢花さんと目が合い、俺たちは苦笑した。
「ああ……悪いけど君を調査するために俺たちはもともとこの島に来たんだ。だから…………」
「ちょっと待って!! じゃあ、あなた! 私が水浴びしてたのも最初から私だと知ってて覗いたってこと!?」
「い、いや! その、なんだ! こちらにもいろいろ事情があってだな!!」
「なによ! せっかく助けてもらったお礼を言おうと頑張ってたのに、それを…………!!」
「ん? お礼を言うのに何を頑張る必要が……」
両肩をわなわなさせ始めている。
こういう時、危険なことを俺は学習して知っている。
「うるさい!! うるさい!! うるさ――――――い!!」
と言って、ぶうん! っと音が鳴りそうなぐらい勢いよく掌が頬に迫ってきた。
反射的に両目を瞑ってしまった俺だが、いつまで経っても叩かれることがなく、手が頬に添えられただけだった。拍子抜けした面持ちで何事かと閉じていた目を開ける。
「水葉でいいわ……」
「え?」
顔を真っ赤にしながら俯いている黒髪の少女。
「私の呼び方よ……その……」
恥ずかしさのあまりか俺の目を見て言うこともできず、さらに言い難そうにしながら。
「昨日は助けてくれて……ありがとう」
初々しい彼女の姿に、こちらもついつい微笑ましくなる。
それに気付いた彼女は恥ずかしさが我慢の限界に達したのか、俺の頬から手を離して、また顔をプイっと横に逸らした。
表情が目まぐるしく変わって、見ていてなかなか面白い。
……などと言ったら、また怒られるんだろうなぁ。
さっきまで親友を優しい目で見ていた逢花とまた目が合った。
「瑞原さん、あなたがいなかったら、きっとここまで上手くいかなかったでしょう。助けてくれて、ありがとうございました」
律儀に三つ指を立てて座礼する逢花さん。
「いや、魔女のことはほとんど逢花さん一人でなんとかしたし、俺はほんの少し手を貸したに過ぎないよ。……レンのことは同じマジョカルだった俺の問題だしさ」
『だった』
過去形なのは、俺がマジョカルを抜けたつもりだったからだ。
気持ちはそうなのだが、実際は組織に伝えるまではそうなってはいないはずである。
まぁ、レンが組織に戻ったなら報告するだろうし、そうなれば、魔女扱いされた仙女に味方した俺は確実に追放のはずだ。
「これからどうなさるのですか? マジョカルに戻ることはおそらくもうできないでしょうし……」
「ああ。それなんだけどさ」
逢花さんの手助けをしようと決めた時から、俺は考えていた今後の指針を口にする。
「逢花さんが良かったらなんだけど、しばらく一緒に行動させてもらえないかなぁと思って」
それを聞いて、銀と黒の少女は互いに顔を向け合ってキョトンとした顔で見つめ合う。
「あ~、もちろん、ずっとってわけじゃなくて……」
「はい。喜んで♪」
「え? その……自分から言い出しておいてなんだけど、そんなに簡単に決めて良いの?」
あまりにもあっさりと銀髪の少女が応じたので、逆に俺の方が驚いてしまった。
「実は瑞原さんが休んでいる間に、同じようなことを水葉ちゃんと話してたんです。ね、水葉ちゃん♪」
「……あんたがマジョカルを抜ける切っ掛けを作ってしまったのは私たちな訳だし……仕方なく! うちの神社であんたを預かろうかって逢花と決めたのよ。そう! 仕方なくだからね!」
なんと。
俺としては山の近くで家を借り、ここに度々足を運ばせてもらうつもりだったのだが、思いもかけぬ二人の申し出に俺はどう言って良いか正直迷ってしまった。
もちろん不満がある訳ではなく、むしろ俺にとっては大いに歓迎すべき話である。
「……その……本当に良いのかな?」
恐る恐る俺は尋ねた。
「マジョカルの方たちと敵対するようなことを私たちはするつもりはないのですが、もしかしたら、また今回のようなことが起きないとも限りませんし、瑞原さんがいてくれたら頼りになりますから」
「あんただって、下手したらマジョカルに追われる可能性だってあるんだから、私たちといた方が一人でいるよりは安心でしょ?」
どうやら二人も俺と同じことを考えていたようだ。俺がこの神社に通おうと思ったのも不測の事態に備えるためなのだから。
ここでなら彼女の忘れ形見である逢花さんを守ることができる――――
「そうだな。ありがたく、お言葉に甘えさせてもらうよ」
「た・だ・し!」
顔をこちらに突き出すように水葉は眉間に皺を寄せて口を開いた。
「えっちなことはぜ――ったいに許さないんだからね!」
「しないよ!」
それにはさすがに間髪入れず抗議した。
「ふふ。……じゃあ」
と言って、何を思ったのか雨戸から拝殿の外に見える御神木である桜の木の下に逢花さんは歩き出した。
そして右手を拝殿内にいる俺と親友に向かって差し出す。
交互に俺と巫女少女と視線を交わす逢花さん。
何のことだろうと俺が思案してると、さすがに親友の方は付き合いが長いだけあって逢花さんの意図に気付いたようだ。
「もう! ……逢花ったら」
言葉ほどに嫌な表情ではなく、むしろ笑顔を浮かべて親友のいる方へと、黒髪の少女も同じように歩いて行く。
「この桜の木はね、神様の依り代となる神籬なのよ」
「神籬?」
「要するに神様が地上に降り立つ時にお迎えする依り代のことよ」
この手のことに疎い俺に、月之杜神社の管理者らしく黒髪の巫女が説明する。
それに銀髪の巫女も続く。
「神様に見てもらいましょう」
逢花さんの右手の甲の上に自分も右手を差し出して重ねる親友。
なるほど。
そこまで言われれば、さすがに俺も気付いた。
二人と同じように俺も桜舞う桜の大木の下へと向かう。
二人に倣って右手を差し出し、黒髪の少女の手の甲の上に重ねた。
三人が三人それぞれの顔を見比べる。
「瑞原さん、これからよろしくお願いします。私のことは呼び捨てで構いませんので。水葉ちゃんもよろしくね」
「ええ、よろしく。……あなたは足引っ張ったら承知しないんだからね。あとさっきも言ったけど特別に私のことも名前で良いわよ」
「名前って?」
「『水葉』よ、み・ず・は!」
ああ、っと我ながらの鈍感さに俺は苦笑した。
「はは……じゃあ、俺のことも『薙斗』で良いよ」
「はい、ナギトさん♪」
「わかったわ、『ナギ』」
「ナギ?」
俺と逢花は二人して何事かと顔を見合わせた。
「な、なによ! 悪い? 全部言うのが面倒だから少しでも省略しただけよ! なんなら『ナ』や『ギ』でも良いのよ!」
顔を真っ赤にして子供みたいなことを言い出す水葉に俺も逢花も笑いそうになるのを必死に堪えた。ここでそうしてしまうと水葉の怒りを買うことになるのでしないが。
「……じゃあ、最初のやつでお願いします」
「……ふん、だ」
本気で怒っているわけではないことは逢花でなくとも、付き合いのほとんどない俺でも分かる。
別段これがイヤというわけではない。むしろこれが彼女の魅力なのだと思った。
恥ずかしがり屋で今みたいにすぐ顔を赤くする、俺と同じように異性との会話がちょっと苦手そうな、短気な水葉。
普段は落ち着いた物腰の中に時折女の子らしくお茶目な一面を見せる、マジョカルにも魔女にも恐れられる存在でありながら、とても優しく、友達思いの逢花。
性格はまったく異なる二人だが、それでも俺は不思議と二人がよく似た者同士のように思え、そんな彼女らに親近感を覚えていた。
「二人ともよろしく」
その時、強い風が一吹きし、三人の間を通り過ぎた。
「わぁ……キレイ……」
まるで俺たちを歓迎してるかのように、軽い桜吹雪が起き、淡い桃色の花びらが美しく宙を舞う。
「こういうのも良いかもね」
「ああ……」
幻想的なものさえ感じさせる美しくも気品を感じる桃色の世界に包まれた俺たちは心奪われていた。
後になって知ったことだが、桜の花言葉は『心の美しさ』『精神の美』だそうである。
この桜に負けないような……花言葉に恥じない人間になろう。
あっという間に咲き、あっという間に散ってゆく――
その儚くも情緒豊かな鮮やかな今日のこの桜の姿を俺たちはきっと忘れないだろう。
そして来年も、再来年も……これから先、桜が咲く時期が来る度にきっと思い出す。
今日という日を――――――
マジョカル×魔女×巫女
↓
マジョカル×魔女×巫女×仙女
マジョカル×魔女×巫女 ~まじょカル~ 完