第十八話 夜空にかけられた魔法
「ん……う、ううん……」
「水葉ちゃん! 大丈夫? 身体どこか痛いとこない?」
「……ん。あれ……逢花? …………頭がボーっとするけど別に痛いところは……」
逢花はそっと瞼を閉じた。
水葉を助ける方法を探し続け大変だった一年間……これまでのことが頭の中に思い浮かぶ。
(本当に…………本当に……無事で良かった)
親友の顔をしっかり見ようと思い瞼を上げるが、嬉しいはずなのに瞳が潤み視界がボヤけて見えていた。
「……水葉ちゃん、おかえりなさい」
「ん……ただいま。なんだか、逢花と会うの久しぶりな気がする。……学校で会ってたのに、そんなはずないのにね」
逢花の涙に釣られてか、水葉まで目頭が熱くなったみたいで小粒の水滴が目から零れ落ちる。
「私ね……夢の中で逢花が何度も私の名前を呼ぶのが聞こえてたの。そっちに行っちゃダメだよぉって。……何があったのか分からないけど……私はここにいるから。……だから、もう泣かないで。ね」
「うん……うん、うん」
もう限界だった。
堪える涙を止めておくことはこれ以上無理だと思った逢花は、それならばと自由にさせることに。
途端、目から涙が筋を作り始めた。
逢花は何度も頷きながら、およそ十年来の親友と泣きながら抱き締め合う。
そんな二人の姿に、薙斗は自分まで気持ちが温かくなるのを感じていた………………のだが、温かな時間はそう長くは続かなかった。
「ちょうど良いところに来たみたいですねぇ」
場にいた全員が、突如聞こえた歓迎せぬ来場者へと振り向いた。
声の主が誰なのか俺には振り向くまでもなくわかった。
予想通りなら、おそらく最悪の事態になるだろうことまでも…………。
方向からして出入り口となる大鳥居から来た歓迎せざる客が俺たちに近づいてくる。
「……レンさん」
大鎌武器『ハルパー』を左手一本で持つ緑髪の青年。
左目と右肘から下は先の戦いで失われたままで包帯が巻かれており、昨日会った時とはまるで別人のよう。
ただし、それは外見だけで、残る右目から発せられる何を考えているのか分からない不気味な視線は間違いなく、俺の知るレンそのものと言えた。
「さすがは瑞原君。これほどの力を持った魔女二人を相手に、ここまで善戦してくれていたとは思いもしませんでした」
不味いな…………レンはマジョカルとしての任務を遂行する気だ。
「待ってくれ、レンさん! 彼女らは違うんだ!」
「違う? 何がどう違うのです?」
「俺たちのターゲットだった音羽水葉だけど、彼女は魔女じゃない。彼女に潜んでいた魔女はもう俺たちが倒した。今の彼女はただの巫女でしかない!」
マジョカルたちの話の話題の中心になっている二人は、俺たちの成り行きを黙って静観している。
「……ただの……ですか」
「そうだ! そして彼女もまた魔女じゃない! 仙女だ! 魔女を倒すのに協力してくれた。二人とも敵じゃないんだよ、レンさん」
訝しむように少女二人を見た後、レンはいつもの口調でこう言う。
「私をこんな姿にしたその娘……今は中身が違うんでしたっけ? その巫女は『ただの』じゃありませんよ、瑞原君。退魔巫女です。そして仙女共々霊力を有していますね~……」
「それがなんだって言うんだ!?」
「忘れたのですか? 巫女であろうと仙女であろうと怪しき術を使う者は魔女と同義だと組織で教わったはずですが」
「俺たちマジョカルは人々に災いをもたらす存在を狩るための組織のはずだ! 彼女たちにはその危険性がない。むしろ、この島の人たちを守ってくれさえすると思う」
これまでのレンの言動を省みて、俺は嫌な予感がしてならなかった。
彼は誰かを守るためとか、自分の正義のためとか、そんな理由で戦っているのではない。
おそらく彼は…………
「個人の性質を問わず、ただ巫女だから仙女だからダメっていうような括り方なんかじゃ、まるで当時の魔女狩りそのものじゃないか!!」
「…………なるほど……それが瑞原君の考えですか」
固唾を呑んで俺たちのやり取りを見守っている逢花さんと音羽水葉。
言う俺も、言い知れぬ不安を胸に抱いていた。
「ですが、それがどうしたと言うのです?」
「!!」
やっぱりな…………
「私はね、瑞原君……この任務を自分で選んで受けたのですよ。日本というのは世界から見たら、なかなか変わった文化を歴史に刻んできてましてね」
普段はあまり開いていないレンの細目がここぞとばかり見開く。
「……一度、巫女というものを狩りたいと思っていたのですよ。それが仙女という超レアなものまで狩れるという、しかも、あの『剣撃の巫女』を! なんて素晴らしいことか」
もう隠す必要なし、とでも言いたいのか、レンは邪悪な表情を俺たちに向けた。
おそらく俺たちに気付かれないところで逢花さんと魔女の戦いを見ていたのかもしれない。そして彼女が噂の『剣撃』であることを知った。…………その戦いで消耗していることも。
「あんた、確か剣撃の巫女とは戦わないんじゃなかったっけ?」
「……ええ。出来ればゴメンですね。…………ただし、それは万全の彼女だったらですが」
嫌な目だ…………。
戦いに卑怯だのどうこう言うつもりはない。
俺たちのやっていることは所詮殺し合いだ……綺麗事の通じる世界でもないことは俺にだってわかる。
だが、それは力を持つ者に対してのみ行うべきだ。
すでに傷ついていたり、戦う力のない者にまで当てはめて良いものではない。
そんなこと認めれば、それはただの殺戮に過ぎない。
戦いの矜持というわけではないが、殺し合いにも最低限のルールはあると俺は信じている。
「どうかしてるぞ……あんた」
「そうですか? 私はこれでけっこう自分を気に入っているのですがねぇ」
「ちょ! 逢花!」
肩膝を地面について立ち上がろうとしている逢花さんを、黒髪の巫女が支えていた。
さっきの『新緑の魔女』との戦闘では左程消耗している姿は見れなかったのに、どうやら音羽水葉の心を肉体に戻す時に使った力が相当堪えていたらしい。
親友が助かったことで緊張の糸が切れたのだろうが、一度切れた糸はそうすぐには戻らないだろう。
「水葉ちゃん、それに瑞原さん……どこか安全なところへ。ここは私が戦います」
「ダメよ、逢花! そんな身体で……」
本来の逢花さんの力ならば疑いようなくレンを圧倒するはずだ。
しかし、今の彼女は魔女を弱らすために敢えて時間をかけて戦ったうえに、本人は口にはしていないが魔女を封じるための儀式でも多大な霊力……仙力を消費している。
いくら、レンが片腕片目を失っているとはいえ、勝算もなしにこんなとこまで来るとは思えないのだ。
レンはこの時を待っていたんだ…………彼女を確実に仕留めれる機会を。
音羽水葉に至ってもそうだ。
手加減していたとはいえ魔女が身体を乗っ取っていた間、肉体的にも精神的にもダメージがあるはずだ。
彼女は元々退魔巫女。
人外のものを相手にするのは得意かもしれないが、対人戦は期待できないんじゃないか?
――――となると、俺の取るべき行動は決まった。
二人の少女とレンの間に立ち阻む俺。
「……マジョカルを辞めたいのですか?」
「ふむ…………」
まぁ、当然そうなるよなぁ……。
マジョカルが魔女の味方をするということは、ただ組織を抜けるのとは訳が違う。マジョカルの敵になるということだ。
追う側から自分も追われる側へとなるということ。
一瞬だが意識が逸れた俺の隙をレンが見逃す訳もなく、大鎌の棒部分で横に払われた俺は吹き飛ばされた。
「く…………!」
レンに受けたダメージはそれほどでもなかったが、それ以上に俺の横をレンが通り過ぎて行ったことの方が痛かった。
「戦いたくないと言うのであれば構いません。ただし、私の邪魔はくれぐれもしないように」
言い終えるや否や、レンは大鎌を回転させて二人の方へ投げ飛ばす。
「つっ」
向かってきた大鎌から逃れるために逢花さんは親友を突き飛ばし、自らも反対側に飛び避けた。
その動きを読んでいたらしいレンがすぐさま巫女に向かって行った。
「う……」
「水葉ちゃん!」
首を掴まれてしまった音羽水葉。
「おおっと、動かないでください。動けば、この子の命は……わかりますよね?」
悔しさから下唇をギュッと噛む逢花さんの姿でも想像していたのか、邪な笑みを銀髪の少女に向けるレン。
「本当なら、じっくり切り刻んで楽しみたいところなのですが、あなたに近付くのはさすがに危険そうなのですぐに終わらせてあげますよ」
地面に突き刺さったままの自分の投げた大鎌を見てレンは言った。
「それで自分を傷つけてください。私によく見えるように。なぁに、言うとおりにしてくれれば、この子だけは助けてあげます」
「…………約束ですよ」
「その表情たまりませんねぇ。その顔が見たくて今回の任務を引き受けたようなものですから。ああ……前の任務を思い出します……。前もこんな感じで素晴らしいものでしたが、あなたはさらに良い!」
「戦って……!! 逢花!!」
「ええ…………約束です」
しかし、レンの思惑とは違ってすぐに少女の顔は驚きの表情に変わった。
何に対して驚いているのか、すぐにわかった。
「……あんた、喋り過ぎだよ……レンさん」
「ぐ…………!」
俺に強く手首を掴まれたレンは痛みで巫女を離す。
「あなたは…………?」
黒髪の少女も同様に驚いているみたいだ。そんな彼女に俺はなるべく優しく声をかけた。
「立てるか? 動けるなら悪いんだけど逢花さんの側にいてやってもらえるかな?」
「……うん」
解放された巫女は、その場にへたり込んで咽せていたが、自分を心配して向かってくる親友の姿が目に入ると、すぐさま親友の元に走り出した。
「……どういうつもりですか? 瑞原君…………」
「悪いな。元々俺はマジョカルで居続けることに執着なんてないんだ……特に今はな」
本心からの言葉。
マジョカルになりたかったのは、そもそも当時『天使』と思っていた自分を助けてくれた魔女を探すのに、マジョカルになるのが一番近道だと思ったからだ。
生活は金銭的に確かに楽になるが、志なくして危険を冒す理由が俺には既に無い。
いや、一つだけあったか。
「あんた、さっき前の任務を思い出すとか言ってたよな。あんたの前の任務は確か魔女を二人同時に倒したとかっていう話のはずだ」
予想していた胸糞の悪くなる結論に至った俺は二人に聞かせるように喋りだした。
「前の任務でも、もしかして今みたいに人質を取って魔女を殺害したんじゃないのか? ……弱っている方を人質にして…………そして、約束は守られることなく人質になった方も……」
「…………どうしてそう思うのです?」
「『新緑の魔女』一人にやられたあんたが魔女二人を同時に相手にするなんて無理だ。例え魔女によって強さが様々だとしても。しかも、魔女二人を相手にその苦しむ姿を見る余裕があったとも思えない」
「ルーキーのくせになかなか失礼なことを言いますね…………けど、意外と鋭かったんですね、瑞原君」
「そんな!! それじゃあ……」
「ああ……。最初から約束を守る気なんてなかったんだ」
二人の少女の軽蔑と怒りの篭った視線がレンに向けられる。
当の本人は蚊に刺されるほどにも気にしていない様子だが。
「そろそろ手を離してもらえますかね?」
しかし、俺は手を離すどころか、思いっきり握っている手に力を込めた。レンの腕を潰さんとするように。
「くっ!……マジョカルが魔女を守るなんて前代未聞ですよ!? 瑞原君、君はマジョカルを敵に回すつもりですか!?」
「……魔女だというだけで暴力を正当化するような、こんなやり方が罷り通るぐらいなら……俺は喜んであんたらの敵になるさ!」
「…………良いでしょう。上には瑞原君は魔女に唆されて離反したと伝えておきましょう」
俺に握られていた腕をレンは強引に振り払い自由を得ると、地面に突き刺さったままの大鎌のある方へ常人の域を遥かに超える跳躍力を見せて取りに向かった。
あれがレンのマジョカルとして培った能力の一端なのかもしれない。
「……私も随分と舐められたものですね。仮免状態のマジョカル相手に正式マジョカルがここまで馬鹿にされたのは始めてですよ」
大鎌の棒状の部分を手にし、構えるレン。
俺はその動きを注意深く目で追った。
まだ俺との距離が離れているにも関わらず、レンは鎌を大きく振りかぶり、そして俺に向かって振り下ろした。
大鎌の刃と同じぐらいの大きさの真空の刃が遠距離攻撃となって俺を襲う。
「ほう……寸前で避けましたか」
服の端を掠めていたらしくスッパリと服の一部が切断されていた。当たれば真っ二つになることは容易に想像できる。
まさに一撃必殺と言えるだろう。
「これならどうです?」
攻撃された時に悪い予感はしていたのだが、レンは一撃必殺の刃を無数に生み出した。
やはり……
命中すれば終わりにさせられるほどの威力があろうと、それがいくつもあろうと、そんなものは当たらなければどうということはない。
幸い武器の特性でどうしても振りが大きくなる分、距離さえ開いていれば連射されようが避けるのはそう難しくはない。
そして一度間合いに入りさえすれば、長柄武器にありがちな近接攻撃のやりづらさから攻撃力は半減となる。
逆にその長さから中距離には強いのでそれは避けたい。
俺にはレンのような遠距離攻撃はできないので、取るべき手段は自ずと決まっている。
大鎌を振り終えた瞬間を狙って【閃瞬】で一気にレンとの距離を詰めた。
あとは目の前にいる緑髪の男に一撃をぶち込む!
――はずだったのだが、視界の下側から動く影が見えた。
「ぐっ……」
膝蹴りをまともに腹にもらって前屈みになる俺。
「自分の扱う獲物の弱点を知らないわけがないでしょう。当然対策はしてますよ」
刃のない鎌下の先端部分でさらに突かれ、レンと距離を離されてしまう。
この距離は長柄武器が最も真価を発揮する範囲だ。
「さよならです」
ヤバイ――――
大鎌『ハルパー』の間合いによる真空刃。
これを無傷でやり過ごすことは不可能だ!
このままでは…………
…………前にもこんなことがあったような……
いや、もう昔のことか。
父も母も姿が見えず、瞳に映るのは燃え盛る炎のみ。
その非日常に俺は恐怖した。
この世に生を受けて大して歳経たぬ少年だった俺が生まれて初めて生きたいと思った時。
そうだ――――
あの時、俺は『願った』んだ。
生きたいと――――
ただただ純粋にそれだけをどこまでも星が見える夜空に『願い』を込めた。
――――すると彼女が現われた。
――――まるで魔法のように――――――
俺は崩された姿勢のまま【閃瞬】で回避を試みる。
冷静に刃の軌道を見極め、ギリギリの動きで無傷とは言わないまでも避けることに成功した。
腹から胸の辺りを右から左へ痛みと共に熱い感覚が襲ったが、今は足を止めている暇はない。
レンは右腕を失っている。そこが付け入るチャンスだ。
経験豊富なレンとはいえ、絶対の攻撃で仕留め損ない動揺が生まれていたに違いない。
右側から俺は瞬時に俺の間合いに入ることができた。
右腕を失っているために左腕で対応せねばならず、その僅かな遅れを俺は見逃さない。時間にすれば一秒程度のことでも、戦闘中の一秒は勝負を決めるのに十分に足る時間だ。
しかし――――
自らの武器を拾う時に見せた驚異的な跳躍力を持って、レンは夜空に跳び上がり、この危機から逃れた。
「やはり君の能力は、己の肉体を一時的に強化するものでしたか。ですが、ネタさえ分かっていればどうとでも…………な!!」
レンが驚いた。
ここは地面から優に十五メートルは離れているのだ。こんな高さまでレン以外の人間が普通飛んでこれるわけがない。
そう、普通は――――
なのに、瑞原薙斗はそこにいた。
横の動きにのみ注意を払っていたらしく、自分並に縦の動きができるとは思いもしなかったに違いない。
これはレン・オルティブの失念である。
「あんたのさっきのセリフじゃないけど、ネタさえわかっていればどうとでもなる」
武器を取りに行く時に無闇にレンは能力の一端を見せるべきではなかった。あの時見せた跳躍力が今の状況を俺に前もって想像させていたのだから。
そして、本来ならば制空権を得たレンはそこから真空の刃を一方的に放つつもりだったのだろう。
「おおおおおおおおっ――――――――!!!!!!」
レンの顔面に拳がクリーンヒット!!
物凄い勢いで地面に向かってレンを叩き付けた。
マンション五階相当の高さから勢いよく地面に落ち無事に済むわけもなく、頭から落ちたレンの周囲は陥没を起こすほどの衝撃があり、生きてはいるもののレンは完全に意識を失ったようだ。
重力に逆らうこともできず、成るようにして俺も落下していく。
【閃瞬】で足を強化しているので、足から地面に着地できれば少し痛いかもしれないが、これぐらいの高さならおそらく大丈夫だろう。
落下最中に逢花さんと音羽水葉の姿を確認した。
二人ともお互いを支えあって立ち、その顔には笑顔を浮かべ俺を出迎えてくれていた。
願い――――――
それは魔法と似て異なるものだと今まで思っていたが、魔法そのものではないかと俺は考えを改めないといけないと思った。
人の願いが力となり具現化したものが魔法である。
そこに『魔法』と『願い』に差などあるのだろうか?
子供の頃、願った『生きたい』という魔法は、俺が『天使』と呼んでいた逢花さんの母のおかげで叶えて貰えた。
それが魔法なら俺はまだ代価を払っていないことになる。
魔法を使う代償が魔力を消費することならば、願いを叶える代償とは何なのか?
腹いっぱい食べたい。
大金持ちになりたい。
好きな人に振り向いて欲しい。
長生きしたい。
内容は違えど、これら全ては願いである。そしてこれらの願いを叶える方法も願いにより様々だろう。
ならば、俺が叶えて貰った願いに合った代償とは――――
叶えて貰った願いが大き過ぎて、正直見合うものなんてあるのかわからなかったが、俺は今までどおり彼女のようになろうと思う。
彼女が俺にそうしてくれたように、俺も彼女を助けたいと思っていた。
今はもう彼女はいなくなったが、彼女の娘に代価を払うこととしよう。
幸せそうな二人の顔を見てると自分のやったことは間違いなんかじゃなかったと強く意識することができた。
あの人にもう会うことはできないが、マジョカルとして厳しい訓練に耐えてきたことはどうやら無駄にせずに済んだようだ。
もっとも、マジョカルを抜けて、これからが大変になるんだろうけど、今はこの勝利を素直に喜びたい。
「よっ、と……」
右足から地面に着地するが、足の踏ん張りが聞かず上半身が前にのめり込む。
ぼふっ。
柔らかいクッションの中に顔を埋めるような感覚が両頬を挟み込んだ。
「大丈夫ですか?」
こけそうになった俺を逢花さんが正面から受け止めてくれたようだ。
豊かな胸の感触がすぐ間近から感じる。
「ごめん! 今すぐ起きるから……!」
ところが足に力がまるで入らず立ち上がることができない。
「あ、あれ? その……ごめん。足に力が入らなくて……。どうも力を使い過ぎたみたいでしばらく動けないかも……」
自分でも分かるぐらい顔を赤面している俺の頭を、大事なものが壊れないように逢花さんはそっと両手で自分の胸に押し付けるようにして抱き寄せた。
「そのままで良いですよ」
逢花はそう言ってくれるが、俺としてはこの恥ずかし過ぎる状況から一刻も早く抜け出したく抵抗したいのだが、どうやら身体が言うことを聞いてくれそうにない。
諦めて目の前の少女に身を委ねることにした俺は、鼻先に女の子らしい良い匂いを遅ればせながら感じ、胸の柔らかい感触も相まって、まるで酔ったかのように顔がクラクラしてくる。
でも、この匂い……どこか懐かしい気が。
当たり前だが、彼女の胸に飛び込んだことなど今の今まで一度だってない。
(ああ、そうか……。本当にあの人の子供だったんだな)
別に疑っていたわけじゃなかったのだが、言葉で聞いただけだったのでこれまでは実感がなかった。
幼少時、事故で瀕死だった俺を今の逢花さんのように抱きかかえてくれ、あの人からも同じ匂いと温もりを感じていたことを思い出す。
あの人の魂は娘である彼女に受け継がれているのかもしれない――――
意識が暗闇の中に沈んでいく中、俺は心の底からそう思うのだった。




