1-1『目覚めると洞窟』
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キィンッ、キンと、甲高い音が頭の奥まで響いてくる。鉄琴を出鱈目に打ち鳴らされているような甲高い音が、耳の奥に鋭く食い込んでくる。
──うるさい。
鋭く乾いた響きが、容赦なく脳の奥を引っ掻きまわしてくるような不快感に、我慢の限界を感じる。
どうやら眠っていたらしい。
まだ目は開けられないが、意識の表層を震わせる金属音が絶え間なく続き、覚醒を促してくる。空気を裂くような音が鳴るたびに、頭の中にかかっていた霞は無遠慮に払われていった。
頭は少しずつはっきりしていくが、いつどこで眠ってしまっていたのか、思い出せないことに不安も募る。
恐る恐る、ゆっくりと瞼を持ち上げると、思っていたよりも地面が遠いことに驚き、自分が立ったまま眠っていたのだと理解するのに、幾ばくかの時を要した。
辺りは明滅を繰り返す赤い光に薄っすら照らされている。視線を前に向けると、目の前に水晶が浮かんでいた。それが鼓動するかのように、規則正しく、赤く瞬いている。まるで、血に濡れているかのような艶を放ち、奥の方にネコの瞳のような模様が見える。
水晶に照らされて見える範囲には、ゴツゴツした地面しかない。それより先は暗くてよく見えなかったが、劈くような金属音は、その闇から響いてくる。
──ここは……どこだ?
呟いたつもりだったが、声は出なかった。
先ほどまでぼんやりとしていた頭は、少しずつ働くようになってきたが、まだ思い出せない。朧げな記憶と、動かそうとしても反応しない手足に、不安は増すばかりだ。
──笑え。
俺は誰だ?
江頭えがお。どんな辛い人生でも笑えるようにと、母が名付けた。辛い人生が前提かよと、笑って話せていた頃が懐かしい。思い出すと、僅かに気持ちが軽くなった気がした。
強がりで良い。無理矢理にでも口の端を持ち上げて、笑顔を作れば気持ちも多少は上向きになるというものだ。
ニヤリと笑って、これが金縛りというものだろうと、冷静を装うように自分の状況を整理する。
実際に体験するのは初めてだが、金縛りなら無理に動こうとはせずに、自分が起きたことを体と脳が認識するまで、待てば良い。慌ててはいけない。昔読んだ本に、そう書いてあった気がする。まだ、記憶がはっきりしないし、そんな本、いつ読んだのか……。
眠る前のことを思い出そうとすると、キンキンと響いてくる音が邪魔をする。頭痛までしてきた。痛みに耐えるように、そっと視界を閉ざすと、酒ビンを振り下ろす男の姿が脳裏をよぎる。
──あぁ、少しだけ思い出してきた。
あの男に殴られて、気を失ったのだろうか。
前時代の不良みたいな格好を好む、動物園の猿ほどの知能しか持たない、母の再婚相手に。
見た目ゴリラ。酒癖が悪く、酔うとちょっとしたことに腹を立てては、唾を撒き散らしながら暴力を振るう。いつしか母は、祖父の遺した実家にも帰ってこなくなった。
単純な暴力に抗えるほどの力はまだないが、数年以内には必ず、追い出してみせる。殴られている間は、いつもその方法を考えて、やり過ごしていた。知らず口の端が吊り上がってしまい、そのせいでさらに殴られたりもしたが。
思い出すと不安は苛立ちに変わり、それに伴い冷めた感情が頭を冷やす。心のどこかに、黒くて重たい何かが落ちてきて、満たしていく。それをどのように表現したら良いのかは知らないが、ただ、その時が来た時、義父はどのような顔を見せてくれるのだろう……。自然と口角が上がる。
ふと、辺りを照らす水晶の赤い明滅が強く、濃厚さを増しているのに気付く。金属音に混ざり、時折ゴウッ、と強い風の音がする。怒号のような叫びも近づいてくる。
「理想を解せぬ愚者が。煩わしい!」
「魔神の顕現なんて話の、どこに魅力を感じたらいいのさ!」
暗がりから二つの影が躍り出てきた。黒いローブを纏った男と銀色の軽鎧を身につけた女性。2人の持つ錫杖と細剣がぶつかる度に、体を突き抜けるような金属音が打ち鳴らされる。
女性の身体が一瞬沈み、天井に届くような跳躍から渾身の一撃を振るう。が、男の錫杖に受け止められた。錫杖から黒い煙が爆ぜるように広がり、女性を闇の奥へ吹き飛ばす。
男が息を切らしながら何か呟くと、辺りを漂っていた黒煙が集まり、いくつかの鬼火に姿を変えた。その青紫色の灯に照らされて、暗がりの奥まで見えてきた。いや、見えてしまった。
天井から伸びる鍾乳石から、ポタリ、ポタリと滴る水滴の先。人の胸の辺りまであるような石筍が十数本も地面から伸びている。その突起の先の全てに、モズの早贄よろしく、人影が突き刺さっていた。
酷い。
先ほど吹き飛ばされた鎧の女性は、石筍の根元で立ちあがろうとしている。
「さっさと動け! この愚図が!」
錫杖の杖頭部をこちらに向けて男が怒鳴る。金と銀、蒼と緋、黒と白が2つずつ、計12個の遊環がジャリンと音を立てる。派手な遊環の中央には、大きな宝玉が嵌っていて、こちらも青紫色の光を放っている。
「させないよ! そいつを眠らせるのに、何人犠牲にしたと思ってるんだ」
ズダンッと地を蹴る音が響き、女が一息で間合いを詰めた。獣のように低く鋭い跳躍から細剣を振り上げて錫杖を跳ね除ける。
「邪魔だ! 悪風招来!」
轟音と共に男の身体から吹き出した、黒く濃密な煙が女剣士を再び弾き飛ばす。石筍を砕きながら壁に叩きつけられると、女は糸が切れたように崩れ落ちた。
「ふん。さっさと起きて、彼奴等の頭を潰せ」
男が俺の目の前に錫杖を突きつけて命令してくる。杖の先の宝玉が強く光って眩しい。男はフードを目深に被り、顔には影がさしてよく見えない。
俺に言ってるのか? その杖、顔に向けるのやめてくれない? イラつくんだけど?
声はでない。体も動かない。できることは睨み返すくらいだ。
空気は湿っていて、かすかに血と土が混じったような匂いが鼻をつく。夢にしては生々しい。
「……チッ。貴様、何をされた?」
男が視線を外し、錫杖を下ろす。
「種明かしをする気はないけどね。ご自慢の荒ぶる御霊は、もう貴方の支配下にはないの」
「なにっ!」
予想外の返答に、男は振り返り、声の主を探す。だが、男の視界に動くモノはない。
錫杖を油断なく構え、辺りを伺う男の背後に、スッと音もなく小さな影が降り立った。男が振り返るよりも早く、鋭い刃が下から斜めに振り上げられる。黒いローブを切り裂き、地面に血飛沫が舞った。
「ぐぁ」
小さな影は時代劇で見る、いわゆる忍者のような黒装束に身を包んでいた。身長は低く、細い。しなやかな身体をゆらゆら揺らすのにあわせて、ポニーテールにした後ろ髪が揺れている。
斬り付けられた男は後ろによろめき膝をつくと、すぐに黒いもやを身体から噴出させた。
追撃を加えようとしていた忍者は、バク転を繰り返しながら、石筍群の方へと距離をとる。顔を覆っていた布が灰のようにボロボロと崩れていった。眠そうな印象の半眼から覗く黒い瞳。黒く艶のある髪。十四、五歳くらいのくノ一だった。
「あぶないわねぇ、その黒いの。触ることもできないなんて反則よ?」
声は、くノ一からではなく、石筍に突き刺さっていた人影の一つから発せられていた。腹部を貫かれたまま、胸から上を起こしてこちらに顔を向ける様子は、子供が見たら泣き出すほどにホラーだ。
「くっ……まだ動ける奴がいたか」
刺さっていた石筍から、身体をゆっくりと引き抜いて起き上がってきたのは、小袖に袴姿の、巫女だった。元は白かっただろう白衣は血と泥で汚れている。
「連れてきたストックはこの娘たちで最後よ。ホント、格上とやるのはイヤだわ。お腹に穴空いちゃったじゃない」
口調は軽いが、顔は苦痛に歪み、顔色に血の気がない。腹部を押さえる両手が、白く淡い光を放っている。
「これ以上壊されるとホント、困るのよ。だから、そろそろ討伐されてくれないかなぁ? 魔神官ロア殿」
女剣士が、いつの間にか立ち上がり、巫女のそばに立っていた。くノ一も首肯して、両手にクナイを構える。着ている服や年齢、体つきは異なるが、三人とも顔立ちが似ている。
「ふん、半死人の小娘共が何人残っていようと大差はない」
魔神官ロアがゆらりと立ち上がる。
「……なるほど。魔導生命体か?」
「ウフフ、さてはて。種明かしの時間にはまだはや…」
「──いや、違うな。貴様が本体で、剣士と隠密は言葉通りのストック。……なるほど。貴様が着せ替え人形の魔女のオリビアか」
「あら、わたくしごときの字名などご存知とは。なんだか気恥ずかしいですわ」
魔女なのか。巫女服なのに。見た目巫女なのに。
心の中でツッコミを入れると、女と目が合った気がした。
オリビアと呼ばれた女性が、クスクス笑いながら、血で紅く染まる口元を拭う。先ほどまで腹部から溢れて流れていた血は、いつの間にか止まっている。
すっと女剣士が魔神官との距離を詰め、喉元狙いの突きを放つ。錫杖に阻まれ、キンと甲高い金属音が響くのを皮切りに、再び戦いが始まった。
……そろそろ状況説明があっても良いのではないかな?




