決着
2-5
口々に警告の言葉を発しながら憲兵隊の面々が駆けつけてくる。
未熟かつ安価な染色によってむらがある茶色の隊服を着用していることから、世間では朽葉隊なる不名誉なあだ名をつけられていた。
この距離であればヴィゴにもさすがに見間違えようがない。そのうちの一人はアリシアだった。まさに不屈という言葉がこよなく似合う。
致し方なく短く刈りこんだ髪なのだろうが、むしろ彼女本来の凛々しさを引き立たせているように感じるのは身内の欲目なのかもしれない。
「貴様ら、場所もわきまえず何を暴れている!」
ひと際よく通る声で叫ぶ。
揃いの制服に身を包んだ他の四人の憲兵隊士も、アリシアを中心として等間隔に広がりだした。
そしてどうやら彼女は手を失った若者に目を止めたらしい。
「流血沙汰か……? ならどうあっても看過はできぬと知れ!」
ヴィゴの双子の妹であるアリシア・ノルドヴァルは、王国軍によって設立された士官学校で非常に優秀な成績を修めていた。ゆくゆくは男優位の王国軍でも出世していくだろうと誰もが思うほどに。
だが彼女が卒業後の進路に選んだのは王国軍ではなく、憲兵隊である。憲兵隊とて軍に属する組織ではあるものの、戦場での栄誉に浴さぬ者たちの集団として、内部で一段低く見られているのは事実だった。
それでもアリシアは憲兵隊で都の治安を守ることを選んだ。
彼女のその決断に対し、ヴィゴは尊重し敬意を払っているつもりだ。
だが悲しいかな、妹の方は兄へそのような態度はとってくれないらしい。
「我々は憲兵隊第十六班だ! どちらに非があろうとも、まずは全員の話を憲兵隊本部で聞かせてもらうことにする! さあ、抵抗せずおとなしくするんだ!」
口上の前も、最中も、終わった後も、アリシアはヴィゴとまったく目を合わせようとしない。おそらくは意識して。
再会も何もあったものではなかった。兄妹の溝はいまだ深い。これでは王立病院の一室で眠っていたときと変わらないではないか。
心中で嘆息するヴィゴをよそに、一方のならず者連中は憲兵隊という新たな脅威の登場に動揺を隠せないでいるようだった。
それはそうだろう。人数で圧倒的な優位に立ちながら、たかだか二人を相手にして敗色濃厚だったのだ。このうえ憲兵隊まで出張ってきたとあっては、もはや彼らとしてもなす術がない。
「口ほどにもない役立たずのごろつきどもが、何をしているんだ! 早くそいつらを食い止めろ! まったく、どいつもこいつも使えねえな!」
罵りながらも、大股で後ずさりしてお坊ちゃんは逃げの態勢に入っていた。
現場でやり合っていた連中への仲間意識というものなど、どうやら彼には皆無らしい。自分だけでも逃れられればそれでよし、いっそ清々しいほどだ。
そのまま背を向けて一目散に走りだす。
追いつけなくはないが、ヴィゴの優先順位もいささか変動していた。まずはこの場を丸く収めなければならない。
「フェリクスさん……。へっ、威勢がよかったのはかけ声だけか」
聞こえてきたのは軽蔑しきったような声だった。
最初にヴィゴによって倒されたリーダー格の男、オリヤンが立ち上がる。
「ボンクラめ。家柄で買ったような地位より上を望んだ結果がこのザマだ。とはいえおれたちももはやこれまでだな。全員、逃げろ」
流れでている鼻血を拭いながら彼は続けて言った。
「この場はおれがどうにかする」
思わず「ははっ」とヴィゴが鼻で笑う。
「どの口が。そんなことができるんなら最初からやってたはずだよな」
しかしオリヤンの仲間たちには悲壮感が広がっていく。
片手を失った若者の周りにいた一人が顔を歪めた。
「何言ってんだよ、やめてくれよ! オリヤンがいたからおれたち、ここまで来られたんじゃないかよ!」
「いいんだ。だってそれがリーダーの役目だからな」
落ち着きはらった様子でオリヤンは答える。
そして懐から木でできた細い筒状のものを取りだした。
「さあ、一人でも多く逃げのびろよ」
彼の呟きとほとんど同時にアリシアの声も聞こえる。
「止めろヴィゴ! あれを服用させるな!」
彼女の位置からだと、オリヤンまではまだ結構な距離があった。ヴィゴの目測ではおよそ五十歩ほどの距離。
無視を決めこんでいたはずの兄へ呼びかけるのだから、よほどの事態なのか。
「飲ませてしまうと面倒なことになる! 常人をはるかに凌ぐ力を簡単に得てしまう、あってはならない劇物なのだ!」
「おまっ、それって〈燃える雪〉じゃねえのかよ!」
これにはヴィゴも慌てた。彼らは流行りの薬物〈燃える雪〉を売りさばく側だと認識していたため、まさか自分で摂取するなどとは考えてもみなかった。
先日の王立病院での揉め事が思い起こされる。あのとき一瞬だけではあったが、拘束していたはずの青年が驚くほどの力を発揮した。
〈燃える雪〉に筋力を底上げする効果があるのは間違いない。ラーシュによる調査を経たうえでミルカもそう口にしていた。
ヴィゴの手が届くより早く、オリヤンは筒の中身をすべて飲み切った。その証拠に筒を未練もなく投げ捨ててしまう。
さっと後ろへ飛びのいたオリヤンの表情に赤みが差す。
「来たぞ、来たぞ来たぞ、くそったれな神のご加護がよお!」
剣を握り締めたまま両手を高く掲げ、喉が潰れそうなほどに咆哮した彼の肉体から、尋常ではないほどの熱が放たれているのがヴィゴにも伝わってきた。
「こりゃ素手でやり合うのは厳しいかもな」
まいったね、とぼやいた彼の脇腹をつついてくる者がある。
「うちが行くっス。面倒そうなんですーぐに片付けてくるっスよ」
いつの間にか横に並んでいたキルスティだった。
ヴィゴにそう声をかけたかと思えば、問答無用でオリヤンの首筋を斬りつけにいく。
明らかに一撃で死に至らしめようとしたキルスティの攻撃だったが、無造作に振られた剣によって防がれてしまう。
それどころか、衝撃でキルスティの軽い体が弾き飛ばされてしまったのだ。
「わっとっと」
地面に叩きつけられないよう受け身をとり、体勢を立て直して彼女は言った。
「あいつ、何かやばいっス。ちょっと普通じゃないっていうか」
「わかってる」
片手を上げて応じながらヴィゴが前に出る。
オリヤンの剣の腕は未熟の一言に尽きるが、〈燃える雪〉によって筋力強化されているとなれば警戒の度合いも跳ねあがってしまう。
たとえば反撃を顧みず大胆に踏みこんでこられた場合、通常であれば想定外の距離からでも切っ先が届いてくる可能性はある。牽制でしかない一撃が必殺の威力を持つ可能性だってある。慎重に間合いを測る必要があった。
アリシアには「自惚れるな」と罵倒されるかもしれない。だが少なくともこの場において、〈燃える雪〉を摂取したオリヤンとまともに戦えるのはヴィゴかキルスティだ。
ならば騎士団長である彼がその役目を担うべきだろう。
「憲兵隊よ聞け! おれは第八位騎士団長のヴィゴという者だ! やつの相手はこちらで引き受けるから手を出すな! 代わりにそれ以外の連中は任せたぞ!」
「勝手なことを言うんじゃない!」
反発したのはもちろんアリシアだ。
だがヴィゴに対する意固地な態度とは裏腹に、すぐさま身振りで四人の憲兵隊士たちへ指示を出す。もちろんならず者連中を逃がさないように、である。
「さっすが団長。じゃあうちも憲兵隊を手伝ってくるっスね」
ロッタにはその場へ留まるよう言い含め、キルスティも追撃態勢に入った。やけに慣れた様子なのはさすがに戦場経験者といったところか。
オリヤンから「逃げろ」と命令されるなり、他の全員が従ってこの場からの逃亡を図っている。片手を失った青年も仲間の肩を借りて去ろうと頑張っていた。
我が身を犠牲にして仲間を助けようとするあたり、オリヤンという男は敵ながら見上げた根性ではあった。真っ先に逃げだしたフェリクスなる青年とは違い、リーダーとしての器が備わっていたのだろう。
けれども断言していい。彼の行為は無駄に終わる。
大なり小なり負傷した身での逃亡だ。捕縛を日常的にこなしている憲兵隊と、手練れのキルスティに追われてそれでも無事逃げおおせるとは考えにくい。
おそらくはヴィゴたちをまとめて相手取るつもりであったのだろう、オリヤンが切羽詰まった表情で叫んだ。
「そこをどけ! 邪魔だ!」
「おっと、行かせねえよ」
一刀両断せんばかりの勢いで斬りかかってきたオリヤンを最小限の動きでかわしつつ、一拍置いてから懐へ飛びこむ。
ヴィゴの間合いだ。
相手の腹に重い拳を何発も叩きこみ、また離れる。
あえてヴィゴは薄ら笑いを浮かべた。
「おら、どうしたどうした。仲間たちが捕まっちゃうぞ?」
極度の興奮状態であっても痛みはあるらしく、剣を杖代わりにしてうめいていたオリヤンを煽る。
どれだけ単純な力を強化しようとも、冷静さを欠いている相手ならばさほど脅威にはならない。手数は必要だが勝機などいくらでも作れるのだ。
両者の立ち位置もヴィゴはきっちりコントロールしていた。決してオリヤンにキルスティたちを追わせないよう、線上で立ちはだかる。
激高したオリヤンがめったやたらに剣を振り回してくるが、力任せの攻撃では同じことの繰り返しにしかならない。
かわし、打撃を与え、再び距離をとる。ついでに挑発。
「とはいえ、この状況をどうしたもんかな」
こちらはオリヤンへ聞こえないようひっそりと呟く。
〈燃える雪〉の持続時間がどれほどなのか、判断するための材料はまだ揃っていない。楽観的な予測をするわけにはいかなかった。
静と動ははっきりしていたものの、状況としては微々たる変化しかない。もし見物客がいたなら退屈な戦闘だと野次られただろう。ただしヴィゴとしてはこれでよかった。
オリヤンをこの場へ釘付けにし、アリシアたち憲兵隊やキルスティによる捕り物を援護できれば、ヴィゴの仕事は成功である。後は好機の訪れを待って仕留めにいけばいい。
けれども膠着状態が崩れる瞬間は唐突に訪れた。
ここまで鳴りを潜めていたロッタが動いたのだ。
ロッタは低く素早くオリヤンへと近づき、手に持った肉切り包丁で彼の両足の腱を切り裂いた。
「こ、こ、これでもう、う、動けない」
支えを失った彼の体は、あっけなく仰向けのままで倒れてしまう。
そのままオリヤンは起きあがってこない。
石造りの地面で背中を強打したのがまずかったのではなさそうだ。
以前の王立病院で遭遇した青年と同じく、口から泡となった涎を吐きだしはじめている。さらに仰向けのまま体を痙攣させ、目の焦点も定まらない。
さらには鼻から血もとめどなく流れでている。
「どうやらとんだ粗悪品らしいな、〈燃える雪〉ってのは」
そう吐き捨てたヴィゴが、まだ剣を握ったままのオリヤンの手首をつかむ。
思わず火傷をしたのではないかと錯覚してしまうほど、全身に赤みを帯びた彼の肉体は高熱を発していた。