何故、彼はその職業を目指したのか
――グシャッ、と。
ワイドリザードマンの頭部が石榴のように弾けた。
「やりました。これで三体目ですよ、フェティさん」
魔物の血を頬に貼り付けながら、シャルアは笑顔で振り返る。
彼女の視界にはスリングを構えた作業着姿の少年と、げんなりした様子の黒衣の魔術師が映っていた。
「ここまで順調だな。出口が何処であれ、この洞窟は巨大ではない。この程度の難易度なら余裕のある休息を取っても、二日あれば充分に攻略可能だろう」
「……僕の魔法さえ使えれば一日で終了できるのに」
「我慢しろ。それが試練なんだからな」
「安心してください、ゾマクさん。私とフェティさんの二人がいれば楽勝です」
などと話している間に、シャルアに付着していた魔物の汚れが徐々に消えていく。
赤黒く染まっていた衣服も身体も、綺麗サッパリと洗浄されたように元の美しさを取り戻していった。
「あ、魔物の身体が消滅しましたね。良かった、今回も匂いごと消えてくれました」
身体を捻ったり腕を上げたり、シャルアは自分に異常が無いか点検していく。
その様子をじっと見ながらゾマクは隣にいるフェティに声を掛けた。
「魔物ってさ。物理的に倒すと、いつもあんな感じになるのかい?」
「そうだ。魔物は肉体より魔力で実体化している部分が大きいからな。魔物を構成する核さえ潰せば、身体の大部分は霧散や風化をする」
その説明を聞きながら、ゾマクはワイドリザードマンの死体を探す。
だが見当たらない。スリングの弾が転がっているだけだ。
フェティの言葉通り、消滅しているのである。
「まぁ例外として昆虫や植物の魔物は死体が残りやすいから、あれほど綺麗に汚れは消えない。原始的な生物ほど魔力ではなく肉体に寄った作りだからな」
「へぇ、僕はいつも例外なく魔法で消し炭にしているからなぁ。あ、だけど極稀に角や羽根の部位が焼け残ることがあったけど、あれはどういう理屈なんだい?」
「本来は魔物の核は心臓と一緒で一体につき一つだが、成長すると核が分裂する場合もある。残った部位は破壊しきれなかった核もどきという訳だ。もし手に入れられたら幸運とも言われるな」
「待ってくれ。ソレの何が幸運なんだい?」
「天然のマジックアイテムだからな。武器や防具に加工すれば、耐魔力に優れた装備品じゃないか。高値でも売れる。……まさか、知らずに捨てていたのか?」
「いや回収してギルドの受付に渡すと、一つ一万イヘカはくれたけどさ」
「……物にもよるが、相場なら最低でも十倍はすると思うぞ」
「ふーん。けど僕、お金には興味ないからね。僕の正当な評価として金銭は貰うけど、稼ぎたいわけじゃないんだ。だから今回の報酬は孤児院に寄付する予定さ」
その言葉にフェティの表情が驚きに変わった。
彼自身、貨幣に執着心はないが普遍的な価値は認めているのだ。
だからこそ今回の報酬は魅力的であり、ゾマクの意見には納得できなかった。
「つまり五億イヘカに釣られたわけではないと? では何故、こんな危険な試練に同行したがるんだ?」
「僕は知識が好きでね、未知に触れたいのさ。上級冒険者って言うのは、そういう現場に溢れているだろう? 今回の件はまさにロマンを感じるよ。だって混成魔王も伝説でしか確認できない存在だ。だからこそ直接味わいたいのさ、そういう幻想を」
「……なるほど。理解できないが、面白い人生観だ」
「そういうフェティくんこそ、ボクは気になるね。どうしてダンジョン・コンシェルジュなんて新規事業に手を出すのか。ギルドに多額の金銭を払いながら、新規事業の許可を貰っているんだろ? 意味が分からないよ、確かに迷宮の利権はギルドや国家が握っているけどさ、そんな真似をして君の旨味は何処にあるんだい?」
「知ってどうする」
尋ねられたフェティは、試すような視線をゾマクに向ける。
それは質問に対し、拒否するか迷っている証拠である。
この揺れる心の天秤は、シャルアが会話に介入することで崩れた。
「あの、私も興味あります。できれば教えて欲しいのですが」
顔色を窺う、上目遣いの申し出にフェティは弱かった。
なにより二人は今後、商売で敵対することはない。
そう結論づけてフェティは口を開く。
「……これから話すこと内容を秘密にできるなら、話しても良いがな」
「もちろん口外しません。そもそも、そんな会話を交わす友達だっていません」
「僕は魔術師さ。契約に基づく嘘は吐かない。君の条件を守ることを誓うよ」
「そうか。では教えても良いが、その前に」
フェティはスリングを構えながら、通路の先を見る。
それを見たシャルアが向こうを見据えて拳を硬くする。
二人の動作で、ゾマクも魔物が近付いている事を察した。
「……じゃあ、次を仕留めたら休憩がてら聞きたいな」
そんなゾマクの要望が叶ったのは五分後のことである。
突き当たりとなった箇所で三人は岩を椅子にして、フェティの持ってきた材料を調理して食事にする事になったのだ。
「こういう場所では、大した物は出来ないのが困りものだ」
そう言いながらフェティは焚き火の上に鍋を吊し、少量の水と野菜を煮込んだスープを掬い取ると、人数分の木製ボウルに盛り付けた。
「判っていたけど蒸し暑い空間で温かいスープかい。茹でられた気分のまますぐ死ねそう」
「せっかく用意して頂いた食事なのに、ゾマクさんは要らないというのですか?」
「勘違いしないでくれ、ここが冬の野営なら喜んで貰ったとも」
「こういう場所で熱を使わない食事など想定していないからな。体温上昇を嫌うなら水とパンだけにしておくと良い」
ゾマクの毒舌を気にした様子もなく、フェティは淡々と収納袋から乾燥したパンと水の入った水筒を渡す。
一方、シャルアは喜んでスープと匙を受け取った。
「うーん、美味しいです。塩や胡椒、他にも調味料が加わって濃厚なスープの中に、加熱によって甘く感じる野菜が口の中に蕩けていくようです」
幸せそうに味わう彼女を見て、フェティも同様にボウルに口を付け、ゾマクは気不味そうにパンに齧り付く。
「……そういえば、さきほど俺がどうして新しい職種に拘るのか尋ねていたな」
「あ、うん。ここで教えてくれるのかい?」
「あぁ。だが別に俺は別に新しい市場に旨味を見出したわけじゃない。俺は迷宮の中で生活する者達に、雇用を生み出したいんだ」
「迷宮に暮らす人、ですか?」
その突飛な言葉を聞いて、空となった木皿に匙を置きシャルアも会話に混ざる。
フェティは彼女にも水とパンを分け与えると、そのまま二人に説明を始めた。
「そうだ。俗世や政治を嫌い山に住む人がいるように、安定や娯楽を求めて街に住む人がいるように、とある理由で迷宮で暮らしている者達が居る」
「僕は聞いたことがあるね、その話。街を追われた犯罪者や落伍者が辿り着く先は、迷宮の中にある小さな集落なのだと。魔物や冒険者に命を狙われる危険があっても、彼らの居場所は他にない。だから、普段は息を殺して迷宮に潜み、人前に出ないらしい」
知識を披露して悦に入ったゾマクを尻目に、シャルアはフェティに尋ねる。
すでに、その手にパンはない。
「フェティさんは、そう言う方達の助けになりたいのですか?」
「そうとも。閉ざされた文化に発展性はない。繁栄したければ外の世界を受け入れて開拓すべきだ。だが、今の状態で交流すれば軋轢は必然だからな。俺のダンジョン・コンシェルジュという仕事を広めて、迷宮と外界の住人達の窓口を作りたいのさ」
「でも、どうしてフェティくんが迷宮の住人にそこまで尽くすのさ? 命を救われた義理でもあるのかい」
ゾマクの質問に、ほんの数秒ほどだがフェティは言葉を止める。
その理由こそ、秘密にして欲しい部分なのだ。
だがフェティは再び口を開く。彼は一度決めた事は実行する性格だった。
「俺は迷宮暮らしの者達から産まれた。だから一族を存続させ育てる義務がある。シャルアが勇者の末裔だからと魔王を倒すように、俺は迷宮に住む人々を養う。これが俺の選んだ使命という訳だ」
「まぁ、フェティさんは私と似たような境遇だったのですね」
「……隔絶された環境、という意味ではそうだろうな」
「はい、何だか親近感の湧く話ですね。私も陰ながら応援したいと思います」
シャルアは小さくパチパチと手を叩いて、フェティの夢を賞賛する。
しかし同じ話を聞いてもゾマクは眉をひそめて、反論気味に呟く。
「……でもそれなら最初から組織だって行動すべきだよね。個人で行動する必要をこれっぽっちも感じられないよ。ソロで冒険者してる僕が言うのも何だけど、効率を考えるなら複数で依頼を受ける方が賢いじゃないか」
「もっともな意見だが、それは理想論でもある。残念なことだが、迷宮に住む多くの人間は別に外と関わりたいと思っている訳じゃないからな。仲間を呼びかけたとき、賛同してくれた者は少なかった。その中から外の暮らしに適応できる者を選ぶことは、出来なかったんだ」
「……フェティくんは冒険者というより商人になるべきじゃないかい? 迷宮を発展させる気があるなら、そっちの方が手っ取り早いし」
「あぁ、その職業も考えた。だが計算は苦手でな。なにより安全に迷宮の物資を運べる経路があると知れ渡れば、大きな資本をもった連中に負けるし、市場となる迷宮ごと食い荒らされる危険を考慮すると怖いと感じた。ゆえに商人の土俵で勝負は出来ん」
「でも君の商売を大きくするなら、いずれその問題は避けて通れないよ?」
「分かっているつもりだ。だから俺はそういう段取りをギルドに依頼しているんだ。政治は金が掛かる。報酬が間引かれる原因はコレだ。だから不当な搾取とは思わん」
「へぇ、色々と考えているわけだ」
「そうだな。迷宮の住人が外の仕事に興味を抱かないのなら、迷宮に関する仕事を作ろうと考えたとき、冒険者という役割が的確だと思った。だから俺はここにいる」
「ふーん。同族から反感を抱かれつつも、仲間の為に孤軍奮闘しているわけだ。そう言う複雑な人間関係、僕は嫌いじゃないよ」
ゾマクは人の自慢より苦労話を好む性格だった。
あからさまに機嫌を良くした彼は、手付かずだったスープに手を伸ばす。
だが、無い。彼の為に与えられたボウルはシャルアが頂いていたのだ。
「あれ、シャルアくん。それ、僕の」
「知っていますけど。ですが要らないと仰ったではありませんか。なので私が有り難く頂く事にしたのです」
とくに悪気もなくモグモグと具材を消費するシャルア。
それを見て悲しい目をしたゾマクに対し、フェティは予備の木皿を取り出して鍋に残っていたスープを注いで渡した。
「……ありがとう、フェティくん」
「構わないさ。これも俺の仕事の内だからな。ダンジョンの中では、誰かと助け合いをしなければ生き残れないものだ。今は頑張るしかなくとも、次の試練では間違いなくゾマクを頼ることになる。そう考えれば、こうやって気遣うのは当然だ」
「……うん。僕、次こそは頑張るよ」
目尻に涙を浮かべてゾマクはスープを啜る。
ほんの少しだが両者の間に絆が産まれた瞬間だった。
その様子を見たシャルアは、他人事のようにフェティの功労を称える。
「これがダンジョン・コンシェルジュ。迷宮での生活、心得を私達に教えてくれる素敵な職業なんですね」
和やかな雰囲気で時が進む中、しかし迷宮の出口までの道程は未だ遠い。
第一の試練攻略は、まだ先のようだ。