四話 炎暑
清美塾、スーパーを通り抜け、さらに歩き続ける。車が道路を走っている。それほど多くはないが、車の音が止むことはない。懐中電灯も持っていないため、定期的に配置されている街灯を頼りに、奥の山の方へと歩いていく。こんなところでは終われない。止まれない。景色は着々と変わっていく。
しばらく歩き続けると、森の近くにドラッグストアが見えてきた。私はドラッグストアに入り、トイレを借りた。手を洗ったあと、水筒の水を飲んだ。その後、蛇口から弱い勢いで流れ落ちている水に眼鏡を当てた。服で軽く水を拭く。眼鏡をかけると視界が澄んでいる。さっきまでは相当汚かったのだろう。
ドラッグストアを出て、再度歩き始める。森の麓が見えてきた。しかし私は森ではなく、手前にある左右に続く道路を右に曲がる。ここは車がほとんど通らない。もう少し先にいけば、大きな川が流れていることを私は知っている。
川の横にある防波堤を器用に降りる。橋の下へと進む。歩くたびに足元の石がゴロゴロと、音を立てる。橋の真下で、子供一人が寝転がれるくらいの範囲の石を手でどかす。すると、石があった場所から土があらわになった。水筒の冷たい水を飲む。身体の芯から冷えていく。私は横たわり、ゆっくりと目をつむった。ここは比較的涼しい。水臭いが、我慢すればどうってことはない。私の身体が、川の流れの音とともに、深く、穏やかな夜へと溶けていく。
朝日が私の体を照らした。斜めから差し込む光が、私の目を。一度ぎゅっと目を瞑った後、ゆっくりと起き上がる。
ぼやけた視界のまま、時計を確認する。朝の6時。伸びをして、大きく欠伸をした。前方の川を覗き込む。少し濁っている。私は眼鏡を外し、近くにあった少し大きな、見たところ高さ20cm、横幅30cmほどの大きさの、角が丸みを帯びた、正方形の形状の石の上に置いた。
川の水で顔を洗う。川の水はとても冷たく、すぐに意識が覚醒した。眼鏡をかけ直し、水筒の水を飲む。まだ氷は残っており、水筒を口元へ運び、傾けると、中からカランカランと音がなった。
川の防波堤を上がると、前方に見える道路に車がいくつか走っていた。きっとこれから車の数は増えていく。皆、仕事へ向かうのだ。大人になっても、学校と同じように、決められた時間に出社しなければいけないらしい。それはつまり、子供から大人になっても、やることは変わらないということかもしれなかった。
すでに昨日、一時間ほど歩き続けたためか、あまり見慣れない光景が広がっていた。辺りには自然と、人間の家が調和している。私が住んでいるところよりも、もう少し田舎だ。
しばらく歩き続けると、足が痛くなってきた。部活動には所属していなかったため、運動はあまり得意ではなかった。もうすでに私の体は疲れているのか。
すると、今歩いている道路のずっと奥、突き当たりにコンビニが見えた。私は目が悪いが、それがコンビニであることは理解できた。
コンビニの中はエアコンが効いているのか、涼しかった。まだ朝方だというのに、外は暑い。夏は嫌いだ。汗がたくさん体から垂れ流れ、周囲に嫌な臭いを放ってしまうから。
尿意を感じ、トイレへと向かった。中は少し汚く、四隅には蜘蛛の巣やら、埃やらが溜まっていた。
洗面所で手を洗った後、ラクトアイスに分類される、体に悪そうな140円のアイスを一つ掴み、レジへと持っていく。
少ない小遣いを、キャラクター物の安い財布から取り出し、会計を済ませる。
外に出ると日差しが私の肌をじっくりと温める。持ち手を左手で持って、アイスを口で舐める。冷たい甘さが私の喉を通り抜けた。しかし、しばらく舐め続けていると溶け始めてしまったので、急いでアイスを食べ終えた。 何もなくなってしまった。私はこれからどうすればいい?
自分の中で自分に問うように、思考を巡らせた。もうしばらくすれば、私の知らない道へと出るだろう。ここもすでにほとんど知らない道だった。もう、引き返すという選択肢は、私の中にはなかった。
今までたくさん、迷惑をかけ、図太く生きてきたのだ。そろそろ、もういいだろう。十分生きた。私はあそこにいてはいけないのだ。人前では不快感を与え、影では図々しく生きている私など、誰が求めるものか。それでも私の口からは本音が溢れる。
「生きたいなぁ……」
そうだ。きっとみんな、同じ事を考えているに違いない。自分で自分を馬鹿にして、嫌っても、死にたいと、心の底から思うことはきっとない。心の何処かで幸せになりたい。そう思っているのだ。それが、人間という生き物なのかもしれない。それは、すごく、すごく良いことではないのだろうか。
学校も、友達も、家族も。全てを捨ててしまった。どうか、そんな私を笑い、蔑み、そして、それはしょうがないことなのだと、誰か言ってくれ。私のこの選択が、決して間違いではないと、誰か証明してくれ。
救ってくれ。
歩きながら、水筒の水をがぶ飲みする。肌が日に焼け、もともと茶色に近かった肌が、焦げ茶色になっている。それすらも。視界に映る全てが美しいと思った。心の底から、本心で思った。人間は醜いかもしれない。しかし、それでも、人が生み出したものにも美しいものはある。
いや、違う。人も美しいのだ。皆に価値があり、意味がある。それは本来尊ぶべきものなのだ。それぞれに違う美しさが宿っている。
きっと、この世の全てが、間違いではないのだ。
この先は、未知の世界だ。一人では戻れないだろう。それでもいい。もし戻りたくなったら、誰かの手を借りればいい。誰かに助けを乞うことは、悪いことではなく、恥ずかしいことでもない。だって、それは弱く醜い私にとって、仕方がないことなのだから。
私は、この私のまま、寿命が尽きるその瞬間まで命の灯を燃やし続けたい。それを、どうにか叶えたい。明日も、そしてこれからも、私は生きたい。
そうか。ようやく気づけた。私はずっと、生きたかったのだ。生きるために、今ここにいるのだ。生きていくために、旅をしているのだ。これが、正解なのだ。
太陽は今日も、輝きを放ち、私たちを支え、助けている。それと同時に、私の体から汗が湧き出る。私が生きている証が一つ、体に刻まれていく。
私は、私のまま生きていく。それは誰にも否定できない。私たちが、私たちでいられる唯一の理由なのだから。




