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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
好きはとっても難しい
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恐怖の壁ドン

メイヤー家……元はパルネアの貴族で、ローズの実家。ローズの祖父が貴族では無くなった後も貴族の暮らしを捨てられず、多額の借金をして亡くなった。ローズの父親であるエドワスが元領地にあった邸を売り、穀物の研究者として城に勤める事で借金の返済を試みるも、その給金だけでは借金を返済する事が出来ず、母であるアリアも侍女として働く事になった。多忙な両親と貴族育ちで世間知らずな祖母ノーラを支えて暮らす事が、幼少期からローズの日常となった。

 ディア様が出仕して来なくなって、ハリードの所に行っている。その事がジルムートにバレる事を考えるだけで、私は追い詰められた気分になっていた。

 ジルムートに何も言えない。眠い。この二つの条件が相まって、ジルムートを見ると眠くなる様になった。私はそれを活用する事にした。

 声を掛けられても起きない事にしたのだ。事実眠いから、実行するのは簡単だった。

 そうしたら、ジルムートがカルロス様の子守りに名乗り出て、セレニー様が中層へクルルス様と下りていく様になった。

 カルロス様に何かあれば、すぐ上層へ戻るだけ。職場と家がとても近い。だから、政務への復帰は簡単だった。

 育児の事ばかり考えているから思い詰めていたのだろう。政務は気分転換にもなったみたいで、セレニー様は徐々に元気になった。

 ただ、侍従達にカルロス様を預けるのだけは嫌がった。相変わらずカルロス様を抱いてもいい男性は、クルルス様とジルムートだけだ。

 とりあえず、侍従達でも子守りが出来るか試してみようと言う提案すら拒絶するセレニー様に違和感を覚えていたのだが、その理由は、クルルス様とジルムートが居る所で打ち明けられる事になった。

「ローズにも話をしていなかったわね。……私に、姉が居たのは知っている?」

「はい」

 シュルツ殿下の上にもう一人お子様が居て、生きていれば女王になる筈だったと聞いた事がある。一年も経たずに亡くなられてしまったとしか聞いていない。

「少し目を離した隙に攫われてしまったの」

 ただの病死だと思っていたが、そうでは無かったらしい。

「そんな……」

「アリアが侍女として城に雇われたのは、お兄様と私が同じ目に遭うかも知れないと言う、お母様の不安を少しでも和らげる為に話し相手が必要だったからなの」

 ジルムートとクルルス様が怪訝そうな顔をしているので、私がすぐに言った。

「アリアは私の母です。今も、パルネアで王妃様付きの侍女をしています」

 アリア・メイヤー。私のこの世界での母親だ。とても気さくな人だ。城下町に来てすぐ、王妃様の話し相手を兼ねた侍女として城に雇われた。お陰で私達は借金を返済しながら城下町で暮らす事が出来たのだ。

「元貴族で子供を持っていて、城で働いてくれる。そういう女性をお父様は探していたの。お母様は、同じ感覚で気兼ねなく話の出来るアリアを気に入って、ずっと側から離さなかった。……私まで、娘のあなたに甘えてしまっている。メイヤー家の人達には本当に悪い事をしているわね」

「とんでも無いです。お陰で私達一家は、生きていく事が出来ました。感謝しかありません」

 そう言うと、セレニー様は暗い顔で言った。

「何年も後に、お姉様を誘拐した犯人が見つかって……それが、城に仕えていた侍従だったの。私はその人が捕まる所をお兄様と一緒に見てしまったの」

 兄妹に対しても、礼儀正しく優しい侍従で、全く警戒した事の無い人だったのだそうだ。

 貴族制度が廃止された事で困窮して城に勤めた事から、廃止に動いた議会と王族を酷く憎んでいた事が動機だったらしい。

「私とお兄様は、物凄い形相で睨まれたの」

「お可哀そうに……」

 弱者を狙って自分の鬱憤を晴らすなど、貴族であれ庶民であれ、許される事では無い。

「あの時の事を思い出してしまうと、侍従にカルロスを預けられない。顔を知っていて城に長く勤めていると言われても……触れて欲しくないとばかり思ってしまうの」

 ジルムートは納得した様子だが、クルルス様が眉間に皺を寄せて聞いた。

「第一王女は見つかったのか?」

 セレニー様は首を左右に振る。

「何も語らず、その侍従は亡くなりました。お父様は、今も探しておられます」

「そうだったのか。パルネアは平和だから、そんな犯罪は起こらないと思っていた」

「同じ人間の住む国ですから、酷い事を考える者は居ます」

 セレニー様は少し俯いて言った。

「人を悪く考えたくはありません。ローズの様な信頼できる侍女と一緒に居ると、人を疑う事を忘れていられます。けれど私一人では、そこまで強くはなれません」

 セレニー様はそこで口をつぐんだ。

 それと同時に、クルルス様とジルムートが視線を交わして渋い顔になる。ポートに来た最初の頃の事を思い出しているのだろう。

 悪意のある侍女達に色々吹き込まれ、セレニー様は一人で我慢していた。私も色々と雑用を言いつけられて、引き離されていた。私にとっても辛い思い出だ。

 あの時の侍女の面子は腐っていた。しかし従僕達は何もしてくれなかった。権力者の娘に意見したら職を失う。仕方ないとは思うが、王妃の境遇と保身を天秤にかけて自分の保身を優先させ、今も城に勤めているのだから、セレニー様が信用しないのは無理もない事だ。

 ジルムートだけにしか子守りを任せない事情を理解した様だが、クルルス様は食い下がった。

「俺とジルムート以外に、男で信頼できる者はいないのか?」

 クルルス様は、ジルムートに自分と一緒に居て欲しいのだ。私がセレニー様とずっと一緒に居るのに、クルルス様にとって私と同じ立場にあるジルムートは、子守りの為に、クルルス様の護衛を他者に任せる様になった。我が子の為ではあるが、やはり複雑なのだろう。

 セレニー様は少し考えてから、ぽつりと言った。

「ナジーム」

 聞いた全員が絶望的な顔になったのは言うまでも無い。

 確かに信頼できる。凄く怖い顔なのに心はお花男子だ。野望なんて、館の庭に植える花の球根に関してしか抱いていない。騎士でやっていけるのが不思議な程の平和主義者だ。銛を振っている所など、中身を知ってしまうと想像できない。序列四席。バウティ家の兄弟に次ぐ異能者なのだが、そんな力あっても使わなさそうと言うのが、私の個人的見解だ。

 悪意のある侍女達が酷い事をしている中、セレニー様を護衛して、侍女達のやり過ぎを怖い顔でけん制して止める事もあった様だ。

 自分の顔が怖いと言う事を自覚して、傷つく繊細さを持っているのに頑張ってくれていたのだ。

 しかし今はジルムートの副官では無く、中層の隊長だ。中層を離れてカルロス様の子守りをさせるなど無理だ。私は先日、コピートにラシッドの怖さを教えられたばかりなだけに、中層を離れて欲しいとは思えない。

「私が頑張ります。だから、護衛にジルムートをお連れ下さい」

 そう言った途端、ジルムートがぴくりを反応して、私の方をじっと見つめた。

 私を見据える表情が、どんどん険しくなっていく。前みたいに、黒いのが出ない代わりに表情が大きく変わって行くのを、私は焦ってみていた。

 何か……まずい事を言っただろうか。

「クルルス様は、ジルムートを護衛としてお城に雇っているのです。だから……」

 そこまで言ったところで、ジルムートが立ち上がった。

「暫く、ローズと席を外してもよろしいでしょうか?」

 有無を言わせない迫力に、セレニー様はカルロス様を抱いたまま頷いた。

「ジル、どうした?」

 クルルス様が問うと、ジルムートはクルルス様の方を怖い表情のまま見る。無言で怖い。

 王様を威圧しないで!

「分かった。好きなだけ休憩して来い!」

 クルルス様が焦りながら、セレニー様の肩を抱いて言う。

 今さっき、私が言った事の何が気に障ったのか、全然分からない。

 国王夫妻の許しが出た途端、ジルムートに促され、私は部屋を出た。

 既に外は暗い。廊下も小さな燭台の火が頼りの状態だ。廊下に出るといきなり腕を掴まれ、引っ張られる様に歩く事になった。

 嫌いだからしない様にしてくれていたのに。今はびくともしない力で、手首を掴まれて引っ張られている。

 何故手首を掴まれるのが嫌いなのか。いつも何かが起こるのだ。その何かは全く予想が付かない。

 過去に手首を掴まれた後の出来事が、浮かんでは消えていく。

 これは、走馬灯と言う奴ではなかろうか。確か死ぬ前に見ると聞いた事がある。前世では即死だったから見なかったが、今正に見ている気がする。今回は今までとは決定的に違う。完全にジルムートが怒っている。生き残れる気がしない。

 そんな事を思いながら引きずられて連れて来られたのは、ジルムートに与えられた部屋だった。

 前は麻袋みたいにぶら下げられてだったが、今回は腕を引っ張られて引きずられて来た。誰にも見られなかったのは不幸中の幸いだ。

 中に入ると、手首を離された。

 扉の前に立ち尽くす私の前に立って、ジルムートは言った。

「言え」

 主語の無い命令に、心臓が嫌な音を立てて、全身に響く。

「ディアは何処だ」

 バレた……。

 うっかり自分が、ジルムートの分まで頑張るなんて言った事を後悔したが、もう遅い。

 素知らぬ顔で、早くディア様が来てくれればいいのに。とか、言っておけば良かったのだ。失敗した。

 ダーンっと大きな音がした。

 思わず首を竦めて目を閉じる。恐る恐る目を開けると、両耳の脇にジルムートの腕があった。

 前世でも経験の無い初の壁ドンは、物凄く怖かった。扉がメリっと音を立てたのも耳は拾っていた。

 力はちゃんと加減しているのだろうが、ジルムートの壁ドンは……ときめきとは無縁だ。

 物凄くドキドキしているが、恐怖と緊張のせいだ。アリ先生の言っていた『手負いの獣』と言う言葉を思い出す。

 緊張感を伴って、近くに顔を寄せたジルムートはまた言った。

「言え」

 このままでは、命が無いと本能が強く警告してくるが、従う訳にはいかない。

 洗いざらい白状したら、ジルムートはきっと傷つく。しかも、私に対してでさえこの状態だ。アリ先生もコピートもどうなるか分からない。

 このままだと死ぬと強く感じるけれど、私は死んでもこの人を傷つけたくない。

 ジルムートが何故こんなに怒っているのか。必死で考える。

 ディア様の代わりにカルロス様の子守りをさせたからじゃない。そんな理由なら、最初から自分が子守りをするなんて言い出したりしない。

 だとしたら、ディア様の出仕とは無関係だ。私がこの人を裏切っていると感じたからに他ならない。

 違う。でも言えない。

 そこまで考えた所で、どうしたらいいのか分からない頭を置いてきぼりにして、体が勝手に動いた。恐怖と緊張に耐え切れなかったのだ。

 震える両手が、ジルムートの頬に触れる。険しい表情の頬を包んで目を閉じると、自分から顔を寄せていた。まるで他人事の様に自分がする事を感じながら、何処に当たったのか定かではない唇を一瞬押し当てて、すぐに顔を離した。

 目を開けると、ジルムートが石の様に固まっていた。私も自分の行動が信じられなくて、頭の中は真っ白だった。

 ジルムートは動かない。私も動かない。

 どのくらいそうしていただろうか。やがて、ジルムートが瞬きをして言った。

「体が奉仕するのは、セレニー様にだけでは無かったのか?」

 石化が解けた。

「奉仕ではありません」

 私は必死に続ける。

「夫に、愛情を伝えただけです」

 言えないけれど信じて欲しい。そう思いを込めて、もう一度片手で頬に触れ、唇を寄せる。ただ唇を一方的に押し当てるだけの行為。色気のある行為と言うよりも、言葉だけでは伝わない何かを、全身全霊で伝える為の行為だ。

 愛情もあるが命乞いに近い気もする。怖くて大事で、恐ろしいのに大好きで、もう訳が分からない。

 今更ながら、初対面の時を思い出す。……この人は、本当は物凄く怖い人なのだ。甘やかしたらデレたからすっかり忘れていた。

 さっきジルムートはクルルス様にも牙を剥いた。クルルス様に忠誠を誓っているが……半分は友達だからだろう。遠慮しなかった。それ程に許せなかったのだ。私の裏切りが。

 ジルムートは暫く私を見つめてから、困った様に言った。

「俺には……どうしても言えない事なのか?」

 目を伏せて黙っていると、やがてため息が頭の上から降って来た。

「お前の捨て身には勝てない。分かった。もう聞かない」

 見上げると、いつものジルムートだった。

 ほっとしたら、今更ながら膝が震えて座り込みそうになる。そんな私をジルムートが慌てて片腕で抱き止めた。

「怖い……」

 鼻をすすりながら言うと、抱きしめられた。

「悪かった。兄上の所で追い返された上に、クルルス様は兄上の事もディアの事も考えるなと言う。ローズまで知っているのに何故だと思ったら、カッとなった」

 兄、主君、妻が、同じ事を自分に隠しているのだから怒るのは当たり前だ。

「私こそ、ごめんなさい」

 ジルムートは悪くない。このままディア様を待つだけではいけない。何とかしなくては。

 アリ先生は待てと言ったけれど、私は自分から動く事を決意した。

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