恋する王子
私がモイナと歩いていると、アリスを抱えたジルムートが歩いてきた。アリスは泣いていた。アリスにとって、私達が十三歳の誕生日に贈った品は特別な物だった。
ポートでは女にのみ裏成人式がある。初潮を迎えた翌年の誕生日、大人の仲間入りを祝い、アクセサリーを親から贈るのだ。私もジルムートも無事にここまで成長した事がとにかく嬉しくて、子供に買い与えるには不釣り合いな金額だと思いつつも、特注で指輪を作った。一生に一度の事だから、私達がいなくなった後もアリスを思う気持ちが形になって残ればいいとの願いもあった。
アリスは私達が贈った品のデザインをとても気に入って、満面の笑みになっていた。私達も嬉しかった。……そんな大事な物をカルロス様が壊したのだ。アリスが泣くのは無理もない。
「話は聞いたわ。お母さんも残念。カルロス様にはちゃんと言って聞かせるから、ね?」
そっと背中を撫でると、アリスは泣きながらただ頷いた。
カルロス様は、とにかく人に反対の意見を言ってやり込めたいとばかり考えている。どうしてこんな風になってしまったのか分からないが、クルルス様の若い頃に良く似ているとジルムートは言っていた。こんな状態なので、アリスの事を詳しく話せないまま今に至っている。
アリスが、カルロス様を苦手に思っているのは知っている。事あるごとに絡んでくるからだ。ジルムートはカルロス様と同じ年齢の頃、年齢にふさわしい成長をしていないから分からない様だが、カルロス様はアリスが好きで絡んできている。私は分かるだけに複雑な気分になる。カルロス様は生まれた頃からお世話をしているから、息子の様に思う部分もあるのだ。
「後は任せる。もう洗いざらい話してしまえ」
余程腹に据えかねているのか、ジルムートの周囲が異能漏れで黒くなっている。恐怖を与えると言う意味では、未だにジルムート以上の異能の持主は居ない。……怖すぎると人の話と言うのは頭に入って来ないものだ。私から話すべきなのだろう。
「分かったわ。アリスをお願いね」
まさかこんな形で話すとは思っていなかったが、黙っておくのも限界だったのだとも思う。
本当はクルルス様かセレニー様から伝えて欲しかったのだが……多忙であるお二人からは、話すべき時が来たら私達から話して欲しいと頼まれている。お二人共、私達と一緒に孫を可愛がる夢を諦めきれていないのだ。だから話したがらない部分もある。
カルロス様は王族だ。まさかアリスに婚約破棄の権利があるなどと思っていないだろう。それでも……話すしかない。
「モイナ、そう言えば今日はどうして学校の方に来ていたのですか?」
心配そうに振り返ってアリスとジルムートを見送っているモイナに聞く。美しくたおやかな淑女のモイナ。ディア様と纏う雰囲気は良く似ている。護衛と悟られない様にか、今日は騎士団の制服ではなく普段着を着ている。……犯罪者との戦闘中は悪魔の様だと聞いているが、そんな風には見えない。
「実はカルロス様が、アリスの誕生日にお祝いを渡していないから渡したいとおっしゃって供にと指名がありました。髪飾りを買うのに助言を求められました。それでここまで来たのですが……ローズ達から贈られたプレゼントがあまりに素晴らしかったので……その……」
だから壊したのか。自分の持ってきた品が貧相に見えて。
ため息交じりに言う。
「モイナ、レオンと一緒に外部に聞かれない様に警戒をお願いします。カルロス様には全てをお伝えします」
モイナはほっとした様子になった。
「騎士団としては、皇太子を危険に晒す様な事は避けたかったので、この時を待っていました」
騎士団はクルルス様とは良好な関係にあるが、皇太子であるカルロス様とは今一うまく行っていない。護衛なしで城から抜け出そうとする事もしばしばで、議会の議員がそれに手を貸そうとするから、問題になっていたのだ。
カルロス様は騎士学校も卒業している。腕もそこそこ立つ。街中のチンピラ程度に引けを取る事はないだろうが、やはり皇太子なのだからそこは注意してもらわねばならない。
私はカルロス様の居る武芸場の一角へ踏み込んだ。
「レオン、後は任せて下さい。モイナが外に居ますから、指示を仰いで下さい」
「分かりました」
カルロス様は、私を見て座り込んだままだが少し安堵した表情になった。側に居るクザートの表情が厳しい。
「クザート、外にモイナが居ます。詳しい事はモイナから聞いて下さい」
「俺を追い払うって事は、話す決心をしたのか?」
「……はい。ジルムートが洗いざらい話してしまえと」
「そうか。後で経緯を教えてくれ」
クザートはそう言って笑うと、軽く手を挙げて出て行った。それを見届けてから私は口を開いた。
「カルロス様、大事なお話があります。どうか心して聞いて下さい」
「聞かないって言ったらどうするんだ?」
私だからと気を緩めているが、今日だけはそれに乗ってやらない。
「そんな態度だから、皆が知っている事すら知れないままなのですよ」
痛い所を突くと、カルロス様はへそを曲げて黙ってしまう。黙り込んだ所で私は口を開いた。
「……アリスは、この世界を救う使命を持って生まれてきました。隣国パルネアで増えている可能性のあるベルガー家の魔法使いは、この世界を滅ぼしてしまうかも知れないのです」
私が話すのは、アリスが生まれる前から始まる因縁の話。魔法喰いと言う術式を生み出したが故に、この世界に目を付けられ、娘に継承しなくてはならなかった自分の苦い過去の話。
話すにつれ、カルロス様の顔色が悪くなっていく。浅黒い肌なので顔色はあまり分からない方なのだが、それでも分かる程に青ざめている。
「アリスは、ベルガー家の魔法使いを狩りきるまで、彼らを探し続けなくてはなりません。もし全てを狩り尽くした暁には……リヴァイアサンの騎士は異能を失います。それがアリスの旅の終わりです」
セイレーン達は、ただ世界の為だけに眠りながら生き永らえている訳ではなかった。彼らは種の復活を世界に約束されていたのだ。アリスが生まれた後、再びセイレーンが現れて告げて来たのだ。
リンカーズが居なくなった時には、リヴァイアサンの騎士と同化しているセイレーンは皆海に戻り、数千年眠っているリヴァイアサンの卵共々、海底で再び復活するのだと。リヴァイアサンの卵の孵化を助けるのがセイレーンで、リヴァイアサンが居る事で海底のあらゆる脅威から安全を確保しているのがセイレーン。彼らは共存関係にあり、切っても切り離せない間柄なのだとか。
「アリスが生きている間に終わらなかったらどうなるのだ?」
「アリスの子が魔法喰いを継承します。……そもそも王族の妃など、最初から務まる立場ではなかったのです。婚約の話は、政治的な理由でアリスを利用しようとする者達から、アリスを守る為の隠れ蓑です。クルルス様がそういう形でアリスを保護して下さっていただけなのです。保護が不要になれば、アリスとの婚約は破棄させて頂くつもりでした。カルロス様の相手にふさわしい娘ではありませんので」
どのくらいの数が居るのか分からないリンカーズ。アリスの使命がすぐに終わってしまうのか、数代にわたって追い続ける事になるのか。それは誰にも分からない。カルロス様は皇太子だ。王になれば世継ぎの問題はどうしても出る。アリスの産む子は危険の伴う荒事に臨む。王族として城に籠っている訳にはいかないのだ。
「どうしてその魔法使い達の数を確認しないのだ?世界には滅びたら分かるのだから、今どれだけ居るか分かっている筈だ」
「できればそうしています。でも、あちらから一方的に意思が伝わって来るだけで、詳しい話をする事はできません」
言葉もセイレーンを使って伝えて来るし、自分で直接介入する術を持たないのだろう。私はそう考えている。そんな事が出来ていたなら、もっと早くに事は解決していた筈だ。
「とにかく、アリスを王妃に迎えると言う事は国王としてポートを治めながら、世界を救う為に使命を帯びたアリスの行動を容認し、更に助力できるだけの器を求められます。……お言葉ですが、今までの行動を顧みるに、カルロス様にそれだけの事が出来るとは思えません」
「お前は、娘に人殺しをさせるのに俺を批判するのか?」
「アリスは魔法喰いです。殺さずに魔法使いと対峙できます。他の人に殺人をさせない為に、アリスは戦うのです」
「女だぞ?そんな過酷な旅に出すなど、おかしい」
「いいえ。ベルガー家の当主は代々男です。どの人格を魔法で受け継いでいても、美しい女に引き寄せられます。……あの子が女である事には意味があるのだと、私もジルムートも考えています」
親の欲目を除いても、アリスは美しく成長している。私とジルムートから取った顔のパーツは、配置が完璧だと思う。ハディクさん曰く、成長するに従い黄金比と呼ばれる比率が体のあらゆる部分に出てきているそうだ。詳しくは分からないが、万人に受け入れられ易い美しさと言う事らしい。
リンカーズを引き寄せる罠として効果的で、周囲の協力を得やすいと言う効果もある。過酷な使命を背負うが故に、そういう風に生まれ付いているのだ。
「アリスにはリヴァイアサンの騎士としての異能、魔法喰い、そしてジルムートの仕込んだ武芸の腕があります。アリス自身が望まない限り、男性は指一本触れる事は出来ません。王族の命令で無理強いをするなら、あの子は二度とポートに戻って来ないでしょう」
私は、カルロス様を見据える。
「縁が無かったのだと思い、あの子の事は諦めて下さい。……話はこれだけですので、失礼します」
目を皿の様にして私を見ているカルロス様を残し、私はその場を後にした。アリスが心配だったのでクザートに頼んで馬車を用意してもらい、すぐに館に戻った。
アリスは酷く落ち込んでいて、ジルムートと私で慰めたが、あまり効果はなかった。嬉しくて学校に指輪をはめて行ってしまった事を後悔しているのだ。
アクセサリーは身に着けてこその物。気に入った品を身に着けたが故に失ったと言う心の傷は、女として同情を禁じ得ない。これから先、美しい装飾品を身に付けたいと思っても、この事が原因で躊躇うのではないかと心配になった。
夜になり、城から呼び出しがあった。私とジルムートは、アリスをマクシミリアンに任せて城に向かった。
「悪かった!」
挨拶も無くクルルス様はそう言って、隣に居るセレニー様も申し訳なさそうにしている。
「いえ、もう済んだ事ですし、クルルス様のなさった事ではありませんので」
ジルムートがそう言うと座るように促され、私達は国王夫妻の前に座った。
「あの、だな、それで婚約の話なのだが……」
「「破棄します」」
私達は即答した。多分、破棄しないで欲しいと言われる事は予想していた。夫婦でここは譲らないと決めていたのだ。
「アリスはこれから先はパルネアとポートを行き来する生活になり、旅暮らしとなります。学校を卒業するまでの短い期間だけでも、家族で心穏やかに過ごしたいのです」
ジルムートの言葉に、カルロス様がしでかした事が私達家族にとって大事であった現実を、クルルス様は理解してくれた。
「同じ品を用意しても……同じではない。そういう事だな。カルロスめ。なんて事をするのだ」
「できれば、カルロス様をアリスに近づけないで頂きたいくらいです」
「それは無理だな。あれはアリスを自分の女だと思っている」
「その考え方は訂正していただきたい」
ジルムートの周囲が少し黒い。ジルムートの腕にそっと手をかけて落ち着かせながら言う。
「カルロス様には、誠心誠意お仕えして来ました。婚約破棄は、人として、してはいけない事をしたと私達が考えたので決めた事です。……どうしてもアリスをお望みになるのであれば、アリスを振り向かせる事の出来る男性になるよう勉学や武芸に励み、ご自分を高めて下さいと、お伝え願います」
カルロス様は見た目はとてもいい。問題は中身だ。
「ローズ、本当にごめんなさい」
「いえ、私もお世話をしていた立場ですから」
「何であんな子に育ってしまったのかしら……本当に困った子だわ」
国王夫妻から一斉にため息が出る。その後、少しだけ雑談をして私達は部屋から退出した。
二人で暗い城の廊下を歩きながら、ふと立ち止まる。
「どうした?」
「この部屋、覚えている?」
ジルムートは扉を見て首を傾げる。
「私、この部屋であなたに耳かきをしたのよ」
象牙の耳かきを突っ返し、立ち去った私の後を追ってきて腕をつかんだジルムートは、今よりもうんと若くて……。黒髪に白髪の混じり始めた目の前のジルムートは、渋い顔をする。思い出して格好悪いとでも思っているのだろう。
「カルロス様が頑張れば、アリスはほだされちゃうかもね」
「は?」
「だって私があなたの事を好きになったのって、ここだと思うもの」
ジルムートが変な顔をしている。好きになる要素など無かったと思っているのだ。
「あなた、私の事を好きだけど、どう言えばいいのか分からないって顔をしていたのよ。何も言わないのに告白されたみたいだった。私、その気持ちが怖いって思っていたのに切り捨てる事もできなくて、気付いたら大事に抱え込んでいたわ。……アリスはこういう所で私に似ているから、カルロス様が必死になったら振り払えないんじゃないかしら」
「それは嫌だ」
そうは思っても、決めるのはアリス。
「さあ、帰りましょう」
「ちょっと待て。ローズ!お前はそれでいいのか?」
「アリスが納得するなら」
「俺は嫌だからな!」
私達は、誰も居ない廊下を言い合いながら再び歩き始めた。




