ローズ、セレニーに改めて忠誠を誓う
今日はセレニー様が側に居る様にと言うので、久々に寝室でセレニー様のお相手をしている。
セレニー様は夜中なのにドレスを着たままで、クルルス様を待っている。
「今日は大事な話があるの。ローズにも聞いて欲しいの。ただクルルス様が何時来るか、分からないから、遅くなるけど我慢してね」
パルネアに居た頃と変わらない笑顔でそう言われて、何だか胸が熱くなる。
「とんでも無いです。私はセレニー様と居られて嬉しいです」
私の言葉に、セレニー様が疑問を口にする。
「ねえ、ローズは私の事嫌にならないの?」
「どうしてですか?私は一生お仕えする覚悟で、パルネアからお供して来ました。これからもセレニー様のお側に居ます」
セレニー様の目がみるみる潤んでいく。
「私、クルルス様を好きになってから自分がどんどん薄汚れていく気がする……」
「そんな事ありません」
セレニー様は大きく首を横に振る。
「こちらの生活に馴染もうとすればする程、嫌だと思う事をやらなくてはならなくて。でも王妃だから我慢しなくてはならなくて」
そんな風にセレニー様が思っているなんて、考えもしなかった。
「宝石も綺麗な服も少しも嬉しく無くて、ローズとアネイラと一緒に笑っていた頃に帰りたいって思うのだけれど、そんな事を言ったらクルルス様がお困りになるのは分かっているし」
「クルルス様は優しいお方です。正直に、気持ちを話されてはどうでしょう?」
「でも他の侍女達が言うの。美しくないとクルルス様ががっかりするって」
何て酷い。恋する乙女の気持ちにつけ込んで何て事を言うのだ。
「大丈夫です。クルルス様はそんな風に思ったりしません」
「どうして分かるの?」
「クルルス様がセレニー様の何処を好きになられたのか、お聞きしましたか?」
「金髪で巨乳だからって……」
クルルス様に対する評価が一瞬で急降下した。
国王の癖にもっと詩的な表現しなさいよ。金糸の様な髪とか、女性的で美しい姿とか。ただのエロい人発言で、誉め言葉になってない!
「それなら宝石は関係ありませんわ。お召し物もあまり意味がありません。セレニー様そのものをお好きなのですから」
ハンカチでセレニー様の涙を拭って手を握る。……それでも泣くほど好きなのでは、クルルス様の言葉に対する批判は出来ない。
「うん……」
前々から思っていたが、ポート王国の男性は紳士的な振る舞いが出来ない。……何でも率直に言い過ぎなのだ。
文化なのだろうが、もう少し恥じらいを持つべきだと思う。
先日会った、ジルムートの兄だと言うクザートは最悪だった。
自己紹介をして弟達が迷惑をかけて済まなかったと言う話までは、紳士的だった。
「ところでローズさん、今晩お暇なら俺と一緒に過ごしませんか?朝まで」
絶句する。そんなに気楽に誘うものなのか?初対面なのに。
これで三人目に会う訳だが、バウティ家と言うのは変人を産む家系なのか?
「耳かきより素敵な事があるって、知って置いた方が良いと思うんだけど」
「お帰り下さい」
「その潔癖な所、如何にもって感じ。男を知る事で世界が広がるよ?」
「生憎と、自分を安売りする様な感覚は持ち合わせていません。そんな理由で焦って広げた世界なんて、大した広さじゃないでしょうし、欲しくありません」
クザートは目を丸くした。
「思い通りになる女がご所望でしたら、他を当たってください」
暫く黙っていたクザートは、ゲラゲラと笑い出した。
「またね、ローズちゃん」
さっき『ローズさん』って言ってたのに、『ローズちゃん』て子ども扱いか!
腹が立ったが、アッと言う間に居なくなっていて言い返す事は出来なかった。
「ローズ?怒ってるの?」
過去に浸って、思わず険しい顔になってしまった様だ。
「セレニー様に対してではありません。ポートと言う国の文化が、パルネア人に対して非情である事に怒っているだけです」
私は改めて、セレニー様の手を握った。
「私は国籍こそポート王国になってしまいましたが、パルネア人としてセレニー様の側に居ます。パルネアで育てたご自分の価値観を、どうか否定なさらないで下さい。違っても良いのです。お辛いなら私に話をして下さい」
「ありがとう。ローズ」
こんなに違うのに、一年も経たない内に慣れろとか無理だ。セレニー様は頑張った方だと思う。
私はあまり周囲を関わらずに済んでいるけれど、異文化の常識を押し付けて来る侍女に囲まれて、セレニー様も辛かったのだ。
「セレニー様のお気持ちに気付かなくて、すいませんでした。もっと早くお話をお聞きするべきでした」
「いいの。私、クルルス様が大好きで、どうしてもあの方の好む女になりたくて必死だったの。でもどれだけ美容に時間をかけて着飾っても、クルルス様はお喜びになられない。だから疲れてしまったの。あまりにも虚しくて、パルネアに居た頃の事ばかり思い出すようになってしまったの」
この清らかな心を褒めないで、何で金髪巨乳とか言うのよ!だから変な方向にセレニー様は突っ走ったのよ。
「もう無理をなさらなくて良いです。セレニー様は王妃です。侍女達は使われる立場なのですから、言う事を聞く必要はありません」
「でも醜くなったら、クルルス様に嫌われてしまうわ」
何を言ったのだろう。この城の侍女達の言葉には相当毒があるみたいだ。許せない。
「醜くなんてなりません。十六歳でお肌や髪のお手入れに何時間もかけるなんて、馬鹿げています」
「そうかしら?」
「シワやシミが出来て来たとか、白髪があるならまだしも……おいしく何でも食べて睡眠をとり、適度に運動していれば、内側から綺麗になれる時期です」
セレニー様と一緒に、座学で人体の講義を受けた時にそう聞いた。十代は、そうやって体を健やかに育てて、元気な赤ちゃんを産む体を作るのが女の役目だと。
賢いセレニー様は、忘れていない筈だ。
「それはパルネアの常識だって言われたの。ポートでは十代からしっかり手入れをしないと、潮風で髪の毛が痛むし肌が荒れるって」
私は結っていた髪の毛を解いた。
「私を見てください。髪の毛、痛んでいますか?」
セレニー様の前に座って、頭を差し出す。
私の髪に恐る恐る触れたセレニー様は、手で梳いたり毛先を見たり、している。
「綺麗ね」
「セレニー様には遠く及びませんが、侍女のお手軽な手入れだけでもこの程度は維持できます。海藻の刻んだのと海鳥の糞を混ぜた物を塗りたくって洗い流すのは、あまり意味が無い気がします」
「あれ、凄い匂いがするから嫌だったの」
「じゃあ、やめましょう」
「でも、不安なの」
恋する乙女の心は揺れ動く物だと言うが、本当らしい。
「大丈夫ですよ。綺麗に洗髪して丁寧に梳きます。香油を刷り込めば綺麗に整います。……香油は、お好きなオレンジの香りなんてどうですか?」
「素敵ね。ラベンダーもいいわ」
ほんわりと笑うセレニー様。久々にこの笑顔を見た気がする。
「ポートならすぐに手に入るでしょう。取り寄せて、お好きな香りでくつろぎましょう」
このままでは我慢のし過ぎで、セレニー様は綺麗になるどころか禿げてしまう。
「お肌の手入れは、前と同じで、清潔にして食生活に気を付けましょう。油分の多い物は、吹き出物の原因になるそうですから、そこは料理番と相談します。日差しは、確かにパルネアよりも強いので、庭へ出る時には、日傘を差して手袋をしましょう」
「それで、クルルス様は幻滅しないかしら?」
「いいですか?ポートの方は肌が小麦色です。それに比べたら、どれだけセレニー様が日焼けしても白いです」
セレニー様は、一瞬ぽかんとしてからぷっと笑った。
「肌が、まだらになってしまうのが嫌なのよ」
「だから、日傘と手袋で十分です。焼かなければいいのですから。日差しの強い時間の外出は、公務以外では避ければ良いのです。日に焼けない様にするのに、地元の方は顔に泥を塗るそうです。でもそんな事、王妃のセレニー様にはさせられません。いくらポートの風習でも私が許しません」
セレニー様が、笑い出す。
久々に、セレニー様の笑い声を聞いた。
「たまには耳かきをして、耳ほぐしもしましょう」
セレニー様がうっとりした顔になった。
「ローズの膝の上で寝てしまうかも知れないわ」
「私の膝で良ければいくらでもお貸しします。だから、そう言う日を作りましょう。そして頑張っている自分を褒めて差し上げて下さい」
「いいのかしら」
またセレニー様の目に涙が浮かぶ。情緒不安定だ。心が恋と日常に疲れてグラグラしているから、泣いたり笑ったり、感情の揺れが激しいのだ。
「よく頑張られました。でも、まだまだこれからも頑張らなくてはなりません。息抜きを上手にしましょう。大丈夫です。私が側に居ます」
「ローズが居てくれて、本当に良かった」
ボロボロと涙するセレニー様を見て、怒りが湧く。
勤勉なセレニー様は、慣れない暮らしを必死にこなしてきた。恋するクルルス様の為に。でもクルルス様は、釣った魚に餌を与えない様だ。
贈り物もしない。着飾っても褒めない。自分の都合でイチャイチャしたら、後は政務で放置。
どう見てもクルルス様の一方的な癒しになっているだけで、セレニー様の気持ちは無視されている。だからおかしな連中が、セレニー様の気持ちを引っ掻き回すのだ。
何処が好きかと聞かれて、髪の色と胸の大きさだと答えるとか……馬鹿かと思う。
お世辞でもいいから、ピンクの髪でも、貧乳でもセレニー様だから好きなのだとか、言いなさいよ!
……ちょっと白熱し過ぎた。相手は国王だから気を付けないと。危ない、危ない。
とにかくポート人の男はロクでも無い。
「学び、考えましょう。私達がこの城で居場所を確保するのに、国王様は頼れません。騎士達も同様です。セレニー様は元々素晴らしい知性をお持ちです。国王様の言いなりになっていては、都合の良い女として扱われるだけです」
「それは……嫌だわ。私は同じ立場の人間として、愛し愛されたいの」
「綺麗な服や美しい姿だけでは、それは手に入りません。内面を磨いて国王様に認めさせましょう。セレニー様はお美しいだけでなく、しっかりとしたお考えを持った女性である事を」
「出来るかしら?」
「出来ます。元々素晴らしいお方だからこそ、私は付いてきました。それにここで生きて行くのは決まっています。やるしかありません。私には縁談も来ないでしょうし、来ても受ける気はありません。お側に居ます」
「ローズ、ジルムートやルミカとは何とも無いの?」
「あの人達は、耳かきが好きなだけです。もうしません。何度も言っているのに、しつこく強請ってきているだけです」
私が嫌そうに言うと、セレニー様は眉を下げた。
「可哀そう。ローズの事、きっと本気で好きなのに」
「好かれても困ります。あんな品性の欠けた変人騎士の兄弟はお断りします。バウティ家は、兄弟三人揃って皆、おかしいです」
セレニー様は苦笑した。
「ローズは耳かき一筋で、昔から鈍いものね」
「酷いです。これでも凄腕侍女を目指しておりますのに」
「もう十分凄腕だわ。だから結婚しないなんて言わないで。ローズの恋の話も聞きたいの」
「相手が出来たらご報告します。あまり期待なさらずにお待ちください」
「そんな事を言っていると、転がり落ちる様に恋してしまうわよ。私がそうだったもの」
セレニー様が嬉しそうに笑う。
こんな目に遭ってもクルルス様に恋した事を後悔していない。強い方だと思う。
「気を付けます」
合わせて笑うが、セレニー様の抱えた問題を考えて、心が暗くなる。
初恋が叶う。それは最高に幸せな事かも知れない。けれど現実はそう甘くない。
私の初恋は、城下町の鍛冶屋のお兄さんだった。素敵な筋肉、一生懸命に汗水垂らして仕事をしている姿が好きだった。
見ているだけで幸せだった。……中身なんてどうでも良かった。見つめて目が合った瞬間に笑ってくれるだけで、何日も幸せな気分になれた。……お兄さんがお嫁さんを貰うまでだったが、良い思い出だ。
セレニー様のクルルス様への思いは、そんな淡くて純粋な物だったのだと思う。
しかし、いきなり夫婦になってしまったから、相手の中身も分からないまま、恋に恋しておかしくなってしまったのだ。その歪みを訂正しなくてはならない。
とにかくクルルス様にはセレニー様への認識を改めてもらい、話し合ってもらう必要がある。
これからが正念場だ。
クルルス様に、セレニー様の内面の美しさや聡明さを分からせなくてはならない。愛でたい時に愛でて後は放置されるなんて、一方的な愛でセレニー様の人格を無視している。
心情を吐き出してすっきりしたのだろう。セレニー様はうとうとしている。
「少しお休みください。クルルス様がいらっしゃったらお声がけをしますから」
「ごめんなさい。眠たくなってしまったわ。お願いしてもいい?」
「お任せ下さい」
結局クルルス様は来なくて、私は徹夜で朝を迎える事になった。
約束すっぽかすとか、王様の癖にどうなってるのよ!




