バウティ家の兄弟とローズ
ルミカは完全にローズの耳かきに屈服した。
俺がローズに何を願っているのか理解し、自分の行いを激しく悔いる様になった。
俺は警備でローズの側にたまに居るが、ルミカは居ない。ルミカは見た目が華やかなので、議員達の会議の場に配置され、外交の際の護衛も任されている。詰めているのは城の中層だ。
それでどうなったかと言えば、夜にローズが通っている図書館に、わざわざ会いに行く様になったのだ。
当然俺も心配だから追いかける。二人きりにして、腹黒いルミカが嫌がるローズに耳かきを強制する様な事になってはいけないからだ。……本音を言えば、もしかしたら俺の耳かきをしてくれる機会になるかも知れないからだが。
結果、二人してローズに嫌な顔をされて追い返される。
毎晩、そんな事を繰り返している。
今晩も追い返された。
「兄上、どうしたらあれを……してもらえるのですか?」
耳かきと、羞恥心の捨てられない弟はまだ口に出せない。……甘いな。俺はそんな心、もう擦り切れて残っていない!
「知るか。お前が余計な事をするから、俺も耳かきが頼めなくなった」
耳垢を無意味に溜めている。ローズは掃除してくれないのに。そこまでになっている俺の気持ちは、お前に分かるまい。心が血の涙を流しているぞ!
「すいません」
俺の怒りが理解できたのか、ルミカが項垂れる。
俺がどんなに厳しくしても、小生意気で懲りなかった弟が最近大人しい。ローズの暴力的ではない方法に屈服した事で、考えを改めた様だ。
一緒に城を下がって家に帰ると、娘が茫然として家の前に立っていた。
「あの……私……帰れないのです。一晩のお情けを」
久々に見たな。
俺がため息を吐くと、ルミカが前に歩み出た。
「お名前をお聞かせください。明日には家に帰れます。醜聞にもなりません。ご両親にも叱られませんから」
娘は泣きながら何度も頷く。
以前のルミカだったら、強制的に家に帰らせ、親まで脅していただろう。しかし脅してもルミカは女顔だから、恐ろしさが今一伝わらない。だから何人も娘の居る家は、同じ事を繰り返すのだ。
自分の顔が嫌いなルミカは、ムキになって行動を過激化させていたが、最近は家名を聞き出すと、宿を手配する様になった。
その家名宛に、俺が直筆で手紙を書いて翌朝娘に持たせる。
娘はお返しする。再度この様な事があった場合、議会と国王に問題として提起して家名を公にする。と。
今まで黙って女を返していたからいけなかったのだと改めて思う。
俺の直筆の手紙の内容が、家同士の繋がりの中で伝播しているのか、女達が夜に襲撃して来る日が激減した。
実はローズが提案した方法なのだ。
「恥をかかせたくないなら、こっそりと断ればいいのです。次にやったら表沙汰にして、大恥をかかせるぞって事にすればいいのです」
「こっそりってどうやるんだ」
「娘をその夜は何処かの宿に泊めて、返す時に手紙を書いて持たせるのです。バウティ家の封蝋が押してある手紙ならば、結婚の約束だと勘違いして喜んで中を見るでしょう。見た後どうなるかは知りませんが、見ずに放置される事は無い筈です」
ローズの言う通りだった。
俺も驚いたが、ルミカがかなり衝撃を受けていた。
酷い目に遭えば二度とこんな事は起こらないと固く信じて、ルミカは娘達を酷い目に遭わせた訳だが、効果が殆ど無かった事に気付いたのだ。
娘は使い捨て、家が大事と言う人間がやらかす事だから、娘が酷い末路を辿っても懲りなかった。そう言う家は、子供がやたら多い。娘も大勢いるものなのだ。一人や二人は、どうなっても構わないと言う感覚なのだ。
ローズのやり方は娘達を守る上でも、俺の持つ立場を利用しようとする奴らを黙らせる上でも、非常に効果的だった。
ルミカは親の命令に逆らえず、仕方なく俺に薬を盛った女達の人生を狂わせた事を、強く意識する様になったのだ。
ローズを傷つけた事も、この時初めて理解した様だ。
そのせいか、ルミカは諦めない。耳かきだけでなく、ローズに心底赦して欲しくて、毎晩図書館に通っている。
「おかえり。またローズちゃんの所へ行ったのか?」
ルミカが娘を宿に連れて行っている間に、家に入ると兄に声をかけられた。
クザート・バウティ。もうすぐ三十歳になる。
「はい。今日も追い返されました。……兄上は何故制服なのですか?」
もう外は暗い。仕事は終わった筈だ。
首都ポーリアの守護神は、正しくは俺では無くクザートだ。
ポーリア全域の治安維持の指揮を執っているのは、長年クザートなのだが、表向き俺の名を貸している。悪党共にわざと勘違いさせる為だ。
俺に注目を集めてクザートが自由に動く事で、海外から来た犯罪者集団を捕まえ易くなるのだ。地元で外国人相手に悪事を働いている奴らは、当然本当の守護神が誰なのか知っている。
ローズには言えないが、地元の犯罪組織は、実質クザートの手下なのだ。だから捕まえる事は出来ない。
クザートは長年地元に巣食っている犯罪組織を、新たな犯罪者を見極める為の目として、ポーリアにあえて置いている。
貧困の末、行き場の無い人間の最後に辿り着く場所にもなっているので、ポーリアの犯罪組織を一掃するのは難しい。
だからクザートは飼い慣らしたのだ。外国人相手の犯罪には目をつぶり、情報提供には報酬を与えると言う取引をして。
そんな訳で、クザートは普段城の下層に詰めていて、昼間に会う事は無いのだ。
「陛下に呼び出されて、これから会う事になった」
クルルス様が?夜にあえてクザートを呼び出すなんて、非常事態だ。
「俺も行きます」
「落ち着け。ルミカが帰って来てから三人で行こう。何時になっても良いから、必ず三人で来いと言われた」
こんな呼び出しは初めてだ。
「気になるか?」
クザートの言葉に素直に頷く。
「多分、ローズちゃんの事だ」
毎晩俺とルミカが図書館へ通っている事は、当然知れ渡っている。
バウティ家の兄弟を手玉に取っている外国人の侍女。ローズの評価は、放置しておくべき外国人から変化しつつある。
この事はクザートから聞いた。諜報活動に関して、ポートではクザートの右に出る者は居ない。
だからローズの事を考えるなら、距離を置けと警告されたのだ。そうでないなら、俺かルミカの嫁にして保護すべきだと。
ルミカは、嫁にして保護する事に意欲的だ。だから更に熱心に図書館に通う様になってしまった。
クザートもこんなに女に執心しているルミカを見た事が無かったから、まさかこんな事になるとは思っていなかった様で、ローズに悪い事をしたと言っていた。
どうやら俺達とは別に、一人で会いに行って謝罪したらしい。それからクザートは、ローズを『ローズちゃん』と呼ぶ様になった。……クザートも何か思う所があったらしい。気に入ったのだ。
バウティ家の兄弟は、三人共、ローズと言う一人の侍女に頭を下げた事になる。しかも、兄も弟も、ローズを気に入っている。こんな事は異例中の異例だ。
ルミカは耳かきの技量だけでなく、ローズの人柄そのものに惚れてしまった。好意を隠そうともしない。ローズはそれを完全に遮断しているが、ルミカはめげない。
「赦してもらえないと、嫁には貰えないぞ」
クザートが苦笑して言うと、ルミカは項垂れた。
ルミカは暴言の事だけならまだしも耳かきを貶した為、ローズはかなり怒っている。猛省した訳だが、話すら聞いてもらえない。だから理解してもらえない状態なのだ。
クザートは真面目な顔で言った。
「呑気にして居られなくなってきた。俺達の誰かが、結婚と言う形で保護しないとローズちゃんに危害を加える者が出るかも知れない。多分、その話だろうな」
そんな予感はしていた。
他の女達は夜這いをかけても断られるのに、ローズだけが特別という状態がずっと続いているのだ。
俺だけでなく、ルミカまで特別扱いしているのだから状況は良くない。
「一つ、聞いても良いか?」
クザートが聞いて来る。
「何ですか?」
「お前はローズちゃんの事、どう思ってる?」
一瞬、思考が止まる。
「どう思うって……」
「まさかこの期に及んで、耳かきだけが目的だなんて言うんじゃないだろうな?」
「そうですよ……」
自分の言葉に自信が持てなくて、語尾がしぼむ。しかし他に何かを思う事はあり得ない。だから続けた。
「俺はローズの耳かきの腕を高く評価しています。それだけです」
クザートは、少し悲しそうな顔になった。
「ルミカは本気だが、あれはローズちゃんと絶望的に相性が悪い。お前が結婚する気が無いと言うなら、俺の婚約者と言う形で保護下に置く事になるだろう。……本当にそれで良いのか?」
騎士でバウティ家の人間だが、クザートは城の下層に勤めている上に、表向きは俺の補佐になっている。冴えない男を演じているだけなのだ。
バウティ家の利権を狙うような輩からすれば、ローズは家長である俺の相手では無くなる訳だから、大人しくなるだろう。
「それが一番無難だと思います」
クザートは、眉間に皺を寄せた。
「一般論じゃない。お前の気持ちを聞いているんだ」
「気持ちだけではローズは守れません」
クザートが目を丸くする。
「俺が一緒に居ると、ローズは泣きます」
子供の様に泣きじゃくっていたローズの姿が頭から離れない。
「結婚したからと、城勤めを投げ出す女ではありません。どんなにセレニー様の心が離れても、拒絶されない限りは城に勤め、見守るつもりだと思います。……俺と結婚したら、城へ勤めるのは今以上に辛くなるでしょう。バウティ家の家長の妻であり王妃の侍女でもある立場は、周囲が良からぬ事を考えるには十分なものです。ローズは利権争いに興味が無い。でも巻き込まれる事になります」
俺は、家長と言う立場を捨てられない。
だから、ローズを幸せには出来ないのだ。
「ローズには笑って欲しいんです。……俺は相手には相応しくありません」
クザートが呆れた顔をした。
「そんなに好きか?」
「ローズの技術は、神の領域ですから」
クザートが顔を強張らせて俺を見た後、ため息を吐いた。
「……相変わらず鈍いな。さっきの話、立派な愛の告白だと思うのだが」
「違います。俺はローズが呑気に耳かきをできる環境を整えてやりたいだけです。女として見ている訳ではありません」
カメの話で気絶して、耳かきの事ばかり考えている、陰謀なんかとは無縁の女。
欲望を向ける様な、生々しい関係を望んでいる訳では無い。
ほっとする、耳かきの時の優しく和んだ空気を、ローズが失う事が無い様にしたい。穏やかな環境で気持ちに余裕を持てれば、俺が近づいても構わなくなって、耳かきをしてもらえるかも知れない。
俺はそれだけで十分なのだ。
そんな事を考えていると、クザートが言った。
「お前の男気は理解した。でもお前は分かっていない事がある」
「何でしょうか?」
「婚約したら、ローズちゃんは婚約者の耳かきしかしないし、出来ない」
「え?」
「当たり前だろう。婚約者が居るのに、別の男に膝枕をするなんて不義だ。俺が婚約しても許す気は無い。ルミカでもそうするだろうな。結婚したら、夫と生まれた子供の耳で我慢してもらう事になるな」
衝撃で顔から血の気が引いた気がする。
「俺はあまり耳かきに興味は無いが……ローズちゃんが望むなら、いくらでも耳は貸すつもりだ。あの子は耳かきが好きなだけじゃない。優しい上に知恵も働く。一緒に居れば楽しい人生を送れそうだから、俺は大事にするぞ?」
そこへルミカが戻って来た。
「何のお話ですか?」
「ローズちゃんと誰が婚約するかって話だ。俺は乗り気だ」
「クザート兄上、俺がローズと結婚したい!待ってください」
「お前は嫌われているから、ダメだろう」
「ちゃんと話を聞いてもらえるなら、必ず納得してもらえる自信があります」
ローズ……大人気だな。俺の兄弟にモテモテだぞ。そうか。結婚すると言う事は、特別な関係を結ぶと言う事だ。
ローズは貞淑な妻になるだろう。……夫の嫌がる様な事はしないだろう。例え、耳かきであっても。
ローズが、特定の誰かの耳かきだけをする様になる。それはつまり……
『旦那様、もう耳かきは終わりましたよ』
『もう少し、こうして居たい』
『甘えんぼさんですね。うふふ』
なんて事を、誰かにだけ許すと言う事を意味する。
「大体、クザート兄上は十歳も年が離れているから、年齢的に釣り合わないと思います」
「何を言う。大人の包容力で俺はローズちゃんを甘やかすよ。お前みたいに傷つけたりしないし」
兄弟が、まだギャーギャー言っている。
どっちに嫁に行っても、俺の耳かきは永遠に失われる。
ローズを嫁にやってはいけない。何処にも嫁がせてはならない。
そうだ。どうせ、セレニー様のお側に居るつもりなのだ。だったら、ずっと独身でいてもらえばいい。
きっと何歳になっても、ローズは俺にとっては可愛い耳かき侍女だ。それがいい。
俺はクルルス様の側に居る。ローズはセレニー様の側に居る。名案じゃないか。
「ジル、黒いのが出てる!漏れてる!」
「兄上、怖いです!」
俺は笑った。兄弟は震えあがっていたが、俺は素晴らしい結論に辿り着いて満足だ。
「城へ行くんですよね。クルルス様に会いに」
「ああ……」
「行きましょう。ルミカ、クルルス様は俺達三人をお呼びだそうだ。兄上と俺の分も、馬を用意してくれ」
「はい……」
クザートは何か言いたそうにしているが、言わない。
家長である俺が、二人よりもずば抜けて強い事は兄弟達が一番良く知っている。俺が決めた事は、バウティ家では絶対になる。それは力関係のせいだ。どれだけ頭脳明晰であろうと、策略に長けていようと、俺は力でねじ伏せる。
どうせ、兄弟でどちらに嫁ぐかという争いになる。俺はそれを抑止するフリをして、どちらにも嫁がない様にする。
ルミカは心配ない。もう既に嫌われているから。問題はクザートだ。
クザートは優男だ。女受けが非常にいい。
その見た目を利用した女遊びも激しいのだが、必ず綺麗に関係を清算する。
大事にすると言っているが、女遊びは止めないだろう。情報収集の一環だと割り切っているから。それを知ったら、きっとローズは嫌がる。
クザートに隙があるとすれば、そこだ。如何にして、その情報をローズに吹き込むかだが……。
「ジル、真っ黒だよ!空気悪くて死にそうだ!何考えてるのか知らないが、やめてくれ」
クザートの悲鳴の様な声がした。




