4・ペガサス
染谷春奈に告白したという奴は、隣のクラスに通っている『綾小路天馬』という名前の男子だった。
アヤノコウジペガサス? 何だ、そのキラキラネームは。僕は、会ったこともないその男子生徒のことを想像して、勝手に腹を立てていた。僕の大好きな染谷春奈に交際を申し込んだらしいという噂話を知って、嫉妬心でいっぱいになっていたのだ。
フンッ、僕の『太田太郎』って名前だって和風でカッコイイんだぞ。そんなちっちゃい子どもみたいなライバル心を剥き出しにしながら、僕はチャイムが鳴り響いた教室を後にして、放課後に隣のクラスへと向かってみた。その日は部活が休みで、授業が終わったら真っ直ぐ家に帰る予定だったけれど、僕の足は自然と隣の教室へと動き出していた。そいつがどんな奴なのか自分のこの目でちゃんと確かめるまでは、無事に家に帰れそうになかったのだ。
ちなみに、このときの僕の目は、ピンク色のハート型にちゃんと戻っている。
「たのもー! 綾小路天馬という奴はいるかぁー」
「うん? 俺だけど?」
返事が聞こえてきた方を見ると、数人の男子生徒が机を囲むようにして立ち話をしているところだった。
綾小路天馬という奴は、その中で一番背が高い男子だった。モデルのように手足が長かったそいつは、友人たちとの談笑を一旦中断して、はっきりとした二重の大きな瞳でこちらを見つめてきた。
こちらの想像よりもちょっとだけ、いや……かなりのイケメンであった綾小路天馬の姿を目にして、僕は口を半開きにさせたまま何も言葉が出てこなかった。
もっと平凡で、名前負けしているような奴を想像していた僕は、驚いて声が出なかったのだ。そいつは名前負けしているどころか、むしろ、そのキラキラネームの方が地味なんじゃないかと思えるほど、端正な顔立ちのカッコイイ奴だった。男の僕でもうっかり見惚れてしまうほどだ。きっと、僕が何度生まれ変わったとしても、こんなにも綺麗な顔立ちの男になれることはできないのだろう。
フ、フンッ……。で、でもきっと、どんなに顔はよくても、奴の頭の中はスカスカに違いない。
僕はそう考え直すと、鼻を鳴らして首を縦に振った。なぜなら天は二物を与えないのだ。綾小路天馬は確かに男前かもしれないけれど、勉強や運動能力なんかはきっと僕の方が勝っているに違いない。そう、きっとそうだ。
人を見た目で判断したらよくないけれど、僕はそのとき、理性を保てている場合じゃなかった。染谷春奈に首ったけになっていたから、恋のライバルである相手のよさを見つけたくなかったのだ。染谷春奈に好意を抱いている奴はみんな、僕にとっての敵なのである。綾小路天馬という男なんぞ、彼女にはふさわしくない奴だと思い込むしか今の僕を安心させる方法はなかった。
「あいつなんかダメだよ」
結局、逃げるようにして自分の教室に戻ってきた僕は、リュックを背負って家に帰ろうとしていた親友の上窪の身体を掴んで、話し相手になってもらっていた。
あの噂話は本当だった。綾小路天馬が、染谷春奈に愛の告白をして交際を申し込んだという噂話である。
僕はついさっき、本人に直接その噂話が本当なのかどうかを確かめてきたばっかりなのだから間違いなかった。綾小路天馬は、まだ染谷春奈から告白の返事をもらっていないと言い、何だか落ち着きがなくそわそわとしていたけれど、そんなことは僕にはどうでもよかった。
このまま何もしなかったら、染谷春奈をとられてしまうかもしれない。僕の頭はそれでいっぱいだった。だから、そわそわしながら話し続ける綾小路天馬を無視して、僕は逃げるようにして自分の教室へと戻ってきたのである。
染谷春奈はもう帰ったのか、そのとき教室に姿は見えなかった。
「でもさ、染谷は綾小路のことはあんまりタイプじゃないって女子たちが話しているのを聞いたよ。まぁ、大丈夫なんじゃん?」
「いや、僕もそんな噂を聞いたけどさ……で、でも、染谷春奈が綾小路天馬をふったとしてもだよ? ……また、これから他にも、染谷に告白する奴が出てくるかもしれないじゃんか」
「まぁ~、そうだな。学校一の美女だって、今じゃ男子の間では有名になっているからな」
上窪の言う通り、この頃の僕たちの学校では、染谷春奈の認知度は男子生徒を中心に急上昇していた。彼女が学校の廊下を歩けば、ほとんどの男子生徒が振り向いて二度見をするのが当たり前なくらい綺麗な女子だったから、すぐに有名になっていたのだ。
僕はますます不安が高まった。
「なぁ上窪、染谷春奈にそれとなく僕のこと、どう思っているのか訊いてみてくれないか。もし僕にちょっとでもその気があるのなら……彼氏になれる可能性が高いみたいならさ、これから僕は頑張って染谷にアプローチしてタイミングのいいときを見つけて告白するからさ。なぁ、お願いだよ」
臆病者の僕は、両手を合わせながら親友にそう頼み込んだ。
「え~何で俺が訊かなきゃいけないんだよ。そんなまどろっこしいことしないで、太郎が直接、自分で告白しちゃえばいいだろ」
「嫌だよっ。だ、だってさ、本人の目の前で告白して、もしふられちゃったりしたら、僕の目は一体どうなると思う? きっと、その瞬間、僕のハートの目にひびが入って、粉々に砕け散った後、瞳が白一色になって、まるで気絶したみたいに白目剥いているように見えるに決まってるよ。なぁ、そんな姿、好きな子の前では絶対に見せたくないんだ。頼むよ、上窪」
僕は自分のこの特異な目のせいで、好きな子の前でふられた自分の姿を想像してみたら、鳥肌が立つほど恐ろしくなった。染谷はまだ僕の目の事情のことを知らないのだ。だから突然、ハート型の目から白目なんかに変化させちゃったりしたら、驚いて悲鳴を上げてしまうに違いない。
「白目ねぇ……別にそれがお前の本当の姿なんだから、見せたっていいとは思うけどね。まぁ……仕方ねぇな、親友の頼みだから。ん~明日にでも、俺が代わりに訊いてきてやるよ」
上窪は嫌そうな顔を見せながらも、結局僕のお願いを引き受ける優しさを見せてくれた。
僕は胸の前でガッチリと自分の両手を握りしめると、ピンク色のハート型の目をうるうるさせて、親友の顔を見上げていた。
「おぉ……お願いだから、そんな目で俺を見つめるな」
「ありがとう上窪様」
「ん? あぁ……。その代わり、今度、俺に何か美味しいもの奢ってくれるんだよな? ステーキとか焼肉とか、あっ、海鮮尽くしでもいいぞ? へへっ」
親友はいつものように、意地悪なキツネみたいな笑顔を見せると、僕の返事も待たずに教室を出ていった。




