第33話 迷惑問題
フィルド帝国の中心部、帝都ユミルにあるお手頃価格の宿、ツキノクマの205号室で真田は備え付けの敷布団に寒さのあまり包まらずに、キャンプ用の氷点下20度まで耐えきれる寝袋に入って寝ていた。
夕食を終えて、部屋に戻った真田は掛布団に包まって寝ようとしたが、申し訳程度しか羽毛が入っていないので、帝都の夜の寒さに堪えられずに、サガムの時と同様に亜空間からポリエステル製の中に羽毛が入っている赤い色のマミー型の寝袋を取り出し、そこに入って就寝の途に就いた。
規則正しい寝息を立てている真田の横には、アウクシリアが置かれていた。
空中に展開しているアウクシリアのディスプレイにはデジタル式の時計が刻々と刻んでいた。
時間が経ち、ディスプレイの時刻が06:00:00と刻み。ピピッ‼、と機械的な電子音がディスプレイ近くのスピーカーから鳴り響いた瞬間。
真田は勢いよく目を開くと、慣れた動作で寝袋から上半身を出すと、ディスプレイの目覚まし機能の停止ボタンを押した。
スピーカーからは、ピッ、という電子音を最後に、それ以上鳴る事は無かった。
「(‥‥‥‥‥‥6時か)」
最初からアクセル全開にしてスタートダッシュをかけるF1マシンのように、一気に睡眠から覚醒に脳の状態を移行させたのだが、まだ完全ではないらしく、少し眠たそうな眼をしていた。
真田はカバのように口を大きく開けて無音の欠伸をしながら寝袋から出ると、外気の冷たさに冷やされた部屋の温度に少し震えたが、ノーシェバッカスを発動させ亜空間に、アウクシリアと寝袋を収納した。
まだ日が昇っていないので窓からは陽光は差しておらず、部屋の中は野外と同化しているかのように暗かった。
真田は脱いだ靴を履いて、部屋の鍵をポケットに入れ、眠気を覚ましに顔を洗おうと外にある井戸に行こうと窓を開けた。
月明かりは無く空と建物の輪郭が曖昧な暗さの中、真田は下に人が居ない事を確認すると、窓の枠に足をかけると、頭が当たらないように上体を低くして飛んだ。
音を立てないように全身を使って着地の衝撃を緩和した。
まだ人が出てくる時間には早いみたいで、周囲に人気は無く、世界には自分1人しかいなような錯覚をさせるような静寂に包まれていた。
真田は亜空間から徳用のタオルセットの白いタオル1枚を取り出し肩にかけると、極力音を立てないようにサガムにあった同じタイプの滑車付きの井戸から水を汲み上げた。
地下水を汲み上げた桶を煉瓦の囲いに置くと、服が濡れないように気を付けながら、冷え冷えとした水を両手で救い上げ、顔に被った。
刺すような冷たさが一瞬、顔に張り巡らされた神経から脳に刺激が伝わったが、眠気を吹き飛ばすのには不十分なのか、真田には眠気が漂っていた。
何度も冷水で顔を洗うが完全に眠気を取る事が出来きず、真田は桶に残っていた冷水を井戸に流し、桶も紐をゆっくりと下ろして、滑車にストッパーの太い枝が当たり紐は止まった。
「(冷たい水で顔を洗えばある程度の眠気も飛んでいくと思ったが、全く効果がないな)」
真田は肩にかけるた白いタオルで顔を拭きながら、効果が無かった事に落ち込んだ。
徐に空を見上げた。まだ日の出前なので空には星が凍りついたように輝いていた。
「(まだ日の出までは時間があるみたいだから、朝食には早いだろう。‥‥‥まぁ良い機会だから、この鈍っている身体を鍛え直しますか)」
真田は感触を確かめるかのように、右肩をぐるぐると回した。
何処にも余計な脂肪は無く、スラリとした短距離走者のような引き締まった身体なのだが、真剣な表情で入念に関節部を動かしていた。
「(さて最初は体力をつける為に走り込みか。無音での)」
真田は人混みに紛れて暗殺を行うアサシンのように、気配を消すと靴音を立てずにして走り出した。
実体があるのにまるで幽霊のような不確かさを孕んだ真田は、まだ闇が支配する帝都へと消えていった。
太陽が地平線から顔を出し、弱々しい陽光が帝都ユミルに落ちている最中、ランニングを終え、宿の近くの井戸にいる真田の額には薄らと汗が滲んでいた。
その表情は走り切った後特有の、脳内に神経伝達物質エンドルフィンが分泌され、精神が高揚するランナーズハイではなく、寧ろ高い料金を払ったのに三文芝居を見せられたかのような不機嫌なものだった。
「(汗は掻いただけか。やはり軽いランニング程度では、意味を為さないか)」
帝都の半分を何週も廻った真田の身体は上下していたが、それは微かなものでよく目を凝らしていないと気付かないものだった。
井戸で地下水を汲み、肩にかけていたタオルを浸け、雑巾絞りで適度に水気を飛ばしたタオルで顔を拭いた。
タオルを介して水の冷たさが伝わり、真田が火照った顔を冷やしていると、背後からドアが開く音が聞こえた。
真田がなんだろうと振り向くと、そこには昨日受付けに居た中年女性だった。
中年女性は白の長袖に足首まで隠れる黄色のスカートを履いていた。
木の箒を持った手を背筋と共に天へと伸ばし、宿の前を掃除しようとしたとき、自分を見ている真田に気付いた。
「おはよう、早いんだね」
「おはようございます。だいたいこれぐらいの時間で起きるので」
「そうかい。‥‥‥ちょっと早いが朝食にするかい?」
「いいのですか」
「別にかまわないさ。父ちゃんの朝食の仕込みも終わっているから、後はアンナがパンを買って来るのを待つだけさ、もうすぐ帰ってくると思うけどね」
真田は中年女性の言葉を聞きながら、夕食時の事を思い出していた。
奥の厨房で作られた宿を経営する夫妻の手料理を宿泊者にその娘アンナが配膳をしていた。
母親と同じショートの金髪で活発な少女で、手伝いは長く酔っ払いのしつこい誘いをのらりくらりとかわしていた。
真田はあの少女が何時かは目の前の中年女性のようになるのかと思うと、時間の流れは残酷だなと思わざる得なかった。
真田が無情感に苛まれていると、此方に近づいてくる人影に気付いた。
視線をずらすと、そこには話題に上がっていたアンナがいた。
アンナは若草色の長袖のワンピースを着ており、持っている半球型の籠には近くのパン屋で買ってきたパンが山積みになっていた。
「どうしたの母さん。掃除もせずになにかあったの?」
「いんや、何にもないよ。‥‥‥さて、パンが来たとこだから、朝食にするよっ」
中年女性は爽やかな空に抜けるかのような声で、宿に入っていった。
いまいち事態がわかっていないアンナは、大量の疑問符を頭上に浮かべていた。
真田はアンナの様子に思わず苦笑を浮かべた。
「ご馳走様でした」
朝食であるカボチャ味のスープとパン、焼いた薄い肉3枚を食べ終えた真田は、木の皿の前で手を合わせた。
「(朝食は似たようなものだったが、此処で野菜ではなく肉と出てくるあたりが、サガムと此処の違いなんだろうな)」
真田は朝食から見えてくるサガムとフィルド帝国の食糧事情の違いを考えながら席を立ち、部屋へと戻っていった。
途中、階段で眠たそうな他の宿泊者とすれ違った。
真田は自室のドアの鍵を開けて入ると、開けたままの窓を閉めた。
そしてギルトで必要なものが入っているか、巾着袋を開けて確認した。
「(よし、身分証であるギルトカードとお金はちゃんと入っているな)」
巾着袋の口を閉めて首にかけると、廊下に出てドアの鍵を閉めた。
真田はちゃんと閉まっているかドアノブを揺らして、閉まっている事を確認すると1階の受付へと行った。
1階に下りると、食堂部分には他の宿泊者たちが朝食を取っていた。
給仕をしていたアンナは下りてきた真田に気付くと、受付へと行った。
「サナダさん、お仕事に行かれるのですか」
「ええ、貧乏人に暇なし。朝から晩まで汗水垂らして、生活の糧を得ようと頑張る訳ですよ」
朝早くから仕事に向かわざる得ない事に落胆し落ち込む真田は、どう反応していいかわからず苦笑するアンナに自室の鍵を渡した。
「身体に気を付けて、お仕事頑張ってください」
「はい、行ってきます」
アンナのとびっきりの営業スマイルの見送りを背に受けて、真田は仕事も求めてアヴェドギルト本部へと向かった。
何本かの路地を抜けて大通りに入った真田は歩きながら周囲を見回していた。
役所や雇われている店に向かう人たちや鍬などの農耕器具を持って帝都周辺に農地を持つ門に向かう農家、旅先から帰って来た貴族、地方の仕入れから戻って来た豪商の馬車の隊列等々が大通りを埋め尽くしていた。また大通りに面している店は開店準備に追われていた。
真田が大通りを歩いていると、何やら人だかりが出来ているのに気付いた。
真田はこのまま無視して通り過ぎようかと考えたが、特に急がなければならない事柄も無く、時間を持て余していた事もあり、好奇心をむき出しにして人だかりの中に入っていった。
迷惑そうな顔をした人たちをかき分けながら中に入っていくと、そこには木の籠を持つギルトの制服である長袖で青のワンピースを着た少女と、どこかの制服なのか白のシャツに黒と灰色のチェックのネクタイに、胸には校章が刺繡された同じ黒の服を着た3人の少年がいた。
真田はその少女を見た瞬間、稲妻に打たれたかのような驚きが全身に走った。
何故なら、昨日真田の冒険者登録の担当だった職員だったからだ。
4人から醸し出す雰囲気はとてもではないが、仲の良い友人がばったりと道出会い話し込んでいるような朗らかなものではなく、少女からは会いたくも無かった3人の少年にからまれて困っているような雰囲気を出していた。
その証拠に、少し体格が良いソフトモヒカンの少年が少女の華奢な腕を掴んでおり、少女は少し及び腰になっていた。
「あ、あの。離して下さい」
「そう言わずにメアリーちゃん。仕事なんて行かないでさ、楽しい所に行こうよ」
にたにたと気味の悪い笑顔の少年の撫でるかのような声に職員ことメアリーは今にも泣きそうな表情をしていた。
「そうだぜ。アニキと一緒に行けば、損なんてさせないぜ」
「そうそう。アニキと一緒になれば、人生楽しくやってけるぜ」
取り巻きなのだろうか、オールバックとモジャ毛2人のすらりとした少年はメアリーの腕を掴んでいる少年の言葉に追従した。
メアリーは威圧的なやり取りに、今にも泣きそうだった。
ソフトモヒカンの少年とのこのようなやり取りは初めてではなかった。最初は運よく近くに街を巡回していた騎士が居て、それを見た少年たちが一目散に逃げた事で事なき事を得た。翌日も会ったが隙を見て、全力で逃げた。その翌日からはギルトまでのコースを変えたり、行く時間をずらしたりして、最近は会っていなかった。
会っていない事にもう諦めたのだと思い、本当なら小道を使っていく所を大通りを使った事が運のつきだった。歩いていた所を見つかり、今度は逃げられないように腕まで掴まれていた。
メアリーは今すぐにでも強引に手を振り解きたいのだが、相手の立場を考えると消極的な抵抗しか出来ずにいた。
「皆さん。今から帝立スキエンティア魔法学園に行かなければいけないんじゃないんですか」
学園の生徒である事を理由に何とか少年たちを離れたいメアリーは、液体を吸い込んだ笛のように震える声で言うが。
「うーん。メアリーちゃんの心配が心に染み渡るよ。でも大丈夫。あんな退屈な所よりもメアリーちゃんと一緒にいる事が大事だから」
リーダー格の少年はそれをメアリーが自分の事を心配してくれていると勘違いし、ますます腕を掴む力が強くなり、見る目もメアリーの四肢を舐めまわすかのようなじっとりとしたものになっていった。
メアリーは掴まれている腕からの物理的な痛みともう自分ではどうしようもない事の精神的に追い詰められた事が合わさって、涙目となっていた。
目の前に広がる絵に書いたような不良に絡まれた少女というクラシカルな光景に 真田は感嘆していたが、直ぐにハッ!!となり我に返った。
「(いかんいかん。なに傍観者の立場になっているんだ)」
真田は少し前の自分を恥じると、気配と靴音を消して腕を掴まれているメアリーに近付いた。
そしてメアリーの細い腕を掴んでいるソフトモヒカンの少年の腕を強く握った。
「あん。なんだてめぇ‥‥‥痛ててててててててっ」
腕を掴まれた事で真田が近づいた事に気付いたソフトモヒカンの少年は、追い返そうと睨みつけようとしたが、真田の握力が少年に耐えきれるものではなく、痛みのあまりメアリーの腕を掴んでいた手を離した。
メアリーはソフトモヒカンの少年の悲鳴が上がった事で、初めて真田に気付いた。
真田はメアリーと少年に出来た僅かな隙間に強引に身体を滑り込ませ、メアリーを庇うように前に立った。
「離せ! 離せ! 離せって言っているだろ!!」
腕を握られている少年は声を荒げて、真田の手を振り解こうと腕を上下に動かそうとするが、真田はびくともせずに美術館に飾られるような彫刻のように佇んでいた。
少しして真田が握力を弱めると、少年は冬特有の静電気に触れたかのように勢いよく腕を引っ込めた。
少年は真田から距離を取ると、睨みつけた。少し涙目になっているので、あまり意味を為さなくなっていた。
「「アニキ、大丈夫ですかい!?」」
取り巻きの2人の少年が心配そうに慌てて近づくが、リーダー格の少年は痛みで使えない右腕をだらりと垂れさせて「大丈夫だ」と、ぶっきらぼうに言って2人の少年を左腕で振り払った。
真田は自分を睨めつける少年を見ながら、背後の急な展開についていけずに少し呆然としている、自分よりも少し低いメアリーに声をかけた。
「メアリーさん、怪我は大丈夫ですか」
「え、ええ。怪我は無いですけど。えっと‥‥‥」
知り合ったばかりの真田に教えて無い筈の名前を知っている事に、メアリーは少し怪訝な表情をした。
「すみません。あの不良たちとのやり取りでわかったので、使わせて貰いましたけど。不快なら言わないようにしますが」
「あっ、いえ。不快だなんてそんな。そのまま使ってください」
「ありがとうございます」
メアリーはランクは新人だが冒険者に守られる事に安心と思ったのか、安堵の吐息を漏らした。
ソフトモヒカンの少年はいきなりの乱入者に、自分とメアリーとの語らいを邪魔されたと思い、怒りの炎を碧眼の瞳に宿らせていた。
「おい、お前。一体何してくれてんだ。俺とメアリーちゃんとの語らいを邪魔するんじゃねぇ」
ソフトモヒカンの少年の怒りの言葉に、真田は何言ってんだと呆れた顔となった。
「語らいって。メアリーさんは嫌がっていたろ。言っておくが女性を誘う時は、紳士的に優しく語り掛け、そして時には大胆に誘うものだ。君のような威圧的に振る舞えば、女性は嫌がるに決まっているだろ」
真田は以前、行く先々で若い女性を口説いていた友人(年齢不詳)からの格言のようなものをそのまま引用して、ソフトモヒカンの少年に忠告した。
真田の言葉に共感を得たのか、周囲の人だかりはうんうんと頷いた。
ソフトモヒカンの少年は図星なのか、ますます怒りで顔を赤くしていた。
「う、うるせぇ!! 俺の邪魔するじゃねえよっ!!」
少年は左拳を強く握りしめ、力に任せて真田に殴りにかかった。
真田はボクシングのファイティングポーズを決めると、少年の左拳を振り払って、高いが授業料として、顔に攻撃しようとした。
後ろにいるメアリーは真田の攻撃の意図を察知して、目を皿のようにして驚き、上擦った声で。
「駄目です、サナダさん。攻撃しては!!」
だがメアリーの願いは空しく、真田の右拳はソフトモヒカンの少年の顔に綺麗に当った。
突き抜けるかのような衝撃を受けたソフトモヒカンの少年は後ろへと少し滑空し、取り巻きの2人の前に倒れた。
取り巻きの2人が驚いた様子で慌てて駆け寄るが、ソフトモヒカンの少年はメアリーの前では恰好悪い所を見せたくはないと、2人の手を取らず自らの意志でよろろよとしながらも上体を起こし立ち上がった。
ソフトモヒカンの少年は自身の奥底から沸き立つ怒りに呼応させるかのように、目の角を立たせて、睨んでした。
だが、鼻から流れる2つの血の筋が、滑稽さを醸し出していた。
「やりやがったな、貴様」
真田とソフトモヒカンの少年との間から出る険悪な雰囲気は、次の戦いを呼び起こそうとしていた。
真田とソフトモヒカンの少年がお互いに構え、第2Rが始まろうとした時。
「おい、そこで何をやっている!!」
男性の鋭い声と共に、ガチャガチャと、金属同士が当たる音が近付いてきた。
その音を聞いたもじゃ毛は慌てた様子になり。
「アニキ、このままじゃ」
「ちっ、仕方がね。逃げるぞっ」
苛ついているソフトモヒカンの少年の言葉に、取り巻きの2人は小刻みに首を縦に動かして頷いた。
北の方へと逃げようとする3人だが、ソフトモヒカンの少年は振り返り、真田を親の仇を見るような鋭い目で睨んだ。
「貴様、その顔覚えたぞ。絶対に後悔させてやる、覚えていろよ」
吐き捨てるように言うと、ソフトモヒカンの少年は2人の後を追うように逃げ去った。
今では聞かないような使い古された逃げる際の定番の台詞に、真田はある種の感動を憶えた。
3人の少年たちと入れ替わるように人だかりから、帝国で正式採用している青の鎧と青のマントを着た3人の騎士が入って来た。
騎士を見て真田は事態が面倒な方向に流れている事に気付き、今更ながら好奇心というものは厄介なものだと痛感した。
そして自分を遠くの所から見ている好奇に満ちた視線に気付いていなかった。
騎士からの簡単な事情聴取を終えて、真田とメアリーは共通の目的地である西大通りのアヴェドギルト本部へ足を運んでいた。
仲の良い友人同士が出すような朗らかものではなく、ほぼ初対面に近い2人なので、何を話していいのかわからず、変に緊張感を持って歩いていた。
太陽が昇って時間が経ち、通りを歩く人が多くなり賑わいを見せ始める中、真田はある疑問を思い出した。
「そういえばメアリーさん。さっき、私に少年に対して攻撃をするなと言いましたけど、あれは何故ですか」
まさか声をかけられるとは思ってもみなかったメアリーは、少し慌てた様子で。
「えっ、ああそれはですね。あの人が貴族だからです」
「‥‥‥貴族ですか」
メアリーは真剣な表情でゆっくりと頷いた。
「あの人はエルサレット=グリビン子爵様の御子息であるデータス=グリビン様なのです。私たちのような平民が貴族に手を上げるような事は絶対にしたら駄目です」
切実に語るメアリーの言葉に、真田は頭を抱えて地獄の底に届きそうな重い溜め息を吐いた。
「貴族というものは、どこに行っても」
いつまでたっても変わらないものに嘆く真田の言葉に、メアリーは頭脳に疑問符が浮かびそうになった。
「だから私に攻撃するなと言った訳ですね」
「ええ。でも状況は最悪ですね。もっと私が早く言えばこんな事には」
メアリーは言っている内に意気消沈していき、見えない何かに押しつぶされているように肩を落としていた。
メアリーは報復を恐れているのだ。
相手は貴族、国家権力や莫大な財力を有する特権階級の人間だ。もし怪我をさせてしまい怒らせたら、あの手この手で嫌がらせが来るのは火を見るよりも明らかだった。最悪、罪を着せられて牢屋に投獄されるかもしれない。
運悪く貴族にぶつかった子供が親諸共に牢屋に放り込まれて、稀代の盗賊一家として処刑された話もあるぐらいだ。
また相手が相手だけに友人や同僚に相談しずらく、自分の胸の内に秘めて悩む日々が続いた。
何とか早く解決したいのだが、無力な自分に出来る事が無く、ただ災害が過ぎ去ってくれる事を祈りながらじっと我慢するぐらいしかなかった。
どうしようもないもどかしさがメアリーを悩ませていた。
凝り固まったメアリーを優しくほぐすかのように、真田は冗談とも本気ともつかないようなとりとめない口調で。
「気にしなくても大丈夫ですよ。それにメアリーさんを助けるのにあの貴族を攻撃していますから、あの時メアリーさんが言っても言わなくても結果的には変わらないですよ」
「でも」
食い下がろうとするメアリーを片手で制し、起動中のパソコンの電源を5秒間押すかのように強引に中断させた。
時期外れのすがすがしい初夏のような爽やかな顔をして。
「私は自分のやりたい事をやったまでですから、それでメアリーさんが気に病む事は無いですよ」
メアリーは反論しようと口をパクパクと動かすが、真田から放たれる一種の威圧感に押され、二の句が継げなかった。
真田はこれでこの話は終わりと、強引に話を変えた。
「メアリーさん。あの少年たちはギルトにまで押し掛けたりしますか」
「いえ。流石にギルトまでは押し掛けては来ないですね」
「だとしたら、ギルトの寮に入るというのはどうですか。それでしたら会わなくなると思いますが」
真田の提案にメアリーは申し訳なさそうな顔をして、横に振った。
「私もそれを考えましたが、結局は駄目です。確かに朝は会わなくなりますが、生活道具を買いに街へと行かなければいけませんから、街で会う可能性があるのです。自分で人を雇っているのか、まだ学園で授業をしている筈の日中で会ったときはもう‥‥‥」
その時を思い出しながらメアリーは話した。
よほど怖い思いをしたのか、メアリーの顔は蒼くなり身体は小刻みに震えていた。
真田はそれを胸が締め付けられるような思いで見ていた。
「すみません。大して力になれずに」
「い、いえ。元々関係の無いサナダさんを巻き込んだ形になってしまって、此方こそ申し訳ないです」
力になれなかった事に申し訳なさそうに頭を下げる真田に、自分の事情に巻き込んだ事に申し訳なさそうにメアリーも頭を下げた。
2人して頭を下げあう姿に、通りを行きかう人々は不審者を見るような目で見ていた。
「それに、サナダさんに話したおかげか、なんだか胸が少しすっきりとしました」
「それなら私も頑張ったかいがありましたよ」
メアリーの頬は紅潮し先程よりも少し晴れやかな表情を見て、真田はつられて反射的に微笑えんだ。
だが。
「(だがこれも一時的なものだろう。地面に落ちた枯れ葉を箒で掃いただけのような、ただ表面上のものを拭い去っただけだ。根本的な解決になってはいない。相手は貴族、何かに執着した時のあいつ等の厄介さに限度というものが無いからな。鉾の収め方を間違えると、面倒な事が雪だるま式に増えていくのは目に見えている。‥‥‥さて、どうしたものか)」
真田は前回のテラン王国との戦争のような、ただ力押しで解決できない事態をどうやって両者が傷つかずにかつ平穏に終わらせる事が出来るか考えていた。
力押しという最も単純で手っ取り早い手順が出来ない事に、今すぐにでも腕を伸ばせば届きそうな範囲にあるお菓子が取れるはずなのに取れないようなもどかしさが、真田を苦悩させていた。
だから近くで自分を呼ぶメアリーの声に気付いていなかった。
「サナダさん、サナダさんっ」
「‥‥‥なんですか。メアリーさん」
「なんですかじゃないですよ。急に黙り込んで難しい顔をしたから、何かと思いましたよ」
如何やら自分では表情が変わっていないと思っていたが、実際には変わっていたらしい。
自分ではポーカーフェイス出来ていると思いきや、出来ていなかった事に苦笑をせざる得なかった。
「いやいや、すみません。今日の昼食は何にしようかと考えていたんですよ」
真田はこれ以上悩んでいるメアリーに負担をかける事は無いと思い、別の話題で誤魔化した。
色々と不自然なのだが、メアリーは真田の言葉に特に不振がる事も無かった。
「さっき朝食を食べたばかりなのに、もうお昼の事を考えているのですか。サナダさんって結構な食いしん坊?」
「冒険者はだいたい大食いな奴が多いですよ。やる仕事は結構きついですから」
「確かにそうですね」
メアリーはギルトに併設されている食堂や街にある大衆食堂での冒険者たちの姿を思い出した。
クエスト帰りにテーブルより2回り小さい大皿に、これでもかと思わせる量の焼かれた肉をメンバー全員で食べていた。その中には若い女性も交じっていたので、よく覚えていた。そしてある事にも気づいた。
「でもサナダさんって、比較的に軽い仕事を選びましたよね。昨日」
メアリーの指摘に真田は石のように固まった。
何も言わずにただ固まっているだけの真田を、メアリーは半目で妙に疑り深い視線を顔に穴が開くかのように見ていた。
真田はあははと乾いた笑顔を浮かべると、そそくさとアヴェドギルト本部へと向かった。
「ちょ、ちょっとサナダさん」
競歩のスピードで行く真田をメアリーは慌てて追いかけた。
24時間空いているアヴェドギルト本部の正面玄関から建物に入ると、真田は職員専用の部屋に籠を置きに行ったメアリーと別れ、依頼書が張られている木のボードに近付いた。
木のボードには帝都の人口がいかに多いかを示すかのように依頼書が隙間なく張られいた。
真田は自分のランクに該当するアハトの欄にある依頼書を見ていると、昨日にはなかった依頼書が複数枚ある事に気付いた
そこに籠を職員専用の部屋に置いてきたメアリーが近づいてきた。
「サナダさん、何かクエスト決まりましたか」
「いえ、まだなにも。‥‥‥この依頼書、昨日は無かったものですね。依頼は毎日来ているんですか」
「はい。このギルト本部にはほぼ毎日、様々な所から依頼が舞い込んできます。依頼者がギルトに依頼をする際には専用の部屋に通して、そこで担当者とで決めます」
「そうやって来た依頼がこのように、木のボードに張られる訳ですね。‥‥‥これはなんだろ」
真田は1枚の依頼書を手に取った。
そこには本来個人名が書かれている依頼者の名前がアヴェドギルトになっていた。
「ああ、それはですね。偶にですがギルトが発注する仕事が発生します。公共性が高いものがそうですね。今回は‥‥‥荷物の配達ですか。確か部屋の方に地方からの荷物が溜まっていましたね」
メアリーは籠を置きに行った際、机の上に置かれていた大きい木箱の中に、色々な大きさの箱が入っていた事を思い出した。
「荷物の配達ですか、面白そうですね。今回はこれにしますか。配送作業をしてみたかったんですよ」
「はぁ、此方としては助かりますけど」
冒険者内では不人気の依頼に、無駄にやる気を見せる真田にメアリーは、なぜそんなに意気込むのかわからないと首をかしげていた。
「それでしたら配達する荷物を受け取るのが、この建物の裏口になりますので、後で案内しますよ」
メアリーの一見不自然さを感じさせない言葉に、真田は喉に魚の骨が引っ掛かったような違和感を感じた。
「メアリーさん。受付の業務はいいんですか」
「大丈夫ですよ。それに今日は受付じゃなくて、そこの道具屋の担当ですから」
メアリーが指した方を見ると、そこには紙が腰まである同じ服を着た女性が座っていた。
その女性は真田やメアリーに気付くと、笑顔を浮かべて上品に小さく手を振った。
「私たちは持ち回りでクエストの受理作業をする受付や道具屋の店番、食堂の手伝いをします」
「だとしたら、あの女性と早く変わらなくていいんですか」
「まだ大丈夫ですよ。交代には少し早いですから」
「でも、あの女性『メアリーちゃん、早く変わってぇー』と、若干涙目で言っていますけど」
「気のせいですよ」
心の底から純粋な笑顔を浮かべるメアリーの有無を言わさない迫力に、本能というべきところが敏感に反応し、理由は分からないが何故か真田は気圧された。
メアリーは戸惑う真田の身体を強引に受付の方へと押しやる。
「さっさとクエストの受理をしましょ。早くしないと裏口を捜しているのに自分が探される立場になりますよ」
真田は荷物の配達のクエストの受理が終わると、メアリーの案内で本部建物の裏口に来ていた。
裏口から入ったメアリーは、両手で抱える程大きな木箱を運んでくると、真田の前に静かに下ろした。
「これが今回、サナダさんがしてもらう荷物ですね」
木箱には彩り鮮やかな布に包まれた大小様々な小包が、木箱の半分ぐらいの量が入っていた。
その布には糸で止めらていた長方形の紙があり、依頼主と通りの名前と渡す個人名が書かれていた。
「相手が留守など家に居なかった場合はどうすればいいんですか」
「その場合は隣か近くの店に事情を言って預かって貰うようにして下さい」
「わかりました」
「サナダさん、私は仕事がありますので、これで失礼します。‥‥‥お仕事頑張ってくださいね」
メアリーはそう言うと、裏口から職員専用の部屋に入り、今日の担当である道具屋の店番へと行った。
真田は腰を下ろすと、何かを確かめるように木箱の中を探った。
「やはり、物の見事に順番通りというか通りごとに分けられておらず、てんでバラバラだな。このまま配ってたら、終わりが何時になるかわからないな。やはり同じ通りで集めるしかないな」
真田は開いている裏口の扉を閉めると、周囲に人が居ないか確認するとノーシェバッカスを発動させ、亜空間から昼寝用に買った安物の青のビニールシートを取り出した。
ビニールシートを広げ、紙に書かれている通りに合わせて分類分けを始めた。
数十分後、ビニールシートの上には同じ通りに分けられた小包が、幾つもの小さな山を形成していた。
「(さて、後はこれらを運ぶ手段だがこのまま木箱で運んでいく訳にはいかないよな。だとしたら、何かしらの入れ物が必要となる訳だが)」
真田はゴソゴソと亜空間内を探っていた。
目的の物が見つかったのか、それを引っ張り上げると、何もない虚空から肩にかける黒の円柱型のバックが飛び出して来た。
それはドラムバックだった。大きさは真田の腰の高さまであり、横には白文字で大きくADIDOSと刺繡されていた。
「(部活帰りの少年たちが使っているのを見て、便利そうだなと買ったのはいいが。物を入れた時に片方の肩に負担がかかりすぎて、数度使っただけだったな)」
真田は帝都の地図を片手に、衝動買いで買ったドラムバックに一番近い通りの小包を入れていた。
入れ方を工夫しながら全ての小包をドラムバックを入れた時には、空気を入れすぎた風船のようにパンパンと膨らんでいた。
真田はギリギリでチャックが閉まるぐらいに広がった膨らんだドラムバックを肩にかけた。
一瞬、力一杯上から押さえつけられたかのような力が左肩にかかったが、何とか体勢の維持に成功した。
「やっぱり重たいな。無理して全てを入れる事は無かったか?」
ドラムバックの位置をずらして、動かす際に丁度いい位置を捜していた。
見つかったのかその位置で固定すると、
「さてと配達に行きますか」
真田は帝都の地図を片手に街へと繰り出した。
「ご利用、ありがとうございましたぁ!」
真田は小包を指定された相手に渡すと、軽く一礼をしてからドアを閉めた。
最初の通りは先程で終わり、次の通りに行かなければいけないが真田は早くも疲れた顔をしていた。
「(ある程度は予想していたが、まさかここまでとは)」
真田は路地に入り人気のない場所でドラムバックを外して腰と共におろし、疲れを抜くように溜め息を吐いた。
別に真田はドラムバックが重たいから疲れているのではなく、もう一つの要因で疲れが来ていた。
「(日本では番地が各場所に割り振られているから、順番通りに直せば効率よく配れるけど、ここにはそういうのが無いから大変だ)」
そう帝都には各住宅に番地番号が振り分けられていなかった。
日本のように○○市○○区○○丁目○○と番号が振り分けられておらず、人々の認識も○○通りの○○さんとしかわかっていなかった。
当然ながらギルトで買った最新の地図にも番地は書かれておらず、簡単な建物の図形と数、通りの名前しか記載されていなかった。
通りにきたのは良いが、最初の小包を届ける所から躓き、通りを歩いている人を捕まえたり、近くの店で聞いたりして何とか相手先の住宅を聞き出し、小包を渡した。
日本なら水が流れるように順番通りに配送できるのだが、ここ帝都ではそれも叶わず同じ場所を行ったり来たりと、予想以上に時間を浪費してしまった。
最初日本に来た時は何で番地があるのか理解できなかったが、配送作業しててよく分かった。配送するにあたって番地番号というのは、とても重要だという事が良く分かった。
だからこう思うのは致し方が無いかもしれない。
「(これが終わったら洗脳系の魔術を役人どもに使って、帝都の全ての住宅の敷地に番地番号を制定させるように仕向けるぞ!!!)」
真田は恐怖の魔王さながらの凶悪な笑みを浮かべて、手順が非人道的だがやろうとしている事は実にまっとうな事を実行しようと考えていた。
もう1度真田は溜め息を吐いた。
これは疲れたからではなく、次に行こうとする気持ちの切り替えだった。
立ち上がり地面に置いていたドラムバックを肩にかけると次の通りへと向かった。
真田は歩き出した。
自らの野望をかなえるために。
数時間後、東の大通りを歩く真田のドラムバックは無く、代わりに布に包まれた長方形の箱を持っていた。
この配達を終えたら野望を達成するんだと死亡フラグみたいな思いを支えに、時にはイジワルで見当違いの所を教えられたりとかされながらも何とか配達をしていた。
手に持っている小包以外の荷物の配達を終え、1つの小包だけをドラムバックに入れていたらバランスが悪くなるよなと思い、人目に付かない場所に行き、ドラムバックを亜空間に収納し、最後の小包は手に持って指定された場所に向かった。
その指定された場所は、帝立スキエンティア魔法学園事務室と書かれていた。
真田は近くの店でその場所と特徴を聞いて歩いていたら、前方に特徴が似た建物が目に飛び込んできた。
帝立スキエンティア魔法学園の建物は周囲の明らかに違い、硬そうで明るく白っぽい肌のようなコンクリート製の建物が複数点在していた。
人の移動を良くするためなのか建物は規則正しく集められ、反対側にはサッカーコートの1,5倍もあるグランドがあり、それを囲むように真田より少し高い煉瓦製の塀が中に居る人を守るかのように走っていた。
今は休み時間らしく、多くの生徒と教師が敷地内を歩いていた。
真田は開けられているアーチ型の正門で立ち尽くしていた。
クエストの関係で入らなければいけないのだが、勝手に敷地内に入っていいのだろうかと迷っていた。
「(開けられているというのは、入っていいのだと判断して大丈夫なのか。敷地内に勝手に入って、不審者と間違えられ面倒事になるのは勘弁してほしいな)」
入りたいけど入れないという二進も三進もいかない状況に、正門前でどうするべきかと真田が考えていると、3人の男子生徒らしき少年が歩いているのが見えた。
真田は一筋の光明が見えたと思い、3人の少年に反射的に声をかけた。
だが1秒後にはそれを後悔する事となった。
何故ならその3人の男子生徒は、朝メアリーに絡んでいたソフトモヒカンとオールバック、モジャ毛の3人だったからだ。
真田の声に気付いたモジャ毛の少年は、「あー!!」と、驚いた声と顔をした。
他の2人もモジャ毛の少年の様子におかしさに、その方を向くと真田が見えた。
2人は最初はモジャ毛の少年と同様に、驚いた表情をしていたが。ソフトモヒカンの少年ことデータスは次第に表情が驚きから怒りの形相へと変わった。朝、邪魔された事への怒りだろう。
真田へと向かうデータスの足取りはとても強かった。こんこんと湧水のように湧き上がる怒りを表しているように見えた。
「ふふふ。こんなとこで貴様に会えるとはな。‥‥‥よくも朝、邪魔してくれたな」
「こっちはギルトの仲間が困っていましたから、助けるのが道理ですから」
「そんなことは知らねえよ。こっちはメアリーちゃんとの朝の語らいを邪魔されたおかげで、今日は散々なんだよ」
鼻に包帯が痛々しそうに巻かれていた。
逆ギレをするデータスに真田は重い溜め息を吐いた。
「それは完全に自業自得だ。それにメアリーさんは明らかに嫌がっていた」
「そんなことはねぇ。だったらもっと嫌がる素振りを見せる筈、だけどメアリーちゃんはそんな事はしなかった。だから少なからず好意を抱いている事となる。メアリーちゃんは恥ずかしがり屋だからな、そこで俺が誘っている訳だ」
何の根拠も無しに、主観で自分勝手な理論を言う自信満々のデータスに、真田は拍手を送りたくなるくらいに呆れて感心した。
「それは君が貴族だからだ。メアリーさんは拒否した時を考えたら、怖くて強く出れないでいた筈だ。だからあのような消極的な抵抗しか出来なかった」
機械的で冷たく舞台の台本の台詞をそのまま読んでいるような指摘だった。
普通ならば聞き流せるのものだが。
データスにとっては効果は絶大らしく、怒りで身体が震えていた。
「さっきから何、口答えしているんだよ。お前のような平民が俺のような選ばれた貴族に楯突く事自体が罪なんだ。平民は平民らしく、俺たち貴族に黙って従えばいいんだよ!!」
言い終わった瞬間、データスから魔力の高まりを感じ、前には少年大の半透明の魔法陣が展開された。
真田はデータスのやろうとする行為に目を皿にして驚いていた。
「止めろ! ここは街中だぞ。それを放てばどうなるかはお前だって知らない筈無いだろ!!」
「知るか! そんな事より貴様のような無礼者を始末する事が重要だ」
激昂して視野が狭くなり、ただ真田を倒すという思考が支配していた。
取り巻きの2人は何とかデータスの愚行を止めさせようと声を上げるが、データスは聞こえていないらしく、瞳には獣ような怒りがギラギラと宿っていた。
真田は右拳を固く握り、データスを真正面から見据えた。
真田がデータスに飛びかかろうとした瞬間。
「お止めなさい!!」
刃物ように鋭くどこか威厳に満ちた制止の声が、真田と少年両者の動きを止めるのには十分だった。
真田とデータスは声がした方を見ると、そこには同じ制服を着た少年少女の人だかりの前に立っている制服姿の少女が立っていた。
その少女は真田の鼻まで背丈で、肩より少し長い毛先が軽くウェーブしている金髪。データスと同じ上着を着ているが、首にはネクタイではなく同じ柄のリボンを付けていた。下は膝まで届く端には1本白い線が走っている長い黒のスカートを履いていた。
女子生徒はツカツカと優雅に靴音を鳴らして、真田とデータスに近付いてきた。
真田は誰だろうと怪訝な目で見ていたが、データスは厄介な人に見つかったと身体が冷や水を浴びたかのようにすくんだ。
「昼間から一体何をやっているのですか」
「いや、それはですね」
女子生徒から発せられる見えない圧力に、先程の威勢は何処かへと消え去りデータスは口調が変化し、借りてきた猫のように大人しくなった。
データスは見るからに動揺していた。
ダラダラと冷や汗を背中で掻き、視線があちこち彷徨い、口がどもっていた。
それを横目で見ていた真田はこの2人の力関係がどういうものか推察していた。
ついに女子生徒の圧力に耐え切れなくなったのか、データスは校舎の方へと全力で走り去って行った。
そこにいた全員が走り去っていくデータスの後姿を唖然と見ていた。
我に返った取り巻きの2人は、慌ててデータスの後を追った。
真田が3人が消えた方を、さっきまではなんだっただろうと複雑な視線で見ていると。
「そこのあなた。‥‥‥一体何者です。そして我が学園に何の御用ですか」
確信に近い思いで自分の事を不審者だと思っている女子生徒に、真田はこの世界に来て何度目か知れない溜め息を吐いた。もうこれは恒例行事かと思ってしまうほどに。
「あのなお嬢ちゃん。人に名前を聞く時はまず自分の名前を言うのが礼儀じゃないのか」
孫娘の間違いを優しく指摘する祖父のような指摘に女子生徒は一瞬驚いた表情をしたが、直ぐに薄く笑った。
その笑みは子供が新しい発見を見つけたかのような楽しさが見えていた。
女子生徒は身嗜みを整えると片足を後ろ斜めの内側に、もう片足を軽く曲げ背筋を伸ばしてスカートを両手で摘み上げ、小さく頭を下げた。カーテシーという礼儀作法だ。
「これは失礼しました。私はこのスキエンティア魔法学園で生徒会長をしています。マリアンヌ=カノーヴィルと申します」
「これは御丁寧にどうも。アヴェドギルト所属のタクト=サナダとお申します」
真田も小さく頭を下げた。
正直に礼儀を通すからかもしれない、先程から見ているスキエンティア魔法学園の生徒たちが真田を驚愕の目で見ていた事に気付いていなかった。
マリアンヌは背中に物差しを入れたかのように姿勢と正した。
「その冒険者の方が我が学園に何の御用ですか」
「此方にこの荷物を届けようと」
真田は左手で持っている小包をマリアンヌに見せた。
「此方の事務室と書かれているんですが、部外者である私が勝手に敷地内に入るのはいかがなものかと思いましてね。どうしようかと考えていると、近くにいたあの3人に声をかけてしまったんですよ」
「成程。‥‥‥で。では何故、あのような大惨事を引き起こすかのような事態になったのですか」
真田はマリアンヌの当然の問いに一瞬押し黙ったが、少し諮詢した後、口を開いた。
「ちょっと朝、同じギルトにいる少女に絡んでいる所を私が邪魔をしたので、それを根に持っていたらしく、先程会った事でその怒りが再燃したみたいですね」
「そうなのですか。‥‥‥それなら朝の事は間違いは無いですね」
小さく呟くマリアンヌに、真田は怪訝な目で見ていた。
マリアンヌはそんな真田を尻目に周囲の人だかりへと振り返った。
「ささっ、皆さん。ここに居たら折角の昼食の時間が減ってしまいますよ。昼食をして午後からの授業に備えて、英気を養いましょ」
生徒会長のマリアンヌの人柄か、もしくは此処に居てもこれ以上は何も起きないだろうと思ったのか人の幾重の壁を作っていた生徒たちは思い思いの場所へと向かっていった。
少しするとその場にいるのは真田とマリアンヌだけとなった。
「さて冒険者さん。あなたはこれからどうするのですか」
「どうするもこうするも。この小包を目的の場所に届けないと帰れませんし」
「なら私が事務室まで案内しましょうか」
「それは此方からお願いしたいぐらいですけど。君の休み時間をこれ以上削る事となるけど」
「それは大丈夫ですよ。仕事で学園に来られている方の案内するのも、生徒会長の仕事の内ですから。‥‥‥さっ、こちらです」
学園の事務室に向かうマリアンヌを、真田は度胸のある少女だなと思いながら後を付いて行った。
マリアンヌから簡単な学園の説明を受けながら歩いていると、騒ぎを聞きつけた数人の生徒と教師とおもしき男性女性たちと会った。
如何やら真田とデータスの騒ぎを見た数人の生徒が教師に報告したらしい。
生徒と教師たちはマリアンヌの隣にいる真田を警戒するような目で見ていた。
教師が生徒を守るように自分の前に立ちはだかる姿を見て、真田は満足そうだが少し寂しげな笑みを浮かべた。
教師たちの対応を見てマリアンヌが慌てて経緯を説明すると、一先ず教師たちからは敵対する意思が消えた。
これ以上自分がいると学園に不要な諍いが発生すると考え、真田は1人の教師に小包を渡し、事務室に届けてもらうようにお願いした。
真田はマリアンヌに学園を案内してくれた事に礼を言い、教師たちに生徒たちを危険に晒すような真似をした事を陳謝した。
真田はクエスト終了に伴い、アヴェドギルトへと戻って行った。
その歩みは記憶の底に沈殿する『映像』をさらに奥底に押し潰すかのような強いものだった。
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