第25話 非日常への入口2
2話目です。
今回は少し長いです。
「タクトさん、彼方がゲンさん達職人の拠点である。ファキオ・ファクトリーです」
ミーシャが指示した先には、建ってからの長い年月を感じさせてくれるかのような、古めかしい木で出来た大きな倉庫が建っていた。
大通りから少し外れた所に在る倉庫の横と縦は大きさはサガムの一般的な住宅を2回り大きくした広さだが、奥行きは3倍以上あった。
また倉庫は2階建てなのか、2階部分には3つ程の窓が設置されており、1階部分は木材などの運搬に邪魔にならないように入り口が大きく口を開けていた。
その横には雨で濡れないようにしている屋根の下には、乾かしている大きな丸太が幾重にも重なって置かれていた。
真田は倉庫の大きさに感嘆の声を上げていると、ミーシャが倉庫の中に入って行ったので、後に続いて倉庫の中に入って行った。
倉庫内はだだっ広く、直径数十cmの幾つもの太い柱が立っているぐらいで、吹き抜けとなっていた。また壁には大小様々な加工された木材が大きさをそろえて立てかけられた。
入り口付近では光を放つ魔石が入った格子状の籠が、各所に影が出来ないように天井から吊り下げられており、その下で数人の男性や女性達が作業服なのか、同じ厚手の茶色の服を着て鑿を使って木を彫っていた。
彫っている数人の男女の周囲を厚手の茶色の作業服を着た日に焼けた大柄な男性、ゲンは見て回っていた。
「ゲンさーーん」
ミーシャがゲンを呼ぶと、それに気付いたゲンはミーシャに軽く片手を上げた。
「なんでいサナダとオルセンか。今日は一体何の用なんだ。‥‥‥2人の家を作って欲しいのか」
ニヤリと悪戯をする子供のような茶目っ気たっぷりな笑顔を浮かべた。
真田は苦笑を浮かべたが、隣のミーシャには効果は覿面でボンッ!!と、瞬間湯沸かしのように顔が真っ赤になった。
「なななななな何をいいいいい言っているんですか。わわわわわ私とタタタタタタタクトさんはそんな間柄じゃないし。それに、‥‥‥そんなまだ早いですよ」
真っ赤になって俯いて縮こまっているミーシャに、ついに耐え切れなくなったのかゲンはガハハハッ!!と、倉庫中に響かせるかのような大声で豪快に笑い始めた。
「冗談、冗談だ。で何の製作の依頼をしに来たんだ」
「それに関しては私から言いましょう。実はですね。‥‥‥」
真田はズボンのポケットからメモ帳を取り出すと、書いた図を交えて、冷蔵箱の説明と構造に関しての要望をゲンに伝えた。
「要するに、その『レイゾウバコ』を作って欲しんだな」
真田はコクリと頷いた。
「何というか、前回の小屋に続き、君の依頼は俺達には無い発想の物だな。確かにこの『レイゾウバコ』が在れば、生活する上で便利になるな」
「では」
「ああ、君の依頼を引き受けよう。‥‥‥おい、お前達! 木彫りの練習は終了だ! 仕事を始めるぞ!!」
倉庫を物理的に揺るがしかねないゲンの大声に、木彫りをしていた男女数人は一斉に彫るのを止めると、自分達が使っていた場所の掃除を始めた。
練度の高い兵隊のようにその一糸乱れぬ動きに、真田は驚きを持って見ていた。
「サナダ。すまんがそのメモ紙見せてくれないか。どういったものかイメージを掴んでおきたいからな」
「分かりました」
ゲンが真田から渡されたメモ帳を見ていると、直ぐに眉を顰めた。
「サナダ。図の横に書いてある3つの数字の後の記号は何だ? 図から長さを表す単位だとは理解できるが」
ゲンの指摘に真田はハッ!!となった。
真田は癖で日本で使われているメートル法の単位をそのまま使っていた。
「ああ、そっか日本とサガムでは長さを表す記号が違いましたね。‥‥‥まてよ。長さも違う可能性があるな。ゲンさん、適当な長さの木材と物差し持って来てくれませんか」
「それはかまわないが。何に使うんだ?」
ゲンは首を捻りながら、近くにいた男性に木材と物差しを持ってくるように言った。
「私が記した長さとここでの長さの差異を測ろうと思いまして」
真田はノーシェ・バッカスを発動させると、コンベックスを取り出した。
ゲンは見た事の無いコンベックスを、興味津々といった感じで見ていた。
男性が手のひらサイズの木材と数字が書かれていない目盛りだけの木製の物差しを持ってくると、真田はそれを受け取った。
周囲が何をするのだろうと見守る中、真田はコンベックスを使って木材の縦幅を測った。
「(‥‥‥7センチか)」
真田はメートル法での木材の縦幅の長さを確認すると、同じ場所に木製の物差しの一番端の目盛りを当てた。
「ゲンさん。この木材はどのぐらいの長さ何ですか」
「うん? ‥‥‥7オクトじゃないのか」
「そうですか。ありがとうございます」
何故礼を言われたのか分からないゲンは益々首を捻るばかりだった。
「(成程、1センチ=1オクトという訳か)」
真田は多少の疑問を感じながらも、木材と物差しを男性へと渡した。
「ゲンさん。私のと其方との長さの差異は無いみたいなので、その紙に書いている通りの長さでお願いします」
「そうか。‥‥‥お前達! 一旦集合しろ!」
弟子達は機敏な動作で、ゲンの前に横一列に綺麗に並んだ。
ゲンは弟子の職人達に的確な指示を出していった。
「さっ! 始めるぞ!」
ゲンの号令を皮切りに、弟子たちは必要な道具や材料を取りに倉庫中へと散った。
作業の流れとしては、基本的な組み立て作業をゲン達、ファクトリーに所属する職人達が行い、必要な個所になったらその都度真田がアドバイスしていくとなった。
何せ本来絶対に必要な設計図もない手探りの状況で、完成品を知っているのは依頼人の真田だけという異常な状態だ。どうしても素人である真田の手が必要となってくる。
ファクトリーの凄腕の職人達は、見た事の無い物を作ろうとしているので、最初は悪戦苦闘していたが。真田から『レイゾウバコ』は箱の中に一回り小さな箱を作りますと言う、大まかなニュアンスを伝えると理解出来たのか、イメージの統一が出来て作業スピードが上がった。
冷蔵箱の骨組みが組み立てられ、外壁と等間隔に4つの木材を打ち込まれた内壁を骨組みに打ち付けると、真田が作業に待ったをかけた。
「ゲンさん。冷蔵箱の外壁と内壁の間、扉の中には、保温性を高めるのに必要なおが屑を入れなければなりません」
「オガクズ?」
眉を顰めるゲンの態度に、気付いた真田は地面に落ちて散乱している木屑を拾った。
「この木材を切った時に出る木屑ですね。この木屑を万遍無く入れる事で、外気温を冷蔵箱内に伝わる事を遮断し、冷蔵箱内の温度を一定に保ちます」
真田の説明にゲンは木屑を信じられない物を見るような、驚いた目で見ていた。
「へぇー。こんなにもちゃんと使いどころがあるのだな。何時も処理に困っていたんだよな」
「物は使い方次第で、ちゃんとした道具にもなります。野菜を切る包丁だって、使い方を間違えば、他者を傷つける道具となります。要は使い方次第という事ですね」
「確かにな。この木屑も使い道を見出せば、ゴミでは無く、ちゃんとした資源となる訳だな」
ゲンは手に持っている木屑を真剣な表情で見ていた。恐らく使い道について考えているのだろう。
ふとゲンの眉間の皺が取れた。
「木屑の使い道は追々という事で、今はレイゾウバコの完成が先だな。‥‥‥おい、今集めているだけの木屑を全部持ってこい!」
手が空いていた2人が駆け足で、木屑を保管している場所に向かった。
保管場所から持って来た白い布に入っている粒子状の木屑は、はち切れんばかりに並々と入っていた。
ゲンは白い布に入っている木屑を豪快に手で掴むと、それを冷蔵箱の外壁と内壁の間に入れていた。
周囲の弟子達もゲンと同様に、手で木屑を入れていた。
そのゲンと弟子達の光景を真田は、信じられない物を見るような目で見ていた。
「(うん、分かっていたよ。此処がそんなに文明が発達している訳では無いと。‥‥‥でも、あれは無いでしょ!)」
日本で生活していて日本クオリティーに慣れきった真田にとって、ゲン達が織り成す光景に色々と言いたがったが、作って貰っている以上、真田としては言葉を呑む事にした。
真田が目の前の光景に石のように固まっていると、
「タクトさん!」
不意に自分を呼ぶ声が聞こえたので、声がした方を振り向くと、そこには白のフードを被った真田と同じ背丈位の青い瞳の少女と頭2つ分大きい茶色の瞳の男性が雨に打たれながら立っていた。
その少女と男性には、真田は見覚えがあった。
「おはようございます。ソフィア様。ジェラルドさん」
真田と気付いたミーシャは、深々とお辞儀をした。
撥水加工されている白のフード付きのローブを被っていたのは、サガムの精神的支柱である巫女のソフィアとその護衛役のジェラルドだった。
ソフィアは巫女としての装束、所々に金の刺繍が施された白のロープでは無く、汚れてもいいようにと、私服の赤色の長袖の服の上に青の袖の無いワンピースを着ていた。
ジェラルドはいつものように自分の鎧を着て、腰に帯刀していた。
ソフィアとジェラルドは、倉庫内に入ると被っていたフードを取った。
真田の言葉にソフィアが来ていた事に気付いたゲンを始めとするファキオ・ファクトリーの職人達は、慌てて横一列に表情を硬くしたまま並んだ。
職人達から放たれる緊張感が、倉庫内を支配しようとしていた
緊張している職人達の前に立つソフィアは、後ろにある組み立て途中の冷蔵箱を見つけた。
「あら? 何か作っている最中でしたか、‥‥‥もしかしてお邪魔でした?」
「いえ、滅相も御座いません。巫女様でしたら、いつ何時でもファキオ・ファクトリー一同お待ちしております」
「そう言っていただけて、ありがとうございます。私の事は気にしなくていいので、皆さんは作業に戻られてください」
「はっ! お気遣い感謝いたします!」
ゲン達は前もって打ち合わせをしたかのような、全員寸分違わなく揃った動きでソフィアに向かって、深々と一礼をすると作業に戻った。
目の前で起きた一連の光景を目の当たりにして、受けた衝撃のあまりに真田は一時的に指先を動かす事すらできなかった。
固まっている真田を見て、ソフィアは首を傾げていた。
「如何したんですか、タクトさん?」
「えっ!? ああ、いえ何でもありません。お気になさらずにソフィア様」
少し頬を赤らめて誤魔化そうとする真田に、益々ソフィアは首を傾げる事となった。
「ところで、ソフィア様。今日はどういった御用件で此方のファキオ・ファクトリーに?」
「それはこっちの台詞ですよ、タクトさん。また楽しいお話を聞かせていただこうと、詰所の食堂に行っても居ないんですもん。アシュリーさんに行先を聞いたら、此方に行っていると言っていたので、ファクトリーに来たんですよ」
ソフィアは少し拗ねた表情をして、真田に不満をぶつけた。
本来ならばソフィアが詰所に居る真田に出向くのではなく、真田がソフィアが住んでいる神殿の方へと出向かなければいけないのだが、頑としてソフィアがそれを拒み。自分が真田に出向く事を強く希望しており、真田としても特に悪意の無い事ゆえに断りずらかったので、この様な形となった。
「それはすみませんでした。今後はソフィア様が来てから出かける事にします」
「ええ、今後はそうして下さい」
両手を腰に当てて年相応よりも少し大きい服を盛り上げる膨らみを張って、ソフィアは無意味に尊大な態度を取った。
その横で、膨らみを見たミーシャは自分の胸部に手を当てて、現実での希望の無さに肩を落としていた。
それを一歩外れた場所から見ていたジェラルドは内心、「頑張れ、オルセン」とエールを送った。
それを声に出さなかったのは、彼なりの優しさだった。
「タクトさんは、ファクトリーで何されているんですか」
「うん? アシュリーさんから何か聞いていないですか」
真田の驚いたの言葉に、ソフィアは言葉が詰まった。
食堂でソフィアは真田が居ない事に気付き、近くにいたアシュリーにファキオ・ ファクトリーに行った事を聞きだすと、ソフィアは巫女らしかぬ足の速さで、ファクトリーに向かった。
ソフィアは早く会いたくて聞かずに飛び出したは言えずに、あまりの恥ずかしさに頬を紅潮させて、顔を俯かせていた。
そんなソフィアに助け舟を出したのは、護衛役のジェラルドだった。
「確か『レイゾウバコ』と言う道具です。氷の冷気を利用して、野菜や果物を一時的に保管する道具の筈らしいですが。‥‥‥サナダ、これで合っているか」
「はい。大丈夫です」
何故ジェラルドが知っているのかは、ソフィアが全速で食堂を出てて行った後、ジェラルドがアシュリーに真田がファクトリーに行った目的を聞き出していたからだ。
「そうそれです! その『レイゾウバコ』ですね!」
頬を赤らめたままとってつけたかのように言うソフィアを真田は敢えて無視をした。
「冷蔵箱の話をしたら、アシュリーさんが興味を示しまして。折角だからと作ってくれと頼まれて此処に来たんですよ」
「そうか」
ジェラルドは納得したのか、視線を木屑を外壁と内壁の間に入れているゲン達に移し、作業風景を見ていたらふと疑問が浮かび上がった。
「なあサナダ。お前、肝心の氷の調達に心当たりあるのか。言っておくが、農園近くにある食糧保管室にある氷は駄目だぞ。それを取るようならさらに刑が重くなるぞ」
真田は口をポカンと開けて、石像のように固まった。
重要な氷の事を完全に忘れていた。
冷蔵箱を製作するゲン達のフォローする事に意識を集中させ過ぎて、冷やす氷の意識の隅へと追いやった。
そんな真田を見て、ジェラルドは鉛のように重たい溜め息を吐いた。
「そんな事とだろうと思った。護衛隊の隊員に氷系の魔法を使う奴がいるから、そいつに言えば氷が出来るから、私が調達して来よう。どれぐらいの大きさの氷が必要なんだ」
ジェラルドの呆れた声に、真田は愛想笑いを浮かべたまま作業途中の冷蔵箱に近付くと、氷を収納するスペースの高さ、横、奥行きの長さをコンベックスで測ると、それらをメモ帳に書いた。
それらから氷がすっぽりと入りそうな数字を割り出し、メモ帳の新たなページに清書すると、徐に真田はそのページを破り、ジェラルドに渡した。
ジェラルドは渡された紙に視線を落とすと。
「この大きさでいいのだな。レイゾウバコの方はもうすぐ出来上がりそうだから、氷は食堂の方に持って行った方がいいみたいだな」
「その方向で宜しくお願いします」
「分かった。じゃ、ソフィア様の事宜しく頼むな」
そう言ってジェラルドはフードを再び被ると、激しい雨の中氷系の魔術を操る術者へと消えていった。
その後ろ姿をミーシャは胸を鋭い何かで衝かれたかのような驚きの目で見ていた。
誰よりも巫女の護衛役としての誇りを持ち、誰よりも熱心で、巫女であるソフィアが街に出かける際には、常に同行しているジェラルドが、他の人にましてや罪人扱いされている真田に護衛を任せるなど、他の護衛隊員が聞いたら憤慨しそうな光景にミーシャは自分の目を疑った。
「サナダ。木屑の量はこれ位でいいのか」
「そうですね」
真田は近くに落ちていた木材を拾い上げると、冷蔵箱の外壁と内壁の間に入れている木屑の上に置くと、木材を木屑に押し付けた。
真田が木屑に木材を押し付けるのを冷蔵箱全体に何度も繰り返していると、外壁と内壁の間には新たな隙間が発生した。
「やはりまだ隙間があったみたいですね。ゲンさん、木屑の追加お願いします」
「分かった」
ゲンは新たに出来た隙間に袋から出した木屑を入れていた。
真田は追加された木屑が満たされるのを見ると、再度木材で木屑を押し付けた。
また新たな隙間が出来た。今回は先程よりも隙間の深さは浅かった。
ゲンが木屑を入れると、真田が木材を押し付けた。
それを何度も繰り返している内に、真田が木材を押し付けても木屑が下がらなくなった。
如何やら木屑同士のほんの小さな隙間が無くなったらしい。
「これ位で良いだろ。ゲンさん、天井部分の板の取り付けお願いします」
「おう」
真田が離れゲン達は組み立て途中の冷蔵箱の天井部分に厚い板を載せると、ずれないように釘を打ちつけていた。
倉庫中に釘を打ちつける金属同士がぶつかる高い音が響き渡りながら、素人の真田は入り口付近へと戻っていた。
ソフィアは真田の方へと近づき、
「タクトさん。先程は何をされたのですか」
「ただ入れただけの木屑の中には私達の目には見えない隙間が空いています。その隙間から外気温が冷蔵箱内に伝わってしまう可能性があったので。隙間を無くし冷蔵箱内の温度上昇を出来る限り抑えようと、上から圧縮しようと木材で木屑を押さえつけました」
「そ、そうですか」
自分達とは全く違う理論の上で成り立っている真田の説明に、ソフィアは驚きながらも頷くしか出来なかった。
あれから少し時間が経ち、製作した冷蔵箱を前にしたゲンが振り返えった。
「サナダ。一応お前に言われた工程は全て終わったが、これが完成かどうか確認を頼む」
頷いた真田は特に装飾の施されていない木目調の冷蔵箱の前に立った。
まず真田は冷蔵箱の上層、氷を入れる空間の確認を始めた。
木の扉に付けているシンプルな木の取っ手を引くと、木の壁と冷気を下層部へと行き渡らせるようにと、すのこ状の板が張ってあり、それを真田は満足そうに見ていた。
視線を落とし野菜や果物を入れる下層の扉を開けた。
そこには上層と同じくすのこ状の板が4枚、果物が難なく入る間隔で置かれていた。
その一番下には溶けた氷の水滴を外に流す用の板が、板に水滴が溜まらないように斜めに固定されていた。
冷蔵箱の裏に回ると、水滴を外に排出するようにと開けられた直径3cm程の小さな穴と、流す木製の水路が作られていた。
真田はそれらを満足そうに見ながら、固唾を飲んで此方を見ているゲンに言った。
「完成ですね。冷蔵箱は完成しました」
真田の一言にゲン達職人は安堵のため息を吐いた。
設計図も無い状態で見た事の無い物を作り上げたという達成感よりも、職人として依頼された物を依頼通りに作り上げたへの安堵が大きかった。
真田の言葉を聞いていたソフィアとミーシャが冷蔵箱に近付き、
「ねえねえ、ゲンさん。冷蔵箱を這わってもいいですか」
ゲンには拒否をするという選択肢が頭から無いないので、存分にどうぞと言った。
ソフィアは冷蔵箱の下層の扉を開くと、その内部を店頭に並んでいる新しく発売する玩具を見ている子供のような、興味津々といった感じで見ていた。
冷蔵箱に片肘をつきながら、真田はそんなソフィア達に苦笑を浮かべていた。
「ところで、お前さんはこのレイゾウバコを如何するつもりなんだ」
「どうとは?」
ゲンの意図するところが分からず、真田は思わず聞き返した。
「このレイゾウバコをどうやって、詰所の食堂へと持って行くつもりだ。まだレイゾウバコには何も入ってないが結構重たいぞ。ジェラルドなら持てたかもしれないが、お前さんには無理だろう。まさかソフィア様やオルセンに持たせると言わねえだろうな」
真田はゲンの懸念が杞憂であるかのような軽い調子で言い放った。
「ああそんな事ですか。大丈夫ですよ。運搬方法はちゃんと考えていますから」
「どいうことだ?」
ゲンの疑念に答えずに、真田はただ薄く笑っていた。
満足したのか興味津々といった感じで冷蔵箱を見ていたソフィアとミーシャは、真田が提示した使用方法でどう自分達の生活に変化を齎すか、想像しながら冷蔵箱から離れた。
「ゲンさん。これが先程言っていた事への答えです」
真田が冷蔵箱の天井部分を右手で触れると、冷蔵箱よりも一回り大きい半透明な円が展開された。
現れた瞬間、ソフィアとミーシャやゲン、職人達は目を皿のようにして驚いていた。
真田だけが、それが当然かのように涼しい顔をしていた。
その円の中には四角形があり、その線をなぞるかのように内外に半透明の見た事の無い文字が書かれていた。
その半透明の円は、大人が1m歩く速度で地面へと近付いていき、冷蔵箱と地面に接している部分に到達すると、何の前触れも無く半透明の円は消えた。
それと同時に冷蔵箱も、元から其処に無かったかのように綺麗に消えた。
突如現れた見た事の無い魔法陣に続き、目の前にあった冷蔵箱が突如消えた事への、目を疑うような光景が続き、真田以外のソフィア達はポカンと口を開けて石のように固まっていた。
少しして動き出したのはゲンだった。
一番の年長者らしく、突然の事態への対処は少しは慣れているみたいだった。だが、その声色には若干の警戒の色が孕んでいた。
「サナダ。一体何をしたんだ? それにレイゾウバコを如何したんだ」
「先程私が発動させたのは、ノーシェ・バッカスという収納系の魔術ですね。流石に重たい冷蔵箱を私一人で持ち抱えるのは無理ですので、私専用の収納区画に送ったんですよ」
自分の玩具を披露しているみたいに楽しげに言う真田だったが、倉庫内に漂う煮詰まった会議のような重たい雰囲気を払拭させる事は出来なかった。
その重たい雰囲気を打ち破ったのは、ソフィアだった。
最初は真田が使った見た事も無い魔法に驚いていたが、徐々に目を思いがけない所でほしい玩具を見つけた子供のような輝かせて、少し興奮した顔となった。
「凄ーい! 凄いですよ、タクトさん! 何ですかその魔術は? 凄く便利じゃないですか!」
「ええ。旅をする時は重宝しますね。何せ色々な荷物を背負ったりせずに、最低限の荷物だけを持って歩けますので、すごく便利です」
「そうでしょ。‥‥‥も」
「先に言っておきますが、無理ですからね」
断ち切るかのようにきっぱりとした否定の言葉に、ソフィアは彫刻のように固まり二の句が継げないでいた。
「これは私が旅に出る際に、世話になった方から餞別代りにかけてもらったですから。私自身、ノーシェ・バッカスの術式を完全に理解していないので、ソフィア様に伝える事ははっきり言って不可能です」
「そ、そうですか」
固まっていたソフィアは、肩を落として落ち込んだ。
あまりの落ち込みように、ゲンを始めとする職人達が目を険しく吊り上げて真田を睨んでいた。
真田は身振り手振りで自分は悪くないとアピールするが、ゲン達には聞きいれてもらえず渋々といった様子でソフィアに話しかけた。
「ソフィア様。そんなに気を落とさない下さい。代わりでは無いんですが、私の知っている範囲の事を教えますので、それで勘弁して下さい」
「ほ、本当ですか?」
ソフィアの探るような目に、微妙な顔で真田が頷いたのが見えた。
「じゃ、我慢しますね」
少し嬉しそうにしているソフィアに、真田は今後どんなことを聞かれるか想像し、少し引き攣った笑みを浮かべる事しか出来なかった。
「ゲンさん、冷蔵箱の製作ありがとうございます。助かりました」
「良いって事よ。俺達も新しい物を作れて楽しかったぜ」
ゲンは晴れ晴れとした表情を浮かべていた。
「そう言っていただけて助かります。‥‥‥それでは、失礼します」
そう言って真田は深々と頭を垂れて、詰所の食堂へと向かった。
ソフィアとミーシャも、ファキオ・ファクトリーを後にした。
詰所の食堂へと到着した真田は、早々に冷蔵箱を設置したがっていたが、もうすぐ昼食となっていたので、調理場は料理人達が縦横無尽に忙しそうに動き回り、大量の昼食を作っていた。
今は設置できないと判断した真田は、空いている椅子に座って時間を潰す事にした。
その際、ソフィアに話す暇を与えないように、前に居た日本やその世界の話を絶え間なく話し続けた。
その甲斐あってか、その場は真田の独壇場となり、ソフィアとミーシャが口を挟む事を許されなかった。
当番や非番の隊員達の昼食も終わり、調理場が落ち着いた頃。ファキオ・ファクトリーで一旦別れたジェラルドが食堂に現れた。
その両手にはガラスのように透き通った大きな氷を抱えられていた。
真田は氷を持っているジェラルドが持っている氷を目を皿のようにして見ていた。
「これがですか」
「ああ、お前が言っていた大きさの氷だ。お前が指定した大きさに加工するのは結構大変だったんだぞ」
「それはご苦労様です。おかげで冷蔵箱が使えるようになります」
「それは結構だが。‥‥‥ところでその冷蔵箱は何処に在るんだ。お前が此処に居るという事は完成したんだろ。何処に在るんだ」
ジェラルドは探りを入れるような目で周囲を見渡すが、冷蔵箱らしき物体は見当たらず怪訝な表情をした。
ジェラルド自身完成品は見てはいないが、組み立て途中を見ているので物の陰に隠れるような大きさでは無い事を知っているので、見当たらない事に疑問を感じていた。
真田は口元を歪ませて、ジェラルドを悪戯を仕掛けるような子供のような目で見ていた。
「それは調理場に入ってからのお楽しみです」
もったいぶった言い方でいうと、真田はアシュリーに断りを入れると調理場へと入って行った。
その後ろ姿をジェラルドは、変な悪寒を感じながらも調理場に入って行った。
煉瓦で作られている調理場の排水場の隣の冷蔵箱設置予定の場所には提案者である真田、依頼者のアシュリー、氷持って来たジェラルドの他に完全な野次馬状態のソフィアとミーシャ。遠巻きに気にしながらも自分の作業をしている調理人達ぐらいだった。
「サナダ君、レイゾウバコは一体どうしたんだ。ゲンさんに作って貰ったんじゃないの?」
「確かに作って貰いましたよ。今から出しますので、少々お待ちを」
無邪気に楽しそうに言うと、真田の足元、冷蔵箱設置予定場所の床にファキオ・ファクトリーで出現した半透明の円が何の前触れも無く出現した。
その瞬間、突然の事にソフィアとミーシャは驚きの籠った目で見ていた。
アシュリーとジェラルドは、キッ!!とした鋭い警戒の視線を外さず、何時でも魔法を放たれるように自らの魔力を高めていた。
アシュリーとジェラルドの高められた魔力に反応して、調理場と食堂に居た全員が何事かと驚いた目で真田達の方を見ていた。
真田は周囲の様子を気にする事無く、普段通りに半透明の円を見つめていた。
出現した半透明の円は、一般的なエスカレーターの移動速度の速さで天井へと浮かび上がっていた。
半透明の円が上がって行く事に、何もなかった場所に木製の板が現れた。
それは冷蔵箱の底の部分だった。
半透明の円が上がって行くごとに冷蔵箱はその姿を表していき、冷蔵箱が完全に姿を現すと、半透明の円は崩壊を始め、最後には霧散した。
その一連の光景をアシュリーとジェラルドは警戒の目から信じられない物を見るような目で見ていた。
真田はそんなアシュリー達に苦笑しつつ、冷蔵箱の上層部分の扉を開けてジェラルドに。
「ジェラルドさん、氷をお願いします」
「あ、ああ。分かった」
ジェラルドが近くの机に置いていた氷を持ち上げると、開けられている上層部分に氷を入れると真田は上層部分の扉を閉めた。
そして下層部の扉を開け、近くにあった冷蔵箱に入れるようにとアシュリーが工面した梨の形をした果物数個を入れると、扉を閉めた。
「これで、冷蔵箱は完成ですね。あとは翌日入れた果物がちゃんと冷えているか確認するぐらいですね」
アシュリーはその豊かな膨らみを組んだ両腕にのせて、真田の言葉に頷いてい
た。
「サナダ君。氷は1回でどれくらい持つんだ?」
「計った事が無いので正確な時間は分かりませんが、今の季節なら一日は持つのではないのですか。問題なのは暑い季節の時ですね。外気温が高ければその分冷蔵箱に影響が出て来ますので、氷の消耗が早い事になりますね」
「じゃあ、1日1回誰かが確認をしないといけないわね」
頷きながらもアシュリーの頭の中では、調理人達の当番から氷の調達を担当させようか、ローテーションを組み上げていた。
「冷蔵箱の設置も終わりましたので、此処から一旦出ましょうか。あんまり居ると皆さんの邪魔になりそうですし」
ミーシャのおずおずとした言葉に、真田達は調理場から出る事にした。
食堂へ出る際に、真田はごく自然と隣を歩いていたソフィアに、
「ソフィア様。明日、冷蔵箱の性能試験を兼ねての試食を行いますが」
「絶対に来ますので、私が来るまで始めないで下さいね!」
晴れやかな笑顔で答えるソフィアに、真田は内心苦笑した。
暗に冷蔵箱の事を言われているのだと思ったからだ。
2人の楽しそうな会話を後ろから見ていたミーシャは、複雑な思いで見ていた。
調理場に冷蔵箱を設置してその翌日。昨日とはうって変わって空は澄み切った秋晴れの模様だった。
朝食が終わった真田は本来、外で労働に従事しなければいけないが、今回は特別に免除されていた。
その真田は食堂の椅子に座り、表面上は何ともないように振る舞っているが、内心この状況から一刻も早く逃げ出したいと切に願っていた。
それは同席している人物に大きく関係していた。
1人はソフィアだった。
これは問題は無かった。昨日試食会を行うと言っていたので、来ても問題は無かった。
来ている服が私服では無く、所々金の刺繍が施されている巫女装束で、その後ろに6人の神官達とその世話役の女性達が立っているのは気のせいだと思いたいと。
真田が見ている事に気付いたソフィアは、ニコニコと楽しげに笑顔を浮かべた。
如何する事も出来ない真田は、引き攣った笑みで返すしか他が無かった。
もう1人は呼んでも居ないのに何故か居る、気難しそうな顔をした長老だった。
何時もの格好をしている長老の後ろには、側近たちが立っていた。
長老は真田が見ている事に気付いているが、あえて無視していた。
ミーシャは鎧姿で緊張した面持ちで真田の後ろに立っていた。
アシュトンとジェラルドは遠巻きにソフィア達の事を見ていた。
最初は真田は同席する事を辞退したのだが、ソフィアの強い要望と、その後ろからの有無を言わせない12の鋭い視線に膝を屈し、そのまま座る事となった。
真田が多大なストレスで胃潰瘍になりそうな時、人数分に切り分けた果物が載っている皿を2つ両手に持ったアシュリーが来た。
その両手には食べやすいように、三日月型にカットしたクリームイエロー色の果物の果肉が、2つの皿に分けられていた。
真田とソフィアのほぼ中間に位置をとった。
左手で持っていた皿を机の中央に、熟練の仲居のような仕草でアシュリーは音も無く静かに置いた。
「まず最初にただ一晩置いといただけの果物をどうぞ」
真田、ソフィア、長老が皿から三日月型の果肉を自分の分を取ると、口に運んだ。
肉厚で歯応えがあり、口の中でシャリシャリと音を立てるが、これが美味しいかと問われれば、首を捻るものだった。
「では次に、冷蔵箱で一晩冷やした物をどうぞ」
真田、ソフィア、長老は差し出された同じクリームイエロー色の果物の果肉を手に取った。
触った瞬間、ソフィアは先程の果肉の違いに気付いた。
「(これが一晩置いた物なの、殆ど取れたてと変わらないのに!?)」
ソフィアは冷蔵箱の性能に驚嘆し、おずおずと果肉を口に近付けると、一口、三日月型の果肉を半分まで噛んだ。
噛むと果肉に含まれていた水分が口に広がっていくのが感じ取れた。
「(なにこの水筒のような瑞々しさは!! 口の中で甘い果肉と水が合わさって、甘い水を飲んでいるみたい!!)」
ソフィアは果肉を丹念に咀嚼しながら、飲み込む事を躊躇うかのようにゆっくりと飲み込んだ。
慣れている真田はサガムの栽培技術に感嘆しながら食べていた。
長老は表情一つ変えずに、咀嚼すると飲み込んだ。
目を瞑って胸を前に腕を組んだ。
その様子を真田以外は固唾を飲んで注視していた。
少しすると長老は目を開けると組んでいた腕を解き、まっすぐとソフィアを見た。
「巫女様は今回の件はどう思われますか」
その言葉に真田とソフィア以外の全員は、雷に打たれたかのような衝撃を受け、目を皿にして長老を見ていた。
巫女といえどもまだ年若いソフィアに、サガムでも1位、2位を争う年齢の長老が意見を求めるなど、作戦中に困った隊長のアシュトンが新人のミーシャに意見を求めるような前代未聞の出来事だった。
それ程までに冷蔵箱設置の件に、長老が迷っている事を示していた。
「私はこのレイゾウバコの設置に、賛成の立ち場を取ります」
それはいつも真田が聞いている少女としてのソフィアの声では無く、凛とした信徒達を導く巫女として相応しい声だった。
長老はソフィアを興味深けに見ていた。
「それは如何様な理由で」
「このレイゾウバコ設置によって、食料の無駄を減らせて、労力の軽減が出来ると考えるからです。発案者のサナダが言うには、レイゾウバコに入れて置くと、食糧が腐るのを遅れさせる効果があると言っています。今までは毎日、店主の皆さんが保管場所に行っていましたが、このレイゾウバコがある事でかかる負担を軽減し、食糧の無駄を減らせるのではないかと思うからです」
ソフィアの言葉を長老は遮る事無く、静かに聞いていた。
長老はチラッ!!と一瞬、横目で真田を捉えたが、それすぐにソフィアに向けられた。
「分かりました。レイゾウバコ設置を許可しましょう」
その言葉に、アシュリーはほっと胸を撫で下ろした。
「ちなみにアシュリー。今度からは事後報告では無く、事前報告をするように」
注意を受けたアシュリーは、悪戯がばれた子供のように苦笑を浮かべた。
周囲からは冷ややかな視線で見られていた。
「儂はまだ仕事が残っているから、先に退出させてもらいますぞ。巫女様」
「ええ。分かりました」
長老はソフィアに軽く一礼をすると、側近達を伴って食堂から出て行った。
ソフィアは長老が出た事を確認すると、
「アシュリーさん。先程の果物まだありますか? 私あれだけじゃ」
その声は先程の凛としたものでは無く、少女らしい声だった。
「分かっております巫女様。こんな事もあろうかと。‥‥‥持って来て!」
アシュリーが合図を出すと調理場から数人の調理人が出て来た。
その手には食べやすいように三日月型にカットしたクリームイエロー色の果物の 果肉が載った皿を持っていた。
その内の一皿をソフィアの前に置いた。
「一応多めに切ってあるから、人数分はあると思いますので皆さんもどうぞ」
その場にいた1人1人が三日月型の果肉を手に取ると、おずおずといった感じで口に運ぶと、その瑞々しさに舌鼓を打っていた。
ソフィアも食感を楽しみながら、食べていた。
わいわいがやがやと思い思いに、次はこうしてはどうかと提案しながら楽しそうに話している面々を見ている真田は、
「(何時かはここを出る身だけど、最終日まではこうやって皆と楽しく過ごせたらいいな)」
と、柄にも無い事を思っていた。
だが、そんな真田のささやかな願いを土足で踏みにじるかのように、サガム。いや、カドモニアの森全体に死の影が、誰にも知られないようにゆっくりと、確実に忍び寄って来ていた。
正式に冷蔵箱の設置が認可されてから数日後。
広大なカドモニアの森のとある一角にある、とある太い木を加工して作られ、下からは中に居る人が見えないように細工をされた見張り台があった。
このような見張り台はカドモニアの森には数多く点在していた。
サガムだけでは広大な森をカバーする事は現実的には不可能で、森にある他の里と協議し、決められた自分達の範囲を見張っているのが現状だった。
その見張り台には3人の男性達がおり、ほぼ同じ背丈で、ミーシャと同じ鎧を装備していた。
1人の男性が難しい顔をして、ある一点を見つめていた。
「如何したんだ。さっきから難しい顔をして、もう便所に行きたいのか」
「そんなんじぁねえよ。ただ考え事をしていたんだ」
「考え事?」
怪訝な表情で見る男性に、頷いた。
「サガムに出入りしていたデラーが巫女様を人質にした事件があったろ。あの時人質が居たとはいえ、ジェラルド隊長や皆が居たのに誰一人として手出しが出来なかった」
あの時の警備隊員として何も出来なかった事への怒りと屈辱に打ち震えながら話していた。
それは聞いていた男性も同様だった
「だが結局、解決したのは罪人の人間だ」
「確かにそうだな。でも、それがどうしたんだ?」
「おかしいと思わないか。魔術を使えない筈なのに、一歩も動かずに人間達全員、人質を誰一人傷つけずに、気絶させたんだぞ。そんなジェラルド・アシュトン両隊長ですら出来なかった事をアイツはいとも簡単にしたんだぞ」
「言われてみれば確かにそうだな」
聞いていく内に男性は無意識に押し込んだ真田へ対する疑問が、沸々と湧き上がって来た。
事件を引き起こした人間達への憎しみや人質となった同胞が解放された喜びに感情を支配され、その後の後始末で忙殺されていたので、解決させた真田の事を疑問に思わなかった。
「俺達はあの罪人に対して、何か思い違いを起こしていないのだろうかと、つい考えてしまうんだ。前みたいに何もかも手遅れになる前に」
同僚の独白みたいな言葉に、男性は言葉が出なかった。
その場がピンと張りつめた緊張感に包まれようとしたが、
「はい、私語はそこまでだ。今は見張りに集中しろ」
2人より少し年上の3人目の班のリーダーのきっぱりとした言葉に、緊張感は大きな金槌で砕られたかのように崩れた。
それとは別の張り詰めた緊張感が見張り台を覆った。
「今は任務中だぞ。‥‥‥まったく、一体何を考えているんだ。定期報告に来た鳥が来ているというのに」
リーダーの男性が指し示す先には烏に似た大人サイズの黒い鳥が降下してきた。
話をしていた男性が慌てて腕を水平にすると、偵察を終えた黒い鳥は器用に男性の腕に止まった。
男性はレンジャーの資格を持ち、数羽の鳥を従えている。
達人になると、数十匹の鳥を従える者もいる。
森の見張りを行う隊員には、レンジャーの資格の取得が必須だった。これは見張りのローテーションを組む際には、とても重要な事だった。
3人1組のチームでもし1人だけがレンジャーの資格を所有しているだけの状態だと、もしその1人が何らかの理由でチームから離れたら、人事の替えがきかず、チームの編成に大きく影響を及ぼすからだ。最悪、見張りの穴を作る事となってしまう。
この為、サガムや他の里の警備隊員達はレンジャーの資格を習得し、最低でも2羽以上の鳥を従えさせなければいけない。
何故鳥なのかは、知能はある程度高く、天高く飛ぶため敵から見つかり難いというのが理由だった。
今回の担当は黒の鳥を腕に止まらせている男性だった。
「さてさて、今回はどんな情報を持ち返ったんだ。今日はどんな魔物達が草原をうろついていたんだ」
何時ものように男性が、持ち返った情報を読み取ろうと、目を覗き込んだ瞬間、男性は息を呑んだ。
少しの思考の空白の間が空き、男性はありえないと何かの間違いと思い、再び鳥の目を覗き込んだが、同様の情報だった。
男性はようやく自分に持たせられた情報の重要性に気付いた。
固まっている男性を怪訝な表情で見ていた男性は、自分も鳥から情報を得ようと目を覗き込んだ。
覗き込んだ瞬間、持ち返った情報に驚くと同時に、なぜ同僚が固まっているのか理解出来た。
2人は視線が合うと、何の打ち合わせも無かったがほぼ同時に頷いた。
そんな2人を少し苛立った様子で見ていたリーダーの男性が声を荒げる前に、腕に鳥を止まらせている男性は、目が見える位置に腕を動かした。
急な事に勢いが削がれた男性は、渋々ながら目を覗き込んだ。
少しすると男性は、ゆっくりと目から離れた。
その表情は驚きに満ちていた。
驚きの表情で部下達を見ると、真剣な表情をしている2人が同時に頷いた。
まるでそれが正しいかと言わんばかりに。
固まって動こうとしない自分の主人達に、黒の鳥は尋ねるかのように頭を左右にひっきりなしに動かしていた。
動き出したのはリーダー格の男性だった。
「と、とにかくだ。この事をサガムに!!」
慌てた男性に急かされるように、男性は近くにあった鳥籠から1羽の白い、鳩に似た鳥を取り出した。
その白い鳥はサガムの連絡用にと訓練された鳥だった。
男性は白い鳥を腕に止まらすと、目を覗き込み、自分が持っている情報を白い鳥に憶えさせた。
伝達が終わり、男性が鳥が止まっている腕を勢いよく上げると、それを合図に白い鳥は空へと向かい、そのままサガムがある方向へと飛び立って行った。
それを呆然とした様子で見ていたリーダー格の男性はポツリと呟いた。
「戦争が、‥‥‥始まる」
さあ、見張り役の男性達は一体何を見たんでしょうね。
まあ、勘の良い人は次の展開が読める最後ですけどね(笑)
誤字脱字矛盾がありましたら、御指摘よろしくお願いします。
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