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クアットゥオル・シーズン  作者: 二郎
第3章 人間の国へ
20/65

第19話 交易

 時は少し(さかのぼ)り、真田がライに試合の前日の夜。

 青黒い夜の色が天空を彩り、北からの冷たく透き通った風が地上を走っている頃。

 フィルド帝国領内で一番近く、カドモニアの森に行くのに最も効率の良いルート上にある、何処にでもあるような一般的な町に、また何処にでもあるような普通な宿屋のとある一室で、エルフと人間が握手を交わしていた。

 お互い長年の友人と出会ったような朗らかな表情だった。

 外は冬のように冷え切っているが、この部屋だけ春の陽気を感じさせていた。

 エルフの男性は人間の男性に促されるまま、椅子に座った。

 人間の男性は、その対面にある椅子に座った。

 

 エルフは細身で茶色の瞳に肩まである茶色のストレート。青のゆったりとしたローブを着ていた。

 人間の方ははっきりとした厚さがある赤色の髪を中央で分け、ぶくぶく太っており、腹が大きく突き出ていた。頭に薄茶色のひし形の帽子を被り、寒さ対策にと厚手の服の上に茶色の毛皮のコートを羽織っていた。

 自らの財力を見せつけるように、その肥えた十指の全てに煌めく宝石がはめ込まれている指輪をしていた。

 その他にも、いかにも小間使い風な男2人と鎧を着たエルフ2人がそれぞれの後ろに立っていた。


 「お久しぶりです、デラー殿」


 対面に座る男をデラーと呼んだエルフの男性は、若くして(若いと言ってもエルフの年齢感覚なのだが)長老の側近を務める秀才だ。


 「お久しぶりでございます、ニュイ様。本格的に冬が始まる前にこの町に来れて、本当に良かったです」

 

 ニュイからデラーと呼ばれた男は、サガムとの交易をおこなっているフィルド帝国のお抱えのシャルム商会の商人だ。

 ニュイとはサガムと交易を行う前からの付き合いだ。

 フィルド帝国がサガムに交易を行いたいと打診した時、サガムからの特使として派遣され、時には酒を酌み交わし、様々な物品のレート設定や入る物の制限等の協議を行っていた。


 「それは何よりです。街の(みな)はあなた方の到着を今か今かと心待ちにしています」


 「そう言っていただけて、幸いです。交易を続けてきたかいがあります」


 デラーは笑いながら、木の机に置かれている自分とニュイの装飾が施されているグラスに高級な赤い酒を注いでいた。


 グラスをニュイに渡すと、グラスを空に掲げると。


 「サガムとフィルド帝国の繁栄と交易の成功を願って」


 「「乾杯!!」」


 グラス同士が当たって、心地良い高音が部屋の中になり響いた。

 グラスに入っているお酒を一気に飲み干すと、ニュイとデラーはお互い楽しそうに談笑を始めた。

 

 夜空に輝く月がさらに輝きを増し、月下の生き物たちが活発になる頃。

 赤い酒を飲みながら、ニュイはふとある事を思い出した。


 「デラー殿。先程見て回ったのだが、町に止めている馬車の数が何時もより多くないか」

 それを聞いた小間使いの2人に一瞬、緊張が走った。

 サガムの機嫌を少しでも損ねると、交易は中止になるからだ。

 デラーは一切表情を変えずに。


 「はい。今回はフィルド帝国に伝わる踊りを披露しようと、踊り子や楽器の演奏者達を連れて来ております」


 「踊りか。‥‥‥今までは物品同士の交流だったが、サガムの発展には文化の交流も必要だよな」

 

 ニュイは顎を摩りながら、頷いていた。


 「踊り子達もサガムの街で踊れるのを心待ちにしております」


 デラーはニュイの空になったグラスに、次の白い酒を注ぎ自分の分にも注いだ。

さらにデラーとニュイのぼんやりとした会話が果てる事無く続く事となった。

 更に時間が経ち、夜がどっぷりと更けて来た頃。


 「‥‥‥では、明日の出発はいつも通りの朝にですか」


 デラーの声には、呂律が回っている事は無く、最初にニュイと出会った時と同じ、ハッキリとした声だった。


 「そうですな。何時ものように我らがサガムまでは我らが道案内をしますので、ご安心を」

 

 ニュイは頬を少し赤くしていたが、呂律はハッキリとしていた。

 2人が飲んだ量を表すかのように、空になった酒のビンが7本、机の上に立っていた。


 「本当に助かります。ニュイ様の協力が無ければ、この交易ここまでの成功はしなかったでしょう」

 

 ニュイはデラーの言葉に気をよくしたのか、笑いながら扉の方へと歩いて行った。


 「それではデラー殿、また朝に」


 「はい、ニュイ様。お休みなさいませ」


 ニュイが扉を閉めて、少しした後。


 「行ったか?」


 声を発したのはデラーだった。

 その声は先程の人懐っこい声では無く、氷のように冷たいものだった。

 表情もニュイが居る時は終始笑顔だったが、今は容赦のない無慈悲なものだ。

 小間使いの1人が扉を開け、周囲を窺っていた。


 「‥‥‥如何やら居ねえようです」

 

 「そうか。‥‥‥しかし『計画』に必要とは言え。だらだらと無駄話を続けやがって。ったくよ、こんなにいい酒がなくなちまったじゃねえか」

 

 デラーは忌々しそうに空になった酒のビンを見ていた。


 「いいじゃないですか。これが終わったら‥‥‥」


 「ああ、『計画』の最終段階に入ったからな。ようやく『依頼』が終わりを向かえそうだな」


 デラーは今まで体験した苦労を噛み締めるように言い、遠くの事を思い出すかのように目を細めた。

 少しして立っていた小間使いの男が、徐に口を開いた。


 「しかし先程危なかったですな」


 「‥‥‥ああ、馬車をまさか見て回るとはな。念の為に前の町で普通の服に着替えさせたのが、正解だったな」


 小間使いの2人は肯定するように、頷いた。


 デラーは自分のグラスに残った酒を一気に飲み干すと。


 「よしお前達。下に居る野郎共に伝えとけ。時は来たと」


 「「はいでさー!!」」


 興奮を抑えきれない小間使いの2人は扉を勢いよく開けると、木の廊下を音を立てて走って行った。

 大きな足音を聞きながら、部屋に一人残ったデラーは、ビンに残っていた葡萄酒をグラスに注いだ。


 「サガムとフィルド帝国の繁栄と交易の成功を願ってか」


 デラーは興醒めをした表情で、葡萄酒を一気に飲み干した。




 太陽の光が東の空を明るく照らし、夜明けと云える明るさがあり、闇夜に包まれていた建物に弱い陽光を差していた。

 サガム警備隊員で罪人の監視役であるミーシャ=オルセンは、何時ものように目を覚まし、未だ睡眠を貪ろうとする自分を強制的に退かした。

 ミーシャの部屋は真田が運び込まれた部屋と同じ位に殺風景なものだった。

 寝るようにとベットと換気用の窓と木の机が置かれているぐらいだが、年頃なのか

 起き上がると、低い外気温とほぼ同じの室温に一瞬身震いした。

 あまりの寒さにもう一回、布団の中に引きこもろうとしたが、ある人物の境遇を思い出した。


 「(タクトさんはこれよりも厳しい所で寝ているんだから、恵まれている私が出来る範囲でタクトさんのサポートをしないと)」

 到底監視役とは思えない事を思いながら、ミーシャは引きこもるのを止め、ベットから降りた。

 寒いのを我慢しながら寝間着から鎧の下に着る服へと着替えた。

 着替えたミーシャは備え付けの木の机から、木の(くし)を取ると再びベットに座り、髪を梳き始めた。

 高級品である鏡を持っていないミーシャは感覚で髪を木の櫛で()ぎ、整えていた。


 「(今日は久しぶりの交易。前みたいにゆっくりは見れないけど、移動の時の合間にちょっと広場に寄り道するぐらい良いよね。そしていろんな店を見て回って、うふふふふふふふふふふふ)」


 その先の事を具体的に想像したのか、ミーシャは頬を赤くし、梳ぐのを一旦止め、嬉しそうに赤くなった頬を両手で挟み、身体をくねらせていた。

 ミーシャは何度も丁寧に髪を梳いでいた。


 髪を梳くのを終えたミーシャは、木の櫛を机に置くと、そのまま部屋の外に出た。

 ミーシャは真田に朝食を届けようと、詰所にある食堂の方へと向かった。

 その歩みは軽やかなもので、そのまま踊りだしても何ら不思議が無かった。



 サガムに女神アシュタロテの石像を祀るケーニギン神殿がある。

 木造の建物で、神殿の敷地の約30%を占める程の大きさだ。神殿の外観には腕の良い職人による装飾が随所に施されており、荘厳な雰囲気を醸し出している。

 

 神殿の脇には幾つかの建物が立っていた。

 それは巫女であるソフィアや神官達を日常の世話をする世話役達や清掃作業を行う者達等、神殿に従事している人達が住んでいる建物だ。

  神殿は24時間常に巫女の護衛部隊が監視の目を光らせている。巫女の護衛部隊が神殿の警備をするのは変な話だが、神殿を守る事は巫女を守るに繫がるという護衛部隊の主張が通っているからだ。

 その部屋は職人が精魂込めて作った豪華な置物や調度品が、部屋の主の行動を邪魔しないように且つ存在感を放てるように各所に置かれていた。

 ソフィアはミーシャの部屋に有った掛布団とは明らかに違う、シルクのシーツに重すぎず軽すぎないシルクに羽毛100%のフカフカの白い掛布団とソフィアに合わせて作られた羽毛の枕、羊毛100%の布団に包まれていた。

 ソフィアは規則正しい寝息をたてながら、羽毛の掛け布団を小さく上下に動かしていた。

 少しすると部屋の扉を丁寧にかつ大きくノックの音が聞こえた。


 「おはようございます、巫女様。朝です。起きていらしゃいますか」

 

 ソフィアからの返事は無く、無音の時が流れた。

 時がほんの少し流れた後、ソフィアの部屋の扉が開いた。

 部屋に入って来たのは、白装束を着ている女性だった。

 この女性は、神殿に居る巫女であるソフィアと神官達の身の回りの世話を行う者達の1人だ。

 女性は扉を静かに閉め、ソフィアが寝ているベットに近付き、気持ちよさそうに寝ているソフィアをゆさゆさと揺らしていた。


 「ソフィア様、朝です。起きて下さい。もうすぐ朝の祈りの時間ですよ」


 「うーん‥‥‥」


 ソフィアは起こされるのが嫌そうに、寝返りをうって女性に背を向けた。

 女性は嫌な顔一つせずに、再度ソフィアを強めに何度も揺らした。


 「ソフィア様。起きて下さい。朝の祈りの時間に間に合わなくなりますよ」

 

 女性の攻勢に観念したのか、寝ぼけているソフィアは渋々といった様子で上体を起こした。


 「おはようございます、ソフィア様」

 

 「‥‥‥おはよう」


 身体を二つ折りにするかのように頭を下げるのを見て、ソフィアは寝ぼけながらも条件反射で挨拶をした。

 ソフィアはナマケモノが全力で動きのようなゆっくりとした動作でベットから降り、揃えられていた靴を履き、鏡台の椅子に座った。

 女性は鏡台に置かれていた木の櫛でソフィアの腰まであるロングのストレートの髪を梳ぎ始めた。

 素早くそれでいて丁寧に繊細に、絹糸のような柔らかな髪を梳いでいた。


 「巫女様。今日は交易の日で御座います。午後にはデラー殿との謁見が御座いますので、出かけるような真似は遠慮していただきます」


 「はーい」


 女性の釘を差すような言葉に、ソフィアは露骨に嫌そうに答えた。

 サガムの中央広場で行われる初日での露店に出かけられないのも嫌なのだが、それよりもソフィアはデラーと会うのを嫌がっていた。


 「(交易は嬉しいけど、あの男と会うのが嫌だな。‥‥‥何で嫌なのか自分でもよく分からないけど、あの男嫌い。だけど、巫女として会わないというのは出来ないよね)」


 どうしようもない現実にソフィアは思わず溜め息を吐いた。

 女性が髪を梳ぐのを終えると、ソフィアは徐に立ち上がった。

 寝間着を脱ぎ、洋服ダンスに何着も有る、所々に金の刺繍が入った上質なシルクのロープの一枚を取り出し、袖に腕を通し、同じ素材の一枚布のフードを被った。

 世話役の女性がその後ろで脱ぎ捨てられた寝間着を、丁寧に畳んでいた。

 女性はソフィアのロープやフードに皺が無いか確認し終わると。


 「それでは」


 ソフィアは女性に先導されるような形で、自室を出た。

 礼拝室に通じる廊下には影が出来ないように、光を発する魔石が網目の籠に入って、一定間隔に置かれていた。

 そのおかげで光りが射さない廊下でも、昼間のように明るかった。

 明るい廊下とは裏腹にソフィアは、憂鬱な気分で歩いていた。

 普段は一緒に歩く事が無い筈の護衛隊員が一緒に歩いているのもあるが。そんな事よりもソフィアは真田の事がどうしても気になってしょうがなかった。

 あの時ライの魔法で倒れた真田を回復魔法をかけようとしたのだが、アシュトンに阻まれ、世話役達に強制的に神殿に戻され、自室に閉じ込められた。

 何度も真田の所に行かせてほしいと、ドアを叩いて大声で頼んだが無視された。

 周囲から自分達の仲間が人1人を殺そうとしたのを見過ごせと言われたような気がして、自分一人では人1人すら救えないという、どうしようもない現実に打ちひしがれ、ソフィアはあたりかまわず子供のように泣いた。

 

 ソフィアは泣き疲れて、ベットで休んでいるとある事を思いついた。

 隙を見て神殿から抜け出そうと。周囲が行かしてくれないのなら、自分から行くしかないと。

 思いついた瞬間、ソフィアの目に光が灯り、真剣な表情となった。

 ソフィアは前の経験を活かし、なるべく周囲に悟られないように大人しくしていた。

 夜、皆が寝静まった頃を見計らいソフィアは窓を開けた。

 窓から覗くと、夜空には満月に近い月で浮かび、月の光でハッキリと地上まで見えていた。

 地上まではそれなりの高さがあり、これからしようとする事等が、顔を引きつらせ身震いした。

 ソフィアは、長老や神官達にばれたらもう小言じゃ済まないだろうなと思いながら気を引き締めた。

 まずウッド・タイを静かに発動させ、蔦を自分に巻き付け、ソフィアは出現した蔦を使って窓から地上へとゆっくりした速度で降りて行った。

 ソフィアは真田が何処に居るのか全く情報が無かったのだが、不思議と何処に居るのか確信に近い予感を持っていた。

 何事も無く地上に降りたソフィアは真田の所に、駆け出そうとしたのだが、待ち構えていた警備隊長のジェラルドに暴れる暇を与えられないまま、あっさりと捕まった。

 試合会場から戻って来たジェラルドは隊員や世話役からソフィアの様子を聞き、食事の様子を聞いて思った。これは脱走を企てるなと。

 しかし証拠が何も無いので部下を動かす事が出来きないので、自分一人で寝ずに神殿の裏手に張り込んでた。

 微かに上から魔法の発動を感じたジェラルドは、ソフィアが何かしでかすと確信して、張り込んでいるのが露見されないように、少し離れた場所に音を立てずに移動した。

 

 そこに何も知らずにソフィアが降りてきたところを確保した。

 ソフィアは逃れようと暴れたのだが、戦闘が本職のジェラルドの腕力に敵う筈も無く、あっけなく自室へと戻された。

 ソフィアはもう一度脱走を試みようとしたのだが、世話役の女性が監視役として自室に張り込んだので、そのまま眠りにつく事にした。

 その次の日から、ソフィアに護衛が付く事なった。

 名目上はソフィアの安全強化なのだが、聞かされたソフィアは胡散臭そうな表情をした。どうせ自分を監視するためなのだと思っていたからだ。

 それからのソフィアは常に人目にさらされ、思うような行動はとれず、自室で真田の無事を祈っていた。

 今の自分にはこれぐらいの事しか出来ないと、半ば諦めながら。

 せめて生きているのか死んでいるのか、真田の安否情報が欲しかった。

 その後の事を知りたいのだが、周囲があの試合は元から無かったものとして扱うので、それ以後の情報が入る事は無かった。

 自分一人では打破できない現状に直面し、ソフィアは胸をきつく縛られるような思いだった。


 「ソフィア様」


 ソフィアは自身の名を聞いて、ハッと我に帰った。


 「部屋にお着つきになりました」


 そこは礼拝室の前室で、ソフィアが神官達と合流する場所だ。

神殿にある礼拝室はサガムに住人なら誰でも入れるのだが、ソフィアや神官達による朝の祈りの時間帯だけは入場を制限している。

 これから先は世話役の女性も入る事は出来ない。

 ソフィアは頭を下げている女性の前を通って、前室に入った。

 

 そこには様々な年齢層の女性が6人居た。

 ソフィアとは色違いの、紺のローブを着ていた。

 神官の6人は椅子に座って、ソフィアの到着を待っていた。

 ソフィアが部屋に入ってくるのを見ると、一斉に立ち上がり、深々と頭を下げた。


 『おはようございます。ソフィア様』


 「‥‥‥おはよう」


 小さく短く呟くと、そそくさとソフィアは礼拝室の方へ行ってしまった。

 いつもと違うソフィアの態度に6人は戸惑いを隠せなかったが、実質のまとめ役である最年長の女性がソフィアの後を追って、裾をあおるように急いで礼拝室に入って行った。

 立ち尽くしていた他の5人も最年長の女性に後に続いた。

 一足先に入ったソフィアの目の前には、数台の枝が6本もある枝付き燭台に立っている蝋燭(ろうそく)の仄暗い明かりに照らされていた礼拝室が目に飛び込んで来た。

 礼拝室は聖書の一節を描いた天井画や聖人の彫刻等の装飾が施されていないので、人間の都市にある大聖堂のような煌びやかさは無いが。あらゆるものを断ち切る禁欲的な信仰を体現するかのような静謐(せいひつ)な雰囲気を漂わせていた。

 神殿の礼拝室の天井は高く、幾つかの巨大な木の柱が支えていた。

 中央の通路を挟んで大人が5人座れる木の長椅子が、左右2つずつ置かれており、それが幾つも続いていた。

 部屋の一番奥に、ソフィア達が信仰している大地母神であるアシュタロテの石像が安置されていた。高さは約8m。髪はソフィアと同じように腰まであり、胴体部分にはロープを着ているように彫られていた。アシュタロテの石像は髪の毛一本から服の皺まで職人が細部にまで拘って作ったのが見て取れた。

 

 一般人が入れない内陣と呼ばれる場所に、ソフィアは足を踏み入れた。

 内陣には人1人位の大きさの長方形の赤い絨毯が6枚敷かれていた。

ソフィアは一番先頭の赤い絨毯の所に来ると、膝を下ろして中腰になり、胸の前に両手を組み、頭を軽く下げ目を瞑った。

 後に続く神官達も自分の場所に着くと、ソフィアと同様の祈りのポーズをした。

 5人の神官達は何時ものように、アシュタロテに日々の恵みへの感謝とサガムの平穏を願っていたが、ソフィアだけは違っていた。

 真田の無事と生きているのなら真田に会わせてほしいと願っていた。

 こんな事を願っては巫女として失格なのだとわかっていた。

 6人の神官達と同様にアシュタロテに日々の恵みとサガムの平穏を願わなければいけないと、それが自分に課せられた使命なのだと十分に理解していた。

 でも。

 願わずにはいられなかった。

 今の現状を打破も出来ないちっぽけな存在だから。

 普段の時以上にソフィアは、アシュタロテに強く願った。

 聞き入れてくれるようにと。

 その姿は何処にでもいるような少女が、思いを寄せる少年の無事を藁にでも縋る思いで願うものと同じだった。

 その後ろ姿を最年長の女性は複雑な思いで見ていた。



 神殿でソフィアが真剣に祈りを捧げているとは露知らず、朝食を持ってくるミーシャが来るまでの間、真田は専用の亜空間からある一冊の本を取り出して、読んでいた。

 真田の服は日本で買ったTシャツとジーンズから、ミーシャが着替えにと持って来た何処にでもあるような長袖の若草色の麻の上着と茶色のズボンを穿いていた。

 ライトブラウンの本で、職業が泥棒と刑事という異色の夫婦が織りなす物語だった。

 真田は付属の(しおり)を挟んだ所を開き、読み始めた。

 そこは旅行中の夫婦が、迷い込んだ田舎の村で起きた惨劇に巻き込まれるという話の冒頭部分だった。

 遅読派の真田が本を読み始めて10ページ進んだ所で、ミーシャが此方に近付いている事に気が付いた。

 真田は栞を本の間に挟んで閉じると、専用の亜空間に仕舞い込んだ。

 本を仕舞い込むと同時に、扉が開けられ、ミーシャが顔を出した。

 

 「おはようございます。‥‥‥何処か体調でも悪いんですか」


 真田の言うように、朝食を持って来たミーシャは浮かない表情をしていた。


 「いえ、何処も悪くないですよ」


 ミーシャはさらりと言った。


 真田は『いや、絶対どこか悪いだろ』と思っているのだが、本人がそう言っている以上、それ以上追及する事が出来ずに、出された朝食を黙々と食べていた。

 牢屋がある部屋は話し声では無く、食事の音が無駄に響いていた。

 真田とミーシャは朝食が終わり、その場にじっとしていた。

 本来なら此の儘真田がすべき仕事現場までミーシャが案内するのだが、その肝心のミーシャが動こうとしなかった。

 真田がどうしたものかと困っていると、ミーシャが口を開いた。


 「タクトさん、アシュトン隊長から聞きました。私を今日休みにしてくれないかと言ったらしいですね。‥‥‥何故ですか」

 

 「何故って」


 真田は一瞬戸惑った。ミーシャの言った意味が理解できなかったからだ。


 「そりゃ、オルセンさん。貴女が私の監視者となって一度でも休んだ日が無かったので、今日は久しぶりの『交易』の日らしいですから。友人の方々を誘って、楽しんで来て下さい」


 ミーシャは真田の言葉を噛み締めながら、


 「じゃっ、じゃあ。私が鬱陶しくなったので変えてくれと言った訳じゃないんですね」


 ミーシャは懇願するかのような口調だった。

 真田は少し驚きながらも。


 「違いますよ。何で私がこんなに良くしてくれているオルセンさんを鬱陶しく思わなければいけないんですか。寧ろオルセンさんには監視者として最後まで居てほしいぐらいですよ」


 ミーシャは自分の胸中に渦巻く暗雲が晴れて行くのが感じられた。

良かったと、ミーシャは心の底から安堵した。

 此処に来る前、何時ものように朝食を真田に持って行くときに、アシュトンから聞かされた時は耳を疑った。真田から見捨てられたと思ったからだ。

 信じられなかったミーシャは、その場でアシュトンに再度尋ねたが、返って来たのは肯定だった。

 来るまでは違うと真田はそんな冷たい事はしないとミーシャは思い込もうとしたのだが、思い込もうとするたびに、はたしてそうなのかと囁く自分がいた。

 真田の言葉を聞くまで、ミーシャの胸中は不安で押し潰されそうだった。

 ミーシャに休めと言うのがアシュトンの判断なら、ミーシャも上司命令としてすんなりと受け入れたのだが、真田から言われた事を示唆してしまったので、ミーシャも混乱してしまった。


 「でもタクトさんはいいですか。今日は外から様々なお店が出店しますから、見て回るだけでも結構楽しいですよ」


 「いや良いですよ。罪人の私が見て回ったら、せっかくの楽しみがぶち壊しですよ。そうなってしまったら、私の命が今度こそ終わるかもしれませんね」


 真田は苦笑を浮かべて、やんわりと断った。

 ミーシャはそんな真田を何ともやりきれない思いで見ていた。


 「でしたらタクトさん今日は如何するんですか」


 「牢屋で1日中じっとしているか、オルセンさんとは別の人が来て何処か人目に付かないような場所で労働をするぐらいですかね」

 

 真田はミーシャに聞かせるように一拍置いた。


 「まあ私の事は気にせずに、今日は仕事の事を忘れて楽しんで来て下さい」


 笑顔で言う真田に、ミーシャはそれ以上何も言えなかった。

 言ってしまったら、真田の善意を踏みにじると思ったからだ。

 だから言えなかった。

 一緒に見て回りたいと。

 笑顔の真田とは裏腹にミーシャの胸中は暗い影が差していた。


 

 太陽が地上を照らし、間もなくその日の最高気温になる頃。

 神樹カドモニアの森に車輪が回る音が大きく響いていた。

 森の中を多くの馬車が移動していた。

 馬車は何処にでもあるようなもので、後ろの雨よけの布を被せた荷台には、『交易』の商品が木箱に入って並んでいた。

 その馬車を鎧を着たエルフとガラの悪そうな屈強な男達が護衛をするのかのように、進行方向に沿って歩いていた。

 森の中は危険な猛獣や魔獣が生息しており、サガムとしては余計な人数を入れたくは無かったが、護衛を付けざる得なかった。

 一番前の馬車に乗っているデラーは、表面上は景色を見て楽しんでいるように見えるが、胸中は、はやる気持ちを必死に抑えつけていた。

 ようやく今までの苦労が報われようとしていたからだ。

 デラーは分かっていた。此処で焦ってしまったら、今までの苦労が水の泡になると。失敗する奴は此処でこけるのだと十分に理解していた。


 「旦那様。間もなくサガムに着きます」

 

 長年一緒に居る小間使いの男からの言葉に、デラーは気持ちを切り替た。


 「(さて、盤上のサイコロはどう転がるか楽しみだな)」


 デラーは今から起きる事を楽しみにしているかのように薄く笑った。

誤字脱字がありましたら、御指摘の方をよろしくお願いします。

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