第37話 初めてのデート
「な……なんじゃと……?」
「ですが、いや……考えられない事は……」
「確かにこの街の下水道は古く、長大じゃ。じゃが、そうとは言えども気付かれずに吸血鬼が根城にする事がありえるのか!?」
俺は、アルカノーアの言葉に頷き、言う。
「あり得る」
実体験からの言葉だった。確かに奴らは人の貴族に似た高貴な暮らしをしているものも少なくない。だが、それとは異なった暮らしをしている者も多数存在している。
底知れぬ洞窟の底、廃墟と化した都市の地下、古の遺跡、そして大都市の地下。そのような場所に彼らは僅かばかりの眷属と共に息を殺して潜み、獲物を待っている。
そんなはぐれ吸血鬼とでも言うべき存在を多数狩り殺してきた俺は、それを知っていた。
「ともあれ、吸血鬼が存在しているという前提に兵を集め、討伐隊を……」
「ダメだ」
カロリーヌの提案を切り捨てたのは、ロレッタだった。
「もし、教会と何らかの方法で結びついているのならば、事を起こす為に周到な準備を行っているだろう。手練の冒険家達を集めても相当な難儀となる事は間違いあるまい」
「では、どうしろと?」
カロリーヌの問に、ロレッタは胸を張って答えた。
「私とグリンがどうにかしよう」
「……俺?」
寝耳に水だった。しかし、ロレッタは自信満々の様子で言っている。止めるわけには行かないだろう。
「そう、私と君だ。下水道に行く事になったとしても、私と君ならば一介の吸血鬼に遅れを取ることはあるまい」
確かにそうだろう。魔力を失ったとは言え、今の俺にも剣を振るう事は出来る。それに同行者が“あの”黒騎士となれば心強い。その力の強大さはこの“大海の都”までの道中でも嫌というほど味わった。
「それに、万一の時となれば……」
ロレッタは何かを言いかけたが、躊躇して止めた。
俺に対してもまだ見せていない秘策があるのだろう。
「……相分かった。グリン様とロレッタ様にこの件は任せよう」
アルカノーアはしっかりと俺を見据えて言った。それは俺に憧れていた少女の者ではなく、この都市を預かる者の気概を感じた。
「ロレッタ様、コレを」
そう言って、アルカノーアは小指に身に着けていた印章入りの指輪を渡した。
「これを持ち商工会の本部へ行けば、下水道の詳細な地図が得られよう。また、それを見せれば有力な商人共には話が一発で通る筈じゃ」
「感謝する」
ロレッタは深く頭を下げる。
「私は都市の防備と衛生状態の確認を行うからの。そちらは任せた」
二人に別れを告げ、ロレッタと俺はまずはクリーンポート地区に存在している都市の中枢部、商工会の本部へと向かうことになった。
この都市は一応有力な商人の合議制が取られている筈だが、数代前からヴァン・ダイク家が頭となって全てを動かしていると聞いている。
それだけに、この印章は相当強力な物となるだろう。これを借りれた事は幸先が良い。
早速地図を手に入れて、吸血鬼の奴を……
意気込む俺の肩を、ロレッタがトントンとリズミカルに叩く。
「では、その前に腹ごしらえと行こうか」
「……は?」
あまりにも呑気な一言だった。緊張感を感じないその一言に脱力した俺は、相当酷い顔をしていたのだろう。
「いや、腹ごしらえって……」
「大事なことだろう。腹が減っては戦は出来ぬと言うしな」
苦しい言い訳だった。少し前に朝食を取ったばかりだ。腹が減るはずも無い。
ロレッタはそう言うと、俺の意見も聞かずに市場の方へと引きずっていく。完全に目が座っている。
彼女は朝食をしっかりと取っている筈なのだが、どういう事なのだろうか。
疑問に思いながらも、俺は黙って付いていく。ロレッタは普段の様子からは想像も出来ない程に足取り軽く、スキップを始めそうな程だ。
辿り着いた市場は朝早くだと言うのに、活気と人々、そして物に満ちあふれていた。
「凄い人だな」
苦心しつつ、人を避けながらロレッタが言う。
「ここは東方諸島との交易を許されている数少ない都市だからな。それを求めて多くの人々が集まる上に、少し東に良い漁場がある。お陰で売るものには困らないってわけさ」
俺の言葉通り、威勢の良い声、そして競うように並べられた色とりどりの魚や甲殻類で通りの人を誘い込む魚売りを始めとし、東方諸島の名産であるチャ、そしてカタナを始めとする工芸品を打っている者の姿があちこちに見える。
「グリン、これはなんだ?」
ロレッタが指し示したのは、魚売りの前に並べられた数多くの魚の隅に置かれた、奇妙な赤く実った物体だ。
「フーヤと呼ばれる生き物だ。海で捕れるとか。食えるらしいぞ」
熟れ過ぎた木の実にしか見えないので、流石に手を付けるつもりにはならなかったが、食べている所を見たことがあった。
「そ、そうなのか。世界は広いのだな」
ロレッタの興味は次から次へと移っていく。魚介類、東方諸島の物産、魔石や書物など。
他にも、俺がかつての旅で得た知識を披露していると、ロレッタは楽しげに笑う。
「? どうした」
「いや、そういう話をしている時の君は実に楽しげだと思ってな」
「実際楽しかったからな。その後の事を差し引いても、世界のいろんな場所を巡る事が出来たのは、俺にとっては最高の経験だったよ」
そして、その経験を生かして魔王業に勤しむことになった訳だが。