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プロローグ

 どうしてこうなったのだろうか。

 俺は、そればかり考えている。




 魔王にトドメを刺した後、“奴ら”に裏切られたあの瞬間も、身に覚えのない罪状が並べられて否定すら許されなかった裁判の時も、教会の尋問官による拷問の時も、そして晒し者になりながら歩いているこの時ですら。

 俺は今、監獄へと移送されようとしている。本来ならこうして群衆の前を歩く必要などどこにもない。だが“奴ら”は俺を晒し者にする事を選んだ。




「あいつのあの顔、見ろよ、情けねえ」

「あんな獣みたいな男が、勇者を語ってたなんてねえ、こわいこわい」

「ホント、こうして見ればただの気持ちの悪いおっさんじゃない。いかにも裏切り者って感じ」

「俺たちをよくも騙しやがったな!」




 老若男女様々な人々から発せられる罵声は怒号に近い。遂には石を始めとする様々なものが俺目掛けて投げつけられ始める。

 俺の前後で枷に繋がれた逃亡防止の縄を持つ兵士達はそれを止めようともしない。下手なことを言って巻き込まれたら敵わないと思っているのか、それとも俺が私刑で殺される事を願っているのか。

 投げられた石が俺の頭を打つ。嫌な音がした。痛みの為に足を止めると、後ろの兵士が蹴りを入れて急き立てる。それを見た群衆からは歓声が上がる。




 両腕を繋がれたままの俺は、血を拭うことも出来ずに歩き続ける。視界は赤く染まり、血は服を赤く染めていく。

 俺が顔を上げて辺りを睨みつけると、更なるどよめきが起きる。




 だがそんな事はどうでも良い。俺は熱り立つ群衆の中にある顔ぶれを見つける。

 俺を裏切り、こんな状況へと貶めた“奴ら”を。




 ロドリック、レン、ヴィルカ、リリィ、そしてフィル。

 俺を裏切り、全てを奪い、それに飽き足らずここまでの汚名を着せた“奴ら”は、まるで演劇を見るかのように楽しげに俺を観察していた。

 お前らだけは、絶対に……




 どれだけ長い間、馬車に揺られて居たのだろうか。尻と腰が酷く痛む。

 俺は北の監獄へと送られる手筈となっていた。即時処刑という事にならなかったのは、苦痛が更に長く続くように、という“奴ら”の心遣いのおかげだろう。




 しかし、馬車は唐突に止まった。遂に監獄へと着いたのかと思ったが、何時まで待っても馬車の扉が開くことはない。

 どういう事だろうかと小さな窓から外を覗く。

 すると、木々が鬱蒼と生い茂る森が辺りには広がり、道の脇で呑気に休憩を取っている護送役の兵士たちの姿があった。耳を澄ませば、彼らの会話が聞こえる。




「いやあ、疲れたな」

「ああ、あんな野郎のお守りとはな」

「アイツはまだ監獄に行くと信じてるのかねえ」

「だろうな、あんな野郎の為に何日も掛けて北の監獄くんだりまで行くわけ無いって少しでも考えりゃ分かるだろうにな!」




 そう言って兵士たちは下品な笑い声を上げる。

 どういう事だ? 俺は北の監獄で死ぬまで繋がれる事になるはずでは……




「しかし、レン様もお人が悪い。あの男に死んだ後まで更なる汚名を浴びせる手筈を用意しているとは」

「金さえ貰えりゃなんでも良いんだけどな、俺としては。それにあんな野郎の悪行がこれ以上増えようと、大した事じゃないだろうよ」

「違いねえ」




 “奴ら”の一人であるレン、その名前が出た途端に、俺の中で何かがキレた。

 扉へと思い切り体当たりをする。二度、三度。ただの癇癪に近い行動だったが、幸か不幸か扉は打ち破られる。

 逃げられる。その考えが頭に浮かんだ瞬間に、俺は転げ落ちるように馬車から逃げ出していた。




「お、おい!」

「アイツが逃げたぞ!」




 背後から兵士達の声が聞こえる。だが俺は自由にならない繋がれた足を必死に動かし、駆けていく。

 目標も目的も無い。ただがむしゃらに、必死に逃げる。

 だが如何せん足枷と、長い間受けていた拷問による体力の低下と、そして迫る年波には勝てない。呼吸する度に胸は燃えるように熱く、足はもつれて思い通りには動かない。




 そして、ついに躓いた。地面に顔面から叩きつけられた俺に兵士たちは容易に追いつく。




「この野郎、よくも!」

 兵士の一人が俺の腹に蹴りを入れる。鳩尾に入ったその蹴りのおかげで、俺は呼吸する事も出来ずに痛みでのたうち回る。




「もういい、この場で始末しちまおう」

 そう言って、もう一人は剣を抜いた。




 ここまでか。俺は命乞いの言葉も思い浮かばなかった。するつもりも無かったが。そして俺の生命を絶つ刃をじっと待つ。

 しかし、剣が振り下ろされる事は無かった。




 兵士たちは俺の背後の何かを見ている。何かを見て、怯えている。

 何かと思い、背後に目を向けるとそこに存在していたのは巨体のオークと呼ばれる亜人デミヒューマンだった。




 さらに辺りを見回すと、周囲は既にゴブリンと何人かのオークに取り囲まれていた。

 奴らの巣だったのか、野営地だったのか。首都に近いであろうこんな森にまで奴らが現れるようになっていたとは。




 兵士たちは背中合わせになり、剣を振り回してゴブリン達を牽制する。奇妙な事にゴブリン達を始めとし、オークすらも彼らに近寄ろうともしなかった。

 まるで何かを待っているように見える。

 そして、その予感は当たった。ゴブリン達、そしてオーク達の間を掻き分けるように現れた者が居た。 



 この存在を、俺はよく知っている。

 黒い鎧兜を身に纏い、漆黒の剣を持ったその存在は、魔王を倒す旅の中で幾度となく剣を交えた俺の好敵手、黒騎士。

 兵士二人は黒騎士を目にした瞬間に震えだす。存在の格自体が違うのだ。無理もないだろう。




「お、おおおおおッ!」

「馬鹿! 止めろ!」




 兵士の一人が自暴自棄になり、剣を振りかざしながら突っ込んでいく。黒騎士は一瞬彼に目をやると、背負った鞘から奴の代名詞でもある漆黒の剣を抜いた。

 そして、兵士の元へと一瞬で距離を詰めると、三度剣を振る。一薙で兵士の喉を、二薙でその右腕を、そして三薙で胴体に剣を突き立てる。剣を振り下ろす前に、兵士は息絶えた。




「こ、こいつをやる、だから俺は見逃してくれ」

 残った兵士は俺を指し示しながら黒騎士に訴えかける。

 だが、黒騎士は全く意に介さない。




「俺は何も関係無いんだ! お前らの目的はこいつだろう!?」

「そうだ。私の目的はこの男、グリン・ジレクラエスだ」




 黒騎士がそう言った瞬間、兵士の口元に笑みが浮かぶ。

 だが、次の瞬間、黒騎士は兵士に剣を突き立てた。兵士の顔は一瞬で絶望に染まり、そして力尽きた。

 俺は息をするだけでする猛烈な痛みに耐えながら、黒騎士を見上げる。




「積年の恨みを晴らしに来たのか、それとも主君の敵討ちか。もう好きにしてくれ」

 俺は黒騎士に対して問いかける。身体はこれ以上動きはしない。諦めが付いた。




「随分と卑屈になったな、以前に剣を交えたときにはもっと尊大で自信に溢れていた筈だが。それにだいぶ老けて見える」

「老けて見えるのは当たり前だ、俺はもう三十路だからな。それにあれから、色々あってな」

 そう言って俺は失笑する。そうだ、色々とあった。思い出しくもない事が無数に。




「こんなおっさんの首だったらやるよ。持っていけ」

 俺は頭を垂れて、最後の時を待つ。




「顔を上げろ、グリン。私は君のそんな姿を見たくはない。それに、私が欲しいのは君の首などではない」




 そう言いながら黒騎士は兜に手をやり、ゆっくりと脱ぐ。

 その下に隠れていたのは、鎧の色とは正反対の澄んだ白い肌に赤い瞳、そしてしっかりと通った鼻筋を持った一人の少女だった。

 少女は俺の側に跪くと、顔を近づけて囁いた。




「首と言わず、君の全てを頂く」

 それが黒騎士――いや、ロレッタとの本当の意味での最初の出会いだった――

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