第1話 勧誘と告白と
俺は、久々に心地よく目覚めた。まともな寝床に有りつけた事自体どれだけ久々の事だったか。
のっそりと身体を起こして辺りを見回す。苔の生えた壁と、簡素なテーブル。その前に小さな丸椅子に座り読書をしている少女が居た。少女は俺が起きた事に気がつくと本をテーブルに置いて立ち上がる。
「随分と心地よく眠っていたな、勇者殿」
黒騎士だった。
俺はもう一度彼女を見つめる。彼女の背には龍の翼を讃えている。それだけで、かの魔王、ニル・ヴァンと同じ竜種である事が分かる。
ルビーのような赤い瞳はどこか楽しそうに俺を見つめ、歩く度に腰まで垂らした長い黒髪が揺れる。凛とした顔立ちにはまだ幼さが残り柔らかそうな口元には笑みが浮かんでいるが、スキのない立ち振舞いには彼女が潜り抜けてきた幾多の戦場を思い起こさせる。
改めて見れば、溜息が出るほど美しい。現時点でも文句の付けようがない美少女だが、あと数年で比類する者は居ない絶世の美女へと変わっていく事は間違いない。
細い腰に豊かな胸を主張させる黒を主体としたドレスを身に纏った彼女は俺の眠っているベッド、その足元へと腰を下ろす。
「何者なんだ、お前は」
今だにあれだけの戦いを繰り広げた相手が、こんな年端も行かない少女だという事実を、俺は信じられずにいた。初めて戦ったのは何年前だ? 五、いや六年は前だった筈だ。だとすれば……、いや、考えるのはよそう。
そんな俺の動揺を知ってか知らずか、彼女は楽しそうに俺を観察している。
「私が何者なのか、とはね。確かに私達は戦場で互いを知っている。だが、知らない事の方が多い。それなら改めて互いに自己紹介と行こうか、グリン。君からどうぞ」
「俺が先なのか?」
「当たり前だろう。君は淑女に先に名乗らせるつもりか?」
「分かったよ。俺は、グリン・ジレクラエス。俺は……勇者だった」
改めて考えてみると、今となっては俺は何者でもない。何者でもないただのおっさん、いや、ソレ以下の犯罪者に成り下がってしまった。
そう考えると溜息が出る。
「私はロレッタ・グラーティア。黒騎士として知られている。――そして君が殺した魔王ニル・ヴァンの一人娘だ」
俺はそれを聞いて、心臓が止まりそうになった。
魔王に娘が居た? そんな事は聞いたことが無い。それに、本当に彼女が魔王の血縁者だとするなら、俺は仇ではないか。
「信じられない、と言いたげな顔をしているな。まあ無理もないか。この事は僅かばかりの者しか知らない秘密だからな」
ロレッタは表情を変えること無く、言った。
「魔王の娘、という事は俺はお前のオヤジの仇だろう。それなのになんで俺を助けた?」
「君が欲しかった」
「冗談を言うな」
「冗談ではない」
そう言うと、ロレッタは俺の顔の側へと身体を近づけてじっと見つめてくる。真剣な表情で、笑みを浮かべても居ない。
俺は目を逸らすことが出来ず、彼女を見つめ返すが彼女の赤い瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚える。
しばらく無言のまま、互いを見つめ合った後にロレッタは俺の顔へと手を伸ばし、俺の顎から伸びる獄中生活の結果としてすっかりと伸び切った髭を弄んだ。
「やはりその髭は似合わない。あとで剃ってくれ。もう少し小綺麗な格好をした方が良いだろうな」
「何を言ってるんだ、アンタは」
俺の心臓は年端も行かない少年の様に高鳴っていた。剣一筋の生活をしてきた自分としては、あまりこういう状況に慣れていないという言い訳も出来る。だが、それだけでは説明が付かない。
「私は今の君も中々ワイルドで好きだぞ」
「好きって……」
俺は絶句する。
「どうしたのだ? 初な子供のように顔を赤くして」
「悪かったな、こちとら剣と戦以外の事については疎いんだ」
「君のような勇者は女なぞ取っ替え引っ替えするものだと思っていたが、どうやら違うようだな」
ロレッタはそう言ってケラケラと笑う。俺はこんな年の離れた少女に良いように弄ばれていた。
俺は、今の自分が年甲斐も無く顔を赤らめているのが自分でも分かる。
何なんだ、この子は。
「冗談はさておき、本題に入ろう。グリン、君は魔王になるつもりは無いか?」
「……は?」
俺は、ロレッタが言った言葉が信じられなかった。今この娘は何と言った? 魔王にならないかだと? 俺が?
「私は至って真面目な話をしている。魔王、それは魔物達の頂点に立つ唯一無二の存在だ。そして今、その座は空位となっている。そこに座らないか? と聞いているのだ」
「なんで、俺なんだ? 今の俺はただのおっさんだ。名誉も、魔力も、聖剣すら失った。知ってるだろう?」
ロレッタはそんな俺の肩に手を乗せ、諭すように言う。
「君の今の状況がどうであろうと、君が魔王と戦い、そして討ち取ったというのは多くのものが見ている。“人間たち”がどう言おうと、我々の間で君の名を知らないものは居ない。それに、君の本当の強さは私が一番知っている。幾度となく打ち負かされたのだからな」
そこで、ロレッタは言葉を止める。それ以上語る必要はないとでも言うように。
「だが、正当性が無いだろう。俺は魔王を倒したから強さは認められても、人間が魔王になるなんて言われて信用する奴が居ると思うか?」
「それについては簡単に解決する」
そして、彼女が次に言った言葉は、魔王としてのスカウトよりも、遥かに想像し難い言葉だった。
「私を貰って欲しい」
俺は呆然としていた。この少女は一体何と言った?
その言葉は、どう考えても告白にしか聞こえない。いや、告白なのだろう。
呆然としている俺を見ながら、ロレッタは不敵に笑う。
「すぐに決める事でもない。生憎君は行く場所も無いだろう? だから、ゆっくりと決めるといい」
そして、彼女は立ち上がると俺を残したまま部屋から出ていってしまった。
鍵は掛けられていない。出ようと思えば、逃げようと思えば出来るだろう。
だが今の俺には彼女の言う通り、何処にも行く場所など有りはしない。“奴ら”の事だ、俺が逃げ出したという事が分かれば直ぐ様捕まえようと躍起になっているのは容易に想像出来る。
そんな“奴ら”の作り上げるであろう監視の目を潜り抜け、どこへ逃げる? 辺境か?
俺はその考えを直ぐ様頭から振り払う。辺境へと逃げ込める保証など有りはしない、それに辺境まで逃げ込んだとしても捕まらない保証も無い。
そして俺は幾度となく繰り返している考えを、もう一度反芻する。
どうしてこうなったのだ、と。




