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孤城落日……消えゆく威光⑦

永禄2年(1559年)5月3日――



 長尾景虎が五人の重臣、それに五百人の兵を引き連れて上洛の旅へと出る日。

 

 小雨がぱらつくあいにくの天候であったが、『軍神』率いる一団は、まるで華をまとっているかのように、威風堂々と、越後から越中(現在の富山県)、加賀(現在の石川県南部)、越前(現在の福井県)を通って、近江(現在の滋賀県)へと続く、北陸道を西へと出立していったのだった。


 

 辰丸はその中にあって後方を進むことになっている。彼の一団に目を移すと、重臣である辰丸は馬に乗り、その横を定勝が、そして背後には佐彦が続いている。

 そんな中、一人文句をつけている者があった。

 

 

「ちょっと! 辰丸様! 下ろしてください! 私は一人で歩けます!! 」



 それは辰丸の背中で馬に乗せられた勝姫であった。

 

――おなごを歩かせて、自分だけが馬に乗る訳にはいきません。


 という辰丸の強い意志もあり、彼女は辰丸とともに馬に乗せられた訳であったが、周囲からは好奇の目を向けられていたのである。

 

 勝姫は恥ずかしくてならなかったが、辰丸も辰丸で「それでは私が馬を下ります。宇佐美家の姫様を歩かせて、私だけ馬に乗ったということであれば、面目が立ちませんから」と言ってきかない。

 

 そんな風に互いに主張をぶつけ合う二人を側で見ていた定勝は、

 

「気が合うのか、合わないのか…… 若い男女というのはよく分からん」


 と、大きなため息をついたのであった。

 

 

 

………

……

 越後を西へ向かった直後のこと。

 

 そのまま北陸道を行けば越中国へと道は続いていくのだが、一行はそこから南下していった。


 

 その目的地とは……

 

 

 川中島……

 

 

 川中島の情勢については、時折武田晴信による揺さぶりはあるものの、犀川より北部を本格的に脅かすことはなかった。

 景虎が多功城や宇都宮城を攻めた際も、侵攻の動きは見せたものの、結局は千曲川の東、中野城の南方に新たな城(後の海津城)の建築に乗り出しただけで、武田軍は築城の守備に徹していたのだ。


 これも旭山城に村上義清を置き、飯山城に長尾軍の足軽の一部を常駐させた事が大きいと言えよう。

 

 何事にも慎重に慎重を重ねる武田晴信は、虎視眈眈と川中島侵攻を睨んでいるものの、軽はずみに進軍が出来ない状況だった訳である。


 そんな中にあって、長尾家による川中島の支配を主張する意味を込めて、わずかな兵とは言え、長尾景虎は自ら足を運ぶ事にした。


 そしてこの日は、中野城にて饗応が催されることになっているのだった。

 

 

 辰丸にしてみれば故郷に錦を飾るようなものだ。

 さぞかし鼻を高くしていることだろうと、定勝は辰丸の顔を覗き込んだのだが、辰丸の涼やかな表情は全く変わらないものだった。


 定勝は思わず目を丸くして言葉を漏らした。

 

 

「むむっ!? なんだか面白くないのう」



 辰丸は不思議そうな顔で定勝を見ると

 


「何がでしょう? 」



 と、裏表のない声でたずねた。



「いやいや、長尾家の家老まで出世して故郷へ帰ってきたのだぞ!

もっと誇らしくしてもよいのではないか!? 」



「いえ、お屋形様の大願を叶えるその日まで、浮かれる事はございませぬ」


 

 まるで模範解答のような辰丸の受け答え。

 それが定勝にはますます面白くない。

 そこで彼は少し意地悪をすることにしたのだった。

 

 

「そう言えば今宵の饗応には、『高梨家』の者たちもご出席される予定とのことらしいのう」



 その「高梨家」という部分だけを妙に力を入れた定勝の言葉に、辰丸はピクリと肩を震わせた。

 もちろん彼の背中にいる勝姫には、彼の過剰とも言える反応は正しく伝わった。

 

 

「ん? 辰丸様? いかがしたのですか? 」



「い、いえ。なんでもございません……」



 何かを隠すような辰丸の言葉に、じーっと刺すような視線を浴びせる勝姫。

 しかしそれでも澄まし顔を続ける辰丸に、定勝は追い討ちをかけるように続けたのであった。

 

 

「あんな事があったのに、『何でもない』としてしまうなんて、血も涙もない男よのう」



「あんな事? ……何のことですか? お父上」



 既に勝姫は何かに勘付いたようだ。

 さながら雪のように冷たいものを、辰丸は背中で感じていた。

 

 顔を真っ青にしている辰丸。

 しかし定勝はその顔を見ない振りをして続けた。

 

 

「いやあ、あの時は辰丸もまだまだひよっ子だったからのう。

酒を飲んで倒れたところを、高梨家の麗しき姫……すなわち黒姫様に一晩中介抱してもらったなんて、思い出したくもない、という訳か! 」


「ちょ、ちょっとお待ちください! 定勝殿! 」



 思わず辰丸は定勝に口を尖らせたが……

 

 

――ギュウゥゥゥゥ!!



 背中が世にも恐ろしい力でつねられたのである。

 

 

「痛いっ! お勝殿!! 誤解でございます! 」



 首をひねらせて背中の勝姫を見ると、青白い顔をした勝姫が、右手で辰丸の背中を掴んでいる。

 その手は彼女の顔とは正反対に赤く、全力がこもっている事が分かるように震えている。

 

 

「あら? 辰丸様…… 何が誤解なのでしょう? 」


「いててっ! だから、別に私は黒姫様とは何もないのでございます! 」



 そして悪魔の定勝は……

 

 

 止めを刺すことにしたのだった――

 

 

「誤解ねえ…… 初めて黒姫様のお姿を見た辰丸は、口を半開きにして見惚れておったではないか。

そんな姫様と一晩中二人きりで『何もない』というのは少し無理があるんじゃねえか。

それに黒姫様と言えば、時宗殿の許嫁だったが、『どなた様』かの策謀によって、時宗殿との婚約は破棄。

つまり、黒姫様は新たなお婿様を探してるって話じゃねえか。

これは偶然だったのかねえ。『どなた様』よう」



――ムギュウウウウウウウ!!!



「ぎゃあああああ!! さ、定勝殿!! それにお勝殿!! も、もうお止めくだされぇ! 」



 まるで背中の肉が引きちぎられるのではないかという程の力でつねる勝姫。

 一方の辰丸は涙目になって、叫び声を上げたのであった。

 

 その様子をニタリとした笑みを浮かべながら、見つめている定勝は、「お勝、やめてやれ」と勝姫の手を止めさせると、辰丸に対してはさっぱりとした口調で言った。



「故郷に凱旋してきて心踊らぬ者などいるはずもない。

その目を見れば分かるぞ。

お主の高鳴る鼓動が。

しかし『友』に対して本音を隠して、澄まし顔かよ。

嬉しい時には『嬉しい』と素直になれん奴を、俺が家臣であれば信用せん。

覚えておけ。喜びは他人と共にした方が大きくなる。

全て包み隠すことが、武士の器と勘違いするでない」



 辰丸は定勝の言葉にハッとした。


 そして、ようやく素直に打ち明けたのである。



「はい! 川中島に戻れたこと、すごく嬉しゅうございます! 」



 と……


 その笑顔と口調には嘘偽りなど微塵もないもので、定勝は「最初から素直になれ」と、鼻を鳴らしながら言ったのだった。

 

 

 

 しかし、それでも定勝は、腹の中に収まらぬものを感じていた。


 そしてさらりと問いかけたのだった。



「黒姫様とまたお会い出来ることも嬉しいのだろ? 」

 

 

 再びビクリと辰丸の肩が震える。

 そして彼は口を真一文字に結んで、定勝の問いに答えることはなかった。


 なぜなら……


 素直な気持ちを打ち明けることなんて、出来るはずもなかったからーー




しかし……



「沈黙は肯定にございます」

 



 という氷の槍の様な冷たい一言が、辰丸の背中を突き刺さると……



ーームギュウウウウウウ!!



 と、凄まじい激痛が辰丸の背中を走ったのだったーー




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