02 熊の秘密
案の定、ソフィアと熊は注目の的であった。停車場から校舎に続く並木道では、多くの生徒が遠巻きにヒソヒソと囁きあっている。誰も挨拶してくれない。目を伏せたまま校舎に着くと、学園長が待っていた。
「ようこそ、王立マグナシルヴァ学園へ。ウォルフガング殿下。どうぞこちらへ」
と、熊を回収していった。途端に、友達が寄ってくる。
「あの方が噂の?大きいわね!軍人みたい」
「何組に入るのかしら?ソフィアと一緒?」
妹と同じく純粋な好奇心だが、鬱陶しい。ソフィアは廊下を歩きながら淡々と言った。
「さあ。別室で授業だから、会う事は少ないと思う」
教室には更に鬱陶しい連中がいた。ソフィアが席に着くなり、保守派家門の子女達が絡んできたのだ。
「ご婚約おめでとうございます。ソフィア様。一緒に登校なんて、仲がよろしいこと」
「ゼルコーヴァ家には妹様がいますもの。後継者には困らなくて結構ですね」
「薪にも困りませんね」
どっと笑いが起こる。つい先日まで、筆頭家老の嫡女たるソフィアに媚を売っていたクセに。居並ぶ白い頬を片っ端から打ってやろうかと思った時、
「今のはウォルフガング殿下への侮辱です。取り消しなさい」
後ろの席に座る、銀髪の美少女が口を挟んできた。アルバ公の一人娘・ヒルデガルドだ。アルバ家は代々、大老と大神官を兼ねていて、彼女も学生ながら神官である。
「貴女は神聖なる“王の試練”を疑うの?破門にされたいの?」
「そ、そんなつもりじゃ…」
雑魚を退散させると、ヒルデガルドはソフィアも叱った。
「ああいう時は、間髪入れずに殴りなさい」
本当に打ったら停学だ。ソフィアは後ろを向いて、小さな声で訊いた。
「ねえ。あなたも立ち会ったんでしょう?本当に“王の試練”は開いたの?」
「そうよ。私には視えた。彼は始祖マグナス大王の生まれ変わり。大いなる使命を負っている」
「…」
ソフィアはげんなりして前を向いた。自称“聖女”のヒルデガルドは、すぐに前世がどうとか言い出す。いかにも怪しいので、神秘好きの女生徒以外、関わろうとしない。でも羨ましい。同じ五大老家の娘だが、彼女は未来の大神官なので、他家に嫁げない身なのだ。
やり込められた連中は、やはりコソコソと笑い合っている。とても勉強する気が起きない。ソフィアは、ノートに『熊必滅』と、ひたすら書き殴って、鬱憤を晴らした。
◇
昼のチャイムが鳴ると、熊が教室に来た。いつの間にか制服に着替えている。思ったよりは似合っていて、一応、学生に見えた。
「見でぐれよ。もう制服がでぎだんだ。王都の仕立で屋はすごぇな。学園さ通うって決まったのは、昨日なのに」
酷い訛りに、朝絡んできた連中が笑う。一方、ソフィアの友人達は困ったような顔で突っ立っている。そこへ、ヒルデガルドが進み出た。
「ウォルフガング殿下。お初お目にかかります。ヒルデガルド・アルバと申します」
「あれ?銀髪の美少女ぢゃんだ。霊廟で会ってらよね?」
「はい。ソフィア様と同じクラスです。以後、お見知り置きを」
と言って、優雅に一礼する。それを見た保守派の連中は、顰めっ面で教室を出て行き、友人達は次々と熊に挨拶をした。
「こぢらごそ、よろしくな。せば、昼飯さえぐべが。ソフィアぢゃん」
ソフィアが答える前に、ヒルデガルドが申し出た。
「ご一緒しても?」
「もぢろんええよ。わあ~。両手さ花だな!」
熊の笑顔にイラッとしたソフィアは「皆で行きましょう!」と、友人達を誘い、ゾロゾロと大勢で食堂に向かった。
◇
驚いた。配膳係の中年女性はともかく、他の生徒達も、まるで留学生を受け入れるかのように、熊と自然に会話している。あの訛りが気にならないのだろうか。ソフィアは釈然としないまま食べ終え、中座した。
戻る途中、食堂の入り口で父方の従兄に会った。ジンク家特有の金髪碧眼を持つフィリップだ。同じ3年生だがクラスが違う。彼は、賑やかなテーブルを遠くから眺めた。
「彼がウォルフガング殿下?へえ。大人気じゃないか。思ったより若いね。顔も良いし」
ソフィアはモヤモヤを吐き出した。
「どこが?私には物凄く不愉快な田舎者に見えるのだけど。皆は違うの?」
フィリップは吹き出した。
「それでご機嫌斜めなんだ?…かわいい従妹に教えてあげよう。訛りはともかく、声が良い。ずっと聞いていたい声だ。立派な体も評価できる。もう少し痩せたら、とてつもなくモテるよ」
「まさか!熊よ?!」
びっくりして否定すると、従兄は急に真面目な顔になった。
「君がそう思えないのは、ゼルコーヴァ家の跡取りという道を断たれたからだ」
「…」
「ああ、可哀想なソフィア!僕が女だったら、代わってあげられるのに。世の中は不条理だ。君のような努力家が報われず、ボンクラ次男が楽に生きるのだから。さあ、僕もご挨拶をしておこう」
芝居がかった身振りで言って、フィリップは行ってしまった。違う。彼はお気楽次男坊を演じているだけだ。ソフィアはため息をついた。いつか、美しく優しい従兄と結婚して、家を継ぐのだと思っていたのに。
(今は我慢よ。陛下が復帰なさったら、きっと、あるべき姿に戻るから)
と念じて、ささくれた心を鎮めていると、背後から男子生徒の声が耳に飛び込んできた。
「大老は一代飛ばす気だろ?アレは種馬だ」
「だろうな。王子を産んだら、即、ソフィア嬢は王太后か」
「産めなかったら悲惨だぞ。木こりと子作りするだけの人生だ」
「側室も大量に送り込まれて。…良いな。木こり」
「合法ハーレムか。羨ましいな。木こり」
スウっと血が下がった。男子を産む道具。どう取り繕っても、世間はそう見る。粉々になりそうな自尊心を抱えて、彼女はその場を逃げ出した。
◇
その後もソフィアは沈黙を貫いた。でも熊は気にする様子もなく、一人で喋っている。何度か従兄に諌められたが、彼女は抵抗し続けた。
「わりな。ソフィアぢゃん、今日は先さ帰ってけれ。おいだば用事があるがら」
ある日、熊がそう言うので、久しぶりに一人で下校した。ふと本屋に寄ろうと思い立ち、ソフィアは行きつけの商店街に向かった。大通りに馬車を停め、護衛一人だけを連れて本屋や文房具屋、小間物屋などをぶらぶらする。
「ああー。気持ち良い。道草も久しぶりね」
路上のテーブルで、ジュースを飲みながら一休みをしていると、後ろの護衛が要らぬ事を言う。
「殿下と寄っても良いんじゃないですか?」
「嫌よ。慣れ合ったら負けなんだから」
「何と戦っているのやら…おっと、失礼。虫が」
急に、護衛がソフィアの前に回った。あまりに不自然なので、
「こんな所にいる訳ないでしょ。どきなさい」
と首を伸ばしたら、道の向こう側に熊がいた。制服から地味な服に着替えて、若い女と腕を組んでいる。護衛はまた、それを隠すように動いた。
「見ない方がいいですよ」
もう遅い。ソフィアは立ち上がって後を追った。熊と女は、夕暮れの街をゆっくり歩いて行く。顔は見えないが、かなり親密そうである。
「お嬢様、やめた方が…」
「連れ込み宿に入ったら押さえるわよ」
(スケベ熊め。やっと本性を表した)
嫌がる護衛と尾行を続ける。やがて、歓楽街ではなく、人気の無い広場に着いた。一台の馬車が停まっているだけで、誰もいない。
突然、熊と女は抱き合って、口付けた。長い。激しい。これはもう不貞と言って良い。飛び出そうとするソフィアを、『落ち着いて!』と護衛が身振りで止める。すると、馬車の扉が開いて、中年の貴婦人が降りてきた。
(アビエスの領主?)
若い女とアビエス卿が乗り込み、そのまま馬車は走り出す。熊はそれを見送っていたが、すぐに王家の馬車が広場に入ってきた。熊が去ると、ソフィアと護衛は隠れるのをやめた。
「今の見た?」
「私は何も見ていません。お嬢様も忘れてください。さあ、もう帰りましょう」
男の不貞は見逃すのか。許せない。腹を立てたソフィアは、翌日の休校日に、アビエス卿を急襲した。
◇
逃げられないよう、あえて飛び込みで訪問したが、女領主は怒りもせずに迎え入れてくれた。こじんまりとした屋敷の応接室で茶を出され、ソフィアが口を開く前に、向こうから切り出された。
「ウォルの何が知りたいのかしら?」
「昨日の件を説明してください。不貞行為であれば訴えます」
目撃者がいるから婚約破棄の訴えを起こせる。アビエス家の身内か知らないが、あの女も同罪だ。だが、それではアビエス卿に利益がない。ソフィアは交渉を持ち掛けた。
「ですが、ゼルコーヴァ家の養女にして、正妃を目指す手もあります。いかがですか?」
ソフィアも嫡女に戻れる。熊も幸せ。四方が丸く収まる妙案なのに、アビエス卿は首を振った。
「父君から何も聞いていないのね。彼女はウォルの恋人よ。ただの農家の娘で、しかも王都の娼館に売られていた。到底、王族になれる身分じゃない」
「え?」
「知っている?我が国では人身売買は禁止されたけど、隣のミクロス王国を経由して、今も行われている。3年前の冷夏に、あの娘の父親が借金をしてしまった。証文はいつの間にかミクロスの人買い組織に渡り、彼女が差し押さえられたの」
女領主は厳しい顔で続ける。
「想像してみて。結婚を約束した娘が、ある日突然姿を消す。無力な木こりは、弱小領主に泣いて縋ったけど、どうしようもない。そこに大老家から迎えが来る。彼は、婚約者の娘を探し出し、保護することを条件に王都に行く」
「…」
「さすがゼルコーヴァ公。あっという間に調べ上げて、娘を身請けしてしまった。それが昨日の事。私は彼女を引き取って、アビエスに送る手配をしただけ。ソフィア嬢。貴女が見たのは、ウォルと恋人の、最後の逢瀬よ」
ソフィアは打ちのめされた。馴れ馴れしいのは口だけで、熊は決して触らない。あれは、エスコートの仕方を知らないのでなく、彼なりの抵抗だったのではないか。無邪気な笑顔の裏には憎悪が隠れていたのではないか。
瀕死のソフィアに、アビエス卿は止めを刺した。
「さあ、これで分かった?ウォルは不貞なんか働いてない。恋人を救うために自身を売ったの。ゼルコーヴァ家の娘と結婚するという条件でね」




