真夏の灼熱耐久オイル交換バトル!!
某月下旬。
E塔裏のコンテナハウス――通称「地獄コンテナ」、
…先週新装開店――の前に立った瞬間、加賀練斗は肺が焼けると思った。
気温37.8℃。アスファルトに触ると手が熱い。空気を吸うと乾いて熱い。日陰に入っても、反射熱が足元から上がってくる。首のタオルはすでに絞れるくらい濡れていた。
「……なぁ」
隣で雅紀が、地面を指さした。
「アスファルト……溶けてね?」
「溶けてる」
「オイル交換どころか、俺らが先に蒸発する」
そこへマイケルが、タンクトップ姿でドヤ顔で登場した。天然パーマの金髪が、日光を反射している。眩しい。
「ノープロブレム!! アメリカ・デスバレーよりマイルドゾ!!」
「誰もお前基準で語ってねぇよ!!!」
そもそも、なぜこんなことになったのか。
昨日の午後、地獄コンテナにて。
細田「そろそろオイル交換したいんだけど、呉さんの工場、混んでるんだよな〜」
雅紀「じゃあ全員でやればよくね?」
加賀「……全員分? 一日で?」
準「ちょっと待て、5台あるぞ」
マイケル「サマー・チャレンジ!! ドゥ・イット・ユアセルフ!!!」
全員「やめとけ(遺言)」
――翌朝。全員集合していた。
「なんで来てんだよ俺ら」
「来てしまうんだよ、こういうのは」
「バカと友情が混ざると止まらないな」
「哲学的な説明すんな、ただのバカだろ」
午前10時。作業開始。
コンテナ前のアスファルトに段ボールを敷いた。30分後、段ボールが反射熱でふにゃふにゃになった。工具箱を開けると、ソケットレンチが熱い。素手で掴んで、全員が「あっ」と言った。
「レンチ触るたびに指の皮が」
「もう火傷通り越して悟り開いてる」
「グローブ・イズ・フォー・ウィーク・マン!!」とマイケル。
「お前が一番先に倒れるパターンだそれ」と細田。
準がタオルを頭に巻き、保冷バッグから氷嚢を取り出してぼそりと言った。
「……この暑さ、狐耳も乾くわ」
「お前まだケモ脳モードかよ!!」
「物理的な話をしてる。狐耳は放熱が速いから夏は楽なはず――」
「狐耳がないことに気づいてる?」
準は氷嚢を頭に当てながら、「そうだった」と言った。
1台目。加賀のセリカZZT231。
「まぁ……これくらいなら余裕だな」
加賀はジャッキアップを済ませ、ドレンボルトにソケットを当てた。
熱くなったオイルパンの底面から、じわじわと熱が手のひらに伝わってくる。エンジンを止めてまだ20分。カチャッ、カチャッ……グッ……。
ボルトが緩み始めた。慎重に回す。最後の数ターン――。
「あっ」
ボルトが、オイルパンの向こうへ消えた。正確には、緩んだ瞬間に手が滑り、熱くなったアスファルトと車体の隙間にコロコロと転がっていった。
「……」
「やらかしたな」
「熱いッ!! 取りに行けないッ!!」
「だーから言ったろ、今の季節は人間がオイルになるんだよ!!」
オイルが先に出てきた。黒褐色の廃油が段ボールに垂れ、広がる。使用済みエンジンオイルの重い匂いが、熱気に乗って鼻に直撃した。
「マジで臭い……」
「5,000km分の苦労の匂いだ、敬え」
ドレンボルト救出ミッションに25分かかった。最終的に呉福造が通りがかって、慣れた手つきで一発で取り出した。
呉「……お前ら、毎回なんか燃えるか落とすかしてんな」
マイケル「トライ・アンド・バーン!!」
呉「燃やすなバカ!!!」
2台目。マイケルのレガシィBH5。
「スバルは水平対向! 地面に近くてオイルパン地獄! レッツゴー!!」
「お前、ジャッキアップが足りてない――」
「ノープロブレム! ワタシ、スリムボディ!!」
マイケルがレガシィの下に潜った。
5秒後。
「……あれ」
10秒後。
「……OK……ちょっと……」
20秒後。
「HELP!! HELP!! I'm stuck under the BOXER!!」
「詰まった!!!!」
レガシィの車高は、ダウンサスで標準より35mm落ちている。マイケルの体格は、平均的な日本人大学生より一回り大きい。物理的に、出られない。
「引っ張り出せ誰か!!」
「どこ掴めばいいんだ!!」
「足!! 足を引け!!!」
「写真撮っとくわ」と準。
「サムネ確定」と細田。
「撮ってる場合か!!!!」
最終的に、加賀と雅紀が両足を掴んで引き抜いた。アスファルトとの摩擦でタンクトップの裾が少し破れた。マイケルは起き上がり、ガッツポーズをした。
「SURVIVED!!!」
「生存報告すんな!!」
呉が遠くから見ていた。
「……お前らに工具貸すたびに、寿命縮む気がする」
「友情はプライスレス!!」
「俺の血圧はプライス高ぇんだよ!!!」
午後2時。気温39.2℃。アスファルト表面温度、体感で60℃近い。段ボールはとっくに諦めた。直接地面に膝をついている。
「……オイル交換より、人間の生存テストじゃね?」
「油より俺たちの方が先に酸化してる」
「ボルトが焼けた。工具も焼けた。脳も焼けた」
「VTECも熱ダレするレベル」
「スピリット・イズ・フルシンセティック!!!」
「黙れ!!!」
誰かの水筒の氷が全部溶けた。麦茶がお湯になっていた。それでも誰も帰らなかった。
3台目。細田のフィットGD3。
「ここで見せるぞ……俺の魂のVTEC!!!」
「お前のはSOHCな!!」
「黙れッ!!!」
細田が車体の下に潜った。熱気が、下から上から、全方向から来る。アスファルトの輻射熱が背中を炙る。エンジンの廃熱がオイルパン越しに伝わってくる。
ドレンボルトを緩めた。
廃油が、直撃した。
「熱いッ!!! オイル直撃したァァァ!!!」
5,000km走った廃油の温度は、エンジンを止めて20分経っても相当熱い。細田の腕を伝って流れた。
「マジで人間鉄板焼きじゃねぇか!!!」
「ワオ! ホット・スプリット・エンジン!!!」
「翻訳すんな!!!」
細田は這い出してきた。腕に廃油がついていた。顔に廃油がついていた。メガネに廃油がついていた。
「……SOHC VTECは……今日も……最高だった……」
「この状況でその感想はどうかしてる」
夕方5時半。東の空が濃い青になり始めた頃、朱音と舞花がアイスのカップを6つ持って現れた。全員が、砂漠でオアシスを見つけた人間の顔をした。
「……お前ら、死にかけてんじゃん」と舞花。
「どう見ても、油まみれのゾンビ」と朱音。
「……水……くれ……」
「はい、オイル風味」
「ありがっ――あ゛!!!」
麦茶だった。ただの麦茶だった。でも冷えていた。それだけで泣けそうだった。
マイケルが、消えかけた笑顔で親指を立てた。
「今日も……サークル……ノープロブレム!!」
「全部問題しかなかったでしょ」と朱音。
「全部問題しかなかった」と加賀。
夜。コンテナの中に全員が転がり込んだ。冷えた缶コーヒーを一本ずつ持って、誰も喋らなかった。虫の声だけが聞こえた。
「……今日、何台やった」
「3台」
「やりきったな」
「脳みそは溶けた」
「でもな」と細田が言った。「オイル綺麗になると……やっぱ気持ちいいよな」
誰も否定しなかった。新しいオイルを入れた直後のエンジン音は、少し静かになる。ノイズが消えて、回転がスムーズになる。あの感触――加賀はそれを知っていた。
「クルマも人間も、フレッシュ・スタート!!」
「……それはそう」と舞花が珍しく同意した。
コンテナの扉が少し開いていて、夏の夜風が入ってくる。汗と廃油と、パーツクリーナーの残香。これがS・H・Bの匂いだ。空を見上げると、星が出ていた。
「……来年の夏も、やるか?」
加賀が聞いた。全員が少しだけ間を置いて、「やる」と言った。
今日の廃油は、きちんとペール缶にまとめられ、翌日呉自動車に持ち込まれた。
呉は無言でそれを受け取り、「エンジンオイル、ちゃんと規定量入ってるよな?」と確認した。
加賀が少し間を置いた。
「……5台のうち、4台は」
「何台目が違う!!!!」




