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狭霧を食べてみたい

深夜。

準がPCの前に座っていた。

検索履歴を開いていた。

「狐 食べ方 文学的」

「狐 味 哲学」

「妖狐 香り 和歌」

「狐 食べたい 感情 分類」

朔夜が縁側から入ってきた。

将校マントを羽織って、おっとりした顔で覗き込んだ。

「……じゅん、その検索履歴、通報案件にゃ」

「違うって。"食べる"ってのは"文学的に味わう"って意味だ。狭霧の言葉を」

「それ毎回言ってるけど、目がガチすぎて説得力ないにゃ」

準が真剣な顔でノートを開いた。

「彼女の言葉は——煮凝りみたいなんだよ。冷めても香りが残る。あの独特の古語の響きが、読んだ後も耳に残る。それを——味わいたい」

朔夜が少し考えた。

「……グルメ番組の語り口にゃ」

「グルメじゃない。文学だ」

「……ぼく、その違いがよくわからないにゃ」

「俺もよくわからなくなってきた」

朔夜がライフルのスリングを直した。

おっとりした顔で言った。

「……気をつけるにゃ。食べたいという感情は、たいてい別の感情の言い換えにゃ」

「どういう意味だ」

「……ぼくには関係ないにゃ」

朔夜が縁側から出て行った。

準がその後ろ姿を見た。

(200年以上生きてる猫又が、今さらっといいこと言った)


翌朝。霧ヶ崎神社。

準が鳥居をくぐった。

境内の空気が、いつもと同じだった。

朝露の匂い。古い木の匂い。そして——

「……また来たのか、人の子」

狭霧が石段に座っていた。

白い和装。一本の尾。

朝の光が、銀色の毛に当たっていた。

「あなたの詩を味わいに来ました」

「詩を味わう、とは風雅な」

「あと、お供え物を」

準が差し出した。

稲荷寿司だった。

狭霧が見た。

「……それ、我の同族では?」

「あっ」

準が固まった。

「……お前、本当に食べに来ただろ」

「違います食べに来てません」

「稲荷寿司を持ってきた理由を述べよ」

「……お稲荷さんだから神社に合うかと」

「我は稲荷神ではなく霧ヶ崎の守護狐だ」

「……失礼しました」

「食べるか?」

「え?」

「稲荷寿司。持ってきたのだろう」

「食べます」

二人で食べた。

朝の境内で、稲荷寿司を食べた。

「……美味いな」と狭霧。

「美味いですね」と準。

「なぜ稲荷寿司は甘いのだ」

「油揚げを出汁と砂糖で煮るからですよ」

「砂糖で煮る……人の世は不思議なことをする」

「狐が油揚げ好きっていうのは本当ですか?」

「……まあ、嫌いではない」

狭霧が一つ食べた。

準がその横顔を見た。

(食べてる)

(狭霧が、稲荷寿司を食べてる)

(この光景を「食べたい」というのは、こういうことかもしれない)


境内の茶屋。

縁側に二人が並んで座った。

緑茶が出てきた。

湯気が立っていた。

準が言った。

「人って、惹かれたものを"食べたい"と思うんですよ」

「なぜだ」

「理解したい、同化したい、取り込みたい——そういう欲求が"食べる"という言葉に集約される。愛情と食欲は、脳の同じ部位が関係してるらしいですし」

「ふむ……まるで恋の理屈だな」

「……まあ、俺にとってはそれ、性癖の理屈でもあるんですが」

「俗すぎる」

「わかってます」

狭霧が茶を一口飲んだ。

「だが——"食む"ということは、命を共有する行為でもある。古より、神と人が共食することは——契約であり、誓いだった」

「共食……神饌しんせんみたいなことですか」

「そうだ。神に捧げた食を人が食べる。神と人が同じものを食べる。それは——境界を溶かす行為だ」

準が少し間を置いた。

「……つまり今の俺たち、境界を溶かしてますか?」

「稲荷寿司で溶かせる境界があるかは知らん」

「あってほしいんですが」

「俗すぎる」

「二回目ですよそれ」

狭霧がわずかに口元を動かした。

笑ったか笑わなかったか、判断できないような動き方だった。

「……お前、本当に変な人の子だな」

「よく言われます」

「それでも——」

狭霧が湯気を見ながら言った。

「……食べに来るなら、稲荷寿司より団子の方が我は好きだ」

準が固まった。

「……次は団子を持ってきます」

「うむ」

「一緒に食べてくれますか」

「……気が向いたらな」


夕暮れ。鳥居の前。

夕日が、境内を橙に染めていた。

狭霧が立って、空を見ていた。

尾が、夕風にゆっくりと揺れていた。

「……一首、詠もう」

「聞かせてください」

狭霧が目を閉じた。

少し間があった。

「『言葉とは 煙に似たり 告げぬまま 消えて後こそ 濃くたゆたへる』」

静寂。

夕風が吹いた。

境内の木が揺れた。

準が動けなかった。

「……"告げぬまま消えて、後こそ濃く"」

「そうだ。言えなかった言葉の方が、言えた言葉より長く残る」

「……それは、俺に言ってますか?」

狭霧が準を見た。

「どう受け取るかは、お前が決めることだ」

「……食レポみたいな歌じゃないですね、今日は」

「食の比喩で詠んだつもりはないが——」

狭霧が鳥居に向かって歩き始めた。

「……沁みたなら、それでよい」

準がその背中を見た。

夕日に照らされた、白い和装。

一本の尾が、橙の光の中でゆっくりと揺れていた。

「……食べたい」

「食うな」

「聞こえてたんですか」

「お前の声は全部聞こえる」

「……次、団子持ってきます」

「気が向いたら食べる」

狭霧が鳥居を出た。

橙の光の中に、消えていった。


夜。帰り道。

朔夜が待っていた。

境内の石段に座って、ライフルを膝に置いて。

「……どうだったにゃ?」

「詩の味、ちょっと苦かった。でも余韻が甘い」

「完全に変態の感想にゃ」

「変態じゃない。文学だ」

「……じゅんが言うと、その二つが同じに聞こえるにゃ」

準が止まった。

「……朔夜、お前、たまに正しいことを言うな」

「……わざとじゃないにゃ」

「そうだろうな」

準が歩き始めた。

朔夜がついてきた。

「……じゅん」

「なんだ」

「……"食べたい"って感情、ぼくも少しわかるにゃ」

準が立ち止まった。

「本当か?」

「……うんにゃ。ぼくが準にゃんのそばにいるのも——たぶんそういうことにゃ」

「どういうことだ、具体的に」

「……わからないにゃ。でも——便利だから、だけじゃないかもしれないにゃ」

朔夜がおっとりした顔で言った。

感情ゼロの目で。

でも——尻尾が、二本とも大きく揺れていた。

準がそれを見た。

「……朔夜」

「なんにゃ」

「お前、200年以上生きてて、それでもまだわかんないことがあるのか」

「……あるにゃ。ぼくが一番よくわからないのは——ぼく自身にゃ」

準が空を見上げた。

月が出ていた。

「……俺もだ。俺も、自分が何で狭霧のことを"食べたい"と思うのか、まだわかってない」

「……でも食べに行くにゃ」

「行く」

「……それでいいんじゃないにゃ」

二人が夜道を歩いた。

月明かりが、アスファルトを照らしていた。


翌朝。

E塔裏。

加賀がセリカを磨いていた。

準が来た。

「加賀、一つ聞いていいか」

「なんだ」

「セリカを"食べたい"と思ったことはあるか」

加賀が手を止めた。

少し間を置いた。

「……アクセルを踏む瞬間。エンジンが全開になるとき。あの感覚は——取り込みたいと思う。俺の中に入ってきてほしいと思う」

「それって"食べたい"じゃないか」

「……そうかもしれない」

加賀がセリカのボンネットを撫でた。

「でも食べられないから走り続けてる。それだけだ」

準が空を見た。

「……狭霧も、食べられないから詩を詠んでるのかもしれない」

「何の話をしてる」

「いい話だと思う」

加賀がセリカのエンジンをかけた。

ヴォォォン。

2ZZ-GEが、朝の空気の中で目を覚ました。

準がその音を聞いた。

(食べたい)

(でも食べられないから、聴いてる)

(それでいいんだろう)


朱音がメモ帳に書いた。

「準:狭霧を食べたいと言った。意味:文学的・哲学的欲求と解釈。朔夜:自分自身が一番わからないと言った。200年以上生きた猫又の言葉として重い——記録しておく」

「加賀:"食べられないから走り続けてる"——走り屋の根本がここにある気がする。要熟考」

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