マイケル・リフォーム・プロジェクト
E塔裏の旧製作所――通称「地獄コンテナ」――が、また地獄になっていた。
加賀練斗と一ノ宮雅紀が到着したのは、月曜の朝8時。二人はしばらく、入口の前で立ち尽くした。
部室の天井、左奥の一角が黒い。正確には、炭だ。壁の合板が焦げ、かつて中華カーボン風リップが置かれていた棚ごと、なにもかもが黒ずんだかたまりになっていた。
焦げた木と、熱を帯びたプラスチックが冷えた後の、あの独特の匂い。甘くて重くて、鼻の奥に貼り付くやつ。
「……燃えたな」と加賀。
「うん、完全に燃えたな」と雅紀。
二人はまだ動かなかった。ドアの内側に、中華製電熱ヒーターの残骸があった。細田のものだ。電源コードが根元から溶けていた。
原因:不明。(※正確には、細田が「部室が寒いから」と持ち込み、コンセントを繋いだまま忘れて帰り、電力容量を無視した。以上である。)
呆然と立ち尽くす二人のもとに、ネイビーのレガシィBH5がエア抜きの音を立てながら滑り込んできた。
シュポンッ!!
「オー!! マイフレンズ!! グッド・モーニング・バーン・クラブ!!!」
マイケル・タナーが、満面の笑顔で降りてきた。
「笑ってる場合かよ!!!」
「ノープロブレム! リフォーム・イズ・チャンス!!」
「英語にすんな!!!」
マイケルは胸ポケットから折りたたんだメモ用紙を取り出し、扉に貼り付けた。手書きの文字が躍っている。
『プロジェクト名:マイケル・リフォーム・プロジェクト2025』
『予算:ユーズ・リサイクル(ハードオフ中心)』
『期間:今日中』
『担当:全員(強制)』
「今日中って書いてある!!!」
「加賀……嫌な予感しかしない」
「する。めちゃくちゃする」
準が自転車で到着した。部室の入口を見た瞬間、自転車を停め、無言で踵を返した。
「逃げるな鈴木!!」
「俺ここに呼ばれた理由がわからない」
「同士だからだ」
「同士って言葉で片付けるな」
翌日。マイケル主導による「S・H・B部室リフォーム計画」が、正式に始動した。
「まず、焦げた壁紙を全部剥がス!!」
「ちょっ、マイケル、それ柱――」
「ノープロブレム!! ストラクチャー・アート!!」
「破壊芸術すんな!!!」
壁の合板を剥がし始めると、中から過去の遺物が次々と出てきた。
201X年の『走行会にて爆走→停学寸前』の新聞スクラップ(誰かが大切に保管していた)。手書きのポスター「VTEC is GOD」(細田の字)。
そして、加賀の元カノとの架空LINEログ(プリントアウト、A4・3枚)。加賀の顔色が変わった。
「……捨てろ」
「いや待って読みたい」
「捨てろと言った」
「"三回目のデート、海行こうよ"って書いてあるぞ」
「その紙、今すぐ細かく千切れ」
「お前には元カノがいるのか!?」
「いない。だから架空と書いてある。黙れ全員」
さらに奥から出てきた。薄い冊子。手製の表紙に、見覚えのある字体で書かれたタイトル。
「狐耳の向こう側」著:鈴木準(18歳当時)。
準が、音速で飛びついた。
「それは渡さない」
「え、なに? 同人誌?」
「渡さない。絶対に渡さない」
「ちょっと見せて」
「俺の黒歴史はパンドラの箱だ触れるな」
マイケルがすでに表紙を開いていた。
「Ohhh……! ファーリー・ロマンス!!」
「マイケル貸せそれ!!!」
「主人公の狐耳少女が……めちゃくちゃ繊細に描かれてる……」
雅紀がページをめくる手が止まった。
「……準、これ、普通に上手くない?」
沈黙。
「……絵が」
「……そう」
「なんで絵が上手いんだよ!!!」
準は顔を覆った。「上手い黒歴史が一番恥ずかしいんだよ!!!!」
舞花がちょうど現場を通りかかって、全員と目が合った。一瞬で状況を把握し、踵を返した。
「待ってくださいよ舞花さん!!」
「ごめん、これは私が介入できる案件じゃない」
掃除が始まった。炭化した壁材をゴミ袋に詰める。黒い粉が舞い上がるたびに、全員が咳をした。
「朱音さん、この黒いやつどこ捨てりゃいい?」
「"危険物"って書いてある袋には入れないでください」
「なんで危険物の袋があるんですか」
「去年の遺物です。中身は聞かないでください」
「聞きたくなるやつじゃないですかそれ!!」
朱音はゴミ袋を縛りながら、静かに言った。
「……文化祭の準備より、カオスですね」
「文化祭の方が安全だもん」と舞花。
「それはそう」
昼休み。5人は、焦げた床に新聞紙を敷いて弁当を広げた。天井の穴から、秋の空が見えた。
「なぁ」と雅紀が言った。「こういうのって……青春って言うのか?」
準が箸を止めた。「どっちかというと、後悔って言うと思う」
「俺はまだ信じてる。VTECは青春だって」と細田。
「今日VTECどこにも関係ない」
「VTEC・イズ・ライフ・スタイル!!!」とマイケル。
「うるさい耳が死ぬ」と朱音。
舞花がお茶を飲みながら、天井の穴を見上げた。
「……まぁ。青春ってのは、こういうバカの上に咲くもんでしょ」
「詩的ですね」と朱音。
「皮肉だよ」
午後。修復作業、終盤。焦げた壁は合板で張り替えられ、床には雅紀がハードオフで買ってきた謎の工業用マットが敷かれた。
天井からは――。
「おい、なんかぶら下がってる」
「スバルのバンパーです」とマイケルが堂々と言った。
「なんで!?!?」
「インテリア!!」
「インテリアじゃない!!!」
そこへ呉福造が現れた。スイフトスポーツを停め、ゆっくりと部室を見渡し、天井を見た。
「……お前ら」
声が低い。
「なんで俺の工場からバンパーが消えてんだ」
全員が黙った。マイケルが一歩前に出た。
「サプライズ・ギフト?」
「返せバカ!!!!」
夕方。どうにか修復を終えた部室に、全員が集まった。
新しい合板の匂いが、焦げた残香に混じっている。床は均等に片付いて、工業用マットの上に溶接機と工具箱が並んでいる。
加賀が部室の真ん中に立って、ぐるりと見渡した。
「……見ろよ。ちゃんと直ったじゃねぇか」
「まぁ、"外観的には"な」と雅紀。
「精神的ダメージは全員、致命傷」と準。
「でも……部室って感じは、戻ってきたな」と細田。
マイケルが腕を広げた。「YEAH!! ニュー・コンテナ・ライフ!!!」
呉が長い、深いため息をついた。
「……まぁ、よくやったよ。今回は意外と、マトモだったな」
「ありがとうございます!」
「だが次燃やしたらマジで廃部だからな」
夜。新しい部室に、マイケルが100均のネオン管(電池式)を張り巡らせた。ぼんやりとしたオレンジと青の光が、コンテナの中を満たした。
全員が缶コーヒーを持って、その光の中に座った。
「S・H・B、再建完了」
「バカの歴史は燃えても終わらん」
「パーツクリーナーの香りに、栄光あれ」
「マイケル、それ飲むな!!!!」
「NOOOOOO!!!」
笑い声がコンテナの壁に反響した。加賀は缶コーヒーを一口飲んで、部室の壁を見た。新しい合板の白さに、まだ何も貼られていない。
VTECのポスターも、黒歴史の新聞スクラップも、全部燃えてゼロになった。
(また、ここから積んでいけばいい)
加賀は缶を置いて、立ち上がった。
「よし。次の走行会の計画、立てるぞ」
「え、今?」
「今だ」
誰も「やめよう」とは言わなかった。ネオン管の光の中で、白い壁に向かって、また新しい歴史が始まろうとしていた。
E塔裏の地獄コンテナ――今日もまた、何かが燃えた。
しかし翌朝、細田が部室に入ると、新しい電熱ヒーターが床に置かれていた。
中華製だった。
【豆知識】
準はめちゃくちゃ絵が上手い。
最近のお気に入りは、「ピアスが大量についたデカいフワフワ猫耳」の「ツンデレ猫又娘JK」だとか。
…特殊すぎる。




