おまけ③-3「りんごが好きなオオカミさん」
ダイが案内されたのは、かつてプティラが使っていたとされるこぢんまりとした部屋だった。ダイだと背伸びをしなくても、普通に天井に手が届く。
その天井には、丸いランプが三つ並んだシャンデリアが備え付けられていた。
薄い水色基調の壁紙は、女の子の部屋らしく小さな桃色の花柄が為されていて、鏡台と金縁の大きな出窓には、柔らかなレースのカーテンが掛けられている。
流石にそのままではないようで、お客様用の応接セットとお茶のセットがあり、クローゼットなどはすっきり整理されている。
「オオカミのお屋敷に比べると随分小さなお部屋なので、お恥ずかしいです。ダイ様、マントを」
そう言いながら、当たり前のように手を差し出してくるプティラに、ダイは「今日はウサギの国のお姫様だから、座ってて」とそれを辞退して、お茶も二人分淹れようと手を出した。すると、プティラに「私が淹れたいのです……」と止められた。
「そうなの?」
だって、ここではプティラの方が……
そう思って口を噤んだ。
「はい。ダイ様には、その窓から少しでも多くの時間ウサギの国を見ていて欲しいです。正面の通りをずっと真っ直ぐ、そこには市場があって、お買い物が出来ます。それから左の奥にある大きな白い建物が教会。そして、右の奥の平屋の学校にはとっても大切な子ども達も。犬っころちゃんと一緒の。名称は、特別ないのですけれど。遊び時間になると、芝生の上でぴょこぴょこと跳ねている様子は見えると思うのです……だから、お茶を淹れたら、そちらにお持ちしますから」
「うん、分かった」
ダイは、プティラのその真剣な表情を見て、その意味するところを察した。ダイは視察が目的だが、プティラは少し違う。プティラは明日、幼い兄弟やアイティラ様のお子様にオオカミの国の話をする。
『ウサギ』にとって『オオカミ』は怖いもので間違いない。「だけど、怖がってばかりじゃダメですから」プティラはそう言うけれど。
「お行儀は悪いかもしれませんが……でも、待っててください」
そう言いながら、プティラは丁寧にお茶の準備を進めていった。そして、オオカミに嫁ぐ前のことを思う。
プティラは毎日ここで外を見ていた。
私が守る者たち。
あの人達のために、あの子達のために肉食に嫁ぐ。
きっと、私にはその役目が回ってくる。平均よりは少し上に上がれただけの中途半端な姫や王子はいつもそうだった。
プティラはここで、とても複雑な思いを胸に、窓を見ていた。
肉食獣に嫁いだ。
その肉食は、オオカミのダイ様だった。
リルラさんにお茶の淹れ方も教わった。
生まれて半年経たない犬っころを見せてもらった時は、ころころしていて、可愛いと思えた。
だから、ウサギの国のこともたくさん知って欲しい。
お茶を淹れたカップを両手に持って、「ダイ様」とプティラがダイに声を掛ける。
「ありがとう」
とカップを受け取ったダイが穏やかに話し始める。
「みんな生き生きして生活している。ウサギの国が平和で過ごしやすい証拠だね」
「はい。ダイ様、少しだけ持っていただけますか?」
そう言って、自分のカップもダイに預けたプティラは、ダイの腕の下を潜り、出窓によじ登って座りそのまま外を見られるようにして、座る。プティラは狭いところを通るのが好きだ。そして、ダイに持たせたカップに手を伸ばし、「ありがとうございます」と真面目な顔をして言う。
プティラの匂いはウサギだけど、とても優しい。
なんだかシフォンケーキのようなふわふわした、そんな……。
「ダイ様、ほら」
美味しそうな匂いじゃなくて。ふと感じるとても安らかな。花が香るような。
とても大切な。
「良い香りがする」
一瞬きょとんとしたプティラが「褒めてもらえて嬉しいです。リルラさんに習ったので、良い香りが立つのだと思います」と、自分のお茶の香りを嗅ぎ、にこっと笑った。
「良い香りです。ほら、あそこ、白いの見えます? 満月待ちのウサギの子達です」
お姫様や王子様が嫁いでいるから、守られていると信じていたい。
きっと、そんな思いに支えられ、みんな生きているのだろう。
昔、一般から人化が生まれ始めた。その時も大きな混乱が生まれた。何を境界とすべきか、誰もが分からなかった。
人化から一般が生まれる今、新たに考えなければならないことがたくさんある。
誰かが大切な、誰か。
一般オオカミがそうであるように。一般ウサギがそうであるように。
人化だから感じてしまうそんな感情なのだけど。
「本当だ。ちっちゃいのがいっぱいいる」
何が正解かは分からない。でも、少なくとも力が勝るという理由だけで、オオカミがウサギの国の民を蔑ろにするようなことには、ならないようにしたい。
今のダイの立場なら、次期王になるだろうカイにその口添えが出来る。上昇志向も少しは良いのかもしれない、と思った。
「ダイ様、明日、いただいたりんごをあの子達に少し分けてきても良いですか?」
ダイがウサギの子を見つけたことに嬉しそうにするプティラに、ダイはごく当たり前に返事を返した。
「もちろん」
ダイ様がウサギの子を見て優しく笑っている。その微笑みは、犬っころちゃんに向ける微笑みと同じ。
ただ、それが嬉しい。
だから、まだ小さな弟や妹、甥や姪にはこう伝える。
オオカミの国にはね、りんごが好きな人化オオカミもいるのです。
ニオイを嗅ぎ分けるのは大切です。でも、全てに怯えて、信じないこととは、別なのですよ。
護りたい者は、大切な者は誰なのかを知れば、ちゃんと幸せになれますからね。
「良いですか。隣に安心して立てることが大切なのです」
そして、満月待ちの子ども達には、………… 一般ウサギにとって、一般オオカミは危険であることに変わらない。誰が人化するか分からないから…………
プティラは、足元に集まるたくさんのふわふわ達に優しい眼差しで語りかける。
そのオオカミはりんごをよく食べるから、りんごの香りがするのですよ。面白いでしょう?
そして、私はそんなオオカミが好きな、変わったウサギとなりました。
だから、お土産はりんご。
みんなで食べましょうね。
ウサギのお姫様はオオカミの国へ嫁ぎました。
嬉しいことも、楽しいことも、辛いことも、悲しいこともありました。
オオカミの王子様はそんなウサギのお姫様のために一生懸命ウサギの国やその他の草食獣の国について、王様と話し続けました。
一般にしかならなかったオオカミの子と、一般にしかならなかったウサギの子には人化の親がいること。
同じであること。
両方が大切な存在だということ。
各国の王様達は寄り集まり、隣り合う席で、頭を悩ませながら妥協案を出し続けました。
知らないということではなく、知っている上での妥協案は、他の条約に比べるとどこか温かさが詰まっていました。互いが互いを庇いながら作られた条約です。
一般同士のことは、一般に任せる。
人化同士のことは、人化で解決する。
ただし、これまで通り、肉食獣は一般獣が全ての人化を襲わないよう警戒に努めること。そして、草食獣は婚姻による一般保護条約の締結を止めること。
両者が出した妥協案は、悲しいけれど、優しいものでした。
「今日はフーラがサンドイッチを作ってくれました」
「ほんとだ、真面目に真っ直ぐなパン」
バスケットの中には大きなサンドイッチと小さなサンドイッチ。そして、りんごが二つ入っています。
オオカミの王子様が当たり前のようにして大きい方のパンを摘まみ上げ、笑います。
大きな木の下で、ウサギのお姫様とオオカミの王子様がピクニックをしているのです。
彼らの視線の先には茶色いウサギが三匹、鼻をヒクヒクさせて、ふたりを見つめた後に草を食べます。
「マティそっくり」
ウサギのお姫様とオオカミの王子様は、いつも寄り添い、相手の立場を想い合うことで、いつまでも末永く幸せに暮らしたと言われています。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。