エピローグ
城崎大輔は、自信に満ちた表情で月次の報告を行っていた。周囲から賞賛の拍手があがる。唐沢の異動に伴い昇格したタイミングで、唐沢が長くアプローチしていた大口の見込み客から、新規の発注が取れたのだ。結希子からの連絡は、唐沢が異動になると同時にピタリと途絶えた。もし結希子に誘われたら、城崎は会いに行くつもりでいた。期待していた自分が恥ずかしくなった。
四日間で二度も海に落ちた唐沢は、顧客と関わることのない横浜支社の総務部に異動を命じられた。上司から辞令を渡され、言いたいことはあるかと訊かれたが、特に何もありませんと答えて、さっさと荷物をまとめた。
梅雨の晴れ間、唐沢は山下公園のベンチに座り、日暮れ前の海を見ていた。
川崎の浮島町公園で、刹那の夫の坂出に何度も殴られ蹴られた唐沢を救ってくれたのは、波の中から現れた刹那だった。泳げない唐沢に、刹那は水の中で泳ぎ方を教えた。唐沢は一人で浮島町公園の岸まで戻り海から上がった。寒くて、体がガクガク震えて、視界が歪んだ。助けを呼ぼうにも人の姿もない。「この世の終わり」という言葉が浮かんだ。自分の身体を抱きしめるように両腕を組んで、ベンチにたどり着き、バッグの中から社用スマホを取り出して救急車を呼んだ。
震えが止まらなかった。佐世保では、あれほど気持ちよくて眠ってしまったというのに。
横浜支社に異動してから、ジムに登録し、プールにも通い始めた。刹那に教わったおかげで泳げるようになったはずだと期待したが、何も変わってはいなかった。泳げるようになれば刹那にもう一度会えるかもしれないと、試しにジムの水泳教室に入会した。1か月通ってもまったく進歩がなく、インストラクターからは「ここまで身体の力を抜けない人は見たことがない」と匙を投げられた。
佐世保から羽田に戻り、その足で浮島町公園に向かったのは刹那に会うためだった。待ち合わせの約束はしていない。そこに行けば会えるという予感すらない。仕事が終わり、家路につくように、何も考えず、自然に、一度も行ったことのない川崎の公園へ足が向かった。
あれから刹那は二度と現れない。
救急車を呼ぶ直前に浮かんだ「この世の終わり」という言葉の意味が、海を見ていた唐沢の頭にいま追いついた。
刹那の手を離して、自分は助かろうとした。手放したかった日常へ戻ることを選んだ。それこそが「この世の終わり」だった。
20年経って、刹那はもう一度試すようなことをしたのだろうか。もしあの時、泳ぐことを拒んで、刹那の側にずっといたいと言えば、刹那が溶けていなくなることもなかったのか。それとも、若い頃に手放したものは二度と取り返すことができず、すべては遅すぎて、それでも、せめて夢だけを刹那が見せてくれたのか。刹那さえいれば他に大事なものなど何もない。それなのに、二度も刹那を手放してしまった。
また刹那のいない世界で生きるのか。刹那のことだけを考えて生きている坂出が羨ましい。
「死にたくなったら一緒に死んであげる、そのために私は生きている」
刹那の言葉が離れない。
本気で死にたいと願えば、刹那は現れてくれるのか。
刹那を忘れていた20年は、振り返れば案外あっという間だった。
これからの20年は、わからない。
―人は何のために生きる? 陶酔のため? 自分の半分を失ったままでは、陶酔なんてできない
―私は水に溶けるの




