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 ディオールは別れを告げた。

「ウリヤナ殿、案内に感謝します。銃弾は戦士と女を見分けません、お部屋へお戻り下さい」


「いやです」とルブリンの姫は明瞭に断る。

 断定口調にディオールも面食らう。


 東の女は保守的で男の言う事には素直に従う、というのが事前にルブリンで仕入れた情報だったのだが。

 ディオールの妹アントーニアやセルシーのように、何事に付けて口ごたえはしないと酒場の女に聞いていた。


「あれは兄の兵です。私が姿を見せれば撃ちません!」

 ウリヤナが明るい空色の瞳で訴えたが、ディオールは聞き入れる訳にはいかない。


「兄上、ディスワフ殿は撃ちますよ。私でも撃たせます。そして終わった後で相手を非難します。女を盾に使った卑怯者、騎士の名誉の一片もない屑だと。お願い致します、私の為を思うなら部屋へお戻り下さい」


 ディオールには時間がなかった。

 宮殿の奥からは、武装した兵士の迫る鎧の音が聞こえていた。


 盾と槍で銃列の前に追い出されれば手の打ちようがない。

 騎士は弓矢なら掴み取るが銃弾は避けれない。


 ウリヤナは、東部の女らしく物分りは良かった。

「……せめて何か、出会った証の物をくださいませ」


 まずディオールは左手の指を見たが、そこにあったはずの父の形見の指輪はなかった。

 代わりに胸のブローチを外す。

 黄金製で紅玉が使われているが価値はそれではない、アーバイン家の嫡男を意味する二本の足で立つ赤い獅子が鮮やかに描かれている。


 公館を死守していたインスブルック伯が、旗や剣と合わせて造らせていた物。

 もしディオールがルブリンに現れれば、これらを身に着け掲げる事が出来るようにと。


 獅子のブローチを受け取ったウリヤナは、自分の首飾りを外しディオールの手に乗せた。


「これをお持ち下さい。ご無事を神に祈ってます」

 ルブリンの姫は、そっと下がるとドレスの裾を持ち上げ、三人に優雅な一礼をした。


「……白金の鎖だ。俺が渡した物よりずっと高いな、差額を返せるように頑張るか」


 ウリヤナの首飾りは、近年になって加工され始めた白金の鎖に、青い大粒のサファイア。

 美しい蒼玉を透かすと、白い翼を広げた鷲――ルブリン国の紋章――が浮かぶ逸品。

 然るべきとこに持ち込めば城が立つ金額になる。


「さて若様、よろしいですかな」

 ガリバルドが愛しい孫を見る目でいった。

「いかん、許さん」とだけディオールは答える。


「銃兵は二列です、若様。交互に撃つでしょう、二人が順に走れば隙ができます。確か……かけっこはお得意でしたな?」

 ガリバルドは、歳の順に出ると言った。

 ロランもディオールを見て頷く。


「許さん。ここで後ろの敵兵を待つ。混戦に持ち込み、敵兵を盾に使う」

「駄目ですな、敵は囲んで援軍を待ちます。槍と銃の間に挟めば、騎士と言えども逃げられません」


 ガリバルドは、若者の戦術を採点してから付け加えた。


「三十人しか居ない今が好機です。ロラン、後は任せるぞ。儂は最初の斉射では絶対に倒れん。若様……わたしは祖父君カール帝が皇太子の頃より近侍し、母上テレーズ様のご成長も見届けました。次代の獅子を見届けた今、思い残すことは御座いません」


 皺だらけの顔をディオールに近づけたガリバルドは、見上げるまでに伸びたディオールの背丈を確認すると、王宮の正面扉を蹴り開けた。


 そして右に走る。

 宵の闇の中、銃兵から離れた所に置かれた松明の火がガリバルドの剣を照らす。


「前列、撃て」

 銃列の後ろで、ディスワフの横に立つ指揮官が命令を出した。


 アーバイン家の息子を王宮に入れたことは、情報を探る多くの者に見られていた。

 密偵どもは、雇い主の所へ戻った後に再び集まり、城内の話が漏れ聞こえぬか耳を済ましている。


 フリントロック銃の斉射音が響けば、もう隠し立ては出来ない。

 国内諸侯のみならず列強も異変を知ることになるが、ディスワフは迷わなかった。


「後戻りも、手加減もせぬ。いや、もう出来ぬ」

 ディスワフが言い終わる前に、十五発の弾丸がガリバルドに向けて飛んだ。


 命中率が悪いと言えど、三十歩の距離から狙えば何発かは当たる。

 ガリバルドは半身になり剣を盾にし、剣身が一発を弾くが別の一発が太ももを抉る。


「二発とは下手くそめ。長いこと戦をやっておらんからだ」

 悪態を付いた老騎士は、足を引きずりながら進む。

 後列も打ち放てば、ディオールが逃げる間が生まれるのだ。


 だがディスワフと指揮官は冷静なままで、王宮の扉から目を離さず「装填急げ、後列は待て」と命令した。


 ガリバルドが体の向きを変える。

 止めを刺さぬならそうする様に仕向ける、銃の戦列に斬り込むのみ。


 だが老騎士の左目の端に、二匹の獣が飛び出すのが見えた。

 ロランの動きは若き肉食獣のそれ。

 三十歩先の銃兵まで十歩で辿り着くが、火花が届いた火薬の燃焼ガスが銃弾を押し出す方が遥かに早い。

 ――若者が焦って飛び出した――とガリバルドは思った。


 しかし次の瞬間、指揮官の首が真後ろから斬られて飛ぶ。

 斬り飛ばした刃は止まることなく、銃兵の後列に背中から襲いかかった。


「挟み撃ちだ、戦の基本だぞ。お前らは知らんだろうが」

 尋常のバスタードソードよりも頭一つ分は長い剣を振るう騎士が参戦してきた。


 その騎士を、ガリバルドは知っていた。

 帝国の騎士ならば名を知らぬ者の方が少ない、レオポルト・”エーバー”・ダーウン。


 ディオールを見つける為にプラハへ連れてこられ、ローテンブルク伯の死後に出奔した猪の仇名を持つ騎士は東へ来ていた。


「ダーウンか!」

 ロランと共に銃兵に切り込んだディオールが確認した。


「エーバーとお呼び下さい、殿下。戦場を共にした者には、この名で呼ぶことを許しておりますゆえ」


 九人目を叩き伏せなが、よく伸びた髭面が答えた。

 ロラン・オルランドを剣で止めれる数少ない男、三年前は間違いなくロランよりも強かった騎士が馳せ参じた。


「エーバー、蹴散らせ。ロラン、じいを拾って来い。脱出するぞ!」


 二人の騎士が一回剣を振るう度に、兵士が一人死んだ。

 鎧もない銃兵では、騎士と近接戦など出来ない。

 例え銃剣を備えていたとしても無意味である、帝国最強クラスの騎士を二人も前にしては。


 ほぼ一瞬で二十以上の死体を生み出した四人は、夜の宮殿から抜け出した。


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