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 ルブリン国王ジギスムント三世は、ディオールを夕食に招き、その場で家族まで紹介した。


 前ロンバルド公のガリバルドは同席を許されたが、ロランは次室で待つ。

 これでも破格の扱いである。


 ヤギェウォ家のジギスムント三世は、ルブリン国では土着の民とされるポラニエ人。

 妻である王妃カタジナは、ディオールと同じフォルク人――ルブリン国内で二番目に多い――で、実家は帝国内のザクセン公と同じ家系。


 王妃カタジナは、帝冠世襲のアーバイン家には特別な想いがあるとディオールにも分かる程の歓迎をした。

 レディに対する完璧な儀礼を取ったディオールの手を、王妃カタジナは両手で包む。


「ようこそいらっしゃいました、皇子殿下。ラウエンブルク家の娘として、またヤギェウォ家の妻として心よりのお喜びを申し上げます」


 現在の帝冠はヴィッテルスバッハ家のアルブレヒトの頭上にある。

 それでも五十を過ぎた王妃は、ディオールの事を小さな皇帝(カイザリオン)と呼んだ。


「王妃殿下、心暖まる歓迎に感謝致します。ヤギェウォ家は長年の盟友として、またラウエンブルク家は家祖エーリヒ公以後、常に帝国の支柱となってくれました。私の初陣にも、アウグスト、ユリウス・ハインリヒ、マグヌスと三人も付き従ってくれました」


 ディオールは、初陣を共にした七百七名の騎士貴族を全て覚えている。

 ザクセン公のラウエンブルク家ならば、家祖エーリヒ以後、全ての家長とその功績を知っている。


 代々のアーバイン家当主が書き残した全てを読んだからである。

 帝国の全諸侯に対して家祖以来の忠誠を期待出来る、これだけがディオールの持つ唯一の強みだった。


 王妃カタジナは、今の言葉を聞きましたかと言わんばかりに、左隣の国王と右隣の息子を交互に見る。


 六十を過ぎたばかりのルブリン国王ジギスムント三世は、穏やかな表情を崩さず若者に腹の内を読ませたりはしないが、息子のディスワフは違った。

 一瞬だが不快の感情が表に出たのを、ディオールは確認した。

 

 ジギスムント王の息子のディスワフは、ディオールに握手を求めた。

 今のディオールに事実上残っているのは、パンノニア女王テレーズの息子の地位だけ。


 云わば対等の関係を求めて来た訳だが、その事にディオールは不満を感じたりしない。

 むしろこの息子を味方に付けねば勝算がない。

 がしりと、互いに力を込めながら握り合う。


 ディオールとフリードリヒの丁度中間になる、当年二十七歳のディスワフは、華奢に見える皇子の意外な膂力に一応は感心した様子だった。


 そして最後は、ジギスムント三世のもとに残る唯一の未婚の女子ウリヤナ。

 十八歳になる乙女の前に、ディオールは騎士のごとく膝をついて手を要求する。


 与えられた右手の甲に薄く吐息を伸ばすと、下から見上げて微笑を浮かべた。

 ディオールが十三歳で悪さを覚えてから編み出した必勝の技である。


 帝都ヴィアーナで最高級の娼婦でさえ一撃で沈める笑顔は、箱入りの田舎娘には刺激が強すぎた。

 捕らわれた右手を取り返す事も出来ずに、ウリヤナは母に助けを求めた。


「あらあら、アーバイン家の男は笑顔で帝国の半分を支配すると申されますが、伝承に偽りはございませんようで」


 王妃カタジナが笑いながら娘の手を獅子から取り戻す。

 アーバインの男子に与えられるのは、二足で立った赤い獅子の紋章なのだ。


 会食の開始まではディオールの一勝と言ったところだったが、そこからは在位三十一年のジギスムントが主導権を取る。


 本題――フリードリヒを警戒すべき――と唱えたいディオールも、他に言いたげな息子ディスワフにも、ジギスムント王はやんわりと話題を変える。


 そして王は、食後に息子とディオールに言い聞かせる様に語った。


「余の代では、我がルブリンは外征をしておらぬ。この国は広いが貧しく遅れておった。いや今でも貧しい後列国である。選ばれて即位からの十年は……厳しい声もあった。惰弱王などと呼ばれる事もな。だが……他国に踏み込まぬ事で儂は信用を、国民は食と富を得た。貴族同士の闘いも減り、ルブリンの人と富は倍になった。帝国内の争いに参入しておれば、こうはいかなんだ」


 ディオールにはジギスムントの言い分がよく分かる。

 バルトもエスターライヒも、大規模な戦争を続けたせいで財政は赤いを通り越していた。


 ここで「ですが」と割って入ったのは息子のディスワフ。


「手に溢れる富を得た庶民が何を求めてるかご存知ですか。飢える事のなくなった農民の次男三男が都市に集まり、商人どもと結託して自治や代表を要求する。それだけならまだしも、我が国は複数の民族から成り立つ国です。それぞれが独立要求の声明文まで出す始末。これはお父上が甘いせいですぞ」


 既に老王と呼べる境地に入ったジギスムントは、息子に教師のように語りかける。


「文書での争いは戦いの内に入らぬのじゃよ。それに独立と言えるほどの動きではない、ただ旧来の言葉と土地の呼び名を許して欲しいと願っただけ。それに儂は……議会の拡大は認めるべきだと思っておる」


「まさかっ! 議会に庶民を入れるおつもりですか!?」

 ディスワフは目を剥いて怒ったが、ディオールは感心していた。


 ルブリンの議会は、貴族のみで構成される。

 ここに都市や市民の代表を加えると言うことは、貴族の力を削ぐに等しく、余程に信頼される王でなければなし得ない。


 それにディスワフは理解してなかったが、ルブリンでは議会が王を選び、新たに加えられた代表は高い確率でジギスムント王を支持する。

 それは息子ディスワフを含むヤギェウォ家の権力強化に繋がる。


 敵対者を減らすことでなく、支持者を増やすことで自家の勢力を強めようとするジギスムントは、とんだ平和主義者だった。


 ジギスムント王は、怒る息子と何かを悟ったようなディオールを交互に見る。

 比較されるような態度を不満に感じたディスワフは、そのまま席を立って退室して行った。


「殿下、ご無礼をお許しあれ。頭の悪い子ではないのだが、直接的な力を振るう北琅王に憧れるとこがありましてな……」


 王が謝罪しディオールも静かに受ける。

 同席している王妃カタジナと娘のウリヤナも気まずそうであった。


 フリードリヒに憧れている、これはディオールも薄々感じていた。

 ディスワフはディオールを敵視すると言うよりも、ディオールの敵の側に立ちたがっていると思えたのだ。


「仕方ありません、あの狼は時代の英雄。男子に生まれたならば、馳せ参じて指揮を受けたいと思わせる程の傑物ですから」


 ディオールは恨みを述べるよりも賛辞を聞かせた方が、老練なジギスムントには通じると考えた。


「……失礼ながら、お若いのによくよく情勢を判断されているご様子で」

 乗ってきたのは王妃、続けて王が話を引き取った。


「殿下は、フリードリヒ陛下と戦うおつもりですか? よろしければ仲を取り持ってもよろしいが」


「上手いな」とディオールも思わざるを得ない。

 圧倒的なのはフリードリヒだが、ディオールの名は今も帝国諸侯を惹き付ける。


 交渉の労を取ると在位三十一年のルブリン王が申し出れば、フリードリヒとて攻め込んだりは出来ない。


 それでもディオールはこう続けるしかない。

「あの狼がそれでクラクフを諦めるとは思えません。彼の眼中に、残念ながらですが私の姿は無いのですよ、今はまだ」


「ふむ。では、ルブリンが協力すれば映すようになると?」

 ジギスムントがようやくディオールの本題に触れた。


「フランクルのカペー家、パンノニアのアーバイン家、それにルブリンのヤギェウォ家が手を結べば、狼は檻の中から吠えるしかありますまい」


 急いだディオールは結論から述べたが、それに返答を与えるほどジギスムントは若くない。

 またアーバインとカペーの同盟は知ってるはずだが、その気配を出す様子もない。


「実はですな。フリードリヒ王のダンチヒ要求は、戦時以外は毎年の様に書簡が送られてきておりましてな。始めの内は激昂していた諸侯も、今では気にせぬようになってしまい……どうですじゃ、七月から議会が開かれます。それまでクラクフに滞在なされては如何かですかの」


 ジギスムント王の提案に王妃が賛成した。


「まあそれは素晴らしい! 殿下、このような政治の話しかしない王宮などよりも、是非離宮においで下さいませ! ウリヤナも喜びますわ」


 王妃が娘を見やり、次いでディオールもウリヤナを見た。

 娘は頬を染めて俯き、小さく「はい……」と答える。


 ウリヤナも自分の立場は分かっている。

 母と父が決めれば嫁ぐ身で、離宮に他国の公子を呼ぶのがどういう意味かを。


 そしてディオールは、密かに「悪くない」と思っていた。

 彼の嫌いなコルセットなど身に付けず、ディオールの視線を避けながらもよく食べていた。

 絶世の美女には遠いが、鼻筋は通り目は群青、何よりも胸が大きくディオールの好みだった。


「必ずお伺いします」と、外交辞令でなくディオールは述べた。

 またクラクフでの安全は王が約束した。



 控えの間に下がったディオールは、ロランとも合流する。


「やれやれ、肩が凝りましたわい。あの子の予言も、今回は外れましたな」

 ガリバルドが大きく息を吐いた。


 ルブリン王ジギスムントとの会談は悪くなかった。

 王宮に「行くな!」と言ったサーシャの態度から、ディオールは敵対も覚悟していた。


 もちろん、これだけの王がいきなり武力に訴えるのは考えにくい。

 老境にある名君にとって、最期の最期でいらぬ汚名を被る必要はないのだ。


 ただ一言、「力にはなれぬ。去るが良い」と告げるだけでいい。


 食事も、わざわざ銀の大皿に盛られた料理を、王妃自らが取り分ける念の入れよう。

 この手厚い歓迎は、ディオールの自信になった。


 これまでは空虚だったフリードリヒと戦う己の価値を、ルブリンの王はまだ認めていると。


 だが事態はこの夜に動く。


 控えの間の扉を、一人の騎士が叩いた。

「外までお見送り致します」と。


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