弐拾壱 昔語り【其の三】
琵琶の娘に初めて会った日の帰り道。
「光明、楽しかったな。また遊びに行こう」
「うん!うんうん!」
光明は少しずつ言葉を話すようになっていたのだが、ここで宗音と意思疎通をとる必要に迫られたからか、急激に語彙が増えていっていた。
「びよーんびよーん、いく!」
びよーん、とは琵琶の音色のことだろう。
「あれは『琵琶』というのだ。あの娘はメイシュだな。とってもうまいってことだ」
宗音は持てる知識を総動員して説明する。
「びわ!めいしゅ!」
「あ、皆には内緒だぞ。あそこに行くのをなぜか嫌がるんだ」
「ないしょ!しー!」
宗音が右手の人差し指を口に添える仕草も、光明は真似る。
皆の目を盗んでは奥の間に遊びに行き始めて数日。琵琶の娘は行くと必ず歓迎してくれるのだが、光明とは逆にあまり話さなかった。
歌は歌うし、声が出せないというわけではないはずなのだが、ニコニコするばかりで言葉を発しない。
光明などはもうメロメロになっており、行けば必ず娘に頭を撫でてもらっていた。
「にゃああん」
「光明⋯!まるでネコみたいになってるぞ」
そのだらしない顔に少しばかりイラッとする宗音だが、娘はくすくす笑うばかりで嫌がることはなかった。むしろ、宗音にもおいでおいで、と手招きして、恥ずかしがる宗音の頭も撫でてくれた。
「私の名は宗音という。こっちは光明。あなたの名はなんというのですか?」
あんまり言葉を発しないので、宗音は自己紹介がてら名前を聞き出すことにした。だが、娘は少し戸惑うように小首をかしげ、ひとしきり悩んでからようやく口を開いた。
「⋯サグメ」
か細い声で名を名乗った。
「サグメというのか」
「さぐめ!さぐめ!」
宗音と光明が名を連呼すると、サグメは嬉しそうにコクコク頷く。名を呼ばれるのが嫌というわけではないらしい。
「サグメ。どうしていつもこの部屋に閉じこもっているのだ?もっと自由に外に出たらいいじゃないか」
「ないか!」
宗音(と光明)がそう尋ねると、サグメはまた困ったように眉をへの字にし、ふるふると首を振る。
「出ちゃダメって言いつけられているの?」
そう聞くと、また悩むように虚空を見つめ、またふるふると首を振る。
「出れないわけじゃないけど、出ないってこと?」
そう聞き直すと、今度は悩みながらもコクリと首を縦に振った。
たぶん、サグメは自分の意思でこの部屋に閉じこもっているのだろう。
その理由はよく分からないが、病気とかそういうことでもなさそうだ。
「⋯むにゃむにゃ」
気がつくと、光明はサグメの膝枕で寝始めている。
「⋯もう。光明は本当に自由だな⋯」
宗音は呆れて思わずそう呟くと、サグメはくすくすと笑った。とてもくすぐったくなるような笑い声だ。目を細め、スピスピ鼻息を吐く光明の頭を優しく優しく撫でる。だが、そこでサグメの口から思わずついて出た言葉は真逆だった。
「かわいくない」
言ってから、サグメは自分の言葉にハッとする。聞いていた宗音に振り向いて、泣きそうな顔で首を振った。それ以上の言葉はない。でも、自分の口から出た言葉を否定するように、必死に首を振り続けている。
その様子に宗音はちょっとだけ混乱した。
どう考えても光明をかわいがっているのに、「かわいくない」とはどういうことだろう。
「どうしてそんなことを言うの?」
宗音が聞くと、サグメはもう何も口から言葉がこぼれないようにきゅっと唇を引き結んで、項垂れるように首を振った。
「⋯サグメは、もしかして思ったことと反対の言葉をしゃべってしまうの?」
今の状況を幼いなりに推察して、宗音は冷静に問うた。サグメは今度は息を呑むように宗音を見つめる。
それだけで、宗音はサグメの状況を理解した。
この娘は、思ったことと反対の言葉を言ってしまうから、きっと皆に嫌われてしまったんだな、と。
「サグメ。私は気にしない。だってサグメはやさしいし、琵琶の音色もきれいだもの。私はサグメの心をしんじるよ」
この宗音の言葉は、おそらくサグメにとって救いの言葉だったのだろう。
あまりの衝撃に目を大きく広げ、まるで信じられないものを見るかのように宗音を見つめた。唇を震わせて、何かを言いかけては押し黙る。おそらく、これ以上言葉を発するのが怖いのだ。
そしてその瞳からみるみる水が溜まっていき、大粒の涙がこぼれ出てきた。
「わっ、サグメ!泣かないで」
慌てて宗音が駆け寄って、オロオロと拭く物を探したり、ないので背中をさすってみたり、サグメを慰めようと必死になった。サグメはそんな優しい宗音をぎゅっと抱きしめて、静かに泣くのだった。
***
あるとき、サグメのもとに通っていることが皆に見つかった。
光明と二人でこっそり遊びから抜け出し、奥の間に入ろうと襖を開けた瞬間に腕をつかまれたのだ。
(⋯こんなところにいた!!)
と、小声で最年長の子が腕を引っ張る。
宗音は黙っていたことの罪悪感もあり、光明とともに大人しく引き下がった。
奥の間ではサグメがいつものように琵琶を弾いていたが、一瞬だけ目が合った。
サグメより他の子を優先させたこともまた罪悪感を感じるが、仕方がない。
子供達に引っ張られて家の外まで連れてこられ、ようやく声が出せた。
「す、すまない⋯」
まずは黙っていたことを謝る。だが、子供達は怒っているというよりは心配そうな面持ちをしていることに気がついた。
「宗音さま、光明さま、あそこに行っちゃダメだよ」
「でも⋯」
「だまされないで!あいつは嘘つきなんだよ!」
「ち、違うよ!サグメはそんな人ではないよ!」
なんとか釈明しようとするが、皆は口々に今までの出来事を話して聞かせた。
「僕らだって最初はそう思ったさ」
「でもひどいことばっかり言うんだよ」
「『お母が死ぬ』とか」
「『今年は不作だ』とか」
「そんなウソをいっつも繰り返すんだ」
宗音は必死にサグメを庇った。
「サグメは思ったことと反対のことを言ってしまうだけなんだ!本当は心のやさしい人なんだよ!」
しかし、皆は既にサグメを「気味が悪い」「アマノジャクだ」と断じて聞き入れてはくれなかった。
***
雨の多い季節がやってきた。
具合が悪かった子供たちの母もだいぶ快方に向かっているということで、同瞬が通う足も少しずつ遠のいていたある日のこと。雨も降り止んだので、久しぶりに村へ降りることになった。
宗音と光明も、いつものように子供たちと遊ぼうと隣家へ赴いた。
子供たちは隣家の子も含めて庭先や土間で遊んでおり、大人も室内や軒先で作業をしていた。つかの間の晴れ間なので、子供たちも嬉しそうにはしゃいでいる。
そんな中での宗音と光明の訪れに、皆は「久しぶり!」と笑顔で迎えてくれた。
この長閑なひと時に。
すっ
と、奥の間の襖が開いた。
ベンッ!
サグメの琵琶が鋭く鳴いた。
雨は晴れたり 雲は行き
川瀬は清く 玉と澄む
サグメが奥の間を出てきて歌い始めたのだ。
宗音は思わず息を呑んだ。いつもじっとしていない光明すら、その瞳にサグメを宿して微動だにしない。
見ると、そこにいた子供たちも何人か棒立ちでその姿を凝視していたが、全員が顔面蒼白だ。
何しろ、サグメ自身が何故か鬼気迫るような顔で琵琶を奏でているのだ。
「ああ、宗音様、光明様。毎度お世話になっておりますなぁ。同瞬様も今日はこちらにおいでに?」
そんな中、大人は完全にサグメを無視する。
「あ、⋯あぁ」
やっとのことで返事をする宗音に、「左様でございますかぁ」とニコニコ話を続けている。
稲穂は重く 野は笑みて
家々栄え 人安し
水に哭く者 一人もおらず
サグメは一層逼迫したような顔色で琵琶を奏で、歌を歌いながら部屋を出て、宗音たちのいる屋外へまっすぐ突き進んできた。
「きゃあああっ」
と子どもが一人逃げ出すと、ほかの子らも一目散に駆け出した。
「こらこら、いきなり鬼事(鬼ごっこ)か?」
という、大人たちの妙にのんびりとした口調がいよいよ場違いで、宗音は混乱した。




