669話 邪な神が支配するです
「それがどうやったのか、身につけていなかったんだ。鉱山を出た時には、既にね」
それを聞いて、アニカは絶句した。
手が震えて額には汗が浮かんでいた。
「……、あんた言ったじゃない! あれを外すには人の命がいるって! だから絶対に外れないって!! なんだって言うの? あの愚図が2人も人を騙して殺したとでもいうの!?」
それは悲鳴に近い喚き声だった。
彼女にとって、完全に想定外の出来事が起きていた。
「ほら、鉱山の男達は荒くれだろ? どうやら身代わりが付けてた支配の石が目を引いたようで、取り上げようとしたんだよ」
開いた口が塞がらなかった。
「馬鹿じゃないの!? なんなの? 片方盗って人が死んだのに、おかしいと思わなかったってこと?」
さすがのアニカも、目の前で人が突然死しても盗むのを止めない無法者が存在するなど思ってもみなかった。
「あそこは犯罪者紛いの男達が集まっているって、君もわかってたろう? この指輪や首飾りを取り上げたら死ぬかもなんて、想像出来る奴はいなかったってことさ。そこに2つお宝があるなら、両方手に入れたがる輩だらけだ」
そもそも、外すのに人の命と引き換えなどというそんな呪物じみた装身具を、子供が身につけているなんて考えもしなかったことだろう。
それでも石に触れれば生命力や魔力が吸われて気分が悪くなるはずだ。
触らなくとも不吉な石だと勘付く人間だっているだろう。
だけれどこうなったのは、そういう生き物の防衛本能など無視して目の前の財宝に飛びついた彼らの欲望を甘くみていた結果だ。
「馬鹿じゃないの!!!」
アニカは、その石の呪わしい効果を聞かされていたからこそそう思えただけで、もし知らなければ同じ轍を踏んだかもしれないというのに死者を罵るのを止めれなかった。
「そんな変なもの野良犬だって近寄らないわよ! 犬猫以下もいいとこだわ! 死んで当然よ!」
「そういう奴等の溜まり場なら、何かの拍子にシャルロッテも殺されるかもって、君も期待してたじゃないか」
確かに期待していた。
法律を守らない暴力に頼る男達なら、目に付いた老女を捻りあげる事など朝飯前であるだろうと。
加減を少し間違えれば、蟻を潰すように簡単に命を奪うことだろうと。
そう、黒い雄牛の思惑もあったが、鉱山という不便な場所にシャルロッテを導いたのはアニカの提案でもあったのだ。
言葉巧みにアニカの縄張りへ彼女を誘い出し悪党達の中に放り込んだら、さしもの聖女といえど震えて泣き喚き病むはずであった。
「目を離すんじゃなかったね。あの鉱山で起こったことは完全にイレギュラーだったようだ。運命はあの子に傾いてしまった。何もかも」
その誰もが想定しなかった事の流れを思うと、ハントは笑うのを堪えきれなかった。
何もかも予定外な事だったのだ。
支配の装身具が外された事も、何もかも。
神の予想を裏切る行動をする人間が、どれ程に貴重であるか黒い雄牛はよくわかっていた。
それは値千金。
いや、金を積んでも手に入らないというべきか。
楽しませてくれるのなら、どんな望みでも叶えてしまいたくなるのがこの神の悪い癖だった。
「これから、どうすんのよ! 身代わりがなきゃ誰が責任を取るのよ!!」
この世界では、自分の悪行から逃れられないと黒い雄牛から散々聞かされていた。
だからこそ、まず最初にしたのが、それから逃れる為の神への目眩しである身代わりを立てる事だった。
アニカの持つ人の数倍高い魔力も、あの少女を魔力装置としていたからだ。
彼女を特別な存在にたらしめていたのは、ひとりの少女の犠牲があったから。
それが逃げ出した?
そんなのは認められない。
「まあ、あの子はもう使えないし、別の方法を考えよう。多少君にも身を切ってもらう事になるけど私がどうにかしてあげるよ」
「全部あんたのせいじゃない!」
錯乱し泣き叫ぶアニカを、黒い雄牛は抱きとめた。
この世界のルールを、彼は嫌という程少女に吹き込んできたのだ。
罪の意識を持たなければ大丈夫。
別の邪神に信仰を捧げれば因果は及ばないと。
それはシャルロッテさえも追い詰めたルールだ。
彼女は、自分を責めることをやめてそこから抜け出した。
けれど、アニカは身代わりという免罪符を手に入れたせいで、どんな悪行をしてもよいのだと、かえって自分の悪事を強く意識し過ぎてしまっていた。
目の前にこの青年がいるせいで、神の存在を軽んじてしまっている彼女は、今更神に捧げる信仰など持ち合わせていなかった。
ここまで取り乱してしまっているのは、既に身代わりの少女が自由になった影響を受けてか、これまでの反動もあるのかもしれない。
「大丈夫。全部、私がどうにかしてあげるよ」
錯乱する少女を抱きとめて、美貌の神はその髪をゆっくりと撫でるように舐めた。
「ほら、私がいてよかっただろう? 私が全部良くしてあげよう」
ニィイと口が裂けているかのように口角が上がる。
「君は今のままの君でいいんだ」
それは呪わしい程に、甘く響く言葉だった。




