64話 片付けです
「それで本命の黒山羊の落ち仔というのは今どこに……」
会いたくてウズウズしているのがわかる。
本命が何なのかわからないけれどとにかく希少なのだろう。まあなんといってもクロちゃんだし。
「今は王宮の貴賓室で私の帰りを待っておりますわ」
「では、出向けば会えるのですか!!」
「ええ、フリードリヒ殿下が許可を出せばいつでも会えると思いますよ」
「フリードリヒ王太子殿下! どうか私に落ち仔に会う許可を!!」
そう叫ぶと王子に詰め寄って懇願し始めた。王子も学者の圧に引き気味である。
「ああ、ではその様に取り計らって置こう」
応接セットの周りは、きれいにしたものの部屋の中は依然散らかったままである。
考えてみるとこの世界では、私はずっと掃除済みの片付いた部屋しか見たことがないのだ。
侯爵家というきちんとした使用人を雇っている屋敷のお嬢様に、家令たちが散らかった部屋など見せようはずがない。
「あの、少しこちらも片付けてもよろしいでしょうか?」
「え? いやお嬢さんにそんなことさせるわけには……」
「でもこの状態では掃除夫を入れることも出来ないのではないのですか? このままだとせっかくの研究室がごみ溜めと変わらないですし、来客にも支障が出ているではありませんか。こういうところから変えていかなければなりませんよ」
学者は言いよどむが自分では掃除をしたくないのはみえみえである。その隙をついて片付けに取り掛かる。
要領は同じだ。山は整えて分野ごとにわかりやすく、本だって背表紙が揃えてあれば片付いて見えるのだ。掃除用具を持ってくるように学者から研究棟の使用人に言いつけてもらう。
見目良く一山一山整えて、どんどん楽しくなってくる。
「桜姫が掃除を……」
「エーベルハルトでは娘にも掃除を教育しているのですかね。随分と手際がいい」
片付けに関して全く無能な3人をソファに座らせたまま、気にせず掃除を進めていく。ああ、体を動かすのって気持ちがいい。
「あらあら、こんな小さな子だけ働かせてなんですか一体」
掃除道具を運んでくれた使用人は40歳くらいの人のよさそうな恰幅のいい女性だ。掃除も片付けもしたことの無い男どもにテキパキと指図をし始めた。
詩人は慣れない手付きで高い部分の水拭きをして、王子は言われるままに窓を拭くことになった。横目で見ていると熱心に磨いている。こんな事をするのは初めてだろうに真面目なことだ。
「学者先生は自分でしかわからない物の片付けですよ。なかなか部屋に入れてもらえませんでしたからね。この際きれいにしてしまいましょ」
うーん、この女性大物である。一旦足を踏み入れたらそれは彼女の仕事場となるのか。
場所柄身元の確かな爵位のある家の出なのは間違いない。これぐらい強引でなければ内に籠る学者達の相手はしてられないのかもしれない。
そもそもここ赤の学び舎は門をくぐれば爵位の差は無いとしているのだ。それもあってこういうやり取りが日常になっているとも思える。
こうやって研究室の掃除をする仕事も楽しそうだ。きっと学者の研究内容と性格で各部屋個性的に違いない。
私も負けずに掃除しないと。この男物の制服の締め付けのなさと動きやすい事!一着もらってしまいたいくらいだ。
そういう訳で私達は一丸となって学者の部屋を掃除した。
「良し、これくらいでいいでしょう」
女性が部屋を見渡して満足気に言った。
「いや素晴らしい。この短時間でこうもきれいになるとは驚いたよ」
学者は足の踏み場があるぞーと浮かれている。
「男手もあって可愛い坊ちゃんふたりも熱心に掃除してくれたお陰ですよ? 特に小さい方の坊ちゃんの手際の良さったら。このままここの仕事に就いて欲しいくらい」
ケラケラと笑うと、ポケットから包装されたお菓子を一つずつ渡してくれた。
こういうお手伝いでお菓子をもらうのはいつぐらいだろう。何だかうれしい。王子もやり遂げた顔をしている。
「掃除のご褒美よ。とりあえずこれで掃除人が入っても問題ないでしょうから、これを維持して下さいね、学者先生」
「ああ、掃除を入れると何がどこにいったか後が大変で長らくほおっておいたのだが、これなら大丈夫そうだ」
そんな所だろうと思った。
そうやって無精が重なってああなてしまったのだろう。
あそこまで散らかってしまっていたら中々人を入れる気にはなれないだろうし。
今後定期的にこの女性がチェックしてくれれば体裁は整うだろう。
窓から入る陽射しは傾いていたが明るくて空気まできれいになったような気がした。
女性は掃除用具を取りまとめてウィンクすると退室していった。
気が付けばいい時間だ。
「ではそろそろ帰りましょうか」
窓の外の日の陰りを見て詩人が促す。
「有意義な時間でしたわ。ギル様ありがとうございます」
「いやいやこちらこそ助かったよ。次は落ち仔を紹介してくれるといいな」
フランクな人なのでこちらも楽である。
「出向いていらっしゃるのをお待ちしますわ」
「それはそうとひとつ気になるのだが」
「はい?」
「お嬢さんはなんで少年の格好をしているのだい?」
え?今聞くの?
まだ入学してないし目立たない様にお忍びだからだよと、スパーンと学者の頭を軽くたたいて詩人が説明してくれた。
「ああ、なるほど。王子も一緒だと目立ってしょうがないものなあ」
のんきに屈託なく笑っている。ちょっとずれている気がするけどそういう人なのだろう。
また会う約束をして研究棟を後にした。
「ナハディガル様とても勉強になりましたわ。紹介下さってありがとうございます」
「我が姫の為になったのならばこれ以上の喜びはございません」
口調がまた戻ってしまっている。それでもまだだいぶ大仰さがとれたので良しとしよう。
今日はかなりの収穫があった。
王子のおかげで買い物も出来たし何より学術地区を歩けたお陰で私の中で学院への入学がとても楽しみになっている。
入学したら本屋を回ったり買い食いをしたりと貴族の生活では絶対に出来ない毎日が待っているのだ。
もしかして学院を設立した昔の王様も窮屈さを感じて少しでも庶民っぽさを味わいたかったのしれない。
そう思うと本の中でしか知らなかった人が急に身近に感じられる。
あなたが建てた学院は時を経てとても素敵な場所になっていますと心の中で感謝した。
「ナハディガルには業者を通してレーヴライン侯爵家にも魔除けの組紐を届けてもらおう。後はアルニカオイルも手配したいな」
王子の言葉にピンと来た。これはエーベルハルトの出番ではないだろうか?
「アルニカは山岳地に群生すると言われてますし、北に山脈を擁するエーベルハルト領に確認するといいと思いますわ。隣接の山林連邦ガーベルングスヒューゲルの群峰を抱えておりますので輸入するのも良いですし」
「エーベルハルトの山は火山なのではないのかい?草花が生える環境なのだろうか?」
「火山と聞くと熱いイメージがありますが、吹きおろしの寒い風も吹きますし冬は雪が降るんですよ。溶岩が流れる場所もそれはあるでしょうが大半は普通の山と変わりありません」
「そうなのか。火山は見たことがないので誤解していた。いつか君のところへ見に行きたいね」
「その時は領を上げて歓迎いたしますわ」
もし、王子が来る時までに私が温泉を掘り当てていたら王族が立ち寄った温泉と宣伝させてもらおう。
我が領地に温泉郷をという夢は私の中で消えていない。日本人だもの。温泉なくしてなにが人生か。
「その時は私も同行しますからね!」
詩人がすかさず話を遮るように声を上げた。
「それにしても」
王子が笑いを抑えながら愉快気に話した。
「窓拭きをした王族は私が初めてじゃないだろうか?」
それを聞いて帰りの馬車の中は笑い声で満ちた。




