39話 前王です
「噂の聖女が、王宮に滞在していると聞いてね。年甲斐もなく、見物に来てしまったよ。私はジークムント・リーベスヴィッセン大公爵。前国王である。現在はノルデン大公と呼ばれている隠居爺だ」
ノルデンとは王都の北西部にある領地で、引退した前国王はそちらで過ごしている為そう呼称されている。
なにはともあれ引退したといえど、この国では国王に次ぐ身分である。
私は最上級のカーテシーをとって、自己紹介をした。
「お初にお目にかかります。エーベルハルト侯爵が娘シャルロッテでございます。大公陛下にお会いできるなど恐悦至極でございます」
「丁寧な挨拶をありがとうシャルロッテ嬢。あまりかしこまらないでおくれ。ここは花を愛でる庭園。その花が畏まってしまったら、私はなにを楽しめばよいのだ」
にこやかに笑いながら、こちらの緊張を解こうとしてくれているのがわかる。
お世辞でも花と例えられるのはうれしい。
ナハディガルにいくら称えられても、この人何言ってるんだという感想だったのに現金なものである。
第一印象は、大事なものだ。
横を見ると、王子が口を尖らせて少し拗ねた様子だ。
「そんな顔をなさってはいけませんわ」
と、耳元でアドバイスをすると王子はさっと姿勢を正した。
「おや、君からは大公と呼ばれるよりも、じきにお爺様と呼ばれそうだね。我が孫はお気に召したかい? 私に似ていい男であろう」
大公の笑う声が、高らかに響く。
王家に代表される青い瞳に金の髪は白くはなっているが顔立ちといい、確かに大公と王子はよく似ていた。
だが百戦錬磨の狡猾さをまとって、それが熟成された古酒の様に何とも言えぬ雰囲気を醸し出していて、それが前王独自の魅力を放っている。
「あの、質問をしてもよろしいでしょうか?」
「こんな枯れた爺に答えることが出来ることならば、存分にするがよい」
尊大な態度も、まったく嫌味がない。
「た……大公陛下は現在お付き合いされている女性はいらっしゃるのでしょうか?」
少々上擦った声だったが、ちゃんと言えた。
これは大事な事なのだ。公式では大公妃は確か20年は前に病気で亡くなっていたはずだが、公表していない後添えや愛人がいるとも限らない。
不敬な質問であったろうか?
いや大丈夫だ。
いざとなれば無邪気な子供であるという事実が、私を守ってくれるはず。
王子が怪訝な顔で、こちらを見ているのがわかる。
「シャルロッテ、一体どうし……」
「すっかり爺になってしまって、最近では独り身を楽しんでいるよ。どなたか紹介したい未亡人でもいたのかね? それならばこんな爺よりはもっと有望な人物を選んであげたまえ」
少女から出たとは思えない俗な質問に対して、面白そうに大公が返事をした。
「未亡人を紹介などと、恐れ多いことですわ」
さあ、勇気を出してシャルロッテ。
私は両の手を胸元で組んで、大公を見上げて乞うように言葉をつなぐ。
「どうか、私を大公の妻にしてくださいませ」
周囲にどよめきが走る。
気付けばここにいるのは、この3人だけではなかった。
大公が話しかけたことで王子と私を二人きりにしようと画策して、わざと遠巻きにしていた侍女や近衛達が元の待機位置まで近づいていたのだ。
私の告白は、どうやら全員の耳に届いたようだった。
前王以外が、全員動揺して固まっているのがわかる。
王子もすごい顔で私を見ているのがわかる。
ごめんなさい王子様、この体になって初めてときめいた男性が前にいるのだ。
欲しいものは機会を逃せば買い逃す。
バーゲンで安物買いは良くないが、本当に欲しいものはその場で手に入れなければ他にもっていかれるのを十分に私は知っている。
「私、拙いながらも刺繍が出来ますし、料理もしたことがあります。まだ子供ですが、これから教養を身に着けて立派な淑女になる予定です。悪くないと思うのですが、いかがでしょうか?」
もっとセールスポイントを上げようと考えたが、あまりすすめるところが無くて自分でもガッカリしてしまった。所詮子供なのだ。
怪異を退治たことも言った方が良かっただろうか。
でもあれはクロちゃんがいてこその話だし、そこを買われるのは複雑な気持ちである。
悶々としていると、大公がまたもや大きな声で笑った。
「ここまで愉快な気持ちになったのはどれくらいぶりであろう! 爺もまだまだ捨てたものでもないようだな。感謝するぞ、シャルロッテ嬢」
そう言うと自分の侍従達に、わしの魅力もまだ衰えてはいないなと自慢をしている。
とても気持ちの良い人だ。
なんという大人の対応であろうか。
子供の戯言をすっぱりと切り捨てることなく、上手くかわしたのだ。
中身が大人であれ子供の身では相手にもされない。
これは振られたのだ。
久しぶりに無力感に襲われる。
「大人になって気持ちが変わらないようなら、もう一度その言葉を聞かせてほしいものだね」
そう笑いながら言うと、そばに咲いていた大輪の赤薔薇を一本手折って私に差し出してくれた。
なんと憎い演出だろう。
完敗である。
「ありがたく、頂戴いたします」
ゆっくりと目を伏せて、精いっぱい大人ぶって薔薇を受け取る。
「とりあえず、なんだな。その隣にいる坊主とよく話し合ってくれると、爺は助かるのだが」
王子が蒼白になって固まっているのを、前王はバツの悪い顔で見やった。
結婚を申し込んだら、その相手が自分の目の前で祖父にプロポーズしたという稀な状況に陥ったのだ。
望めばどんな令嬢でも喜んで返事をしただろうに、相手が私なせいで要らぬ苦労をかけてしまった。
これも経験と思って、今後の糧にしてくれると良いのだが。
まあ、結局私も大公に相手にされずフラれた訳なので偉そうな事は言えないのだけれど。
そういえば私は王子の問いかけに返事さえしていないのではなかったか。
王子を放って自分の事に夢中とか、本当に申し訳ない。
もう少し彼の心内を考えて行動すべきであった。
そう思うと、自分の未熟さにいたたまれなくなる。
いくらなんでも衝動的すぎた。
侍従が前王に耳打ちをする。
どうやら王子の婚約の申し込みの最中であったのを説明しているらしい。
前王は申し訳なさげなまなざしを王子に向けると、また落ち着いた場で話でもしようと肩に手を置いて声をかけると去っていった。




